ギャンブラーの心得
店内はけたたましい程の騒音と、狂人達の熱気に包まれていた。
「……こい! ……こい!!」
電子煙草を咥え、徹夜明けの目が血走った男は、パチンコ屋の熱気の中心にありながら、絶望の淵に片手だけでぶら下がる死にかけの状態でもあった。
「玉がもうねぇ! 頼む……来い!!」
──ティン
──ティン
「来た来たぁ!! 死んだ目の男リーチだ!!」
男の目が更に赤くなり、今にも目から鮮血が迸るほどに力が入っていた。
──ティン!
「あ゛ーーーー!!!!」
けたたましい騒音を掻き消すほどの雄叫びが店内を駆け巡り、男は台に項垂れるように解脱した。
「ただいま……」
「おかえりー♪」
死にかけの魂で帰宅する男。手を重ね嬉々として夫を出迎える妻。
「ボーナスは? 今日出たんでしょ?」
とどのつまり──修羅場の始まりである。
「すまん……消えた」
「…………は?」
「全てパチンコの海に消えたよ……」
「…………ひ?」
「ノーリターンでフィニッシュです」
「…………ふ?」
「一文無しでーす」
「…………へ?」
「次のボーナスにご期待下さーい」
「ほあぁぁぁぁ!?!?!?!?」
功夫映画も真っ青な妻の雄叫びが辺り一帯に響き渡った。男は「ハハハ」と失笑し、そのまま自室へと逃げようとしたが、首根っこを捕まれてソファに正座させられた。
──プシュッ!
「つ ま り!! アンタは今日貰った御ボーナスの一切合切をパチンコにつぎ込んだ挙げ句、全てを失ったと言うことで間違い御座いませんね!?」
荒々しくビールを喉へと流し込み、ドカンとテーブルに叩き付けた妻の怒りの表情は、地獄の悪鬼羅刹よりも恐ろしく、笑顔の閻魔の方がまだマシなのではないかと錯覚するくらいに、殺気立っていた。
「ミステイク御座いません……」
借りてきた猫よりも小さく縮こまる男の情け無い背中に、容赦ない罵声の波が襲い掛かる。
「ボーナスが出たら買ってくれると言っていたエヌメスのバッグは!?」
「時期尚早だったのかと……」
「ヌッチのバッグは!?」
「早計だったのかと……」
「ヌファニーのバーーッッッッグ!!」
(バッグばっかやな……)
耐え難きを耐える心意気を貫く男は、チラチラと時計の針を見守りながら、積み重なるビール缶の山の傍でひたすらに無言を貫いていた。
「だいたいパチンコって何よ!! パーのチ〇コがなんぼのもんじゃい!!」
「…………」
「だいたいアンタは暇さえあればパチンコだの競馬だのチンチ〇コリンだの──」
「……チンチロリンです」
「あ?」
「発言を撤回します」
「だいたいアンタが安月給だから云々かんぬんどーたらこーてら!!」
「…………」
「…………Zzz」
「ようやく寝たか……」
男は妻を抱きかかえ、寝室のベッドへと優しく置いた。そして自室へと戻ると、クローゼットに隠していたバッグとボーナスの袋を、そっと妻の枕元へと置いた。
「明日起きたらどんな反応するか、楽しみだ……」
──翌朝
「どっから盗んできたんじゃゴレェェェェ!!!!」
「──ふぁっ!?」
男はあらぬ濡れ衣を寝耳に入れられ、飛び跳ねるように起きた。そして身振り手振りを交えてあたふたするが、結局何も伝わらず妻の怒りゲージ回収の手助けをするのが関の山であった。
「ちがっ! 実はドッキリ……そう! ハプニング的な!! ビックリさせてやろうとしてだな!!」
「そりゃあ旦那が妻の寝ている隙に他人の家に忍び込んでバッグとボーナスを盗んできたら、ビックリでもなんでもするわいな!!!!」
結局落ち着いた妻はボーナス袋に記載された氏名から真相を知る訳だが、怒らせてまで隠していた事と訳の分からぬドッキリのダブルパンチで更に説教は過熱したのである…………