3回目 『悪しき獣の墓』
日の出より、幾分早く起きてしまったらしい。
アサヒには、ラノの店の住居部分で暮らすことを強要されて初めての朝である。
「……おはよう。早いな、アサヒ」
店の裏手にある庭から日の出を見ようかと、外に出てたアサヒは、後ろから悠都に声をかけられた。
「おはよう。ハルトも早いな」
「ああ。やることあるからな」
庭には人が一人寝られるような、平らな面をした岩があった。
ハルトはアサヒと短い会話をすると、その岩の上に腰かけた。
「……なにをする気だ?」
「瞑想」
「あ、そうか」
少し会話をしたかったアサヒは邪魔ができない状況になってしまい、困った様子で立っていた。
「……俺になにか話があるのか?」
ふい打ちのように、ハルトは言葉をかけてきた。
「あ、うん。少し話したいことがあった」
昨日は歩葉が悠都とのことを、人の気持ちがわかならいと言っていたがこんなに人の行動を見ている悠都が、人の気持ちをよく理解していないわけがないと、アサヒは確信めいた思いがあった。
「昨日、君が使う魔導術は無詠唱だった。君はどのぐらいのレベルなんだ?」
「……ああ。まだ魔導師の試験って受けたことないんだ。ほとんどこの町からも出たことないし。
それがアサヒが聞きたかったことか?」
「あ、いや。……今はこれぐらいだな。ごめん……」
「じゃ、俺から訊いてもいいか?」
「うん。かまわない」
悠都は瞑想の体勢である組んでいた足を崩すと、岩の上に腰かける姿となりアサヒに向き直った。
日が昇り始める。太陽がまぶしくて、アサヒは目を細めた。
「これは朝日。異世界ではそういうんだが。……あんたと同じ名前だな。それは知っていたか?」
「……異世界人だった親戚が、自分の世界の言葉を残していったらしい。代々そこから合う言葉を名前とつける習わしあるんだ。ぼくはこの名前を気に入っているよ」
「その親戚ってさ。……亡くなったのか?」
「うん。ぼくの生まれる前のことだから、直接会ったことはない。でも千ぐらいは言葉を残してくれたらしい……」
千……。悠都はしばしの沈黙の後。
「しばらく名前に困ることはないな」
「ああ。そうなんだ」
笑顔のアサヒに、再び悠都は黙った。
「それがハルトの訊きたいことか?」
「いや。一番は……アサヒは昨日、どうしてこの町……フレイオックにいたんだ?」
今度はアサヒが黙る番だった。
「……あんたの家のことも詳しくは聞かなかったけど。それも話せないのか?」
「家族は王都のカルムナにいるんだ。ぼくはヨアンナという町に住んでいる。
このフレイオックから馬で半日程度の距離の町だよ。目的は『ヤーノシュ湖』だったんだ。
この町は『ヤーノシュ湖』から近いからな。そしてこの町では、最近、魔獣の目撃が多かった。
ぼくはそれを調べたくてここに来た。
この国は今、『ルシィラ国』との戦争中だ。この町も戦地に近いところにある。
そしてここは、はるか昔に封印された土地、『悪しき獣の墓』にもほど近い。
それが敵に利用されないとも限らない。
兵士の数が少ないこの国で、ぼくみたいな戦争に参加をしないやつが、この国の不安を少しでも取り除けたら……と思ったんだ」
「……あんた……本気でそんなこと言ってるから、あんな考えなしの行動になるんだろう。
ラノさんの判断は正解だったな。危なくて仕方ない……」
「……すまない」
悠都の口調が厳しいのは、アサヒには辛い。本気で呆れ、心配してくれたのだろう。
「しばらくここにいれば、今、何が起こっているのか、自分が本当になにをすべきなのかがよくわかるだろう。俺も異世界から来てここにいたことで、この世界のこともずいぶんわかったから……」
悠都の言葉に、アサヒは自嘲気味の笑みを浮かべた。
「うん……ありがとう」
突然、背後でごとりと音がして、アサヒが慌てて振り返った。
「……杜空か……」
呆れた様子の悠都の声がした。
「あ……ハルトの魔導人形……じゃなくて自動人形だっけ?」
「はい。悠都のパートナーの杜空といいます。日も登りましたしよかったら一旦、お茶にしませんかと、二人を呼びに来たんですが」
「……わかった。今、行くよ。アサヒも行くだろ?」
「ああ。もらおうかな」
アサヒは昨日、杜空を紹介してくれた時の悠都の話が思い出された。
「杜空は死んだ母さんの形見なんだ。俺の家族なんだよ」
「……そうなのか。でも、家族が一緒だと心強いな」
悠都の発言にアサヒは対応に困ったが、ここは普通に話した方がよいと思ってそう言った。
アサヒの言葉は本音でもあったし、間違いではない。
「まったく、悠都は愛想が悪くて困りますけど。仲良くしてもらえるとうれしいです。よろしくお願いします」
姿は十、十一歳程度の少女の身長と思うのだが、杜空の言動は、まるで悠都の母親にでも会っている感じにもなった。
高いランクの魔導人形は、人と変わらない感情を持つ。
それは悠都たちの世界の自動人形にもあてはまるのだろうか?そんな思いにとらわれる。
「おい、何してんだ。行くぞ」
「あ、ああ」
悠都に促され、アサヒも慌てて家の中に入った。
☆彡 ☆彡 ☆彡
「魔導術の修練に行くのか?」
「ああ。毎日の予定のひとつだな」
「アサヒも誰かについていく?」
朝食を済ませると、悠都と歩葉が魔導術の修練に行くと言い出した。
悠都にチーグル。歩葉にマクトがついて行くという。
歩葉が誘ってくれたが、ついていって邪魔してしまうのも申し訳ない。
「ここにいても、アサヒに店番はまだ無理でしょうし」
こう言ったのはラノだったが、魔導具や薬草の知識が詳しくなるまで、ここにいろというのだろうか?と、アサヒは若干の不安にかられる。
「暇するなら、ラノさんの魔導人形のトルクに稽古してもらったら?
