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三毒 (中)  作者: 釈 義紀
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大学経営権をめぐる死闘

第4話 天下分け目の合戦


【臨時理事会招集】

いよいよ臨時理事会開催日が平成28年3月2日に決まった。

寄附行為第17条8に、理事会は理事総数の3分の2以上の出席が無ければ議決する事は出来ないとある。理事総数は15名なので10名集まれば理事会は成立する。

また、第17条11に、直接利害関係を有する理事は議決に加わる事は出来ないとある為、理事長に投票権は無い。よって票数は14票となる。

賛否同数の場合は議長が決するとある為、議長を誰が務めるかにもよるが、議事を決するには今回決起した8名の票があれば十分なのだ。

笠井は、解任決議に署名捺印した理事に考え直してもらうべく、一人一人に頭を下げて回った。しかし誰一人として翻る者は居なかった。

この様な重大事項に署名捺印をするからには、全員が不退転の覚悟を確認し合っているはずだ。そう簡単には揺らぐはずもない。

いよいよ翌日は理事会という3月1日、笠井は手段を選ばぬ作戦を断行した。

3月1日付で神田(事務局長)の局長職を解任したのだ。

神田を事務局長に任命したのは理事長の専権であったため、解任についても理事長の専権で行えた。

笠井が神田を解任する理由付けに困る事は無かった。本来、理事長を支え、業務命令を遂行するべき立場の事務局長が、これまで悉く指示を反故にして来た上に、今回は具体的な理由も無い中で解任決議に署名捺印し、入試・卒業式・入学式シーズンという学校事務が年間で最も多忙な時期に〝騒動〟を起こした事で、職員に多大な負担をかけ、業務に支障をきたしている。

理事長がそれを〝解任理由〟だと言えば、それは法的にも立派に成立する。

こうして神田は事実上、3月1日付で事務局長の座を追われた。

もし、笠井のこの行為が、事務局長職に〝あて職〟として付与されている〝理事〟の権利を剥奪し、反対派理事の数を1名減らす事を目的としたのであれば、この荒療治は現実には無駄な抵抗であった。

神田が総票数の分母・分子の両方から外れたとしても総票数は13票。解任賛成票数は神田を除いても7票となり、過半数に達するのだ。

逆に教職員から〝強引な職権乱用〟と見做され、笠井は益々人心が離れてしまうリスクを負ってしまった。

神田は3月1日に自分が解任されたと聞かされたが全く動じなかった。

万が一、自分が解任されたとしても、議決に影響が無い事は既に確認していたからだ。更に、3月2日の理事会で笠井(理事長)を解任すれば、自分に出された事務局長解任の辞令などは簡単に白紙撤回出来ると高を括っていた。

笠井はこれまでも職権乱用と言われても仕方がない様な人事を、効果がない場面で何度か強行した。これが笠井の欠点のひとつではあるが、それを補うべき常務理事・事務局長の両腕が、その欠点を諫めることもせず、教職員に説明することもせずにこれまで放置してきた。その結果、教職員の不平不満が膨張し、最後には不信任表明文として爆発したのだ。

3月2日理事会当日。

堂本は陪席として事務方の椅子に座り、その時を待った。開会時刻10分前の15時20分。理事長解任賛成に同意した8名のうち6名が席に着いた。

皆、顔を見合わせ、その意が翻っていない事を互いに確認し合っている。

大学同窓会・中高同窓会の両会長理事2人も理事長解任で気持ちを固めていた。

「この人達は真実の何を知っているというのだ。自分達で真実を確かめる事もせず、ただ親しい教職員等に洗脳され、理事長一人を罪悪人と思い込んでいるに過ぎない。」

堂本は理事の重要な票が2票もこの人達に付与されている事を嘆いた。

堂本は自分の横に置いてある委任状2枚を手に取った。

委任状は共に〝理事長解任に賛成〟とある。これで8票が揃った訳だ。仮に神田の票を除いたとしても総理事数の過半数となる。

堂本の心臓に〝絶望〟という冷たい血液が一気に流れ込んだ。鳥肌が立ち、悪寒が全身を襲い、鼓動が早くなるのを感じた。〝敗ける〟。

定刻の3時半になった。いよいよ天下分け目の戦いが始まる。

ところが一向に人が集まらない。肝心の理事長の姿が見えない。

結局、理事会には出席者6名・委任状2名の8名しか集まらなかった。理事会が成立するには委任状を含め理事総数の3分の2(10名)以上の出席が必要だ。

「只今定刻を過ぎましたが、理事会成立に必要な理事数10名に対して8名の出席という事で、今回の理事会は不成立となります。よって、本日はこれにて散会とさせて頂きます。」監事が〝理事会不成立〟を宣言した。

笠井は、勝負では敗けていたのだが、結果的には試合に勝った事になった。

笠井が他の理事に欠席するように呼び掛けたのだろうか、今回クーデターを起こした理事以外は誰一人として理事会に出席しなかった。

「春海弁護士の入れ知恵に違いない。」と堂本は思った。そして心の中で〝よし。〟と拳を握った。

収まらないのは反乱軍だ。若山(副学長)が監事に訴えた。

「樋田監事。ご意見をお伺いしたい。理事長がこの様な重要な会議に出席されないのは無責任極まりないと思うが如何でしょうか?」

「理事長ご本人にすれば議案が自分の解任要求ですから出席したくないでしょうし、出席をするかしないかは、ご本人の権利であって、規約違反ではありません。我々監事がとやかくは言えません。」

「ではもう一つ。理事長は昨日付で神田事務局長を解任しました。これは明らかに我々8名過半数の切り崩しによる議案不成立を狙ったものです。この様な姑息な事が許されますか? 監事。どう思われますか?」

「事務局長解任の話はチラッと耳に入りましたが、解任自体は、寄附行為上、何ら問題はないと聞いています。まぁここから先は弁護士に任されたらどうですか? それでは私はこれにて失礼させて頂きます。」

そう言い残すと監事はさっさと議場を立ち去った。

「我々6名は少し作戦会議をしてから散会しますので、事務局の方々は先に退出して頂いて結構です。」

勝負に勝っておきながら試合に敗けた6名の理事のうち、神田・下山・猫柳は青ざめた顔で意気消沈している。外部理事の女性2人は何が起きたのかが未だ理解出来ず、まるで狐にでもつままれた様な顔をしている。若山は憤懣遣る方無い思いを何処にぶつけて良いのか分からぬまま呆然と立ち尽くしていた。


【事務局長代行】

理事長の解任を議案とした臨時理事会の直前に神田事務局長が突然解任させられた事と、理事会に理事長をはじめ理事長擁護派の外部理事の全員が欠席した事は、反体制派教職員を更に憤慨させた。

事務局長が何らかの理由で職務を遂行する事が出来ない場合、事務局次長である堂本がその職務を代行するというのが大学のルールになっており、堂本は止む無く事務局長代行を引き受けた。

こういう状況下で堂本が事務局長代行を務めれば、教職員からの堂本への風当たりは益々強くなるのは明らかだった。

堂本が事務局長代行を引き受けてまだ1週間も経たない常任理事会の席上で、京極(常務)は堂本に対して〝果たして事務局長が務まるか〟を試す様な難題を仕掛けた。

「幼稚園の建て替え計画についてだが、これまで新園舎の設計だけが先行していて、肝心の運用面が全く議論されていない。特に事業所内保育所を新設する計画で走っているが、これは理事会に議案を上げ承認を得る必要があるものだろう? その辺はどうなっている?」

常任理事会の席上が静まり返った。笠井は欠席し、責任者であるはずの神田(元局長)も下を向いたまま何も喋ろうとしない。

事業所内保育所とは、おもに設置法人内で働く従業員の子どもを預かる保育園で、法人の内部や近隣に開設されるものである。事業所内保育所を新園舎内に新設したいというのは笠井の希望であったが、それを実現する際のメリット・デメリットを採算面・運用面からしっかりと検証した上で是非を判断しなければならない。それこそが事務局長の仕事であるにも関わらず、神田はそれを怠り、設計等のハード面だけを進めて来た。

幼稚園現場は、事業所内保育所のデメリットを憂い、神田(事務局長)に対して何度も再検討を訴えて来たが全く上に届かなかった。

特に幼稚園現場が訴えたのは、現行の東京仏教大学附属幼稚園の入園基準や先生方の給与・勤務体制・教育方針と、新たに設置しようとしている保育所のそれとが大きく違い、どちらかに基準を合わせるという事が物理的に難しい為、その両者を同じ施設内にて共同で運営すれば必ず軋轢が生じ上手くいかないという簡単な理屈であった。

幼稚園現場は神田では埒が明かないと堂本に縋り、堂本も〝設置を断念するかもしくは附属幼稚園とは別の場所で設置するかしかない〟という結論に達していた。

しかし、笠井が積極的にそれを進める中、神田を差し置いて平の職員の立場で自分が〝待った〟をかける事を躊躇っていた。神田も堂本の進言など聞く耳も持たず、ただ全てを握り潰した。これまでも神田は一事が万事、理事長を悪者にする事で、自分の実行力の無さを隠して来た。

今回の事務局長解任についても、笠井はこれまでに何度も神田の解任を考えては思い留まって来たのだ。我慢に我慢を重ねた挙句、今回の「理事長解任請求」が引き金となったに過ぎなかった。

ただ、笠井にとってはタイミングが悪過ぎた。意図した訳ではないが、臨時理事会の直前の〝充て職理事〟の解任は、第三者から見ればいかにも作為的に見えた。

神田が理事長の指示・命令を全うしない事は数年前から分かっていたのだから、まだ〝悪性腫瘍〟が〝早期〟のうちに取り除くべきだったのだ。

放置したが為に自分がやりたい改革は凍結され、教職員は好きに操られ、挙句の果てには解任請求を出される羽目に至ったのは、元を辿れば笠井の自業自得と言えなくもない。そしてそのしわ寄せが堂本に降りかかることになったのだが、堂本は臆することなく質問した。

「京極常務、事業所内保育所新設の是非はいつまでに回答すればよろしいですか?」

「3月25日の理事会で新設の是非について承認を取りたい。その為には17日に開催される常任理事会で説明出来る様にしておいて欲しい。」

「1週間後ですか・・・。」「無理かね?」「いえ、何とかやってみます。」

堂本はこの時すでに事業所内保育所を新園舎内に併設することの弊害を、幼稚園現場の意見やデータを通して十分に調査しており、レポートとして纏めていた。

常務理事から突然に振られたミッションのお陰で、誰に遠慮をすることもなく、事業所内保育所の新設取り止めを訴えることが出来る。それが大学グループにとって最良の選択であり、幼稚園現場もそれを切望していることなのだ。

堂本は翌日、さっそく、幼稚園園長と打合せをしてコンセンサスの確認を行った。

現場との認識にズレはなかった。運営面・コスト面の両面からメリット・デメリットを比較し、事業所内保育所の併設が明らかに不利益であることを議案として理事会で説明した結果、「事業所内保育所併設は行わない」という議案は反対意見もなく無事承認された。


【常務理事の叛意】

3月のある夜、堂本は京極(常務)、若山(副学長)の2人から夜宴に誘われた。

適度に酒がまわったところで若山が堂本に尋ねた。

「堂本君、君は2月に朝倉理事に会っただろう?」

「ええ、朝倉理事が反旗を翻された訳がどうしても理解出来ず、直接お聞きしました。」

「それで、納得出来たかい?」

「いえ、全く。ただ、笠井理事長を降ろした後は、ご自分が理事長になるという意思がお有りのようでした。」

こう言い終わると、京極と若山の2人はお互いに顔を見合わせて苦笑した。

「朝倉理事を理事長に推薦する人間など、笠井さん以外には誰もいないよ。」

「笠井理事長を忌み嫌う教職員は数知れない。その笠井さんに側近として仕えて来た朝倉理事には次の理事長ポストを狙う意図が見え見えだった。」

「そもそも朝倉理事はそれまでは田上理事長にべったりだった。にもかかわらず、笠井さんが理事長になった途端に、笠井さんに鞍替えした。そして今回は笠井さんを裏切って謀反だよ。そんな人間を信用できますか?」

2人は代わる代わる朝倉への批判を口にした。

「今回の政変が成ったとしても、朝倉理事が理事長になることだけは、天地がひっくり返ってもあり得ないよ。」

「朝倉理事は唯一、彼を理事長に推そうとしていた笠井理事長を裏切り、かつ味方からも信頼されていない、ただのピエロを演じただけなのだよ。」

「それでは、皆さんは次の理事長にはどなたを考えておられるのですか?」

堂本がその質問をすると、2人が顔を見合わせ、譲り合う様に言った。

「まぁ、私は当学校法人理事長の条件である〝仏教系寺院の住職〟ではないので、やはり住職であられる若山副学長が適任でしょう。」

「いえいえ、僧籍などはひと月もあれば取得出来ます。京極常務こそ適任ですよ。」

理事長ポストに対する欲望を抑えながら譲り合う2人の光景が、堂本には滑稽でもあり、また一方で悲しく映った。

常務理事の京極は朝倉から理事長解任請求書への署名捺印を懇願された際にこれを断った。その理由は、笠井の側近として最後まで笠井を支えようという立派な志からくるものではなく、ただ単に朝倉の下に就きたくないという理由であった。

京極は、大阪にある大学グループの副理事長という職責を兼務していたが、その任期が来年の3月末で切れることもあり、出来る事ならば東京仏教大学での常務理事職をもう3年間延長したいというのが本音であった。

笠井が自分の後任として天知という人物を考えていることも風の噂で知っていた。

このままでは自分は、5月末の任期満了を以て追い出されることは間違いない。

しかし〝謀反〟の首謀者にはなりたくはない。京極は焦った。

常務理事という職責は、本来であれば最後まで理事長を支え生死を共にする立場にある。今の京極にとってはそういう〝責務〟よりも〝私利私欲〟の方が重要であった。

京極は解任請求書には判を押さず、一旦は態度を保留し、反対派理事達から〝切望される形〟で反対派に加わることで、朝倉よりも優位なポジションを確保する策略を実行した。そしてまんまとその策が的中した。

