9:30-1
約束の時間の十分前、私は慌ただしい身支度を終え、戸締りのチェックを行った。
そういえば、以前五分前に待ち合わせ場所に行ったとき、遅いと言われたっけ。あまり親しくない間柄なのだから、早めにするべきだとかなんとか。
「もうしっかりと知り合っているのだから、五分前でいい、よな?」
言いながら不安に駆られる。
何せ、相手は圭だ。
自分が法律とまでは言わないが、己の信念がとても強く太く通っており、それを曲げようとか折ろうとかするだけ無駄だとまで思ってしまう、圭なのだ。
私は今一度持ち物を確認し、外に出る。もしかしたら、もう待っているなんてことがあるかもしれない。
無意識のまま、アパートの階段を速足でおりる。道路の方に、車の影がないかどうかが気になって仕方がない。
そうして慌て気味に出たものの、車の影はどこにもなかった。どうやら、親しい間柄の五分前集合を許されたようだ。
ほっとしていると、視界の端に車が見える。
片桐さんが運転する車だ。
株式会社 浄華専属ドライバーだという片桐さんは、とても運転が上手だ。何せ、車が滑るように走ってくる。
アパートの出入り口が邪魔にならない場所に、優しく車が停まった。運転席には、やはり片桐さんが座っており、私に気づいて会釈した。
私が後部座席の方へと向かうと、ドアが開き、奥の方に座る圭が「よ」と手を挙げた。
「おはよう、おっさん。早目に待ってるなんて、成長したじゃん」
「成長、かな?」
「だって、最初は俺の方が早かったし」
ああ、あまり親しくない、十分前の頃か。
「鍛えられたんだよ」
私はそう答え、車に乗り込む。片桐さんと圭に、改めて挨拶をしながら。
「それでは、出発いたします」
片桐さんが丁寧な声掛けをし、車が静かに発進する。
圭は座席の脇に置いてあった書類を私に渡す。車内で文字を読むと、酔いそうで怖い。いや、片桐さんの運転ならば、大丈夫か?
軽くドキドキしながら書類に目をやる。
そこには「山内 はるか」という名前が書かれている。
「今回は、その山内家の厄払いをする、という依頼だった。家の中でちょっとした不幸が続くから、厄が溜まっている状態だと判断したんだ」
圭はそう言い、トントン、と書類の一部を指さす。
困った現象一覧が書かれてある。
家族にケガや病気が頻繁に起こる。
物が良く壊れる。
なんとなく家の中が薄暗い。
「そこには書いてないけど、布団を干したら雨が降るとか、頻繁にだぶって買い物をするとか、踏切や信号にひっかかりまくるとか、そういう小さいやつもある」
「それは、本当に小さいね」
「だけど、続けば憂鬱になる」
それもそうか。
とことんついていない日、というのは私にもあるけれど、それが続いたらやっぱり嫌な気持ちになる。
先日もアポをとって営業へ行ったのに、相手方に急用が入って無駄足になったり、自分の目の前で数量限定定食が売り切れたり、トイレに行きたいのに個室が全部使用中だったりしたときは、神社でお祓いしようか迷ったくらいだ。
特にトイレは困った。もう本当に危ない、となった時、使用中だった人が出てくれて助かった。
「おっさん、聞いてる?」
圭に言われ、私ははっとする。
いかんいかん、今は私の小さな不幸自慢をしている場合ではない。
「ただ、こういう依頼って多いんだ。一番多い、と言ってもいいかもしれない。対処も簡単だし、すぐに終わるから、別にいいんだけど」
「対処、簡単なんだね。神社でお祓いするとか?」
「まあ、近いかな。簡単な浄化をして、厄だまりができにくいように結界を張る」
「それ、簡単なんだ……」
普通の人には難しいな。
私の考えを察知し、圭がにやりと笑う。
「おっさんにもできる方法、教えようか?」
「え、できるのか?」
かしこみかしこみって、祈るとか?
ドキドキしながら答えを待つと、圭は「掃除」と答えた。
「掃除?」
「そう、掃除して、部屋を明るくして、いっぱい笑っときゃいい」
簡単だ。
本当に簡単だし、私にもできる。
「そんなことで、厄だまりとかいうのに対処できるのかい?」
「大体、厄だまりってのは空気の流れが上手くいってない状態で起こるんだ。部屋が汚いと病気になりやすいし鬱々とする。笑わなかったら雰囲気が暗くなる。そうすると、厄が溜まりやすくなる」
まあ、確かに。
この三連休、掃除しようかなぁ。
私が感心していると、圭は肩をすくめながら口を開く。
「でもさ、そういうの伝えてもだめなんだよな。おっさんは納得してくれるけど、大体の人は納得しない。だから、直接赴いて簡単に浄化したり結界はったりとかするんだ。実感できるように」
「まあ、そうだね。人が来てくれるだけで、気持ちも変わるし」
「だから、今回も同じように対処することにした。だけど、判断を誤った」
圭は、すっと真顔になって言葉を続ける。
「その家の子ども、山内はるかは、厄付だった」
私は、ごくり、と喉を鳴らす。
私と、同じ体質だからだ。
「厄付による厄だまりの発生なら、対処の仕方が全く異なる。形成方法が全く異なるからだ」
「異なる……? 普通の厄だまりと、違うのか?」
「さっき、空気の流れが上手くいってない状態で起こるって言っただろ? だけど、厄付が引き起こすのは違う。流れとか関係ない。ただ、その体質に厄が近寄ってくる。簡単な浄化を行う前に、厄付自体に厄を来させないようにしなければ、いたちごっこだ」
私は気づく。
対処方法が異なるのに、いつもと同じと思って対処に当たったから、今回問題になっているのだと。
「でも、派遣されたのも浄華の人なんだろう? だったら、対処に向かった先で気づいたのでは」
「気づいたと思うし、対処の方法を変えようと思ったはずだ。今回は厄付がヤッカになっていたから、まずい事態になったんだと思われる」
「ヤッカ?」
「厄に禍、と書く。厄付という体質をそのまま放っておいたために、どんどん厄に侵された状態だ。厄が渦巻いてるから、周りにどんどん影響を与え始める。そして厄付自身にもネガティブな感情しか抱かなくさせる」
「まるで、呪いみたいだね」
「そう、呪いだ。ネガティブな感情によって引き出される考えは、やがて厄によって叶えられ始める」
「叶えるっていっても、いいものじゃないんだよね?」
宝くじとか、懸賞とか。
ちょっとした夢はないのかと思ったが、圭にばっさりと「当たり前だろ」と切られた。
「ネガティブから引き出される願いは、ネガティブなものしかない。厄もだからこそ助長して叶える。悪循環だ」
忌々しそうに圭が言う。
例えば、ちょっと気に食わない相手が怪我すればいいとか考えて、本当に怪我をするとか、そういうものなのだろう。そしてそれが続けば、気付くはずだ。
自分が、やっているのだと。
「自分が願ったことが叶うと分かった役付は、大体二通りに分かれる」
「二通り?」
「発狂するか、その力を使って思い通りにするか」
どちらも嫌だということは分かる。
「だけどさ、帰着するところは、一つなんだ」
「一つ?」
嫌な予感がする。それでも、尋ねてしまった。
私も、厄付だから。
「つまり、厄に乗っ取られたまま死ぬんだよ。八割が自殺、二割が引き寄せた厄による災い。主に事故」
私は、つう、と汗が背中に流れるのを感じた。
圭と出会っていなければ、それは私が帰着したかもしれない場所だったかもしれないのだ。