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SSR武将に転生した腐女子ですが、見る専なのでおかまいなく  作者: Techniczna
第一章 この世界のBLは間違っている
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五 吉法師

2020/11/4 表記揺れを修正しました。「おまえ」→「お前」

「わ、若様、どうされました?どこかお体の具合でも…」


 姿見の前で自分の主君が突然「わー」とか「きゃー」とか叫びだしたので、乳母のなかは心配して声をかけた。


「ああ、ごめんなさい、何でもないです。驚かせちゃいましたね、すいません」


 重郎左はへへへっと笑いながら数え四歳(満三歳)にしては饒舌に話し始める。

 なかさんは、あの那古野城落城の時にもしっかりと自分を抱きしめて守ってくれた。

 とても優しいし、たくさんお話してくれるし、重郎左はなかさんのことが大好きだ。


「時々あるのですが、父上が亡くなられた時のことが不意に思い出されて、恐ろしくなるのです。もう乗り越えなければならない事だと理解してはいるのですが」

「ああ、そうなんですね…」


 適当な話をでっちあげて誤魔化す。

 なかさんは、おいたわしやと悲しむそぶりをする。本当に良い人だ。騙して申し訳ない気持ちになる。

 だが「腐った妄想が高じて身悶えするあまり雄たけびを上げていたところです」とか、口が裂けても絶対に言えない。


 重郎左は身体こそ発育が遅れているが、その代わり言語能力は非常に優れていた。

 前世でもおしゃべりは好きだったから、それが影響してるのだろう。もう大人と話していても何の支障もない。


 最初は怪しまれてはいけないとわざわざ子供っぽく話したりもしたが、だんだん面倒になってきた。

 そうこうしているうちに那古野城内で「大秋の若子は利発だ」と評判になってしまったが、それが大殿(織田弾正忠信秀)の耳に入り、なぜかは知らないが大層喜ばれたそうだ。

 大殿は那古野落城の時の第一印象がトラウマで、正直怖くて苦手だが、まあ喜ばれているのだから悪いことは無いだろう。

 そういう経緯もあって、現在では隠してもいない。


 まあ、自分が評判になったのは吉法師様のせいもあるだろうと思っていたら、噂をすれば何とかで、当の本人が来たようだ。


「姫はあるか!」


 廊下の板間をどすどす歩く音が近づいてくる。重郎左は大きくため息をついた。こういう呼び方をするときの吉法師様は不機嫌なときだ。

 普段は自分の事を「大秋の若子」あるいは単に「若子」と呼ぶ。だが、機嫌が悪い時はわざわざ自分が嫌がる方の呼び方をするのである。


 襖が勢いよくばーんと開かれてそこにいかにも横着そうな美少年が立っていた。

 いきなり何するのさ、なかさんが着替えでもしてたらどうするの?と思ったが、それには触れず別の件で抗議する。


「私は姫ではありません」

「である。新五郎だ」


 意訳すると「そんなことは分かっている。それより新五郎の講義がはじまるから、お前も早く来い」である。


「なかさん、林様の講義がはじまるようなので、行ってまいりますね」


 予想通りの件だったので、重郎左はなかさんに用件を告げて吉法師様に駆け寄っていく。

 吉法師様が「である」で返答するときはそこまで機嫌が悪いわけではない。最上級に機嫌が悪い時は「ではないか」(いや、姫みたいな外見して何言ってるんだ)と来る。


「遅いぞ姫」

「何度も言いますが、私は姫ではありません」

「で、あるか」


 なかは「あれで良く会話が成立するなあ」と飽きれ顔だ。

 なんだかんだあの二人は仲が良く、いいコンビなのである。




 重郎左がはじめて吉法師様と対面したのは昨年、ちょうど那古野落城の翌年になる。


 那古野城は戦闘で一部が焼けてしまったが、すぐに修復されて問題なく住めるようになった。

 大殿(織田信秀)はそれと同時に別の城を築城していたようで、そちらに移り住んでしまったのである。

 天文六年までは勝幡城(愛西市・稲沢市)、天文七年に那古野城(名古屋市中区、現在の名古屋城付近)、天文八年に古渡城(名古屋市中区、現在の東別院駅付近)と毎年本拠を移転しているわけだ。

 重郎左は前世で亜希子として中村区役所の移転プロジェクトを経験し、大変な目にあったが、それからすれば良くそんな無茶が出来るなあと思ったものだ。


 代わりに那古野城主となったのは、当時数え六歳の吉法師様であり、そこに教育係として四人の家老がつけられた。


 筆頭家老は林新五郎秀貞。

 織田弾正忠家譜代の家臣で、大殿の幼馴染らしい。三十代ぐらいのひょろっとした優男だ。

 林様は教育係として、主に政治や経済、領国統治のことを吉法師様に教えている。

 戦は苦手なようで、専ら政治、特に内政方面の仕事をしているようだ。

 先も述べた通り、大秋家は林家の与力となったから、一応直属の上司になる。


 次席家老は平手五郎右衛門政秀。

 こちらも弾正忠家譜代の重臣で、五〇歳ぐらいの白髪のおじさんだ。この時代ならおじいさんと言った方が良いかもしれない。

 教育係としては、外交とか帝王学とか精神面のことを教えている。

 平手様は戦争も外交も出来るスーパー武将で、吉法師様も一番信頼している家老だ。


 三番家老は青山与三右衛門信昌。

 二〇代後半の強面の武闘派武将で、天文元年に織田大和守家と戦った際にも先陣で切り込んでいったとか。

 教育係としては、主に兵法を担当している。


 四番家老は内藤勝介。

 青山様と同じく二〇代後半の武闘派武将で、那古野城攻略の際には大殿とともに内部から暴れまわったとのこと。

 担当は専ら武芸だ。乗馬に弓、槍刀だけでなく、最近購入した鉄砲なども扱っているらしい。

 