笠井を追い出した後に常務理事として大学グループに常駐すれば、いずれは理事長というポストも展望できる。

新理事長選において朝倉よりも多く票を取れば、常務理事どころか、そのまま理事長というポストに座ることも夢ではない。

こうして京極は、彼が最も得意とする姑息な戦略で、解任請求書という謀反の血判状に署名捺印という〝証拠〟を遺すことなく、反対派に加わることを成し遂げた。


【異例の常任理事会】

3月17日、京極(常務)主導による常任理事会が強行された。

3月25日に開催される定例の理事会・評議員会に於いて、〝笠井理事長解任〟を議題に盛り込む為に、笠井(理事長)の意向を全く無視する形での開催であった。

常任理事会の本来の意義は、理事会の補填機能であり、理事長が相当と認める方法で常任理事を招集し、議長として議案を審議し、構成員総数の過半数で議事を決するものだ。

ところが京極は、学内に笠井の味方をする理事・教職員が皆無であることを楯に、常任理事会を占有し、強行開催したのだ。

今の大学は、笠井の理事長としての権限が有名無実化され、常務の京極が理事長代行の権限を強奪し、周囲もそれを黙認するという異常な事態であった。

常任理事会のメンバーは、笠井、京極(常務)、下山(学長)、若山(副学長)、猫柳(校長)の5名で、笠井以外は全て、反笠井派の理事で占められた。

もはや多勢に無勢。笠井には京極の言いなりになるしか術はなかった。

反対派勢力に常任理事会を強奪され、「笠井理事長解任」という議案が強引に盛り込まれ、賛成4、反対1(笠井)で可決された。

堂本は事務局長代行として常任理事会に陪席はしたが、あくまで一職員であり何の発言権もない。ただ黙ってこの暴挙を傍観するしかなかった。

笠井が理事長を続けても当学校法人の運営が立ち行かないことは分かっていたが、こういう義に反することを平然とやってのける人間に大学グループを任せる訳にはいかないと、堂本はあらためて痛感した。

常任理事会翌日の3月18日、学内運営協議会が開かれた。

学内運営協議会とは、常任理事会に付議すべき事項や、グループの管理運営に関する重要事項について協議・共有するもので、常任理事会構成員に教職員管理職が加わり構成されていた。今回の協議会はもっぱら、前日の常任理事会で決議された「理事長解任」の議案成立に対する応援会の様相であった。

笠井は欠席し、中立を保つ堂本以外は全て、笠井理事長解任に大賛成という輩で占められた。

「京極常務、いよいよ理事長解任が採択されますね。3月2日の臨時理事会は笠井支持派が全員欠席という非常手段にやられましたが、今回は来年度予算の承認という重要な議案があるから欠席による流会という手は使えないはずです。」

副学長の若山が京極にエールを送った。

これまでの様に、黙っていても学生が集まる時代であれば大学の学長は誰にでも務まったが、これからの戦国時代を大学自治で生き抜く為には、強い信念で改革を成し遂げられるリーダーが求められる。

笠井は学内にその人材を求めたが、どうしても適任者がいなかった。

やむなく外部に人材を求めた結果、平成27年(2015年)に新学長に就任したのが大町であった。大町は学長として抜群のリーダーシップを発揮し、更に性格も温厚で人望も厚かった。ところが、学長に着任後わずか半年で重い病を患い急逝してしまった。

本来であれば副学長の若山がそのまま学長にスライド就任するはずであったが、笠井は若山にその資質が不足していると判断し、若山の昇任を許さなかった。

新学長探しを朝倉に託した結果、朝倉がクーデター含みで連れてきたのが下山という訳だ。

笠井が故大町学長の後任人事を若山の学内スライド人事ではなく再び学外から招聘したことで、教授会はいよいよ笠井に対する不信・憎悪の念を強めた。

笠井は何ごとに於いても周囲への説明よりも行動を優先するという致命的な欠点があった。丁寧な説明を以て相手を説得する、礼を尽くして相手を取り込むということが苦手であった。それを補佐するのが常務理事・事務局長の仕事であったが、笠井の周りに味方は一人もいなかった。

理事長の解任決議で盛り上がる最中、堂本が堪らず発言した。

「京極常務、今や教職員の9割以上が笠井理事長に従いたくないと言っている以上、私も笠井理事長がこれ以上、理事長を続けられるのは難しいと思います。しかし、いきなりの解任要求は無茶ではないかと思います。」

この瞬間、会議場は静まりかえり、全員の冷たい視線が堂本に向けられた。

「先ずは京極常務が他の理事を説得されて、過半数の理事で笠井理事長の5月任期満了での退任を促されるのが筋ではありませんか?」

「彼はあと3年間、理事長を続けるつもりでいる。そんな説得に応じる訳がない。」

「実際に交渉もされないうちにその様に判断され、挙げ句は解任を求めるなど無茶でしょう。学校法人にとって理事長解任はスキャンダルですよ?穏便な形で理事長交代に持ち込む手段はあるはずです。それをおやりになるのが常務理事の任務ではないのですか?」

この瞬間が堂本にとって、これから始まる東京仏教大学の長い戦の最前線に我が身を投じて闘う〝プロローグ〟になることなど、その時点では考えもしなかった。


【天下分け目の合戦】

いよいよ、第345回理事会(前半)が平成28年3月25日午後1時半から開催された。

春の理事会は同日に2回開催される。最初の理事会(前)で重要議題の可否について採決を取り、その後、評議員会を開催し、評議員の意見を参考にした上であらためて理事会(後)を開き、同じ議案について再確認した上で最終的な可否を採る。

出来るだけ開かれた理事会を目指す為の処置であるが、笠井降ろしに躍起になる教職員が犇めく今の大学にとって、評議員会は京極常務派閥による、笠井理事長率いる理事会に対する妨害会議以外の何者でもなかった。

第345回理事会(前)の議題は、平成28年度の事業計画、当初予算、寄附行為の変更、公庫からの借入、大学用地売却、事業所内保育所併設中止の件の6議案だけで、理事長職解任案が盛り込まれていなかった。その為、理事会(前)は、理事全員が出席の元、6議案全てが無事可決された。

これは理事長擁護派に対して理事会のボイコットをする口実を与えない為に京極派閥側が考えた〝苦肉の策〟であった。

その後の評議員会も平穏に終わった。評議員の関心は、その後開催される第346回理事会(後)で盛り込まれた〝笠井理事長の理事長職解任〟という議案の承認にあり、それ以外の議案は、言わば〝良きに計らえ〟といった程度の関心しかなかった。

そしていよいよ、第346回理事会の開会を待つばかりとなった。

京極(常務)、朝倉、下山(学長)、若山(副学長)、猫柳(校長)、大学同窓会・中高同窓会の両会長理事の7名は席に着いた。神田(元事務局長)は解任された為、堂本らが座る事務(庶務)席側に回された。

これに書面による意思表示をした創業家の香月が出席に加えられ8名。あと2名の理事が出席すれば理事会は成立する。

理事会が成立すれば、京極常務側が先だって笠井(理事長)を全く無視する形で常任理事会を開催し、追加で盛り込んだ〝理事長解任〟という議案を賛成多数で可決承認し、笠井は具体的な解任理由もない中で、強引に解任させられることになる。

一方で、この理事会において、来年度予算を含めた重要議案を通さなければ、大学グループの運営に支障を来すことになる。

京極等反体制派は、理事の責任として出席せざるを得ない重要な理事会の議案に〝理事長解任〟を盛り込むことで、まず間違いなく理事会は成立し、理事長解任を可決出来ると読んでいた。

もしも、笠井を5月の任期満了をもって穏便に辞めさせたいとする擁護派の理事達が、今回の理事会をボイコットすれば、その時は重要議案を投げ出した無責任な理事として糾弾すれば良いと考えていた。

どちらに転んでも京極等反体制派が断然有利な状況に、笠井擁護派の理事達は皆、頭を抱えた。

〝これはテロと何ら変わりがない。テロに屈する訳にはいかない。〟

これが笠井擁護派の結論であった。笠井達は苦渋の選択として、不当に理事長解任を議案に盛り込まれた第346回理事会を欠席することに決めた。

こうして重要議案を可決承認する必要があった第346回理事会も又、まさかの流会となった。


【人間魚雷・黒川】

笠井は理事会会場を退室してマイカーで校舎を出ようとしたが、教職員数人が笠井の車の前に〝人間バリケード〟として立ちはだかった。

反対派勢力の中でもとりわけ大学教職員の性質が悪かった。

「笠井さん、理事会に出席しろ。帰さんぞ。予算よりも自分の保身が大切なのか?」

笠井はゆるりと車を前進させ、校門を出ようとしたその時に、とんでもない事件が起きた。

大学職員の黒川が、笠井の車の前輪につま先を差し出し、故意に轢かれ倒れ込んだのだ。黒川は足を抱え大袈裟に転がった。笠井は慌てて車を降り、黒川を抱えた。

「大丈夫ですか?」「大丈夫な訳ないだろう。誰か警察を呼んでくれ。人身事故だ。」

その後、黒川は病院に担ぎ込まれたが、骨には異常はなかった。

つま先をそっと前輪に差し入れ、轢かれた振りをして倒れ込んだ〝捨て身の芝居〟なのだから骨折などするはずはない。

ところが、黒川はそれ以降、この事故を「理事長による傷害事件」として学内外で大々的に報じ、挙げ句の果てに告訴まで起こすことになる。

曲がりなりにも仏教を礎とする大学で働く教職員が〝当たり屋〟紛いな行動を堂々と実行する現実に、堂本はただ呆れるばかりであった。

理事会会場では、一旦は第346回理事会(後)の不成立が監事により宣言された。

京極(常務)等の思惑は外れたが、このままでは収まらない。

「樋田監事、重要な議案を放り投げて理事会を欠席する様な理事をどう思われますか?理事としての責任放棄ではないですか?監事としてのご意見を是非とも伺いたい。」京極が監事の意見を求めた。

監事は静かに立ち上がり、監事としての率直な意見を述べた。

「私なりに今回の件で疑問に感じている点が2点あるので述べさせて頂きます。1点目は、理事長解任請求の理由についてです。大学の教授会及び中高教職員の大多数から出された理事長に対する不信任の表明、これを理由として挙げられています。そこで、教授会や中高教職員がどの様な理由で不信任を表明しているのかを、私の方で検証してみました。解任請求の理由のひとつが学長選挙のやり方、ひとつが東京都大田区の土地の取得、もうひとつが新学部の募集で定員割れをしていること。この3点が大きく挙げられていると思います。しかしながらこの3点はいずれも理事会で決議して決定したことではないでしょうか?特に土地の取得に関しては前理事会に於いて全会一致で賛成され、その後の評議員会に於いて多数の反対意見が出たにも関わらず、後理事会に於いて賛成12・反対2で可決されました。理事の皆さんが賛成多数で決められてあることについて、教授会や教職員の皆さんがそれを不信任の理由として挙げられていると言われても、それならば、理事の皆様方ご自身の責任はどの様に考えておられるのか?というのが一番気になるところです。」

京極をはじめとする全ての反体制派理事が黙り込んだ。

「2点目は、理事長解任請求の時期についてです。8名の理事の方々がご指摘の様に、私自身も、笠井理事長の統率力なり、意見を纏めるというところに、その力が多少欠如されていることに一因があるとは感じています。しかし、理事長の任期は今年の5月末です。任期満了が近いというこの時期に、理事長の解任請求が何故必要なのかということが理解できません。1月からの4ヶ月間は学校にとっては入試・卒業・入学という大変重要な時期です。そういう中で5月まで待てない理由があるのでしょうか?」

堂本は監事の言い分に深く相槌を打ち、まさにその通りだと思った。

「理事会の開催には理事3分の2以上の出席が必要です。事前に解任の前提となる理事会開催の目処をつけておかなければ、理事過半数8名の解任請求のみでは理事長の解任は出来ない、更には事態が長引くということは容易に予想できたはずです。今回、理事長をはじめ数名の理事の方が2回目の理事会を欠席されました。確かに決して褒められたことではありません。しかしながら、当学校法人に於いて理事長が解任されたとなれば、そのこと自体を以て大学グループの名誉・信頼が失墜して、これを回復するにはそれこそ、10年単位の期間を要するのではないかと、私自身は感じています。理事長に欠席の責任を問うのであれば、彼らがそういう行動をせざるを得なかった要因を作られた方々の責任も問われるべきではないでしょうか?」

確かに順風満帆な時代であれば、この程度のスキャンダルは数年で消し去ることも出来るだろうが、強豪犇めく少子化の時代に、このスキャンダルは致命傷になりかねないのだ。

「従って、理事長の解任というのは、解任後の影響を最大限考慮して慎重に行わなければ、本学は今以上に沈んで行くのではないかと大変危惧しています。また、笠井理事長を解任するからには、当然、新理事長の選任が必要になると思いますが、皆さんはどなたを次の理事長としてお考えなのですか?新理事長は笠井理事長に比べてどの様に優れておられるのですか?その様な点を一切明らかにされずに理事長解任請求をされても甚だ説得性に欠けます。この点を以て、今回の理事長解任請求というのは、極めて〝場当たり的〟なもので、かえって大学に混乱を招いているのではないかと感じた次第です。以上、2点を以て、私の意見としては、理事長の解任については慎重にご審議頂きたいと思います。」

監事の至極もっともな意見に、反対派理事の殆どは返す言葉を失った。

「樋田監事、このままでは重要議案が未承認のまま期を越すことになり、大学にとって大変な事態になります。どうしたら良いでしょうか?」

理事のひとりである大学同窓会会長が監事に打開策を求めた。

「緊急の常任理事会を開き、〝理事長解任〟を議案から除くことを決議し、第346回理事会はそれ以外の議案を以て再開すれば、笠井理事長をはじめ欠席された理事の皆さんは戻って来られるかも知れません。」

そこに、笠井(理事長)が傷害事件を起こして学内に留まっているとの情報が舞い込んできた。

理事長が傷害事件の加害者になったとなれば、それを正当な理由として解任請求が出来ると、反対派理事達は一様にほくそ笑んだ。

大学教職員の一部は、まさに目的の為には手段を択ばない「テロ集団」と化して笠井に襲いかかった。

「ここは先ず緊急で常任理事会を開催し、理事長解任議案を一旦は取り下げ、その上で何とか理事長を呼び戻して理事会を再開するしかないだろう。今となっては予算を含む重要案件だけでも通すことを優先するしかない。」

京極は、今は仮に一歩下がったとしても、笠井が人身事故を起こしたことで、今後いつでも彼を窮地(辞任)に追い込むことが出来ると考えた。

〝解任派理事が、理事長解任を断念してまで重要議案を承認することを優先して大学を救った〟と学内で報じれば、笠井派が逆賊、自分達が官軍となる。

そのリーダーが京極であれば、次の理事長選では多いに優位に立てる。

京極は瞬時でそこまで判断して動いた。

理事長解任議案を降ろしたことで、笠井派の理事達が理事会会場に戻った。

こうして第346回理事会(後)は無事成立し、全ての重要議案が承認された。


【理事長辞任要求決起大会】

理事会の4日後、大学構内に於いて、理事長辞任要求決起大会が開催された。

壇上には、神田(前局長)、若山・中山両副学長、街宣部長の別府、黒川とそうそうたる顔ぶれが並んだ。壇下の応援席には、朝倉も外部理事として参加した。

傍聴席には大学の教職員、中学高校の教職員などおおよそ200人ほどが集まったが、その殆どが反・笠井派であった。

「皆さん、本日はお忙しい中、これほど多数お集まり頂き感謝します。」

司会の神田が冒頭の挨拶をした。

「皆さん、先日行われた理事会に於いて、こともあろうか議長である理事長が職責を投げ出し、議場を後にする事態が生じました。この奇行によって理事会は流会、平成28年度の当初予算や事業計画を含む重要7項目が決議出来なくなりました。要するに、理事長は議事に挙げられていた理事長解任決議を回避し、自らの地位を守るために大学を機能不全に陥れたのです。」

