九 犬千代
ブックマーク&評価ありがとうございます。当面毎週日曜日と水曜日に更新、次回は11月8日0時に投稿予定です。
先日、はじめて感想をいただき、感激しました。この場を借りてお礼申しあげます。
今回は待望の(?)前田利家登場回です。
前田利家は織田信長に仕え、後に豊臣秀吉の五大老になり、加賀一〇〇万石の祖となった戦国大名である。
「槍の又左」の二つ名を持つほどの槍の名手であり、極めて武勇に優れていた。
外見は細身だが身長は六尺(一八〇cm)を超える大男である。当時の成人男性の身長が一六〇cmぐらいであるから非常に目立つ存在であっただろう。
その上、戦場ではわざわざ目立つ格好をして敵を引き付けたことから、彼の甥(前田慶次利益)同様に傾奇者とも呼ばれた。
戦では血気盛んだが、平時は実直で義理に厚く、皆から信頼され慕われていたという。
以上が、前世の大橋亜希子が愛してやまない前田利家の特徴である。
正に完璧超人である。イケメンで無い部分を探すのが難しいぐらいだ。
そんな、前世ではたとえ望んでも絶対に会うことが叶わなかった、超絶イケメンが那古野城に来るという。
当然、重郎左は気が気でない。
「若様、どうかされました?」
「い、いえ何でもないです…はは」
重郎左は明らかにそわそわして端から見ても挙動不審であるが、なかさんはそれ以上追求しない。
「そういえば、夫から連絡がありまして、若様にも関係することなのですが」
なかさんが改まって話し出す。夫というのは大秋城城代家老の森下弥右衛門さんだ。
「なんでしょう?」
「荒子の前田犬千代殿はご存知ですか?」
「ひっ!?」
いきなり予想外の所から名前が出てきて、重郎左は不意を突かれた。
「ああ、はい…新しい吉法師様の小姓だと聞いてますが」
「もうお耳に入ってましたか。実は蔵人(前田利昌)殿と夫は古くから交友がありまして」
それは初耳だ。そういえば森下家は中村土着の豪族で、遠江から来た大秋家譜代の家臣ではなく、大秋城築城の際にこちらで登用されたとか。
「ついては犬千代殿の仕官にあたり、こちらで預かって欲しいと」
「え?」
「なのでつまり、若様さえ良ければ、この部屋に住まわせてもらいたいと」
「…え、ええー!!」
かいつまんで説明すると、
吉法師様は那古野城主だから、当然那古野城本丸主殿の中に住んでいる。
その乳母の「おおおち」様も、おおおち様の実子で吉法師様の乳兄弟である池田勝三郎さんも同様である。
重郎左も大秋城の人質で本丸主殿の一角に軟禁されていて、そのまま御伽小姓の身分になった経緯があり、特例的に本丸主殿に住み続けることを許されている。
だが、家臣は元来主殿には住まない。主殿とは文字通り主の館であり、仕事の都合上泊まり込むことはあっても、そこを住居とはしないのだ。
それは小姓であっても例外ではない。
近習と呼ばれる常勤家臣は城の中、場合によっては城の外に屋敷を立てて住むのが一般的である。
とはいえ、知行が少ない家臣の場合は自分の家を持つことも叶わず、上司の屋敷に居候することになる。
犬千代は重郎左と同じでまだ子どもの御伽小姓である。
他の近習と同じような住居をあてがって住まわせるのは、金銭面でも慣例的にも現実的ではない。
というわけで、前田利昌は伝手を頼って、預かって欲しいと依頼したわけだ。
「でも犬千代さんも、荒子城主の子で、立場的には私と変わらないじゃないですか」
「城主じゃなくて城代ですよ。それに四男ですからねえ」
前田家は前田城(名古屋市中川区)の前田与十郎種利が本家筋で、荒子城も所有しており、分家の蔵人は城代らしい。
たかが城代の四男に屋敷とか世話をするための人員とかは捻出できないということらしい。
嫡子ならばまた扱いが違ったのかもだが、そこは世知辛い世の中である。
自分の主が答えを渋るとは思ってなかったので、なかさんの顔が若干曇る。
「んー、若様は乳兄弟がいないことを気にされてたので、良いお話かと思ったのですが」
あ、そういえばそんな話もした。要らぬところでなかさんに気を遣わせてしまったようだ。
「断ります?吉法師様や林様にはもう話が済んでますが、今ならまだ取り消すことも出来ると思いますけど」
重郎左は「うげ」という顔をした。もうそこまで話が進んでいるのか。外堀が埋められてしまっている。
犬千代さんはこれから一緒に働く同僚である。ここで断れば、後々必ず禍根を残すだろう。何より、自分が前田利家様を困らせるのは本意ではない。
「いえ、大丈夫です。ちょっと驚いてしまっただけなので。是非、犬千代さんに、ここに住んでもらって下さい」
「それは良かったです、賑やかになりますね!」
なかさんの顔がぱーっと明るくなった。
世話をする子どもが一人増え、主君の遊び相手が出来るのが嬉しいようだ。
無論自分も嬉しくないわけではないが、心の準備と言うものがある。
(神様、気を利かせ過ぎじゃないですか?)