 これが前世であれば「美少年プリンスと4人の執事達」みたいな形で、亜希子の「大人の掛け算」の餌食になっていただろう。

 特に青山様と内藤様は出世を争うライバル同士とのことで、最高の題材だ。どちらが攻めでどちらが受けになるかじっくりと入念に検討を重ねていたに違いない。

 だが、流石に実物を前にし、実際に同じ城の中で生活している距離感ではそんな気も起きない。

 職場の同僚を対象にするようなものだ(いや、それでもOKという猛者も居るが)。だいたい私はナマモノは対象外なのだ。

 

 で、肝心の吉法師様というと、端正な顔立ちで睫毛が長い文句無しの美少年だった。現代だったら男性のジュニアアイドルにいそうな少年だ。成人したら間違いなくイケメンになるだろう。

 だが、いろいろと残念な面もあった。





「我は吉法師である。お前は日豊師じゃ」


 吉法師様は自分自身と重郎左を順番に指差すと、そのように言った。

 日豊師は重郎左の幼名だが、正直この名前が好きではなかった。氏豊の「豊」の字が入っており、いかにも父親の未練がましさが感じられるからだ。


「良くない」


 これが初対面でいきなり言われた言葉である。重郎左が面食らったのは言うまでもない。

 要するに、吉法師キッポウシ日豊師ニッポウシで非常に紛らわしく、間違いも起こるだろうから何とかせねばならないという事だ。


日豊師ヒトヨシにせよ」

「えー、語呂が悪い。それは嫌です」

「嫌か、ならば大秋の姫にせよ」

「もっと嫌です!それに私は姫ではありません!」

「ではないか」


 そんなやりとりがあったせいか、私は城内で幼名で呼ばれることは無くなり、「大秋の若子」と呼ばれるようになった。

 正直自分の幼名は好きでは無かったから、結果的には助かっている。

 吉法師様にしてみても、これから長らく一緒に暮らしていくにあたり、トラブルの種となるものは未然に取り除いておこうという親切心からの建設的な提案だったのだが、端から見てるととてもそのようには思えない。


 そう、ここまで読めば理解していただけると思うが、吉法師様はとにかく言葉足らずで言動が理解されないことが多いのだ。

 しかも、どういう意図かと聞き返すと、極端に不機嫌になるから始末に負えない。

 だが吉法師様は決して頭が悪いわけではない。むしろ一を聞いて十を知る切れ者の方だ。要するに常人には理解できない天才肌ということなのだろう。


 重郎左は正反対で十分すぎるほど饒舌であったが、吉法師様の気持ちも分からないでもない。


 例えるなら、小学生の算数のテスト。

 理数的センスがあれば、問題を読めば途中の式や計算過程を書かなくても答えが一発で分かるというのは良くあることである。

 しかし、算数のテストでは、凡人でも分かるように解答に至るまでの過程を馬鹿正直に書かねばならない。しかも解法が幾つもあったとしても、教科書で教わった方法で示さなければ間違いとされるのだ。

 たとえ最速で真理の解に至ったとしても、凡人と同じ方法でなければ無価値のゼロ点とされる。こんな理不尽なことは無い。


 吉法師様が感じているのも恐らくこれと同じようなことであろう。




 幸か不幸か、重郎左はこの「ノブナガ語」をほぼ正確に理解することが出来た。

 本人の推察力もあるが、考え方が吉法師様と近いのかもしれない。


 言動はあれだが、吉法師様は根はまじめで優しい。重郎左は嫌いではなかった。

 吉法師様の方も自分の言う事を正確に理解してくれる重郎左を気に入っているようだ。


 そんなわけで、同じ城内に住む二人は割と仲良くやっていた。

 これに対して四苦八苦していたのは那古野の家老衆である。


 4人の中で平手五郎右衛門は辛うじて「ノブナガ語」を理解していたが、他の三人は全滅である。

 特に政治や経済を教える林新五郎は、教え子からの奇怪な返答に毎回頭を悩ませ、胃に穴が開くような思いをしていた。


 そこで、家老衆が目をつけたのが「ノブナガ語」を完全に理解する大秋の若子である。

 ある時、林新五郎は重郎左に頼んで、吉法師様への講義の際に同席するよう求めたのである。

 筆頭家老が人質の三歳児に土下座するのはあまりに異様な光景であったが、それだけ切羽詰まっていたのであろう。

 重郎左としても断れるはずもなく、同席して吉法師様の発言に逐一補足を入れるようにしたのだが、これが非常にうまくいった。吉法師様も非常に上機嫌であった。

 

 ほどなく、重郎左は他の三人の家老にも同じようにして欲しいと頼まれた。


(いや、青山様と内藤様はともかく、平手様は必要ないでしょ…)


 と思ったが、横並びで波風立てないための措置なのだろう。いずれにせよ、重郎左は人質の身、断れるはずもない。

 かくして、重郎左は人質の身ながら家老衆に恩を売りまくり、しかも吉法師と同じ英才教育を受けるという不可解なことになったのである。

【解説】

 信長のキャラ設定は悩みましたが、自分のイメージに近い信長像を書いたつもりです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 小学校の算数は理解できない子に理解させるのに教師が説明はするけど、児童から説明はないほうが多いのでは?私立は知らん。 反対に信長系の言葉足らずが苦労するのは高校の数学で証明問題では?
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