「しかし、京極常務や若山副学長等の常任理事が本学の将来を第一に思い、理事長解任よりも予算等重要議案を通すことの方が大切だと苦渋の選択をされ、緊急の常任理事会を開き、理事長解任案を取り下げました。その結果、笠井派の理事達が戻り、無事に理事会が成立、重要議案が承認されました。その上、理事長は帰り際に理事長本人が運転する車で本学の職員を轢いたのです。幸い、大きな怪我には至りませんでしたが、大学グループトップである理事長が重要な議案を放り出した挙げ句、人身事故を起こすなど、あっても良いのでしょうか?」

ここまでの展開はまさに京極のシナリオ通りであった。更に神田が壇上で演説を続けた。

「あのシーンはまるで天安門事件の再現の様でした。門を出ようとする理事長車の前に、数人の教職員が立ちはだかりました。その結果、黒川課長が犠牲になられたのです。現在、黒川課長は傷害・殺人未遂で警察に訴えを出そうとしておられます。彼はその時、本当に殺されるかと感じたそうです。」

会場全体が異様な雰囲気に包まれた。

理事長を極悪人に仕立てることを目的に創り上げられたデマ話を誰もが信じ、中には殺気立つ者さえいた。

この翌日、笠井理事長辞任要求決議文が立川キャンパス教職員有志一同・中学高校教職員有志一同として提出された。

更に一日置いて今度は東京仏教大学事務局管理職一同として理事長職辞任要請が理事長宛提出された。

この時、堂本も解任に同意するように求められたが、堂本はきっぱり断った。

堂本は先日、理事会の席上で監事が述べた意見こそが正しい判断だと確信していたことと、反対派が仕掛けてきた一連の姑息で卑怯なやり口にうんざりしていたことから、今後何が起きようともこの者たちと同じ船には乗らないと心に決めていた。


【理事長辞意表明】

平成28年4月5日。その事件は大学の入学式当日、神聖なる式場で起きた。

「理事長の祝辞などなしだ。理事長の座席も用意する必要はないぞ。堂本さん、万が一、理事長が強引に壇上に上がることがあれば、あんたの席を譲ってやってくれ。」

「別府教授、どういうことですか?理事長の席が設けられない理由は何ですか?」

「彼は理事長としての資質に欠けるし、教職員の誰しもが彼を理事長と認めていない。だから理事長として入学式に参加する資格もないんだよ。」

気が狂っているとしか思えない蛮行であったが多勢に無勢。堂本はそれ以上の抵抗はしなかった。

笠井が会場に到着し、控室に向かおうとした時であった。

大学教員の数名が笠井の前に立ちはだかった。

「ここはあなたが来るべき場所ではありません。お帰り下さい。」

別府が暴言を吐きながら、両手を大きく左右に拡げて笠井を阻んだ。

入学式会場の総合受付近隣で起きた一連の騒動は、入学式を迎える為に式場に訪れた新入生や保護者の目にも止まった。笠井が暴徒達の制止を振りほどき控室に向かった後も、式場のざわめきはしばらく収まらなかった。

笠井が控室に入ると、そこには学長の下山が待ち構えていた。

「理事長、今日は入学式への参列を辞退して下さい。あなたに用意された席はございません。」

笠井は何も言わず黙って会場を立ち去った。

笠井の姿を最後まで追っていた堂本の目に、笠井の寂しそうな顔と、頬をつたわる涙が鮮明に焼き付いた。堂本は深いため息をついた。

この事件に関わった大学の教職員達は、理事長の権利・権威を著しく踏みにじったばかりでなく、神聖なる入学式を汚し、新入学生やその父兄に不安を与えた。

この様な反逆者達が大学にのさばり、勝手放題好き放題に大学を牛耳る時代が来れば、この学校法人は恐らく数年で滅びることになる。堂本は、自分が描いていた東京仏教大学のイメージと現実のあまりにも大きなギャップに戸惑うばかりであった。

平成28年4月28日。

この日、笠井が突然、辞意を表明した。

いの一番に理事長からの一報を受けた総務課内に激震が走った。

「私は5月末日の任期満了をもって理事長を退任することにしました。ついては新理事・新評議員選任を議題とする臨時の理事会を開催しますので準備の方をよろしくお願いします。」

旧理事会が任期満了を迎え、新理事会・新評議員会を組織する際の、新理事・新評議員の名簿は、旧理事長がノミネートし、その名簿について理事会の賛否を問い、過半数の賛成で承認されるというのが当大学の寄附行為上のルールであり、過去より例外なくそのルールが踏襲されてきた。

しかし、今回の新理事名簿については、理事会が真二つに分かれて争っているだけに、これまでの様に簡単にはいかないことは明らかであった。

5月27日開催予定の定例理事会は、前年度の事業報告・決算報告を承認し文科省に報告する義務がある非常に重要な理事会であった。

そこにおいて笠井が推薦する新理事・新評議員を否決され、理事会・評議員会が紛糾・決裂するようなことがあれば大変な事態になると予測した笠井は、本理事会の前に臨時の理事会を開催し、新理事会・新評議員会だけでも可決しておいた方が無難と判断した。

こうして、理事・評議員人事のみを議案とする臨時理事会の開催日程は5月11日に決まった。

笠井は更にその理事会の前に〝理事懇談会〟を入れ、記録に残らない非公式な形で理事全員が、大学グループの為に敵味方なく腹を割って話が出来る場を設けることにした。このことを聞いた反体制派の幹部達は慌てふためいた。

急遽、主要メンバーが常務理事室に集められ緊急会議が開かれた。

「これは予定外の事態になった。まさか笠井が辞めるとは思わなかった。」

京極が深刻な面持ちで呟いた。

「京極常務、理事長が辞めるというのに何か問題でもあるのですか?」

「我々は彼を〝解任〟するか、任期満了前に〝辞任〟させなければ、何の意味もなさなくなるんだよ。」「どういうことですか?」

「彼を〝解任〟もしくは〝辞任〟させさえすれば、理事長不在時には常務理事の私が〝理事長代行〟を務めるという事が、寄附行為で認められている。私が理事長の代行をして、新理事会・新評議員会を我々の思い通りのメンバー構成で組織するというのが当初のシナリオ・目的だった。」

笠井を解任した後に、京極もしくは若山が理事長に就く。理事長選で京極が若山に敗れた場合には京極はそのまま常務理事職に留まる。京極が勝った場合には、退任する下山に代わり若山が学長に就任する。笠井に解任された神田は事務局長ポストに戻る。笠井解任の1票を投じる為だけにやって来た下山は、もともと大願成就したあかつきには〝名誉学長〟という称号を土産に1年で学長を辞め、後任には若山が念願の学長に就任する。若山が理事長に就任した場合にはもう1人の副学長である中山が学長にスライド昇格する。来年3月末で任期が来る校長の猫柳は、更に3年間、校長の任期を延長して貰う。〝次の理事長は自分〟と勝手に思い込んでいた朝倉は、今回の褒美として外部理事のポストだけは残して貰うというのが、反対派のシナリオであった。

「どこで当初のシナリオが狂ったのですか?」

学長の下山が不安そうに尋ねた。

「監事が言っていたでしょう。理事過半数の8名の解任請求だけで決起するのではなく、事前に解任の前提となる理事会開催の目処をつけておくべきだったと。」

「あと2人を押さえておくべきだったという事ですか?」

「いや、私は解任請求書に判こそは押しませんでしたが、理事会には出席して、〝笠井理事長解任〟には賛成する予定でいました。だからあと〝ひとり〟。たったあとひとりで良かったんですよ。」

「朝倉理事、もうひとり、何とかならなかったのですか?」

「他の理事は皆、〝理事長解任〟という手段を嫌がって首を縦に振らなかった。時間切れだった。」

「理事会さえ開催出来ていれば確実に笠井を殺せていたものを・・・。詰めが甘かったが為に彼を生かしてしまった。」

「まだ遅くはないですよ。解任に向け教職員全員が蜂起すれば・・・。」

「本人が〝辞める〟と言っているのに、あえて〝解任〟させる方が不自然だろう。」

「それではどうすれば良いのですか?」

「こうなったら、奴が出してくる新理事会・新評議員会の案を成立させないことだ。神田事務局長が解任され、若山副学長が4月末で理事副学長職の満期を迎えられ退職された。我々は当初8名で立ち上がり、うち2名(神田・若山)を欠いてしまったが、代わりに私が加わり、反対派は現時点で7名。対して敵は6名。多数決でこちらが負けることはない。」

「ということは、こちらが反対し続ける限り、敵が新理事会を組成することは出来ないということですね?」

「その通り。新人事案をこちらの望むメンバーにしない限り、理事会の流会を繰り返せば、いずれは根負けするだろう。新理事会・新評議員会の決定が延びれば延びる程、我々は、学内外で笠井の〝経営能力のなさ〟や〝経営責任〟を問題にして報じれば良い。」

「京極常務、しかも今回の臨時理事会を開催するに当たっての常任理事会の開催がなされていませんから、そもそも、臨時理事会自体が無効なのではないですか?」

「神田君、確かに君の言うとおりだ。臨時理事会など今度は我々がボイコットしてやろうじゃないか。」

もはや〝大学の為〟ではなく〝私利私欲〟の為の〝稚拙な作戦会議〟であった。


第5話 訴訟


【主な登場人物】

・人物名 (肩書/立ち位置の変化) 

・笠井(理事長) ・堂本(事務局次長/中立⇒笠井)

・京極(常務理事/中立⇒反笠井) ・神田(事務局長/反笠井)

・下山(大学学長/反笠井) ・若山(大学副学長/反笠井)  

・猫柳(中高校長/反笠井) ・朝倉(理事/笠井⇒反笠井)

・田上(前理事長/反笠井) ・中高・大学同窓会両会長(理事/反笠井)

・香月(創業家/反笠井?⇒?) ・中山(大学副学長/反笠井⇒?)

・別府(大学教授/反笠井) ・黒川(課長/反笠井)

・天知(新常務理事/笠井⇒?) ・北村(新事務局長/笠井⇒?)

・谷川(新理事長/笠井⇒?) ・春海(顧問弁護士/笠井⇒?) 


【理事懇談会・臨時理事会】

5月11日。都内のホテルで理事懇談会が開かれた。

創業家の香月理事は病床の身にあり〝欠席〟が常であった。香月理事を除く理事は全員出席し、2名の監事も同席した。

「私(笠井)は今月末の任期満了を以て理事長を退任し、次の理事にも名を連ねないことを皆さんにお約束します。その上で規定に則り、新理事会と新評議員会の名簿の原案は私に任せて頂きたい。」

「原案は事前に見せて頂けるのでしょうか?我々としては納得のいかない人事案には賛成は出来ない。」京極ははなから笠井案になど同意する気がないもので、突き放す様に質問した。

「役員人事に関しては事前に明らかにする様なものではありません。通常はトップシークレットの元、理事会の席上で公表し、その場で賛否を問うものです。」

「(笠井)理事長が退任され、次の理事にも名を連ねないと言いながら、ご自分の息のかかった人間を理事や理事長に据え、好きにやられては困ります。」

「京極常務、息のかかった人間とはどなたのことを指しておられるのですか?」

「誰とまでは申しませんが、こういうもめている時だからこそ、我々や教職員が納得する理事会を組成する必要があるということです。」

「納得がいかない場合は賛成しなければ良いだけです。」

「笠井理事長、我々は過半数を押さえているのですよ?結局は我々が納得するまで〝新理事会〟は決まらないということです。それは理解しておられますか?第一、この後に開催される〝臨時理事会〟についても、常任理事会を経ずに勝手に開催を決めておられる。私はその様な、ルールを無視した理事会に出席するつもりはありません。」

「京極常務、寄附行為19条に〝重要事項以外の決定について理事会が常任理事会に委任する〟とあります。そもそも常任理事会とはそういうものです。今回は重要事項を決める理事会です。常任理事会を経る必要はありません。」

「私は重要事項も含めて、先ずは常任理事会を経てから決定すべきだと申し上げているのです。」

「常任理事会の構成メンバー全員が理事会にも名を連ねています。そう言う意味では、理事会が常任理事会を内包しており、常任理事会での議決が理事会を優先することはありません。あなた方内部理事の皆さんがそれ程、常任理事会に固執される理由は、理事長を蔑ろにしながら、ご自分達で常任理事会を占有して、議案から何から全て自分達の好きなようにしたいからではないのですか?」

これまでは陪席事務職員として発言を控えてきた堂本が、今回は「事務局長代行」として核心に触れる発言をした。

「失礼なことを言わないで貰いたい。我々は常任理事の過半数の出席を以て常任理事会を成立させ、多数決を以て議案を通しているだけだ。」

「3月中旬以降、教職員の多くを味方につけ、理事長の権限を剥奪し、実質的に京極さん、あなたが学校法人を仕切っているではないですか?理事長はその職を辞すまでは誰が何と言おうとも理事長なのですよ。大学の入学式での暴挙についても、その様な事が許されると思っておられるのですか?」

「とにかく、私は臨時の理事会には出席するつもりはありません。これで失礼します。」そういうと京極は席を立ち勝手に会場をあとにした。

その後、臨時理事会が開催されたが、京極(常務)、下山(学長)、朝倉、同窓会両会長が欠席した。

4月末の任期満了を以て退任した若山(前副学長)と、解任された神田(事務局長)がいなくなり、解任請求書に判を押した理事のうち、現時点で残っている理事は6名まで減っていた。それに京極が加わり、勢力図は反笠井派が7名、笠井派が6名(京極が敵方に付き1名減)と、相変わらず数の上では反対勢力が上回っていた。

理事総数13名に対し、理事会成立要件を満たすには9名以上の理事の出席が必要であったが、反理事長派で出席したのは猫柳(校長)だけであった為、出席した理事長派と合わせて総数7名の出席に留まり、理事会は流会となった。