剣術だったら、トルクが一番だし……」
と、昨日紹介してもらった魔導人形が、数体いる。が、店には常駐しておらず、それぞれの役目があるらしい。
上級の魔導師でなければ、魔導人形など所有できるはずもない。
ここは魔導具専門店なのだから当然なのかもしれないが、他のこういう専門店では、魔導人形は何体もいるのが普通なのだろうか?店にいなかったメンバーも含めて、アサヒは全員を覚えきれていない。
その中でもトルクは一番身長の低い、外見は七、八歳程度の幼い子供に見えたのだが……。
その子が剣術の達人とは。
「なるほど。そういうことなら、トルクが適任かもしれませんね」
「……そ、そうなんですか」
ラノが承諾したことで、トルクがアサヒのそばにやってきた。
「僭越ながら、一緒に剣の修行をお願いいたします」
スカートの裾を指でつまみ、貴族の作法を見せるトルク。
衣服は貴族の令嬢のそのもので、まるで違和感のない自然の動きにアサヒは笑みが引きつっている。
「アサヒの第二級の魔導騎士の実力なら、結構いい勝負になるかもしれませんね」
昨日、アサヒは悠都たちに自分の持つ左手の魔導騎士の印を見せた。ランクごとに印の色は決まっており、二級の色は緑だった。
「……では、お願いしようかな……」
三時間後。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
戻ってきた悠都とチーグルは、地に膝と手をつき、全身で呼吸をして、体中に大小の傷があるアサヒと、自分の身長より長さのある木剣を肩に担いで、「おかえりなさい」と迎えてくれた涼しい顔をしたトルクと、交互に見た。
「……容赦しなかったのか、トルク?」
「いいえ。アサヒさんはとてもお強かったですよ。私にそんな余裕はありませんでした」
いや、とてもそうには見えないんだが。と悠都は言いたかったが、言葉を吞み込んだ。
謙遜が嫌味になるとは、こういうことを言うのだろう……。
「……ハルト。ぼくのここでやるべきことが見つかったよ。トルクに剣術の修行をつけてもらうんだ。
一撃でも攻撃が通るように……」
「はい。一緒に頑張りましょう」
顔が不穏なアサヒと、天使のような笑みのトルクの対比が大変怖い。
が、アサヒのやりたいことが見つかったのなら、それは大変結構なことかもしれない。
「……それはよかった……」
悠都はそう言った。
☆彡 ☆彡 ☆彡
一週間が経過した。
特に、大きな何事も起ってはいない。
アサヒも徐々にこの『アパノ』での生活が馴染んできている。
やることが見つかったことが大きい。それに、ここは『ヤーノシュ湖』に近い。
そろそろ、抜け出ても大丈夫かもしれない。
この日アサヒは、一人で店を抜け出した。
『アパノ』に泊まることになったのは想定外だが、元々の目的が『ヤーノシュ湖』だったのだ。
結果的によかったと思う。アサヒは走って、『ヤーノシュ湖』に向かう。
その近くに例の『悪しき獣の墓』が近い。まず、そちらから行こうか。
アサヒは目的を決めると、目視ギリギリの動きで走り出した。
「はぁ、はぁ……」
三十分ほどは走ったか。目的の場所手前でアサヒは呼吸を整える。
「ここは『悪しき獣の墓に近いですね」
後ろから声がする。
「まぁ。前からアサヒはここに来たがっていたからな」
振り返ると、そこにはトルクと悠都。杜空にチーグルが立っていた。
「皆さん……どうして」
呆然としているアサヒに、トルクがほほ笑む。
「はい。だって私はあなたの師匠です。わざわざ修行をすっぽかしてまで行こうとしているのですから、
ほっておけません。それにちゃんと私に一言、言ってから行くべきですよ」
「……はい。すみません」
「お前も『アパノ』に染まったねぇ……」
トルクに謝るアサヒに、悠都が言った。
「それに、もうアサヒさんは『アパノ』の従業員なんだから、黙っていなくなるのは寂しいじゃない?」
