四 私見る専ですから
2020/10/20 脱字修正
どこから話したものだろうか。ともあれ、あの悪夢のような出来事から三年が過ぎた。
無事生きてはいるが、この城から一歩も外に出ていない。
自分は、前世では大橋亜希子と呼ばれていたが、この世界でその名は意味がない。
じゃあ、こちらでの名前は何かというと、それもなかなか説明が難しい。
この世界の人たちは、実名で呼ぶことはまず無い。実名のことは諱(いみな=忌み名)と言い、それを口に出すのはとても失礼な行為に当たる。
じゃあどうするかというと、例えば又左衛門というような通称や、弾正忠と言った官位で呼ばれる。元服と言う成人式を済ませていなければ、幼名という子供の時の仮の名前で呼ばれる。
だから必然的に、一生の間に何度も呼称が変わるわけで、とてもややこしい。
自分にも幼名があるけど、あまり好きでは無いし、周囲もその呼称ではほとんど呼ばないから、便宜的に自分の事は元服後の通称である「重郎左衛門」で通そうと思う。
さて自分は、重郎左は、四歳になったとは言え、数え年なので、実際は満三歳である。
この時代の人たちは、自分の年齢を、自分の生まれた年を一年目として何年目なのか?というように数える風習がある。元旦になると皆仲良く一歳年を取るわけだ。
重郎左は天文六年の暮れに生まれたらしい。そして今は天文九年である。
正直西暦で言ってもらわないとさっぱり分からないが、そんなことを言っても仕方がない。
取りあえず、将来織田信長になられる吉法師様がまだ数えで七歳なので、桶狭間とかはまだまだ先のようだ。
あの時、自分が名古屋城だと思っていたのは那古野城だと後で知る。
那古野は西区と中村区の境に残る地名で、前世では「ナゴノ」と呼ばれていたが、こちらでは「ナゴヤ」と読む。聞いただけでは区別が付かないので勘違いしてしまっても仕方は無い。
元城主の今川氏豊さんは、命は助かったらしいが、今どこでどうしているのかは分からない。
自分の父親はあの騒乱で命を落とした。織田家と敵対する今川家の家臣であったからある意味仕方がない。
こちらで目を覚ましてから一緒に過ごした時間はほとんど無いので、むしろ何の感傷も無い。
不幸中の幸いだったのは、大秋家と大秋城がそのまま安堵され、残されたことだ。
扱いとしては林新五郎秀貞の与力とのこと。
前世で「政治力七〇ぐらいのモブ武将」とか、失礼なこと言っていたからバチが当たったのだろうか。
代わりと言っては何だが、現在重郎左は那古野城の一角に軟禁されている状態である。
いわゆる人質という奴だ。一応、六歳になったら大秋城に戻してもらえる約束になっているらしい。
大秋家は自分が家督を継いで当主となったが、当然不在であるから、大秋城は弥右衛門さんという家老が城代となって管理している。
城主だというのに自分の城を一度も見たことが無いのは、なんとも寂しいものだ。
人質といっても、幼児が一人で住み込むわけにもいかないので、大秋城からお付きの人が何人かやってきて、一緒に住み込んでいる。
まず、乳母の「なか」さん。那古野落城の時に自分をしっかり抱きしめて守ってくれた人だ。
二〇代後半ぐらいで、城代家老弥右衛門さんの奥さんである。
おしゃべり好きで良く笑ういい人だ。
まさに母親代わりの人で、献身的に育児をしてくれるし、精神的にもかなり支えになってくれる。
(そういや前世では親不孝ばかりだったなあ)
亡くなった時の亜希子はちょうど今のなかさんぐらいの年齢である。
実家に帰ると見合い話とか孫の顔がみたいとかやたら煩かったので、両親とも疎遠になっていた。
あきらめて縁談に乗って、専業主婦になっていれば、刺されて死ぬことも無かっただろうな、と詮無いことを考えたりもする。
さて大秋城スタッフだが、なかさんの他には侍女の人が三人いる。
なかさんと同じく、身の回りの世話や遊び相手になってくれる。
他には大秋城との連絡役兼何かあった時の護衛として、武将の人が二人。杉原さんと安井さん。
基本自分たちはこの御殿から外に出れないので、外で何が起きているかといった情報はこの二人からの話だけが頼りになる。
まあそんなわけで、若干不自由ではあるけど、当面の命と生活の安全は確保されている状態だ。
そして、なんだかんだこの時代とこの体とこの城での生活にも慣れてきた。
くよくよしていても仕方ない。この世界で生きていくしかないのだ。