【理事会・評議員会延期の波紋】

5月11日の臨時理事会が流会となったことで、笠井派と反笠井派の対立・抗争はますます泥沼化することになった。

翌日、反笠井派の主要メンバーが常務理事室に集合した。

「京極常務、このままでは笠井が円満に退任して、奴が新理事会の構成員を決めることになりますよ?」

「そうはさせんよ。5月27日の理事会が最後のチャンスだ。そこで〝理事長解任〟をあらためて議案に挙げる。」

「敵はまた理事会をボイコットするだけではないのですか?」

「いや、今度の理事会だけは欠席出来ないはずだ。それは私立学校法第47条において毎会計年度終了後2ヶ月以内に決算及び事業の実績を評議員会に報告し、その意見を求めなければならないとされている。もしボイコットすれば、私立学校法に抵触することになる。寄附行為上も定例会は3月及び5月に招集するとなっている。逃げられんよ。」

「それでは、早速、常任理事会を招集しましょう。前回同様、理事長欠席のもと、京極常務が理事長代行として議題に〝理事長解任〟を盛り込んで下さい。」

またしても強行派理事によって常任理事会が乗っ取られることになった。

顧問弁護士事務所内。

「春海先生。またしても京極常務が勝手に常任理事会を開催し、次の理事会の議案に私の解任を盛り込みました。」

「彼らはどうしても貴方を解任したい様ですね。」

「私が今月末に退任の意志を示しているのに、その数日前の理事会で解任する〝意図〟はやはり、新理事会のメンバーの主導権ですか?」

「それ以外に理由がないでしょうね。貴方を任期満了前に解任して、京極さんが理事長代行に就けば、新理事会のメンバー表は京極さんが決めることが出来ますから。」

「そこまでして私利私欲に固執するものですか?」

「表向きは〝笠井理事長を退治する〟という大義名分があり、教職員の大半がそれを後押ししていますから、私利私欲などいくらでも隠せますよ。それにしても理事長もここまで恨まれて実にお気の毒です。」

「どうしたら良いでしょうか?」

「京極さんの任期は理事長同様、今月末で切れますね。今月末さえ乗り切れば、来月から彼は、ただ単なる〝旧理事〟になる訳です。そうなれば彼には理事長代行の権限を含めて何の権限もなくなります。」

「その今月末を乗り切る手段がないのです。このままでは私は、解任の明確な理由もない中、退任の5日前に解任させられる事になります。」

「理不尽な話ですね。円満退職の5日前に理事長を強引に解任して、更に解任請求をした理事が新理事に名を連ねたとなると、これは誰が見ても〝理事会及び学校法人そのものの乗っ取り〟です。分かり易いスキャンダルですよ。」

「先生、良い知恵はないですか?」

「私は当学校法人の顧問弁護士ですから、あくまで立場としては〝中立〟ですが、最終的に本学にとって最良の選択を進言することは出来ます。」

「是非、聞かせて下さい。」

「5月末の理事会を開催すれば、理事長の解任は確実に〝強行執行〟されるでしょう。貴方が円満に退任された直後に、理事会を開くしか選択肢はありません。会計年度終了後2ヶ月以内に〝監査報告〟を行い、〝監査の承認〟を得る事だけは絶対条件です。それさえ滞りなく済ませておけば何とかなります。」

「それで5月末を乗り切れますか?」笠井が不安そうにたずねた。

「勿論、私学法や寄附行為上は〝5月末までに報告〟とありますが、今回は事情が事情です。〝謀反〟が起きている訳ですから。場合によっては事実関係を文部科学省に報告する事になるかも知れません。そういった特殊な事情が原因で報告が通常よりも数日遅れたからといって文科省からとがめられることはないでしょう。」

「分かりました。弁護士先生の言われた通りに進めます。」

「それに、先ほど申し上げました通り、理事会を6月に延期する事の最も重要なポイントは、京極常務理事の任期満了が理事長と同じ5月末であるという事です。6月になれば彼は単なる〝旧理事〟になり理事長代行の権限を含めて何の権限もなくなります。旧理事長として笠井理事長が出される新理事メンバー案に対する賛否の1票を持つだけの存在になる訳です。」

こうして、5月27日に予定されていた理事会は「理事5名の都合が悪く、理事会成立要件を満たさない為」という理由で変更され、変更後の理事会日程は6月10日となった。


【天知の戦略】

この決定に京極をはじめとした反笠井派の理事達はみな慌てふためいた。

このままでは笠井(理事長)を解任出来ないばかりか、常務の京極までが大学から居なくなる。そうなっては元も子もない。

「京極常務、どうするのですか?」

「慌てるな。新理事会のメンバーの素案は笠井が作るが、我々が納得出来ない案であれば、(旧理事会のメンバーである)我々7人がその案に反対すれば承認される事はない。負ける事はないのだよ。」

一方、笠井は次期常務理事候補の天知と今後の対策を練っていた。

「天知先生、6月10日に理事会を延期しましたが、問題はありませんか?」

「問題がないことはありませんが、理事長が不当に解任される事を防ぎ、新しい理事会にバトンタッチをされる為の唯一の方法ですからやむを得ません。5月末を以て理事長は職を解かれますので、6月以降は理事長を解任したくとも解任のしようがない訳です。」

「私の理事長としての最後の役割である〝新理事会役員の推薦〟責任だけが残り、京極常務もまた常務理事職を解かれ、旧理事として新理事会を決定する為の賛否の1票を投じる役割だけが残るという事ですね?」

「その通りです。不当解任などという暴挙を許さない為の〝苦肉の策〟です。理事会が10日間延びた事は文科省と都の私学振興局に報告・陳謝すれば赦して貰えると思います。」

「しかし、6月10日に私が新理事会の推薦をしても、数の上では反対派が7(京極・下山・猫柳・朝倉・香月・両同窓会理事)対6(笠井・外部理事3名・宗門理事2名)で我々よりも勝ります。反逆理事達が自分達の思い通りのメンバー構成になるまで賛成の手を挙げなければ、いつまで経っても新理事会は組成されません。」

「新理事会のメンバーに今回の謀反組を入れる訳にはいきません。もしも彼らが、理事長に血判書を突きつけたあの時に、思惑通りに理事長が解任され、京極(常務)が理事長代行を務め、新理事会のメンバーを決めていたとしても、その中に笠井派理事の名前はひとりもリストアップされないはずです。恐らく、春海顧問弁護士や、正義を唱えた樋田監事も解任されるでしょう。それが〝禊ぎ〟というものです。彼らは戦争を仕掛けて来た訳ですから、その位の覚悟・潔さがなければ。」

「天知先生、そうであれば尚のこと、反対派は私(笠井)の案に手をあげないでしょう。新理事会メンバー選考は暗礁に乗り上げますよ?」

「最後の手段があります。本学の寄附行為には総理事数の過半数を以て決するとありますから、そこだけを取り出せば現在の理事総数は13名で、過半数は7名ということになります。」

「その通りです。だからこそ7名の票を持つ反対派が安心している訳です。」

「しかしながら、私立学校法には〝各理事が学校法人の運営に積極的に参画する観点から、理事会においては議題の如何を問わず、あるいは実際の内容が分からないまま、判断をすべて他の理事に一任する、いわゆる〝白紙委任〟は禁止することが必要である〟とあります。更に〝委任状はできる限り避けるべきであり、可能な限り書面により議案に対する賛否を表明する方式を採ることが望ましい。〟とあります。」

「天知先生、確かにその通りですが、それが良い手段に繋がりますか?」

「創業家の香月理事の委任状です。もし、今回もこれまで通り、香月理事が白紙委任状を提出して来るとすれば、今回の様な当日にしか内容を知り得ない人事案については意思表示が出来ない事になり、この議案に関して言えば、出席とは見なされないと言えます。何もかも理事総数を分母にすれば、意思表示が出来ない欠席理事の票は、実質的に反対票と同等の効果をもたらします。意思表示が出来ない理事に関しては、賛成にも反対にも票が影響しない、言い換えれば、総数から除くというのも間違いとは言えません。」

「しかし、事前に寄附行為をその様に変更しておればまだしも、総理事数の過半という寄附行為上の定めを曲げることは通らないでしょう。」

「現在、文科省も私学法に於いて、大学の〝自主性・自治〟を推奨しています。今、私(天知)が申し上げました内容は道理が適っています。あくまでも香月理事が白紙委任状を提出されることが前提ですが。」

「寄附行為第17条第12項に、あらかじめ意志を表示した者を出席者とみなし、意志表示が出来ない議案に関しては他者に委任が出来ないことがうたってありますから、その事と、理事総数の過半数との綱引きになりますね。」

「論点を整理すると、人事案の様にあらかじめ内容が明かされない議案については、意志の表示が出来ません。言い換えれば、人事案の賛否を問う場合には委任状は有効とはならず、理事会に出席をして人事案に目を通した上で意志表示が出来る理事のみが出席理事数の分母にカウントされるという理屈は通るということです。反対派理事7名のうち、香月理事は常に白紙委任状を提出されています。通常の議題の場合は、全理事宛にその内容を事前通知しますから、内容が明確なものについては、委任状の1票が有効となります。しかし、理事会の席上でしか議案内容が明かされないもの(人事案等)については、委任状提出者は欠席扱いとなり、1票としてカウントされないのです。」天知の戦略に対し、笠井は感心しながら深く頷いた。

「なるほど。これまで委任状についてそういった議論をした事もなく、問題にもなりませんでした。」

「これまでは賛否の1票が死活を分ける様な騒動などありませんでしたから、何ごとも安きに流されてきた傾向があります。今回は、相手方の〝妨害工作による学校運営の遅延〟を回避する為の、まさしく〝荒療治〟ではありますが、やむを得ません。」

「香月理事の委任状が無効になり、票が6対6に分かれた場合、我々が勝てるのですか?」

「可否同数の場合は、利害関係がない議長に決定が委ねられます。笠井理事長は新理事会に名を連ねられないので、利害関係がありません。よって、議長を務める理事長にどちらにするかの選択権が与えられる訳です。」

「あくまで香月理事が白紙委任状を出されるという前提ですね?」

「そうです。万が一、ご本人が出席された場合は、反体制派が7に対して我々が6となり、反体制派は自分達が思う通りの理事構成にならない限り、永久に理事長の人事案に反対し続けるでしょう。」

「そんな事になれば、何度も理事会を開き直す事になり、間違いなく大学の運営に支障を来します。」

「彼らの元々の大義名分は、大多数の教職員総意の元での笠井理事長不信任に端を発した辞任請求でした。ですから、理事長が退任されると決められた時点で戦旗を降ろすべきなのです。ところが、彼らの真の目的は、理事長を降ろす事よりも、自分達がその後の政権を乗っ取り、学校法人を私物化する事にあったのです。理事長が円満に退任されれば本来の目的が達成出来ないから、何としても〝退任〟ではなく〝解任〟したかったのですよ。」

「私(笠井)が次の理事会に名を連ねないにも関わらず、新しい理事会案に賛成をしないという時点で、大義が消えています。」

「理事長に対する誹謗中傷は全て、その真の目的を果たす為の〝偽りの口実〟に過ぎないのです。私は最初からそう考えていました。はっきり言わせて貰えば、笠井理事長がこのまま更に3年間、理事長を続けられても大学は持ち堪えられないでしょう。船の漕ぎ手がほぼ全員、ボイコットしている訳ですから。新しい理事長へのバトンタッチは必須であると思っていました。その中で貴方(笠井理事長)は潔く退任される事を決断された。そうなれば我々は、新理事会がどういうメンバーであるべきかだけを考えれば良いのです。大学の将来を担う、改革を成せる理事会でなければいけません。どちらの勝利が本学の将来にとって有益であるかという判断をした場合に、迷う理由は何もありません。正義を貫くのみです。」


【6月10日Xデー】

大学は嵐の様な5月を乗り切り、不気味な程に静かな6月を迎えた。

何としても笠井を〝解任〟したいとする反体制派勢力の企ては、笠井の5月末日をもっての〝退任〟により失敗に終わった。

反対勢力のボスであった京極もまた、5月末の任期で退任した。

6月2日、理事会の前座とも言える「常任理事会」が開催された。

〝理事長解任の為だけ〟に招聘された学長の下山は、地元の島根に引っ込んでしまい、大学にはほとんど顔を出さなくなった。

副学長の若山も任期満了で退任となり、常任理事会は笠井と猫柳(校長)の2人だけでの開催となった。

ともあれ、一時は反対派から完全に占領されていた常任理事会が、ようやく理事長の元に戻った。

こうして、いよいよ両軍は新理事会メンバーを決定する6月10日を迎えた。

堂本は先ず香月理事がいつも通り理事会を欠席し、白紙委任状を提出している事を確認して笠井に報告した。

反対派理事は7名の理事の全員が翻意しない事を執拗に確認し合った。

今の票数であれば7名対6名で負けることはないが、一人でも笠井側に付けば形勢は一機に逆転してしまうのだ。

反対派理事達は、前日夕刻と当日午前中の2度集合するという念の入れ方で〝裏切りがないこと〟を確認した。

当日、反対派理事達を会場まで送迎する役目は神田が担当した。神田は運転手をしながら何度も〝よろしくお願いします〟と懇願した。

それまで多少迷いがあった猫柳も神田の誠意に押されて決心を固めた。

笠井派理事6名、反対派理事6名の全員が出揃い、理事会の成立・開会が宣言された。平成27年度の事業実績・決算の報告、平成28年度補正予算等の承認が滞りなく行われ、議案はいよいよ〝役員及び評議員の改選にかかる推薦〟というメインテーマに移った。

この時初めて理事長から具体的な人事案が配られ、旧理事全員が新理事・新評議員案に目を通した。

みるみる反対派理事達の顔がこわばり、一様に険しい表情になった。

新理事のメンバーは穏健派理事を中心に構成され、強行派からは〝あて職理事〟として任期満了までは理事職を外せないという理由で、学長の下山と校長の猫柳の2人が残った。しかし、それ以外の反体制派理事は全て外された。新たに天知、北村が加わり、大学同窓会・中高同窓会の両会長に代えて新たに2人の同窓生が理事として加えられた。更に、宗門理事は既存の2名に加えて新たに2名が追加された。

その後、活発な意見交換がなされ、ひと通り意見が出終わったところで、挙手により決を採ることになった。

その結果、予想通り、賛成6名、反対6名と真2つに票が分かれた。

しかし、強行派理事達は委任状を当て込み7票対6票で理事長案は否決との判断から〝勝ち〟を確信したのか、お互いに目を見合わせ、微笑を浮かべて頷き合った。

「ただ今、賛否の票を採りましたが、賛成6・反対6の可否同数となりました。尚、当学校法人の寄附行為17条12項に於いて、書面にて予め意思表示した者が出席とみなすとされております。当議案は当日に内容を明かす人事案につき、白紙委任状出席は認められていません。よって、白紙委任状を出された香月理事については欠席とみなしました。採決が可否同数の場合は、議案に対する利害関係がない場合に限り、議長が2票を有すると言う寄附行為17条11項に基づき、私は議案に賛成という2票目を行使したいと思います。従いまして、議題6の役員及び評議員の改選にかかる推薦については承認と致します。」