確かに、前世の亜希子は死ぬ間際、利家さまに会いたいと願った。
(でも同棲したいとかそれ以上の事は考えていなかったですよ、たぶん)
そんなこんなで、その日はすぐにやってきた。
「犬千代です。以後お見知りおきを」
紹介された少年は一見やんちゃそうな、だが端正な顔立ちで、しっかりとした言葉遣いの男子であった。
重郎左と同じ数え六歳であるが、身長は既に勝三郎さんに迫るぐらいある。将来身長六尺を超える大男になる片鱗が既にうかがえる。
イメージ通りの少年と対面し、重郎左の声が上ずる。
「日豊師です。吉法師様のお名前と紛らわしいので、普段は大秋の若子と呼ばれてます」
「若子殿よろしく。しかし可愛らしいな。これから一緒に住むのが楽しみだ」
犬千代はすすっと近寄って来て、重郎左の手を取り、そう言った。
ぼん、と重郎左の顔が上気する。
「お戯れを!可愛らしいと言われても男子に対する誉め言葉にはなりません」
「ははは、失礼した」
お茶目な性格なのだろうか。それにしては言動が少々おっさんくさい。
利家様は他の戦国武将同様、男色も嗜んでいるとは聞いたが、まさかこの年齢から?と重郎左は訝しんだ。
が、その理由はすぐに判明することになる。
犬千代は、なかさんや侍女たちが周囲に居なくなったタイミングで重郎左を手招きして呼び寄せた。
「若子殿」
「なんでしょう?」
重郎左がとことこっと来て側に座ると、犬千代が更にずいっと寄ってきて「ひぇっ」と声を上げてしまう。
それを見て、犬千代がそっと口に手をやり、静かにするよう促す。
「ぶっちゃけあんた、亜希子さんだろ?」
互いの息がかかる距離でそう言われ、重郎左は固まった。
久しく呼ばれたことの無い前世での名前。そしてこの時代に決して使われることの無い、二十一世紀の懐かしい口調。
それを何故犬千代さんが知っているのか。理解の範疇を超えて思考が停止してしまった。
「え、え…何で?」
「やはりな…」
重郎左は呆けた顔をしながら犬千代を指差した。単に「亜希子」なる人物を知らないだけではこんな反応はしない。
その様子を確認して、犬千代は満足気な顔をし、言葉を続ける。
「俺だよ、大橋啓介」
「はああああああああああ!?」
重郎左は思わず飛びずさった。そしてぐわんぐわんと目眩がしはじめ、頭を抱える。
「歴史オタクの?」
「おう」
「元自衛隊員の?」
「おう」
「いつも仕事サボってる?」
「人聞きの悪い事言うな、要領よく片付けてただけだ」
「お昼がいつもゴゴイチの?」
「この世界でその話題出されると胃袋にキツいからやめろ」
クレーマーに刺されて死んで、死の間際に前田利家様に会いたいと願ったら戦国時代に転生して、前田利家様の同僚になって、同棲することになって、でもその中身が啓介?
なんだこのふざけた設定、考えた奴出てこい!
重郎左は無性に腹が立ってきて、犬千代に掴みかかった。
「ちょっと、どういうことなの、説明しなさいよ!」
「亜希子さん、女口調になってるよ、しかもその姿、めっちゃ可愛くて違和感仕事してないし」
「うっさい、ばか!」
重郎左は犬千代をぽかぽか殴りだした。
「暴れるな、順番に話すからやめろって!」
犬千代はどうどうと重郎左を落ち着かせる。
「…で、何であんたまで転生してるのよ」
女口調はやめないんだ、と思いつつ、犬千代は、啓介は語り始める。
「亜希子さんが暴漢に襲われて死んだろ?」
「うん」
「その後、俺も殺られて死んだんだよ」
「はあ?何してるの元自衛隊員!」
犬千代は、呆れ顔の重郎左から視線をそらして、頭をぼりぼり掻く。
「仕方ないだろ。最愛の女性が倒れたら、そっちの容態の方が気になるだろう。駆けよったらそこをドスッとやられた。油断した」
「え?今サラッと重大なカミングアウトしなかった!?」
「おう、した」
「ちょ、ま、何で今するのよ!」
「だって前世じゃ、結局出来なかったじゃないか」
「あ…」
確かに言われてみれば、思い当たる節はある。
啓介は何かにつけて突っかかったり首を突っ込んできたりしたけど、基本親切で優しかった。
背が高く、筋肉質で、顔もそこそこ。少なからず女子にもモテてたはずだけど、浮いた噂は一切聞かなかった。
そういえば、区役所移転プロジェクトの大詰めで深夜残業の時に、「近くに寄ったから」と暖かい飲み物と肉まんを差し入れてくれたことがあった。
ただその時はたまたま休憩中で、エネルギー補充とばかりお気に入りの薄い本を眺めて「ぐふぐふ…」とかにやけていた現場を見られたため、感謝するどころではなかった。
繁華街で偶然会い、お茶したこともあった。ただその時出会ったのが同人ショップであったため、取り繕うのに必死で楽しむどころではなかった。
教えてもいないのに誕生日にプレゼントを渡されたこともあった。しかも自分が好きな「戦国ラセツ」の前田利家のアクリルキーホルダーだ。
だが、利家様のアクキーは2周類あり、欲しかったBタイプではなかったため、その場でダメ出しした気がする。
あれ、もしかして…自分鈍感か?ダメ女か?