従業員……という言葉は引っかかるが、チーグルの優しさに、アサヒが申し訳なさそうにうつむいて「すみません」と再度謝った。
「お前……素直に遠慮しすぎ。それじゃ、生きていくことに疲れるだろう。
せめて俺たちの前では、少しのわがままぐらい、いいんじゃないのか?」
そっけない態度だが、悠都の言葉には心配している優しさが籠っている。
「……うん。ありがと」
アサヒが笑顔で悠都の顔を見た。
「うん。アサヒに一緒の部屋になることを嫌がられて、すごく落ち込んでいたから、どうなるかと思っていたけど、二人の仲がよくて安心した」
本気の発言なのか?よくわからず呆然とする悠都たちに、チーグルの満面の笑んだ。
仕方なく――。「……そうですね」と悠都に「すみません」とのアサヒの声が重なって聞こえた。
「アサヒの目的は『悪しき獣の墓』でいいのですか?
『ヤーノシュ湖』とも聞いていたんだんですけど」
と、話したトルクに、
「両方調べるつもりだったんです。ここで不審な子供たちの目撃が幾つもあったと聞いています。
あの『魔導石像』かもしれないと……」
「それなら余計に一人で来るなよ。一週間前のあの数で襲われたら、俺でも辛い」
「……ごめん。また浅はかな考えだった……」
「わかっているならいい」
目的地に向かう途中で、アサヒと悠都の会話が続く。
「二人は本当に仲がいいのね」
というチーグルの言葉に、
「まぁ、こいつ何するかわからないですし。俺の親友でも同じようなやつがいたんで、世話は慣れてます」
悠都がそんな話をした。
悠都と歩葉には、探している友人たちがいることは聞いていた。
『アパノ』にいるのも友人を探すために、ラノたちの情報網がかなり役に立つと思ったこと。
異世界人の情報は『魔導術協会』というところが集めているということで、定期的にラノを通じて情報をもらえることも、『アパノ』にいる理由だという。
悠都が探しているという親友も、こんな毒舌攻めに合っていたのか……。と、アサヒは思う。
最近は歩葉の気持ちも少しわかる気がしてきた。たしかにやり返したくなるときも……ある。
きっと、とても大切な友人たちだったのだろう。これだけはアサヒには伝わってきた。
「アサヒはこんなこと言われていいの?」
「……自覚しているところもあって言い返せないのが悔しいです」
言い返したアサヒに、悠都の口元が少し緩んだ。
「その時を待ってるよ」
「……ああ。いつか言い負かしてやる」
真顔のアサヒに対して、悠都はどこかうれしそうにも、冷やかしているようにも見えたが
「仲がいいことはいいことですね」
と、トルクがまとめた。
☆彡 ☆彡 ☆彡
深い森の一角に――それはあった。
人の気配がまったくない薄暗い木々の奥に、突然、姿を現した。
『悪しき獣の墓』は、八角形の石塀の中に封印されている。
石塀の中には、誰も入れないようにはなっているのだが……。
近くまでやってくると、悠都とチーグルの表情は険しく変化した。
「お二人は『風属性』でも上級ランクですから、少しの変化でも風を通して伝わってくるそうですよ」
そうトルクがアサヒに説明している。
「風を通して、とかいうレベルじゃないな。
ここまでくるまでにわからなかったのが……おかしいぐらいだ」
悠都がアサヒとトルクの二人に言った。
「そうね。これじゃ、アサヒを一人に来させないでよかった……」
チーグルは石塀に近づいていく。
「え!?」
チーグルが手を伸ばすと、何もない空間で手を中心に波紋を広げて――揺らいだ。
「……どういうこと?」
アサヒがつぶやく。
「近づけたくないんだろうな……ここに」
刹那。悠都が空気圧縮弾を数発、空間に向かって撃ち込んだ。
間髪入れず、今度はその弾丸が空間を貫くように、悠都たちに向かって飛んでくた。
「ちっ」
悠都は空気の層で盾をつくってしのぐ。
「速い攻撃には、その攻撃を放った相手に対して返す術が施されているみたいね」
「さて……どうするか」
悠都たちは、異様な封印空間を前に対策を考えることになった――。