#5 翡翠色の瞳の息子
「あれです」
私は依頼人のベンさんに連れられ、人で賑わう大きな酒場に来ていた。
“彼”の特徴に当てはまる人がいると言われて。
ベンさんの指すほうを見ると、ウェイターをしている青年の姿が見えた。
「黒髪に翡翠色の瞳、身長も180cmほど、年は今年でちょうど24歳!しかも、なかなか良い顔してるでしょう」
そして、調子よくビールを飲む。
「ええ…」
確かに、黒髪に翡翠色の瞳をしている。けれど…。
「どうですか?」
私の少し戸惑った様子を見たベンさんは罰が悪そうな顔をして、先程まで飲んでいたビールを机の上に置く。
「でも、あいつは軍人じゃない。戦場に出た経験はない…」
鼻から“彼”がいると期待していたわけではない。
“彼”を探すのは、暗闇で細い糸を手繰りよせるほどに、脆く難しいことは自覚している。
酒場にいると聞いた時から、それは私が探している彼ではないということは、薄々わかっていた。
「すまない」
そうとわかっていて、酒場までついてきたのは、なぜベンさんが私をここに連れてきたかったのか。
その理由が気になっていたからだった。
「でも、探し人じゃないにせよ、彼のことどう思いました?」
「どうとは…?」
「かっこいいなとか、なんか少し話してみたいな~とか、好意的な何かを感じたり…」
「ベンさん、あなたのやり残したことって、もしかして…」
「ああ、はい。ちょっと露骨すぎましたかね」
ベンさんは照れるように笑い、再び、忙しそうにフロアを行き来する青年の方を見る。
「息子なんです」
よく見ると、ベンさんもあの青年と同じ瞳の色をしていた。
眼鏡をつけていてわかりにくいけれど。
「あいつは、24にもなるのに、ずっと夢を追って、結婚する気配もなく…、私がいなくなったら、1人になってしまうのに」
「…」
「もう、寂しい思いはしてほしくないんですよ…」
そう言うベンさんは慈愛に満ちた眼差しで息子の姿を見つめる。
私には、本当の親がいない。それでも、子を心配する暖かくももどかしい眼差しを痛いほどに知っていた。
「まあ、こうなったのは、全部私のせいなんですけどね」
思わず、漏れ出てしまったその言葉には、強い後悔の念が含まれていた。
「それは、どういう…」
「皆様、本日はご来店いただき、ありがとうございます!」
私がその言葉の意味を聞き返そうとした時、この店のオーナーと思しき人が壇上に上がり、店内に向けて話し始めた。
「時間になりましたので、本日のプログラムを開始させていただきます」
その言葉とともに、青年が壇上に上がり、真ん中に置かれたピアノの前に腰を下ろす。
「本日は、ノア・シャルルによるピアノ演奏です」
その青年は、先ほど紹介されたベンさんの息子だった。
彼が、ピアノを弾き始めようと、鍵盤の上に手を置いた時、ベンさんは席を立ち、慌ててお金を机に置き始める。
「どうしたんですか?」
「ちょっと、用事を思い出してしまって。このお金で、ここで自由に食べてください」
「ええ…」
「こんなおじさんのしょうもない話に付き合ってくれてありがとう」
そう言ってベンさんは足早に店を去って行った。
その時、私は壇上から視線を感じたような気がして、そちらに目を向けるも、そこには、演奏に集中し、ピアノで華麗な音を奏でてノアさんの姿しかなかった。
先程まで、食事に夢中だったお客さんたちは、手を止めて、演奏に聞き入っている。
こんなに人の心を魅了する演奏を息子がしているというのに、なぜこの音を聞く前に店から立ち去ってしまったのだろうかと疑問だけが残った。