11:00-4
はるかは掴まれたままの腕を「いたい」と言い出した。
「腕、いたい!」
私なら反射的に離してしまいそうな言い方だったが、圭は決して離さなかった。
「ねぇ、腕、いたい!」
「逃げようとするから、掴むしかねぇじゃん」
さくっと却下する圭に見切りをつけ、はるかは譲青年の方に目線をやる。
「ねぇ、おにいちゃん! あたし、腕、いたいの!」
はるかの問いかけに、譲青年の目線は静かなものだった。まだ幼い子供相手にするような目ではない。
「おにいちゃん?」
不安そうに、はるかは言う。
きっと昨日の譲青年は、はるかに優しくしていたのだ。無理もない。依頼主の家族であるはるかに、被害者だと思っているはるかに、優しくしないわけがない。
だが、何故だろう。
譲青年や華嬢なら、優しくする様子が簡単に想像できるというのに、圭が優しくする様子が想像できない。どちらかというと現状のまま「フーン」くらいの感じで接する様子の方が、納得できるような気までする。
いや、さすがに失礼か?
「あたし、何もしてないのに」
ぐすぐすと、はるかは鼻を啜り始める。
そうだよな、怖いよな。いきなりずかずかと土足で家に上がり込み、怖い顔で責められて。二階に逃げたけど、勇気を出して一階に降りてきたら、腕を掴まれてまた怖い顔とか。
しかも、優しくしてくれていたはずの人まで、怖い顔とか。
そりゃあ、怖い。
こくこくと納得していると、ちらりと圭が鋭くにらんできた。
え、心読まれた? 声に出しちゃったかな?
私があたふたしていると、圭が再びはるかに向き直る。
「お前が抱えているもんは、良くないものだ。だから、それを取っ払う」
「あたしが抱えているって……」
「後生大事に持ってるだろ?」
「大事に」
「……厄を」
圭がそう言った瞬間、ぐすぐすという音がぴたりと止まった。弱々しく見えていたはるかの体が、ぴん、と糸を張ったように力を帯びる。
「やく」
ぽつり、とはるかが口にする。一気に変わった雰囲気と共に、圭がにたりと笑う。
「それそれ。それってさ、お前にとって不必要なもんだ。だから、それを取らせてもらうぞ」
「あたし、の」
「違う、お前のじゃない。それは、単なるゴミだ」
ゴミ? いいのか、そんな言い方。
「ゴミ……ゴミじゃない……あたし、ゴミじゃない!」
はるかが叫ぶ。と同時に、圭がくつくつと笑いながらはるか腕をつかんでいない方の手で、はるかの頭を掴む。
「お前は厄じゃねぇし、厄はお前じゃねぇ。お前はゴミじゃねぇし、厄はゴミでしかねぇ」
「やだやだやだやだ!」
「要らないんだよ、そんなもん。お前にも、この家にも、厄なんて有害なゴミでしかないんだよ!」
圭が言い放つと、はるかが「あああああ」と悲痛な声で叫んだ。腹の底から響くような、金切り声に近い。
「あたしの! これは、あたしのなの! これがあったら、お父さんも、お母さんも、あたしと、一緒に、いるの!」
細切れの言葉が、私の胸を締め付けた。
きっと、はるかは寂しいのだ。寂しいから、厄なんてものを大事にしようとしている。寂しさに入り込んだ厄を、大事なものだと勘違いしているのだ。
「ああ、もう、面倒くせぇ! そうやってお前が取り込もうとするなら、無理矢理取っ払うぞ!」
ぐぐぐ、とはるかの頭を掴む手に、力が入る。それに気づいた譲青年が「桂木!」と諫めるような声を出す。
「繰り返す気か、桂木!」
ぴたり、という言葉が、聞こえるかのようだった。
相変わらずはるかは何かを叫んでいるし、事態が何かしら変わったとも思えないのだが、圭の言動が、ぴたり、と止まった。
まるで、圭だけ停止ボタンを押したかのように。
譲青年はため息をついたのち、口を開く。
「無理矢理は、駄目だ。お前が一番、良く知っているはずだ」
譲青年の言葉に、圭はゆっくりと譲青年を振り返った。
冷たい目だ。
感情が渦巻いているかのような、無機質な目だ。
それでいて、どうしてだろう。
泣きそうに見えた。