「だからな、今度は包み隠さず想いを伝えようと思ってな」
「いや、そこは隠そうよ!そういう重要なことって、こんな序盤じゃなくてクライマックス直前に告白するもんでしょ!?」
「どさくさ紛れにメタ発言やめろよー、とにかく俺はもう後悔したくないんだ」
重郎左は押し黙った。
もし犬千代―啓介の言う事が本当なら、目の前で想い人を殺されて、自分も殺されて、さぞかし無念な死を遂げたことだろう。
「で、死ぬ前に、もし生まれ変わったなら今度こそ最愛の人を守れるように、って祈ったらこの時代に転生していてな。まさか槍の又左になるとは思わなかったけどな」
はっはっは、と犬千代が笑う。
「え、でも私が愛した前田利家様は槍の武辺者で六尺を超えるイケメンで傾奇者で義理堅くてカッコ良くて」
「残念俺だ」
「ぎゃー!!!」
確かにこちらの世界に来てから、利家様に会えるんじゃないかと心のどこかで期待していた。
会えると分かった時は嬉しかった。でも中身が啓介だと知ってしまったら私はどうすれば良いのだ。気持ちの整理が付かない。
「レディコミ風に言うなら『もー!これから私どうなっちゃうのー!』って奴だな」
「本当にうざいからちょっと黙って!?」
ああ、と重郎左は実感した。
この最高のタイミングで的確に人をイラつかせる言動は間違いなく啓介だ。
「俺は亜希子さんを愛していて、亜希子さんは前田利家を愛している。何だ両想いじゃないか!」
「言うな!それ以上言うな!乙女の純情踏みにじりやがって!」
「アラサーなのに乙女って言ったね!?」
「殺す!絶対殺す!」
「転生したばかりなのにまだ死にたかねえよ!」
「何が前田犬千代よ!SSR武将引きやがって、私なんか無名武将だよ!」
「そこ気にするのかよ!」
重郎左はガードする犬千代を構わずこのこの!と殴り続けていたが、そのうち涙がぽろぽろとこぼれてしまう。
それを見て犬千代が慌てる。
「ご、ごめん色々言い過ぎたよ。亜希子さんにようやく会えて、嬉しくて、つい調子に乗った」
「ぐっ」
そんな言い方をするのはずるい。
「わ、私も正直、この世界で不安で心細かったから、啓介に会えたのは嬉しかったよ…」
重郎左は、その偽りない気持ちをやっとのことで絞り出した。
「マジで?もう一度言って?」
「誰が言うかバカ」
犬千代に茶化されて急に気恥ずかしくなった。何を言っているんだ私は。これじゃあツンデレそのものじゃないか。
重郎左は目を拭って、犬千代に言い放つ。
「勘違いしないでよ!前世はともかく、今は私もあんたも男なんだからね!成り行きで一緒に住むことになっちゃったけど、変な気は絶対に起こさないように!」
「ふふふ。重郎左殿は男で俺も男。間違いが起こるはずも無かろう」
「うぐっ」
歴史マニアの啓介が、この時代に男色が当たり前のように存在するのを知らないはずもない。
だが、そこにツッコミを入れると、自分の嗜好に関する古傷をえぐられそうなのであきらめた。それはつらい。とてもつらいのだ。
何度も言うが、私は見る専なのだ。自分がカップリングの対象になるなんてとんでもない。
もう一人の主人公である啓介がようやく登場です。長かった…。
池田恒興が実際に信長の御伽小姓になったのは天文一四年(一五四五年)であり、同じく前田利家が実際に小姓になったのは天文二十年(一五五一年)頃ですが、物語の都合上、二人ともこの時期から御伽小姓を務めた設定にしています。