議長である笠井が採決の結果を、採択の理由に基づいて丁寧に説明した。

全く予想だにしなかった決定に、反対派理事達は収まりがつかず反論した。

「これまでの委任状の取り扱い方は出席扱いではなかったか?今日に限り、無効にするというのはおかしいでしょう?樋田監事、どう思われますか?」

京極が興奮しながら監事に質問した。

「寄附行為第17条12項には、予め意志を表示した者を出席者と見なすとなっており、他者への白紙委任は認められていません。予め議題の具体的な提案がされない以上、意思の表示は出来ない為、寄附行為に則れば、今回の白紙委任状は出席扱いには出来ません。」

「過去の理事会では他者に委任をした委任状も出席者としてカウントしていたのではないか?」

「それは精査する必要がありますが、もし、そういった扱いをしていたとすれば、過去の委任状の取り扱い方が間違っています。堂本事務局長代行、過去の議事録を精査され、委任状についてどういう扱いになっているか調べていただけますか?」

「承知しました。」

その後、過去の白紙委任状の取り扱い方を調べたが、議事録上も白紙委任状提出者は出席者扱いにはなっておらず、ただ委任状提出者とだけ記してあった。

過去の理事会においては賛否が割れることなど皆無であった為、〝満場一致で承認〟という表現で纏められ、賛成数と反対数を記すことや、委任状の1票がどちらかに加えてカウントされることもなかった。

言い換えれば、これまでは、委任状により賛否がひっくり返る様な事態に及ぶことがなかった為、委任状の取り扱い方もいい加減であった。

今回、笠井派理事達は、そういった〝緊張感のない大学のガバナンス〟を逆手に取り、形勢不利を一機に逆転する唯一の策略をまんまと成功させたのだ。

「教職員の大半の不信をかう笠井理事長が推薦した方々が新たな理事になっても、笠井理事長の影響が現場に残るのではないかと危惧しています。もう一度、話し合った上で、今回の混乱にケジメをつけないと教職員や学生・生徒に申し訳ない。」

京極が興奮を抑え、冷静を装いながら異議を唱えた。

「今回、私はそれらの責任を取って退任します。新理事にも入りません。一介の住職に戻るだけなのです。私の影響とおっしゃるが、どういう影響を仰っているのでしょうか?新理事に選ばれた方々は略歴を見て頂ければ分かりますが、本学の改革を成すに相応しい立派な方ばかりです。私が後ろで糸を引く様なことを受け容れる方は一人もおられません。ご自分達の判断で大学を立派に立ち直らせる陣容です。」

「理事長、ひと言よろしいですか?」

重鎮理事のひとりである谷川が理事長に発言の許可を申し出て、笠井がそれを承認した。

「話し合いによる解決ならば、これまでにいくらでも機会があったはずです。我々理事に相談もなく、突然、理事長解任請求という行動に出られた。理事長職の満期を数ヶ月後に迎えるというタイミングで、しかも学校法人にとって最も重要な時期にその様な暴挙を起こされ、混乱のきっかけを作られ、つい先程まで話し合いのハの字もなかったにも関わらず、寄附行為に則り議案を可決した途端に〝話し合い〟というのは、いささか虫が良すぎませんか?」

この言葉に、反対派理事達は一同沈黙した。

「理事会・評議員会のガバナンスが上手く機能しておらず、これは旧理事会全体、旧理事全員の責任であるため、旧理事全員が辞任をすべきであると思います。」

反対派理事の一人である大学同窓会会長がこの期に及んで捨て身の発言をしたが、一蹴された。

理事会(前)が終わると、評議員会が開催される。そこでの意見を踏まえて、理事会(後)を開催し、理事の最終決裁を仰ぐことになる。

評議員会は予想通り、荒れ狂った。焦点は〝委任状〟の取り扱いに絞られた。

当学校法人の評議員数は現時点で36名であったが、その大半が笠井やそれを支える理事を敵視する教職員で占められていた。その大将が別府、参謀が黒川であった。

評議員の約7割は〝笠井がやることは全て悪〟と思い込んでいる教職員なので、今回の結果を素直に受け容れられないのは無理もなかった。

評議員会の議長を務めた職員が〝反笠井派〟の一人であったこともあり、議論は延々2時間以上に及んだ。

「徹底的にやりましょうよ。徹夜で議論しても良いじゃないですか?本学の将来がかかっているのですから。」

反乱軍の街宣役を務める別府が興奮して叫んだ。

今回の理事会・評議員会を大学構内で行えば〝エンドレス〟になりかねない事を予測した堂本は、時間制限を設けられる外部のホテルをあえて会場に選び、デッドエンドを20時半に設定した。

教職員の興奮冷め止まぬ中、(ホテル)会議室の賃借時間を口実に、辛うじて評議員会を終了させることが出来た。

評議員会終了後、直ちに理事会(後)が開催されたが、常務の京極は委任状を猫柳(校長)に託して理事会(後)を欠席した。

人事案について再度、理事による採決を行ったが、結果は前理事会と同じく可否同数の6対6であった。寄附行為第17条に則り、議長が承認可決した。

笠井派の理事達は〝これでようやく大学が落ち着きを取り戻し、真の改革を進められる〟と胸を撫で下ろした。

しかし、これまでは序章に過ぎず、〝三毒〟に満ちた人間の醜さ・愚かさを露呈する真の争いは、まさにここからが本章であった。


【新理事長誕生】

疾風怒濤の6月Xデーから10日後、新しいメンバーによる第1回目の理事会が開催された。

笠井は前理事会において、理事長としての最後の務めである新理事会の組成及び承認を、極めて異例なやり方ではあったが何とかやり遂げた。

今日は、新理事メンバーの中から、笠井の後任である新理事長の選出を行わなければならない。

議長は〝あて職〟として辛うじて理事に名を連ねた反対派の下山(学長)が務めた。

「寄附行為第6条に、理事長は原則として東京教区寺院の僧侶である理事のうちから理事総数の過半数の議決により選出するとなっていますが、自薦他薦は問いません。どなたかご意見はありますか?」

議長の提案に対し東京教区寺院僧侶理事のひとりが発言を願い出て許された。

「前理事長が退任され、新理事会が発足したとは言え、本学は未だに未曾有の危機の最中にあると言えます。こういう危機的状況を脱するリーダーシップを発揮出来る人が東京教区の僧侶におりますでしょうか?ここは僧侶にこだわる必要はないと思います。」

「しかし、原則は僧侶ということになっていますから、ここは東京教区の僧侶として理事長になる権利を保有される理事の皆さん全員のご意見をお聞きしてはいかがですか?」下山(議長)が発したこの提案に対して、別の寺院僧侶の理事が答えた。

「先日の評議員会を見ても分かる様に、新理事会に強力なリーダーシップが無く、弱腰であると判断するやいなや、直ぐにでも転覆を狙おうとする輩が、学内の教職員の中には多く存在すると思われます。僧侶ではこれを鎮め、ガバナンスの強化を推進するのはかなり難しい。ここは〝原則〟の枠を〝一時的に〟破り、改革を成せる人物に理事長職をお任せするのが、本学にとって最良であると考えます。」

「具体的に、どなたを指しておられるのでしょうか?」下山(議長)が質問した。

「私は、谷川理事を推薦します。彼は全国規模の事業を展開され、政治・経済にも通じておられ、政財界等に幅広い人脈もお持ちです。宗門校である大学を卒業され、本学の理事職も既に6年間務めておられる。適任ではないでしょうか?」

「私もそう思います。今、本学の理事長を引き受けることは、まさに〝火中の栗を拾う〟こと。大火傷をするリスクこそあれ、良いことなど何もない。誰も引き受けたくない。だからこそ、ここは百戦錬磨の谷川理事にその大役を担って頂きたい。」

「本学はこれまで、歴史と伝統に守られ、黙っていても学生さん・生徒さんが集まりました。教職員の給与水準も相対的に高いと言われています。財務体質も健全でしたから、身を切る改革などとは全くの無縁でここまで参りました。誰もが現状若しくは現状以上を望み、身を切ることなどやりたくないでしょう。だからこそ〝改革をやらない優しい人達〟に群がったのです。しかし、これからは、そこにメスを入れる必要があります。その為には、理事長の人選というのは非常に重要です。私も、ここは谷川理事をおいて他にはないと考えます。」

僧侶理事のすべてが〝原則〟に拘らず〝例外〟を認めるという発言をした。

下山(議長)は他にも意見を求めたが異論は出なかった。決を採った結果、全会一致で谷川が新理事長に選ばれた。

「それでは、谷川新理事長より就任にあたっての所信表明をお願いしたいと思います。」

「議長、ありがとうございます。それでは僭越ながらひと言あいさつを申し上げます。実は、今回私を推薦頂きました理事の皆様から、数日前に理事長就任を打診されました際に、一度お断りをしました。やはり、原則に則り、教区の僧侶が理事長になるべきだと。しかし皆さんなかなか引き下がってくれませんでした(苦笑)。熟慮に熟慮を重ねた上で、もし本日、満場一致で承認されるのであれば、理事長をお引き受けする。しかし1票でも反対があればお断りするという条件をお返ししておりました。」谷川は、ひと呼吸を置いて話を続けた。

「私の予想に反して〝満場一致〟を頂戴しましたので、お約束通りお受けしますが、あまりの重責に身が引き締まるという思いを通り越して、正直、軽々に挨拶出来ない緊張感がございます。先ほどの理事のご発言にもありましたが、本学の立て直しはまさに〝火中の栗を拾うがごとし〟。皆様のお力添えなしでは改革は出来ません。理事一丸となってこの難局を乗り越えたいと思います。何卒、よろしくお願いいたします。」

谷川は、〝あて職理事〟としてメンバーに残った下山(学長)と猫柳(校長)のふたりのうちどちらかは必ず反対するだろうと考えていた。どちらかひとりでも反対する様であれば、理事長就任を断るつもりでいた。

谷川は、新理事長の選任については旧反対派勢力も取り込んだ〝満場一致〟を以て、新理事会の〝一枚岩〟を示す必要があると考えていた。

〝満場一致〟という結果は堂本にとっても予想外であった。

あて職で残った敗軍の将である下山と猫柳の2人に、もし信念や意地というものがあるのであれば、通常であれば手は挙げない。

しかし、もしもこの2人が〝既にノーサイドの笛がなった今、過去の遺恨は全て忘れて、新理事会に全面的に協力し、共に大学を盛り立てよう〟と心を入れ替えて賛成の手を挙げたのであれば、それは賞賛に値することだと、堂本はこの時点では、プラス思考で2人の判断に対し一旦は拍手を贈ることにした。

ところが、やはりこの2人には、そういった殊勝な志などは毛頭無く、多勢に無勢で賛成の手を挙げただけであったことが、数ヶ月後に明らかになるのであった。

7月4日には谷川理事長が誕生して初となる理事会が開催された。

この理事会において、天知が常務理事に推挙され、満場一致で承認された。

これまで空席であった法人事務局長のポストには新理事の北村が選ばれた。

天知と北村とは東京都庁勤務時代に上司と部下という関係で、そもそも天知が〝共に働こう〟と声をかけて呼び寄せたのが北村であった。

こうして、ようやく理事長・常務理事・法人事務局長という、経営を主導する常任理事3役が決まった。

教学のトップである大学学長と中学高校校長の2人を加え、常任理事会のフルメンバーが出揃い、これで学内も安定すると喜んでいる最中、下山(学長)が辞表を提出した。


【訴訟】

谷川新理事長誕生の賛否を問う議案において〝賛成〟の手を上げた下山(学長)と猫柳(校長)は、反対派から激しいバッシングを浴びせられた。

下山は、元々、東京仏教大学を救う為に一肌脱いで欲しいと懇願され、過半数の解任請求を以てすれば簡単に理事長を首に出来ると踏んで乗り込んできたものの、予想外の展開になった挙げ句の果てに戦争に負けた。

更にこれからは〝謀反のA級戦犯〟として針のムシロが待っている。その上、味方からは罵られる。嫌気がさした下山は、勝手に「辞表(6月末日付)」を事務局に提出すると、そそくさと地元に戻ってしまった。

笠井派理事達が採った〝苦肉の策〟は、事情を知らない教職員達にとっては到底納得のいくものではなかった。

それまでこの政争に対して中立スタンスを通してきた教職員までもが、笠井に味方をした理事達に対して嫌悪感を抱いた。

そういう大学内外の雰囲気に乗じて反体制派が性懲りもなく再び騒ぎ始めた。

「京極さん、あの様な虚を突いたやり方を許しても良いのですか?納得出来ません。」

「別府教授、我々は皆、あなた方と同じ気持ちですよ。しかし、たとえ〝虚〟を突かれようとも、寄附行為に則っているのであればどうしようもない。笠井を最後まで生かしてしまったのが我々の敗因ですよ。」

「このままでは我々はA級戦犯として葬られます。教職員の殆どは今回の新理事決定方法に疑義を感じています。もう一度、教職員を味方に付けて蜂起しましょうよ。」

「私は既に本学とは関係のない人間になった。下山学長も辞表を出された。猫柳校長も理事として残ったからには再決起は出来ないだろう。ここから先、もしも引き続き闘うというのであれば、少し頼りないが、中山副学長にリーダーを託すしかないだろう。」

「裁判を起こすというのはどうでしょう。」

「別府さん、簡単におっしゃらないで下さいよ。裁判を起こすとなると原告と被告を明示する必要がある訳ですよ?訴える相手は大学ですか?個人ですか?大学や新理事を訴える原告の役回りは誰がやるのですか?」

「中山副学長をはじめ、学内で相応の肩書きがある方や、壇家を抱える寺の住職には影響が大き過ぎて債権者(原告)になるのは無理でしょう。今回退任になった同窓会OGの2人にやらせたらどうだろうか?」

「別府さん、その様な大役が彼女達に務まるでしょうか?女性2人に任せるには荷が重すぎませんか?」

「いや、彼女達には名前と体を借りるだけですよ。我々が黒子として裏で2人を操るのです。」

「彼女達の説得は田上さんにお願いすることにしましょう。彼女達は2人とも昔から田上さんを教主の様に慕っている。言うことを聞く可能性は高い。」

こうして田上が2人を説得した結果、2人は訴訟の原告になる事を承諾した。

笠井が退任し、理事会・理事長・常任理事も刷新し、大学がようやく業務の遅れを取り戻し、巡航速度に戻そうとしている最中の7月13日、反対派旧理事2名による「仮処分命令申請書」が裁判所に提出された。

