11:00-6
はるかの視線に、私はただただ笑みを返す。
怯える子猫を相手にしているときを思い出す。はたまた、親戚の子どもに会った時の事を。
お前誰だ? だとか、お前は安全か? などといった疑問を全身から溢れ出しつつも、警戒を怠らない。最初はどうしていいか分からず、ははは、と乾いた笑いで返していた。
だが、いつからだろう。そういった警戒している存在には、自分が大丈夫だとアピールするようにした。
自分はあなたに危害を与えるつもりはありません、と。
そうすれば、ある程度の相手ならば態度を軟化してくれる。どうしてもだめな相手もいるけれども。
だから、今回も同じように「大丈夫」アピールをする。
私はきっと、はるかの父親と同じくらいの年だと思う。遅くにできた子供なら分からないけれど、はるかの同級生たちの中には私と同じくらいの年齢の父親がいるに違いない。
つまり、馴染みが少ない年齢層ではない、はず。
「はるかちゃん、大丈夫だよ」
私は再び声をかける。目に溜まっていた涙は、つう、と頬を伝って落ちている。
「あたし、大丈夫……?」
「大丈夫。このお兄ちゃんたちは、はるかちゃんの敵じゃないよ」
「でも、あたしのを、取るっていう」
「それは、はるかちゃんには要らないものだよ」
「でも……!」
はるかが何か言おうとした瞬間、フウ、と静かな長い息が紡がれた。
圭の吐息だ。
「つきやすき方へと流れよ。そこは増幅するも居心地悪き場所なり、こちらは渦巻きやすき場所なり」
圭の言葉に、はるかが小さく「あ」と声を出す。
「我が吐息は移動の吐息。この息に乗りてそこから放たれ、こちらへと降りるべし」
ふうう、と更に長く強い息を圭は吐き出す。はるかの肩辺りに向かって吐き出された息は、はるかの柔らかそうな髪を揺らした。
「やだ……あたしの、あたしのが」
はるかが震えながら言う。見た目にはよくわからないけれど、はるかの厄がとられているのだろうか。
「ほらほら、どうしたどうした。そっちのやつより、こっちのおっさんのがつきやすいぜ!」
圭が煽るように言う。いや、実際煽っているのだろう。
はるかに対してか、厄に対してか。どっちもか。
いずれにしても「ほたるこい」みたいないい方はやめてもらいたい。
「さみしい」
ぽつり、とはるかが呟いた。聞き間違いかと思ったが、はるかが私の方を見て、今一度はっきりと言った。
「あたし、さみしい」
目からは未だ、ぽろぽろと涙がこぼれている。
私は、はるかのことはよく知らない。
二階に両親がいるという事、彼女自身が厄禍というものになってしまったこと、厄を大事に抱え込んでいること……これくらいしか分からない。
さっき、はるかは「これがあったら、お父さんもお母さんもあたしと一緒にいる」と言っていた。厄があるから、両親と一緒にいられる。確かに、そう言っていた。
厄が危険なものであることは、なんとなくはるか自身も分かっているのかもしれない。それでも、両親と一緒にいることができるから、と抱えているのだろうか。
はるかは、さみしさを埋められれば、両親とのきずなを感じられれば、何でもよかったのだ。ぬいぐるみでも、菓子でも、動物でも……。
ーー厄でも。
「寂しくなんて、ないよ」
私は静かに、圭につかまれていない方のはるかの手を取る。びくり、と体が震えたが、構わずに握り締めた。
「一人じゃないよ」
「あたしのものが、とられるの」
「君には、要らないものなんだよ」
「あたしには、必要なの」
「そうかな? 君はもっと素敵なものを持っているのに」
「素敵なもの?」
「耳を澄ましたら、心臓の音が聞こえないかな。ずっと動いている、生きている証だね」
「生きている、あかし」
「ほら、手も温かい。素敵だね、君はこんなにも素敵なものをたくさん持ってる」
心臓の音。
体温。
生命の証を挙げていくが、はるかは小首を傾げていた。難しかっただろうか。ついでに、ちょっときざだったかもしれない。
だが、珍しく、という訳でもないけれど、私の言葉に圭は全く笑わなかった。おっさん、きざだな、だなんて茶化されることも覚悟していたというのに。
圭はひたすらに厄を祓い、喰らい、私の言葉を聞いていた。
金色に光る、真剣な眼差しで。
何かを思い出しているかのように、または慈しむように。
「あたし……いていいの?」
ぽつりと、はるかが呟いた。心臓の音が、暖かな体温が、はるかにとって自分が確かにいるという存在証明となりえたのかもしれない。
私は大きく頷き、もちろん、と応える。
「君がこうしているだけで、素晴らしい事なんだよ。君がいるということが、誇らしい事だから」
「あたし、いていいんだ」
「いてもらわないと、困るんだよ」
私が言うと、はるかは少しだけ照れ臭そうに、だが嬉しそうに微笑んだ。少し、ぎこちない笑顔だったけれども。
「よかった……素敵な笑顔だ」
私が嬉しくなって言うと、はるかはより一層笑顔になった。満面の笑みだ。目じりに残る涙でさえ、きらきらと輝いている。
私はほっとし、はるかの手を強く握る。はるかも、私の手を強く握り返した。
その瞬間、圭の喉が「ごくり」と大きく撥ねた。そして大きく息を吐きだし、静かにはるかの腕を離した。
「よく、頑張ったな」
そう言って、圭が笑う。はるかは最初は体を震わせたものの、圭の笑顔を見て笑みを返した。
終わったのだ、と私は思った。
渦巻いていた厄は、圭の腹の中へと納まったのだ。