暖炉よ燃やせ
「なにか嫌なことがあったら、この暖炉に火をくべなさい」
学校がつまらないと話す僕に、祖父は奥の暖炉を指さしながら言った。それはドラマや映画でしか見ないような大きくて立派なもので、祖父の家に来ると毎回最初に目に入ってくる。
その暖炉のおかげで祖父の家がまるで現実から切り離された場所のように感じられたので、僕は祖父の家が好きだった。
祖父の助言を受けてから僕はモヤモヤした日は暖炉に火をくべるようになった。暖炉に入れた薪がパチパチと音を立てながら崩れて灰になる様を見ていると、波立った心が落ち着いてくるのが分かった。しだいに身体が温まり、まるで溶けた蝋燭のようにソファに横になって眠ると、起きた時には胸に巣食っていたモヤモヤは一切消えていた。
今までずっとそうだった。だから今日も、そうなると思っていた。
いつものように玄関で僕を迎えた祖父は、なぜか僕の顔を見て表情を曇らせていた。まさか暖炉が使えないのかと思ったが、部屋に入ってみれば暖炉は穏やかな火を灯している。
僕は暖炉の前に立ち、薪を一本ずつ入れていった。二本、三本入れたところでいつも気持ちが徐々に落ち着いて来るはずが、今日は治まる気配がなかった。勢いの増す炎と呼応するように黒い感情が腹からふつふつと湧き上がってくる。
僕はさらに薪を入れた。
消えろ、消えろ、消えろ消えろ消えろ消えろ……!
この感情も、あいつも、あいつもあいつもあいつも……!
みんなみんな消えちまえ!!
ぐちゃぐちゃに掻き乱れた頭の中でふと思った。暖炉の中に溜まった黒い灰。こんな風にすべてをそぎ落としたら楽なんじゃないか。焼き尽くされて燃えカスになってしまえば、苦しい思いなんてしないんじゃないか。
気がつけば僕は手に持った薪を棄て、ゆっくり暖炉へと歩を進めていた。あと一歩。それで暖炉に身を預けられると思ったところで、後ろから腕を掴まれ勢いよく引っ張られた。身体が反転し、僕はゴツゴツしたものに顔をうずめた。嗅ぎなれた香りとやさしい温もり、控えめな鼓動。それは祖父の胸だった。強く抱きしめられていて祖父の顔は見えないけど、泣いているようだった。小刻みに身体を震わせ、ごめんよ、と僕の頭を撫でる。
なぜ祖父が僕を抱きしめ泣いているかは分からなかったけど、とても心地よかった。祖父の体温が伝わり身体の内側がじんわりと熱を帯びていく。ただその感覚に身をゆだねて気づけば僕は深い眠りに落ちていた。