この訴訟を機に大学の反体制派勢力が息を吹き返した。

反体制派勢力たちは、理事会とりわけ谷川理事長を引きずり降ろす為に、これまで以上に姑息で卑怯な手段で新理事会の転覆に全勢力を集中した。

先ず、神田・黒川がすべての教職員や同窓会を巻き込み「同窓会前会長両氏を応援する会」を発足させた。

「教職員の皆さん、同窓会前会長のお2人が訴訟を起こされた動機は、ひとえに、正当性に疑問が持たれている新理事会に本学の未来を託すことは、同窓生にとっては勿論、在学生にとっても申し訳ないという一念から発したものです。我々は、両氏を応援する会を設立し、両氏の訴訟を物心両面から支えていきたいと思います。皆さんの賛同を心からお願いいたします。」

「我々は、皆さんに支援金のご協力をお願いしたいと思います。支援金は弁護士報酬等今回の裁判費用に充てられます。支援金の目標額は450万円です。1口1万円から何口でも結構です。よろしくお願いします。」

これらの所業は完全な労務規則違反であったが、東京仏教大学は長年、苦労もない楽園を、田上ワールドの住民たちが牛耳ってここまで来た為、ガバナンスなどというものははなから存在しなかった。

特に大学は、完全にガバナンス機能がマヒし、今やテロ集団の拠点として、やりたい放題の無法地帯となっていた。

しかし、悲しいことに民衆(教職員)たちはこの呼びかけに呼応し、結果的に目標額まで支援金が集まる事になるが、そのことが重石となり、その後、原告の2人は、退きたくても退けない、旗を降ろしたくても降ろせないところに追い込まれることになる。そして〝東京仏教大学の為に〟という旗印の元で決起したことが、結果的にはグループを更に窮地に追い込むという皮肉な結果になってしまう。

そもそも〝東京仏教大学の為に〟という思いであれば、笠井(前理事長)なきあとは、敵味方無く、グループの将来のために、新理事会に全面的に協力するのが〝真の聖職者〟というものであるが、この大学の聖職者の場合はそうではなく、ただ自分の保身や安寧を優先し、その為ならば手段を選ばないというやり方を続けて来た。

そしてこの後も下劣な手口は更にその勢いを増していった。

学校側は直ちに、顧問弁護士である春海に対し、〝訴訟代理人〟として学校に代わり裁判を争ってもらうよう要請した。

学校側が慌てたのは、今回の原告側の請求が、理事選任決議無効確認請求の本案判決を争うものではなく、あくまで〝仮処分として新理事の手足を縛る〟という、裁判の勝敗に直接関わらない部分であった事だ。

仮処分命令申請書というのは、裁判所が判決を下すまでには時間がかかるため、それまでの間、侵害行為を止めさせる事が必要な場合に、裁判所に対して相手方の行為を止めさせる仮処分の申立てをする方法である。

この仮処分の申立を行うと、裁判所は相手方にも意見を聞いた上で、本案訴訟での結論(判決)が出るまでの間、仮の手続きとして侵害行為を止めさせることが出来るという類のもので、あくまで本案訴訟を争うための仮の手続きに過ぎない。

よって、仮処分の判決がどういう結論に至ろうとも、大学(新理事会)側が実質的敗訴の条件に応じる訳もなく、最初からこの申し立ては足枷にこそなれ、大学に資する可能性はゼロである事は明白であった。

それにも関わらず、反体制派はまたしても同じ轍を踏む行動を起こしてしまった。

万が一、この申し出が認められれば、学校法人東京仏教大学は理事会を開催出来なくなり、心臓部からの血流が止まってしまう。

勿論、判決が下るまでの間に、学校法人の機能がマヒしない為の前倒しの決裁により、血流停止・心肺停止までの〝時間稼ぎ〟は出来るものの、それも数ヶ月がタイムリミットだ。

反体制派が最初から裁判の本線を争わず、仮処分命令という選択をしたことには相応の理由があった。

本案判決の決定を待てば、数ヶ月から数年を要する事があるが、仮処分申立に対する裁判所の決定は、数ヶ月以内に出されることが多い。

あくまで〝副次的な判決〟であるが、裁判所がその判決理由に挙げる主文を以て、本案の仮決定とみなして〝示談・和解〟の交渉を進めるといった事例が多発していることから、この仮処分申立てさえ認められれば、教職員を味方に付けて、〝優越的和解〟に持ち込めるだろうと判断したのだ。

裁判所から仮処分を認める判決がなされれば、その時点で勝訴・敗訴が決定した訳ではないが、後遺症を遺すことなく金銭的解決等で和解出来るのであれば、紳士的に妥協した方が得策だと考え、和解する者も多いのだ。

しかし、今回の場合、裁判の当事者は原告2名・被告7名の計9名であるが、それ以外にも6月10日に選ばれた理事がおり、裁判所からの本訴での正式な〝判決〟が下らない限り、現理事の職責を剥奪し、新たに理事を選出し直すということは出来ないのだ。

裁判の当事者間で和解をして、旧理事が集まり理事会を開いたところで、それは現段階では〝エセ理事会〟にしかなりえず、法的効力がない以上、誰が何と言おうとも登記変更は出来ないのだ。

また、当法人の場合は、一般の訴訟の様な金銭的和解があり得ず、和解の選択肢は〝どちら側が理事会の過半数を取るか〟しか無く、過半数を相手に譲る和解をした時点で、少数派はその後の決定権を失い、自然に存在を消されていくことは明白であった。

もし、谷川理事長率いる新理事会派が政権を失えば、今回理事として招致した学識経験者をはじめ、多くの改革派理事が全て消され、京極をはじめ謀反を起こした落ち武者達が復帰することになる。春海顧問弁護士も解任されるであろう。

よって、本裁判の判決で被告側が敗訴したとしても〝和解〟だけはあり得ないことであった。

本訴で敗訴した場合は、6月10日までさかのぼり、旧理事による理事会の立案・承認の手続きをやり直すだけのことである。

その場合は、笠井が新メンバーをノミネートして旧理事による多数決を採る為、政権を譲る事は決してあり得ないのだ。

どういう判決が出たところで、笠井が議長として次の理事会のノミネート権を持つ限り、彼らに完全勝利はないのだ。

通常であれば、学校を混乱の最中に引き戻す様な事はせず、潔く身を引くか、学校法人東京仏教大学の為に尽力するというのが教職員の責務であるが、彼らは学校よりも私欲を捨て切れない未練が先に立ち、またしても暴挙を繰り返してしまった。

まさしく〝貧・瞋・とん・じん・ちの三毒〟にまみれた者たちによる、醜い権力争奪戦は、ここから更に激しさを増していった。

彼らの仮処分命令申立の内容は、6月10日開催の理事会に於ける理事選任決議無効確認請求事件の本案判決決定までの間、①新理事6名(天知・北村・新宗門理事2名・大学・中高同窓会新会長理事2名)は理事の職務を執行してはならない。②学校法人は6名に職務を執行させてはならない。③谷川は理事長の職務を執行してはならない。④学校法人は谷川に理事長の職務を執行させてはならない。⑤訴訟を起こした2人(原告)を理事の職務に復帰させるといったものであったが、そもそも本訴を争う気など毛頭無かった。

結果的にこの申し立てが大学を更に深い闇の中へと引きずりこんで行く事になった。


第6話 職務執行停止命令


【怪文書】

7月下旬、〝全国東京仏教大学関係者協議会〟という架空団体名を名乗る怪しい人物から、新理事及び新評議員宛に怪文書が届けられた。

〝訴訟で長く争うことや、大学の恥部を外部に報道されることを避ける為に、訴状の請求内容を容認しろ。〟〝訴訟事件への対応は、評議員会先議事項なので評議員会に任せろ。さもなければ重大な違法行為として文部科学省に対して理事解任請求を起こすぞ。〟といった内容の、言わば新理事・新評議員に対する脅迫状であった。

更に、これまでの混乱・動乱の最中に於いて、頻繁に緊急動議を出す必要性が生じ、やむなく原則の時限を守れない場合も多かった事を取り上げて〝偽造〟〝隠蔽〟〝違反〟という文言を多用し、〝理事の集団犯罪〟と書き立てた。

笠井(旧理事長)や谷川(新理事長)、更には顧問弁護士や監事までをも〝悪の権化〟の様に書き散らかした怪文書が、無秩序にばら撒かれた。

文書の最後には、〝理事が2名辞任すれば理事会は開催不能になり、評議員が2名辞任すれば評議員会も開催不能になるので、そうする事で〝悪徳理事長〟らに責任を取らせ、総辞職させようではないか!〟と結んであった。

更に大学・中高教職員組合幹部達は、教職員組合ニュースの中で、監事を強く批判した。監事の正当な判断を逆手に取り〝悪徳理事長を擁護した不正監事〟と罵った。

谷川(新理事長)に対しては、人権を大きく侵害する内容の作り話を、さも事実のように並び立てて罵倒した。

堂本は居ても立ってもいられず谷川に報告をした。

「谷川理事長、この内容は明らかに人権侵害に当たります。見過ごされるのですか?」

「堂本さん、実は私の会社の役員や社員にも差出人不明の怪文書が届いています。」

「本当ですか?まさかそこまでやりますか?」

「役員や社員は私を信じてくれていますから混乱には至っていませんが、〝何故このような大変な時期に、何の得もない、リスクを背負うばかりの火中の栗を拾う役目を引き受けたのか?〟という声は多く上がっています。」

「それはそうでしょう。本当に申し訳ないことをしてしまいました。」

「来週早々にも、今回の件について、社員に向けて説明をする機会を設けようと思っています。」

翌週、谷川が相談役を務める会社に於いて社員向け説明会が開催された。

「社員の皆さん、こんにちは。相談役の谷川です。さて、皆さんもご承知の通り、この度、私は図らずも東京仏教大学の理事長職を拝命致しました。ここに至るまでの経緯について皆さんに話をしておきたいと思います。皆さんもご覧になったかも知れませんが、新聞紙上に前理事長と教職員の確執という記事が載りました。前理事長はそれら一連の騒動の責任を取られる形で今年の6月に退任され、同時に新理事会が発足し、新理事長の推薦・選出が行われました。そこで議長が全理事に対し忌憚のない意見交換をしたいと申され、理事全員が新理事長像や将来の大学に対する理想を述べられました。その中で、〝これまでの慣習に倣い仏門の住職が理事長を務めても今の学校の混乱を収め、学校法人を蘇らせる為の改革を成すのは難しいのではないか?〟〝企業経営者としての実績や経歴を持つ方に一時的に学校法人の理事長を託すことが学校にとっては最善ではないか?〟といった意見が、まさに住職を務められる理事の方々から出され、その結果、私が推薦され、理事会の満場一致で私が理事長に任命されました。本来、教区の住職が理事長を務めるというのが原則ですので、私が理事長を拝命するなど考えもしなかったことでしたが、私の理事長就任に対し、理事の皆さんから〝今の本学理事長拝命はまさに火中の栗を拾って頂く様なもの。大変申し訳ないが引き受けて頂きたい。〟と切望されました。私は世の中のお役に立つ為に自分に何が出来るか分からないけれども、その為に精一杯の努力をするという信念の元に、学校法人東京仏教大学の立て直しという重責をお引き受けしました。今回の理事長職就任に於いて内外の心ない方々からの妨害や中傷は覚悟の上でしたが、その内容は予想以上に凄まじいものでした。勿論、事実無根、言われなき内容ばかりですが、その為に、社員の皆さんや株主の皆さんには大変なご心痛をお掛けしている事も事実であります。この場をもちましてお詫びいたしたいと存じます。私は当社を日本一の高級家具店にしたように、これから東京仏教大学グループを日本一の学校にすることを目指したいと思います。〝日本一〟というのは数字が決めるものではなく、人それぞれの〝心〟が決めるものです。〝自分は日本一の学校で働いている〟〝自分は日本一の学校に通っている〟〝自分は日本一の学校を卒業した〟という〝誇り〟と〝自信〟が持てる学校法人に変えること。これこそが私の使命だと思っております。社員の皆さんにおかれましても、私の〝信念〟を是非ともご理解いただき、今後とも皆さんそれぞれのミッションを通して、より良き人生を全うされます事を、心から祈念致します。ご静聴ありがとうございました。」

谷川の挨拶が終わると、社員は一斉に盛大な拍手を送り、その拍手はしばらくの間止むことはなかった。


【金村夫妻の陰謀】

「田上(前々理事長)さん、私は今年65歳になり、来年3月末を以て、本学との雇用契約が切れます。ついては、最後に本学の為に何か役に立つことをしたいのですが。」

大学事務部門で専任職員を務める金村が田上に直訴した。

「それは貴女に任せるが、職員の立場でありながら矢面に立って大丈夫か?」

「私は、5年前の60歳時点で一旦円満退職をして退職金も貰っています。今は嘱託職員として働いていますが、その任期もあと半年です。半年後に退職金が出る訳でもなく、今は失うものは何もありません。言い換えれば、思い切った事がやれるのは私だけだと思います。更に、私の夫も全面的に支援すると言ってくれています。夫は法律にも強いし、2人でやればかなり力になれると思います。」

「分かった。私も表立っては動き辛いが、後援会や保護者会等の集会では現理事会の違法性を父兄や卒業生に訴えようと思っている。援護射撃をするから頑張って下さい。」

これ以降、金村夫妻は、理事や評議員に対して〝公開質問書〟という内容証明付の郵便物を幾度も送りつけ、執拗な嫌がらせを行った。

目的は、理事や評議員を〝自発的辞任〟に追い込む事であった。

その内容はまさに〝脅迫〟であったが、理事・評議員は、ひとりとしてテロに屈しなかった。それどころか、そういう行為によって、かえって新理事会や新評議員会の結束は固く結ばれ、脅迫状は金村夫妻や、それを支援する反体制派にとっては逆効果となった。

金村夫妻は新体制に対して何発も大砲を撃ち続けたが、その弾は、敵である谷川や新理事に掠り傷を負わせるには効果的ではあったが、ほとんどの弾が、最終的には大学の〝デッキ〟に落下し、東京仏教大学グループという〝船体〟に大きな穴を幾つも開ける事になった。

こうして学校法人東京仏教大学という船は、〝味方〟と名乗る2人の特攻隊員によって、致命的な風穴を幾つも開けられ、船体はいよいよ傾いた。

金村夫妻は、教職員に対して次のような文書を一斉送付した。

「笠井が再任した理事は大半が笠井派の理事であり、反笠井派は創業家の香月氏と、あて職理事の学長・校長のみです。学長は既に退職し、校長の猫柳は、笠井派になったり反対派になったりと、信念が何もなく、ただの保身主義者です。僧侶理事は全員が、何かしら利権にあずかれる事を期待して、無条件に笠井を支持する利権期待派です。違法行為をやり放題の笠井や谷川は、制度を悪用し私利私欲に走り学校を食い物にする、ただの害虫です。新たに招かれた学識経験者達は、お利口さんとして、黙って学校を去るべきです。更に、高齢で面倒なことに関わる気力もない、名誉が好きなだけのお婆さんも去って下さい。何も出来ない、何もしない理事に出来る唯一の事が〝辞任〟です。そういう理事は本学の為に辞任して下さい。」

