13:00-3
想像以上に壮絶な話を聞き、私は思わず動きを止めた。
はるかと同じ厄禍だった妹。なんとかしてやろうとした圭。その結果の拒否。
その時、まだ圭は中学生だ。
たった13歳の、子どもだ。
「華がさ、教えてくれた。あの時、妹はいじめにあっていて、ただでさえ厄を集めやすい厄付だった体質も手伝って、あっという間に厄禍になったんだって。もっと早く気付いていたら、良かったかもしれないんだけど、俺は気づけなかった」
13歳の子どもに、そこまで気配りしろというのが難しいのではないか。厄付とか厄禍の知識もないというのに。
おそらく華嬢も似たようなことを言っただろうが、圭は口にしなかった。
きっと、今私が何か言ったとしても、圭には響かない。慰めにもならない言葉なのだから。
「妹は、病院に運ばれた。いろんな科の治療を受けて、華の方でもいろいろ治療法を探してくれて、今は普通に生活してる」
「それはよかった。今が元気なら、何よりじゃないか」
現在が良ければ、過去の暗さが少しなくなる。
そう思ったのだが、圭の次の言葉でそれすらまた影を差す。
「妹は、俺の事を綺麗に忘れた。覚えてないというより、知らない。俺の存在を、なくしたんだ」
「圭君の事を……?」
私が尋ねると、圭はこっくりと頷いた。
「それでもさ、近づくと叫ぶんだ。怖いって。で、泣くんだ。なんだかよく分からないけど、あなたが怖くてたまらない。お願いだから近づかないでって」
圭はそう言って、自嘲する。
妹は子どもだったから、と圭は言うが、それを言うなら圭だって子どもだ。
「両親はさ、俺に申し訳ないけどって言って頭を下げた。妹の方が小さいから、当たり前なんだけどさ」
私はぎゅっとこぶしを握る。
確かに、圭の方が大きい。それは確かだ。
だが、たかが二歳だ。
たった二年しか大きくない。
中学生に、申し訳ないなんて言葉を使って。大きいなんて無茶を押し付けて。
大人が守るべき子どもに。
私が唇をかみしめていると、圭は笑った。
「俺さ、両親の言うことも分かってたから。厄を喰らってる俺は、両親から見れば気持ち悪かっただろうし、俺のせいで妹がおかしくなったんだから怖かっただろうから。今でも連絡をくれたりするし、たまに食事に誘ったりしてくるし」
圭はそう言いながら、手をひらひらと振る。茶化したように、無理に明るく話すように。
その声が、話し方が、私のこぶしを再び強く握らせる。
だが、圭はそこに対して私に何も求めていないだろう。私は大きく息を吐きだし、気持ちを整える。
私は、大人なのだから。
圭よりも年を取っている、大人なのだから。
「じゃあ、圭君は、中学生の時位から浄華に?」
「うーん、最初は居候。華が面倒見てくれて、たまに手伝ったり。中学卒業したら、正社員として働いてる。だから、結構俺は金もちなんだぜ」
にか、と圭は笑った。
何といっていいのか分からない。壮絶な過去に、そこから続く現在に。
圭はいろいろなことを悟ってきたのだろう。
自分がしたことを省みて、それによって起こったことを客観的に見て。どういう状況で、どういう事になったのかを悟ったのだ。
華嬢には頭が下がる。きっと、彼女は圭にとっては救いであったはずだ。
生きる術を、示してやったのだから。
こうして圭が今、笑って過去を話せるのも、彼女の力があってこそだ。彼女は、圭を心身ともに支えてやったのだ。
もちろん、圭自身が強くあろうとしたからだろうけれども。
「圭君は、えらいね」
「え、今更?」
「うん、改めて。えらかったし、よく頑張ってきたね」
私が言うと、圭が唇を尖らせながら「どーも」と答えた。照れているのかもしれない。
今日は圭の珍しい姿をよく見ることになった。
「おっさんだって、偉いって。言ったじゃん、俺は声をかけられなかったって。だから、あの時うまくできなかったんだし」
「そりゃあ、年の功だ。あの頃の圭君と、生きてきた年数も経験も違う。中学生の圭君が、今の私と同じかそれ以上に上手くできたら、私の立つ瀬がない」
「……そうかな?」
「そうだよ。むしろ、そんな中学生がいたら怖い」
私の言葉に、圭は小さく笑った。
「なあ、圭君。人間の力には限りがあるんだ。その時最大限にできることをやったのならば、結果がどうであれ、ひとまず認めることが必要じゃないかい?」
「認めること?」
「君ができることを、昔も、今も、最大限に頑張ったじゃないか。だから、今回だって上手くいったんじゃないかな」
「でも、妹は」
「君のせいじゃないよ、決して」
私がそう断言すると、圭は「そうかな」とだけ呟き、俯いた。
「妹さんも、できることをしているのかもしれないね。自分が傷つかないために、そして圭君が傷つかないように」
「俺が?」
「だって、一緒にいたら、思い出しちゃうじゃないか。妹さんも、圭君も」
私は自分で口にし、本当にそうじゃないかと思い始めた。
圭君の記憶を失ってしまったことは、一見すると悲しい事だ。だが、辛い事をリセットするためだとしたら、決してそれは後ろ向きな選択ではない。
これから新しい関係を構築するために、己と相手を護るためにとった手段ともいえる。
「時間薬っていうだろう? 徐々にだけど、改善するかもしれないじゃないか」
「ずっと、悪いままかもしれないじゃん」
珍しく、圭が静かな声で言う。いつもの自信満々な口調ではない。
私はしばし考えてから、口を開く。
「時間の流れが止まらないように、ずっと同じということはないと思うよ。何かしらの変化はあるものだから」
「もっと悪くなることは?」
「そうだなぁ……何をもって、悪いということにするか、によるんじゃないかな」
私がそう言うと、圭は不思議そうな顔をしてこちらを見た。俯いていた顔が上がったので、少しほっとする。
「変化があるということは、悪い事ではないと私は思うんだ。だけど、変化すること自体が悪い事だと思う人もいるだろう。だから、良い悪いの判断は人によって異なるものだから、もっと悪くなるというのならば、まずどうなったら悪いのか、ということを決めなくてはいけない」
圭は私の言葉を聞き、ぐしゃぐしゃと頭を掴んだ。さらさらの髪が、ぼさっとする。もったいない。
「よく、分からなくなってきた」
「いいんじゃないかな、分からなくても。分からないからこそ、知る喜びもあるのだから」
圭はぐいっと持っていたカップを飲み干した。湯気の立っていたイチゴラテは、すっかり冷めてしまったようだ。
私もカップに残っていたコーヒーを飲み干す。こちらもすっかり冷めており、先程火傷した同じコーヒーとは思えないほどだ。
冷めてしまったらホットコーヒーではなくなるけれど、火傷はしない。かといって、アイスコーヒーのように冷えすぎない。
デメリットだけが存在することはない。必ず、メリットだって存在しているのだ。
「なんか、小腹が空いてきた」
圭はそう言うと、メニューを手にしてぱらぱらとめくり始めた。
その顔はどこか晴れ晴れとしているように見えたのだった。