教職員宛だけに丁寧に書かれてはいるが、その内容は下品極まりないものであった。

〝ノーサイドとなった今は新理事会を盛り立てる事が大学にとって最善である〟との判断から今後は谷川体制を支持しようとした猫柳(校長)に対しては、更に容赦ない集中攻撃を与えた。

「猫柳は明らかに傭兵であり、これ以上のポチは他に例がありません。校長以前に教育者としての資質に欠けるものです。日本の中学や高校では〝義を見てせざるは勇なきなり〟と言いますが、彼には何が〝義〟であるかさえ判断出来ません。また、所属長として理事会・評議員会等の会議の情報を部下に伝える重要性・義務すら理解できない校長であります。このような校長のために中学・高校は組織の体をなしていません。幼児が校長をしている様なもので、中高教職員の心身の荒廃と疲弊の直接の原因です。」

これまで同志として闘ってきた猫柳に対して、ここまでこけ降ろす〝下衆集団の本性〟が一機に露出した。

堂本は、彼らの〝思いを遂げる為には手段も選ばぬやり方〟に対して〝人をも殺めかねない恐怖〟を感じていた。


【職務執行停止命令】

谷川(理事長)率いる新理事会は、万が一、仮処分が認められた場合に備え、8月26日、臨時の理事会を開催し、職務代理者の選任を行った。

万が一、裁判所から〝仮処分を認める〟との判断が下された場合には、理事長・常務理事が手足を縛られる上、下山の逃避により学長も不在である今は〝理事長の職務代理者〟さえも居なくなるのだ。

理事長の職務代理者が居なくなれば、理事会権限の決裁はおろか、理事長権限の決裁すら出来なくなり、大学は完全に機能停止・心肺停止状態に陥ってしまう。

裁判所が〝総理事数〟を焦点に、仮処分を認める判決を下す可能性に対する危惧は、春海にも新理事会にもあった。

その判断が下った場合の闘い方は考えてあったが、先ず以ては、学校法人の血液が止まらないことを考えなければならない。

谷川(理事長)は、手足を縛られる前に緊急の理事会を開催し、事務局長である北村を理事長代行とし、有事に備えることを決めた。

そして8月末日、恐れていたことが現実となった。裁判所から職務執行停止等仮処分申立事件に関する決定が通知され、債権者側の申し出が全面的に認められたのだ。

裁判所の判断は、寄附行為第17条にある〝理事会の議事は法令及びこの寄附行為に別段の定めがある場合を除くほか、理事総数の過半数で決し、可否同数のときは議長の決するところによる〟を根拠に、〝当時の理事総数は13名であったから、過半数は7名以上であり、6名は過半数とは言えず、新理事は無効〟というものであった。

確かに6月10日の理事会において、理事総数を出席理事数と解釈して採を取った判断は、当学校法人の寄附行為上の理事総数の解釈とは違っていたかも知れない。しかし、欠席理事も含めた理事総数を分母とした場合、議案内容を事前に公示出来ない人事案においては、賛否の意思表示が出来ない様な白紙委任状は賛成票にも反対票にも入れられない。言い換えれば、委任状出席者は、分母には頭数として加算され、賛成票の分子には加算されない為、自動的に反対票としての効力を持つことになる。

よって、賛否の意思表示が不可能な議案については、欠席理事数は分母・分子共に除くというのが経済合理性に則った判断でもあり、文科省の指導にも沿った考え方なのである。少なくとも6月10日の理事会に於ける判断はそうであった。

議案内容が不明確、かつ当学校法人としても極めて重要な〝人事案〟については、当日、理事会に出席をして、理事としてその目で人事案を確認して賛否の意思表示をしない限り、賛成票にも反対票にも入れるべきではない。それが理事としての責任といえる。分母にだけ頭数を加算され、実質的に反対票のカウントになる様な考え方はおかしい。よって出席理事総数の過半数で決する。これは文部科学省の指導方針でもあった。しかし、裁判所の判断は違った。あくまで総理事数は13名として、それを以て今回の裁判所の決定根拠とした。

確かに裁判所の判断は間違ってはいない。当学校法人の寄附行為は〝総理事数の過半〟とある。判断は間違ってはいないが、決して〝妥当〟とは言えなかった。

現実的には6月10日に於いて、人事案への賛成が7名以上必要ということになっておれば、何度理事会を開催しても新理事会は成立せず、悪戯に理事会の開催頻度と時間だけが経過することになっていた。

謀反を起こした理事達は最後まで笠井案に反対する意向を固めていた。あの局面において、泥沼化した戦争を終わらすには、苦肉の策を用いるしか手がなかった。

結果的に、この裁判所の判断が、このあと更に東京仏教大学を混乱の渦中へと追い込んでいくことになった。

異議申立が認められたことは、当然の如く反体制派幹部達を狂喜乱舞させた。

彼らは、学内外の教職員・同窓会関係者に対して、さも裁判で勝訴を勝ち取ったかの如く情宣した。

しかし、現実には本訴はこれからであり、今回の判決はその序章に過ぎなかった。

この判決を受け、学校法人(債務者側)は即刻、異議申立を申請した。

学校経営サイドが〝異議申立〟を行ったのは、自分達の主張を退けられたことに対する〝抵抗〟といった幼稚な考え方に因るものではなく、これから本裁判を長きにわたり争う際に、職務執行停止処分が長引けば、学校法人運営に支障を来すということが理由であった。

今回の裁判所の判決を受け、その2週間後に、元学長の下山が〝辞表撤回〟を文書で申し出てきた。

「そもそも自分が辞表を出したのは、高齢による健康不安と、6月10日理事会の決議方法に疑義があり、このような新体制の下では、学長として責任ある大学運営を行うことは困難と考えたためである。しかし、かかる事態に鑑み、再度、学長ないし理事としての責務を果たさなければならないと理解し、ひとまず辞表を撤回することと致したい。」随分と勝手な言い分で辞表を撤回してきたものである。

しかし彼は、自らの意志(自己都合)で6月末日に辞表を提出し、大学から慰留されるも辞意固く、大学はこれをやむなく受理し、7月末日付で正式に退任となり、学内でも公示され、更に退職金まで受け取っていた。

新理事及び谷川理事長の7名に対して職務執行停止命令が出たことで、7名の手足が縛られたが、現段階では新理事の地位を剥奪された訳ではない。

しかしながら、当該役員の職務執行を全面的に停止させるという極めて強力な仮処分は、〝満足的仮処分〟と言って、本案の勝訴判決と実質的に等しい効果を与えてしまうことから、今回の判決は反・笠井及び反・谷川体制派にとっては〝勝訴〟に等しいものであり、異議申立をした新理事会派に対する反発は相当なものであった。

確かに、異議申立をしたところで、裁判所の判断の根拠となるところの〝当時の理事総数は13名であり、賛成者は過半数に至らず。〟を覆すだけの新たな切り札はない。そのことは素人の堂本から見ても明らかであった。

ただ、仮処分が認められたとしても、そのことを以て裁判の当事者同士が和解して、新理事会理事・新評議員の職責を否定して、新たな理事会・評議員会を組成する様な勝手なことは出来ない。裁判の当事者ではない利害関係者が存在するからだ。

本訴に於いて正式な判決が出て、その判決書をエビデンスとして登記所に提出しない限り、登記の変更は出来ないのだ。登記変更をしない限り、谷川理事長率いる現・理事会及び現・評議員会が存続し続けるのだ。

たとえ本訴で6月10日の理事会が否認されたとしても、笠井(前理事長)が旧理事会を招集し、キャスティングボートを(笠井が)握る中で新理事会のメンバーについて旧理事会に諮るだけのことであって、そのメンバー構成の主導権まで相手に渡す義務は全くなかった。

あて職理事の学長であった下山は、自己都合による辞表提出により旧理事のメンバーからは外れる為、総理事数は12名となる。その結果、次こそは可否同数の理論が活きることになり、現体制が再任されることは明白であった。

〝1票〟がこれ程に重く当学校法人の運命を左右するなどと、誰が想像したであろうか。下山が慌てて辞表を撤回してきた理由もそこにあった。このままでは負ける。何としても下山の辞表を撤回し復職させるしかないと、反体制派が辞表撤回の文書を用意し、80歳を過ぎた下山の自宅まで馳せ参じ、面前で署名捺印をさせ投函した。

更にこのあと、金村夫妻の怪文書による総攻撃が再開された。

ふたりは公開質問書・理事犯罪に関する質問書という題目で内容証明郵便物を新理事・新評議員宛に立て続けに送りつけた。

更に、新理事等が勤務する会社の代表取締役宛にも同様の脅迫状を送りつけた。

その上、〝不正報告書〟という題目で、文部科学大臣にまで〝怪文書〟を送った。

東京仏教大学という歴史と伝統ある船体は、今や身内戦争によってボロボロになり、船体には徐々に海水が流れ込んでいた。

灯台の灯りが見えたと安堵したのはつかの間、またしても進路の見えない闇の中へと流されていった。

幽霊船は〝疑心暗鬼〟という深い霧に包まれた中を、海図も磁石も持たされず、徐々に船体を沈めながら、大海をさまよい続けた。


【意思表明書の波紋】

9月16日、春海法律事務所内に天知・北村・堂本の3人が呼ばれた。

「新理事や新評議員に辞任を促すことを目的とした怪文書が至る所に出回っています。脅迫罪に抵触するかしないかのボーダーでの執拗な嫌がらせを続けることで相手をギブアップさせることが目的だと思われます。」

「春海先生、彼らの行為が本学や個人の名誉を傷つけていることは明白です。大学及び学校法人理事に代わり彼らを訴えるというのは難しいのですか?」

「今は焦点をずらすことなく裁判に集中し、彼らの稚拙かつ不法な行動はやらせるだけやらせ、その証拠を集めて、しかるべき時に討伐しましょう。さて、本日皆さんにお集り頂いたのは、旧理事の皆さんから〝意思表明書〟を集めて頂きたいと思いまして。」

「意思表明書ですか?」

「我々側の旧理事6名が谷川理事長を中心とする新理事体制を支持する旨、署名捺印を以て表明してもらうのです。旧理事6名の意志が、脅迫等を受け続けた今を以てしても変わらないことを、証拠書類として裁判所に提出するのです。」

「分かりました。各理事への依頼と書類の回収は私が受け持ちます。」

「それでは6名の方々への対応については堂本さんに任せましょう。あとは猫柳校長の説得です。彼に意思表明書を書かせる事は難しいでしょうか?」

「やってみましょう。彼は8月の怪文書の中で傭兵・犬呼ばわりされたあたりから反体制派の連中と距離を置いています。今ならばこちらに取り込めるかも知れません。」天知が猫柳をこちら側に引き入れる大役を買って出たが、堂本は〝それは難しいだろう〟とよんでいた。

それから1週間後、春海から連絡があった。

「猫柳校長が、谷川理事長を支持する意思表明書を提出してくれました。これで意思表明書は7通です。この1票は何より大きな武器になります。早速、証拠書類として裁判所に提出します。」

堂本は耳を疑った。にわかには信じられなかった。

それまで6票対6票で合い譲らなかった票が、猫柳の離反によって、新理事会支持7票に対して、新理事会不支持5票となり、そこに2票の差が出来るのだ。このことが事実であれば異議申立を裁判所に認めさせるに大きな意味を持つ。

しかし、この裏切りは反体制派を慌てさせた。その日から反体制派の矛先が、一気に猫柳(校長)に向けられた。

反体制派とその応援団達は、あの手この手で猫柳を脅迫した。

猫柳はそもそも肝が据わった男ではないため、執拗な虐め・脅しによって徐々に意志が揺らいでいった。

猫柳を罵倒した金村夫婦の矛先は、神田にも向けられた。

「貴殿(神田)と猫柳は、中立的立場と認識していたが、馬鹿なことに猫柳は不正行為擁護の立場を宣言して、不法行為の連帯責任を自ら負担する意志の表明をした。貴殿が相変わらず中立もしくは谷川新体制容認の姿勢を取る限り、貴殿の法的責任の追及は不可避とならざるを得ない。」

神田(前事務局長)はこの段階では完全に戦旗を降ろし、一職員として日々の業務に精進していた。

朝倉に唆されて中途半端な形で解任請求を出したが、詰めが甘く笠井を取り逃がした。その為、学校の運営に相当な支障を来している。自業自得とは言え、そのことに対する責任を重く受け止めていた。

今、相変わらず反体制派として前線で闘っているのは、老将教授の別府、朝倉(元理事)、中山(副学長)、黒川、香月(創業家理事)、大学同窓会元会長・中高同窓会元会長の7名であった。そして何よりその背後には、天皇・田上が、錦の御旗を掲げて反体制派を応援していた。

田上の錦の御旗に賛同する教職員は相変わらず多かった。

田上天皇の下、朝倉や中山が陰の総大将として街宣部長の別府や特攻隊長の黒川を率い、その下に手足となって動き回る教職員数十名がぶら下がった。

朝倉の相手をする教職員は少なかったが、朝倉もこのまま犬死にするわけにはいかないと必死だった。

原告のふたりは、名前と体だけを貸して操り人形として動いてきたものの、本音のところは早く旗を降ろしたくて仕方がなかった。ところが、教職員有志一同から5百万円近くの支援金が集められ裁判費用として使われてしまった今となっては、引き返そうにも引き返せない。このまま操り人形として新体制反対派と弁護士の言いなりに働き続けるしか選択肢がなくなっていた。


【議事録閲覧請求】

理事会議事録は、議長である理事長を代行して、法人事務局の職員が作成する。

録音された議事内容に忠実に、論点が変わらない様に簡略出来る箇所は簡略化して原案を作成し、その上で、各出席理事に郵送で回覧をし、内容に納得を頂いた上で署名・捺印をお願いしていた。

これまでは議事録の完成が滞ることなどなかったが、今年に入ってからは理事会が2つに割れ、評議員会を巻き込んだ戦争状態が続いており、事務局の議事録作成作業は簡単にはいかなかった。

書き方ひとつ、文言の取捨選択ひとつで大きくニュアンスが変わり、裁判や認証評価などに多大な影響を及ぼす可能性があった為、作成作業は大幅に遅延していた。

「皆さん、今の理事会になってから正常に機能していない点を攻撃するのも良策だと思いますよ。」「金村さん、具体的にはどういうことですか?」

「寄附行為第20条に、理事会の議事録は、出席した理事全員がそれに署名押印をし、常にこれを事務所に備えておくとあります。ところが、3ヶ月を過ぎた今でも、6月10日の理事会議事録が完成していない。私は昨日、法人事務局宛、議事録等閲覧通知書を内容証明付郵便で投函しました。訪問予定日は10月5日に指定しました。この日、特攻を仕掛けようと思います。」

脅迫状は9月22日に法人事務局宛届いた。

10月5日。大学総務課窓口に金村が雑誌記者を連れてやって来た。

「議事録の閲覧に来たが、代表者はおるか?」

「私が承ります。私は法人事務局次長の堂本と申します。お宅様は?」

「私は金村だ。ここで働いている金村の夫だ。事前に議事録の閲覧予告通知書を送っていただろう?」

「それは受け取りましたが、学校法人の財産目録・貸借対照表・収支計算書・事業報告書・監査報告書に関しては、利害関係者に対する閲覧に供することを義務づけられていますが、理事会の議事録については、閲覧義務の対象ではありませんので、お見せできません。」

「お前は馬鹿か?事業報告書や決算報告書は理事会への報告義務があるだろう。それらの報告内容が記された議事録を見ることと、事業報告書を見ることは同じことだよ。ぐちゃぐちゃ言わずに早く見せろ。」

「申し訳ありませんがお見せできません。」

「お前は小学生の遣いか?お前では話にならん。お前の上司は誰だ?それを呼んでこい。」

「上司はただ今、不在にしており、私が対応するように命じられております。」

「どうしても見せないというのならば、〝教職員の監視義務が嘘によって妨害されている〟として警察に通報するぞ?」「それはお任せします。」

「よし、警察に判断してもらおうじゃないか。」

そういうと金村は携帯電話を取り出し、警察に通報した。直ぐに最寄りの派出所から数人の警官が駆けつけた。

警察官は、堂本と金村それぞれと個別面談を行い事情聴取した。

堂本は、ここに至る経緯・大学と金村との関係・本日のトラブルのきっかけ・それに対する対応等を全て警察に説明した。

「事情は良く理解できました。ここから先は我々が彼らに立ち退く様に説明をします。どうしても立ち退かない場合は、不退去罪で連行すると言えば、恐らく帰るでしょう。」「よろしくお願いします。」

部屋から出ると、3人の警察官は金村をぐるりと取り囲んだ。

「大学さんは貴方の申し出に対して、大学としての回答を出された。それで今日の用は終わりでしょう?」

「これは偽計業務妨害の疑いがある。警察に被害届を出しても良いですか?」

「被害届を出されるなら本署に行って手続きされたら良いでしょう。」

「今日の不当な対応については後日、堂本さんの名前で記事として載せることになるが構わんね?」

「不当とは思いませんが、事実を書かれる事に関してはお好きになさって下さい。」

それでも金村はなかなか立ち去ろうとしない。

「これ以上、ここに居座るようでしたら、不退去罪として貴方を署に連行することになりますよ?」

警察官のこのひと言を聞くなり、金村とそれに同行してきた雑誌記者の2人はそそくさと退散した。

「本日はありがとうございました。本当に助かりました。学校側から通報したという事実を残すことにはどうしても抵抗がありますが、彼が通報してくれたお陰でかえって助かりました。」

「次長さん、今回は彼が通報して来ましたが、通報に関しては遠慮される必要はありませんよ?今後、もし彼が同じ様なことをしてきたら、直ぐに我々に連絡して下さい。これが私の名刺です。」

堂本は直ぐに北村(事務局長)に結果報告をした。北村はたいそう喜び、その日の夜は堂本を酒に誘って慰労した。

どの組織でも同じであるが、肩書きに〝長〟が付く人間は、その部署のトップであるから、先ずは、その次のポストの人間が上席を守るものである。

自分の器量ではクリア出来ない場合に限り、上席に火消しを頼むものだ。

下から順番にトラブル処理を行い、所属長はトラブルが沈静した後に、お詫びの挨拶に行くというのが通常の組織の在り方だ。

谷川(理事長)以下、新理事に対して裁判所から職務執行停止命令が出され、北村(事務局長)が理事長職務代理者という大任を任された今、そこに敵の攻撃が直接行かないように矢面に立つのが、ナンバー2・ナンバー3の重要なミッションなのだ。

この大学では、本来ならば笠井(理事長)と運命共同体であるべき京極(常務理事)、神田(事務局長)のふたりが理事長を護るべきところを、護るどころか両者が結託してトップを陥れるという愚行に走った。

笠井の経営手腕に問題があれば、それを正す、それを補助するというのがふたりの重要な仕事なのだ。それを教職員や田上(元理事長)に乗せられて政権を乗っ取ろうとした。

反対派からすれば〝乗っ取り〟ではなく、〝笠井に理事長失格の烙印を押して解任させ、学校を救う為にやった〟と正義を主張するだろう。

しかし、堂本から見れば〝正義〟ではなく〝紛れもない乗っ取り工作〟であった。


【東京仏教大学版・小早川秀秋】

堂本を落胆させる大きな出来事が起きた。猫柳がまたしても態度を変えたのだ。

猫柳は、9月下旬に、谷川(理事長)を支持する意思表明書に署名・捺印し、裁判所に証拠書類として提出した。

校長・役員という重責にある人間であれば、通常ならば裁判所に書類を提出した時点で、その意志を最後まで通すものだ。

ところが、この男はそれからひと月も経たない10月18日付の敵方の証拠書類の中で〝前回裁判所に提出した意見書については撤回し、意見を保留したい〟とする文書を署名・捺印入りで提出したのだ。

「これが、中学・高校のトップであり、理事でもある校長のやることだろうか?」

堂本は、男としての意地や、人としての信念が全く感じられない猫柳(校長)の所業に対して、怒りよりも哀れさを感じた。

当初は、笠井(理事長)に対する教職員の総意に応じて反旗の一翼を担った。しかし、笠井が辞めた後、まだ始まったばかりの谷川(新理事長)体制を支援することなく否定して、反旗を翻すようでは学校に明日はない。谷川(新理事長)と新理事会を信じて、自分もそこに協力すると腹を括ったからこそ、裁判所に提出するような重要な書類に署名・捺印をしたのではなかったのか?

それを簡単に翻した。彼の意志というものはそれ程に軽いものなのか。

戦国時代、豊臣家傘下に小早川秀秋という武将が実在したが、猫柳の気質はそれに極似していた。

小早川秀秋は豊臣秀吉の親族であったが、関ヶ原の戦いでは徳川家康に寝返り、豊臣家衰退の契機を作った人間だが、関ヶ原の合戦最中においても、最後までどちらに付くか態度をはっきりさせず、優勢な方に加勢しようとしていた。

ところが、家康の大砲による脅しに震え上がり豊臣方に攻め込んだという、何とも信念がない男であった。

哀しいかな、そういう優柔不断な男の軍勢が徳川方に加勢したことで、豊臣方は総崩れとなり、天下分け目の決戦(関ケ原の合戦)は、数時間で決着した。

その後、小早川秀秋は、徳川方から俸禄は受けたものの、大半の武将から〝裏切り者〟として白い目で見られ、また、夜な夜な枕元に現れる豊臣方武将の怨霊によって呪い殺されたと言われている。彼は関ヶ原から2年後、21歳の若さで急死したが、彼の死を悼む者は誰ひとりいなかったという。

このような男の判断ひとつが、大決戦の勝敗を決したことは歴史上の事実であり、言い換えれば、このような優柔不断な男の裏切りによって死んでいった豊臣方の武将達は、死んでも死にきれなかったであろう。

堂本は、猫柳の性格とこの学校法人における彼の立場が、当時の小早川秀秋と極似していることを憂いた。

金村夫妻が、怪文書の中で猫柳のことを〝校長の猫柳は笠井派になったり反対派になったりと信念が何もなく、ただの保身主義者です。義を見てせざるは勇なきなりと言いますが、彼には何が〝義〟であるかさえ判断出来ません。〟と評していたが、まさにその通りであった。

東京仏教大学に於ける関ヶ原の戦いは相変わらず続いているが、悲しいかな、ここでの小早川秀秋がまさに猫柳であった。

新体制派と反新体制派の志・主義主張は終始一貫、志操堅固であったが、猫柳だけがふらふらと敵・味方の間をさまよい歩いていた。

彼の1票が新体制派に入れば7票対5票となり、戦況は大きく変わる。それだけに新体制派は猫柳を無碍には扱えなかった。

まさしく彼こそが、戦争のキャスティングボートを握っているのだ。彼が東京仏教大学の運命を握っているといっても過言ではなかった。

かくして両陣営共に、猫柳が敵方に付かない様に気を遣いながら接していくことになった。両陣営の誰もが〝この信念のない保身主義者が!〟という思いを胸に抱きながらも、顔ではニコニコと媚びへつらいながら猫柳に接していくのであった。


【認証評価】

国公私の全ての大学、短大、高等専門学校は、定期的に文部科学大臣の認証を受けた評価機関(認証評価機関)による評価(認証評価)を7年に1度の周期で受審するという制度があり、間が悪いことに東京仏教大学は今年がこの制度の対象となっていた。

大学の教育研究や組織運営及び施設設備の総合的な状況について、一定の基準に基づいて、認証評価機関が審査をするものであるが、評価のプロセスは先ず大学評価委員会が大学に対して実施大綱を通知し、大学はそれに基づいて自己評価(自己採点)を行い、当然、虚偽・隠蔽の無いことを前提とした自己評価書を評価委員会に送付する。

評価チームが、大学から送られた評価書を元に書面調査を行い、追加ヒアリング資料の提出を大学に要請する。その上で、実地訪問調査を行い、自己評価書と実態とのギャップや矛盾がないかを、複数の教職員を対象に、面接による質疑応答を繰り返すことで暴き出す。評価結果には〝適合〟か〝不適合〟の二つしかない。

ほとんどの大学は〝適合〟の評価を受けるのであるが、スポット的な要因で〝適合〟条件に合わない場合には〝2年以内に改善する〟という執行猶予が付けられ、猶予期間内に条件をクリアすれば、めでたく〝適合〟のお墨付きを受けられる。

クリア出来なければ〝不適合〟となり、大きな社会的制裁を受けることになる。

〝条件付適合〟を受けた大学は必死になって条件を満たすことに専念するため、条件付適合を乗り越えられない大学は皆無である。

最初から〝不適合〟の烙印を押される大学が極めて希にある。これは改善の余地もなく〝清算〟が妥当であると判断された場合であるが、これは言わば〝死刑宣告〟と同等であることから、評価機関側も滅多なことがない限り、〝不適合〟の判断は下さない。これまでの実例で言えば、〝不適合〟との評価結果を出された大学は全てが大学を閉鎖している。それ程に重い制度なのだ。

評価結果は対外的に公表される為、〝適合〟以外の評価を受けた大学は、翌年や翌々年の学生募集にその評価が大きく影響し、定員数を大幅に割ってしまうことが多い。

一般企業の場合は、当年度の売上や収益の穴を翌年度に埋めることは可能であるが、学校法人の場合は、学生からの学費が収入のコアになり、その学生数を元に国からの補助金額等も決まってくるため、学生数が定員を満たしているか否かは、収入に大きく影響する。

4月に入学する学生数が決まってしまえば基本的に1年間はそこに手を入れることは出来ない。言い換えれば、その年の入学生数がその後の4年間にスライドで影響してしまい、それを補う収入増に関しては翌年以降の入学者数でリカバリーする以外には策がない。学校法人の場合は教職員が手厚い労働規約に護られ、一般企業のように人件費のカットもままならない為、固定費の削減も容易ではない。その様な雁字搦めの収支構造の中で、文部科学省からダメ大学の〝烙印〟を押されてしまえば、まさに致命的である。

東京仏教大学の教職員達は慌てふためいた。それもそのはずだ。東京仏教大学は平成27年11月に大学教授会から笠井前理事長に対する不信任決議が出されて以来、約1年間を経た今もなお内部紛争が続いている。

平成28年8月末に谷川理事長及び新理事6名に対して職務執行停止命令の仮処分が下ったことにより理事会や常任理事会が開催できない上に、理事長も常務理事も大学に姿を見せることすら出来ない。

学長についても、下山が勝手に辞表を出した後、新学長選挙も出来ない状況である。

しかも東京仏教大学の内乱は、マスコミの報道や、文科省等公的機関宛に出された金村夫妻による暴露文書によって周知の事実となっており、もはや隠しようがない。

今や、この内乱が教育現場に悪影響を及ぼしていないこと、早晩決着が付くことを、実地調査の際に証明するしかなかった。

仮処分が下り、理事長が不在の最中で、その重大なミッションを理事長職務代理者である北村(事務局長)が全面的に背負うことになった。

北村は平成28年7月から東京仏教大学に職員として招かれ、7月4日の理事会に於いて法人事務局長に任命されたばかりの新米理事であったため、認証評価に向けて昼夜を問わず遅くまで猛勉強に励んだ。

堂本もまた法人事務局次長兼企画広報課長として相応の責任を負った。

堂本は迷った。質疑応答が想定問答の範囲内であれば問題はないが、その範囲を超えたイレギュラーな質問が飛んできた際に、どこまで話して良いものか。虚偽や隠匿は御法度であるが、出来うる限りの厚化粧を施して許容範囲内に整える必要はある。

しかし、ここまで難があり過ぎると〝厚化粧〟はかえって醜い。

もうここは、正々堂々と、現状を踏まえてこの難局をどう乗り越えようとしているのかということを正直に話して、将来に向けて大学の改善すべき点について、風呂敷を広げ過ぎない範囲内で説明をするしかないと判断した。

大学の責任者である中山副学長と、法人の責任者である北村事務局長とが初めてタッグを組み、協力し合い、難局に立ち向かったが、やはり現実は厳しかった。

予想以上に指摘数が多く、このままでは〝条件付適合〟どころか、〝不適合〟の可能性すらあり得る。今やるべき唯一の事は、1日も早く〝理事会〟を正常化することなのだ。

認証評価に於いて〝不適合〟の評価が下れば〝100年の歴史と伝統を誇る名門校〟が消えてなくなる。それだけは何としても避けなければならない。100年という長い年月の間に多くの偉大なる先人達が築き上げた歴史と伝統を、今ここに居合わせた十数人の理事による醜い争いで崩壊させる訳にはいかない。その思いが脳裏を横切る度に堂本は満身創痍の体を奮い立たせた。

認証評価に関しては敵対する教職員が皆、一旦は武器を収め休戦をして評価機関から出された指摘事項の解決に向けて尽力した結果、(その後の理事会が正常化した事も奏功し)〝条件付き適合〟を何とか確保するに至った。

これは2年間の執行猶予期間内に指摘事項の全てを解決すれば正式に〝適合〟とするというものであったが、サドンデスである〝不適合〟ではなく〝条件付き適合〟を勝ち得た事の意義は果てしなく大きかった。

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