「だけどねえ…」
重郎左にはこの世界で生きていく上の懸念点が二つあった。
姿見に移る自分の姿を眺めてみる。
明らかに小柄だ。二尺七寸(八〇cm弱)ぐらいしかない。この時代の栄養状態を考慮したとしても小さすぎる。
吉法師様は数え四歳の時に既に三尺三寸(約一〇〇cm)あったそうだ。
なかさんは「若様もそのうち大きくなられますよ」と言ってはくれるが、気休めだろう。
何より自分は前世でも決して運動は得意では無かった。
(啓介だったら、この世界でも十分生き残っていけそうだな)
古い記憶をたぐり、かつての同僚を引き合いに出してみる。
重郎左はは前世の亜希子の完全な知識と記憶を有していた。
だが体の扱いはそうではないらしい。
人は一連の行動や動作を反復練習することにより、意識せずにそれを行えるようになる。
例えば格闘ゲームの必殺技コマンド。
最初は「右、下、右下、A」みたいに意識して入力実行していたはずだ。だが、それを無数に繰り返すうちに、対戦相手キャラが飛び込むモーションを見ただけで対空必殺技を意識せずに出せるようになる。
それと同じ話で、歩くのも最初は「右足を持ち上げて、体重を移動させて、手を振りながらバランスを取って、右足を前に出して、着地して」と意識しながらやっていたはずだ。
皆、必ずその経験をしているはずだが、生まれて間もないころの記憶であるから、その事を覚えていないのだ。
これは、あたかもプログラムにおいて、良く利用する一連の処理を関数として登録するのと同じことを脳がやっているのだろう。
転生に際してそれらはすべて失われていた。
立つとか歩くとか一連の動作を実行するために習得した「関数」は前世の亜希子の肉体のためのものだ。
今の体には互換性が無いので利用できないのだろう。
ちょうど、OSをアップデートした際に互換性が無いアプリは全て失われるのと同じだ。
それらは今の新しい肉体で、一から獲得せねばならない。
(そんなリアルな設定要らないから!だいたい転生はチートとセットじゃないの!?)
毎日やることが無く、早く自由に動き回りたかったから、ハイハイや掴まり立ちや歩くのを必死で頑張ったが、実際にできるようになったのはそんなに早くない。むしろかなり遅いぐらいである。
まあそこは体の発育も悪いし仕方がない。
割り切っているつもりではあるのだが、重郎左も戦国武将の端くれである。
あと一〇年もして元服したら、槍や刀を持って戦場を駆け回らなければならないのだ。
(いやいやいや、無理ゲーでしょ…)
前世の亜希子の死ぬ間際の記憶と、三年前の那古野落城の時の事が軽いトラウマになっていた。
あんな中に飛び込んでいくとか、もう二度とごめんだ。
そもそも自分が人を殺すとか傷つけるとかありえない。絶対にやりたくない。
実のところ、今までに武士を辞めてしまおうかと言う事も何度か考えた。
重郎左には前世の経理の知識がある。商人として十分やっていけるだろう。
だが、それはあり得ない選択肢だ。
ここは戦国時代なのである。武将が戦で命を落とすことはもちろんあるが、民衆たちは更に命がけの生活を強いられているのだ。
戦が起これば敵軍の兵士が攻め入り、家は燃やされ、財産は奪われ、女性は凌辱される。
たとえ戦時でなくても野盗や強盗はたくさんいる。
だから力ある商人や寺院、神社などは、自分たちで兵を集め、武装しているのだ。
ここ尾張で着実に勢力を伸ばす織田家の家臣。武士をやめてそれ以上安全な身分を望むなど不可能だ。
だからせめて、重郎左は荒事は極力回避し、内政方面で重用されるように立ち回ろうと思っていた。
武士はある意味、この世界の公務員である。
軍事面ばかりがクローズアップされるが、当然領国運営をする人材が多く必要なはずだ。
例えば筆頭家老の林様のように。
織田家でそういうポジションにつけるのであれば、それは決して悪い話ではない。
こうして重郎左が当初思い悩んでいた懸念点の一つは時間とともに解消していく。
問題はもう一つ。こちらの方が難題である。
「あらあら、また姿見ですか」
「うん」
なかさんが自分に声をかけながら、男の子が好きそうな木のおもちゃを拾い集めていた。
正月に家臣団からの贈り物ということで、杉原さんが持ってきてくれたものだが、自分が全く興味を示さないので片づけ始めたのだ。
どうせなら絵入りの草紙とかの方が良いので、今度杉原さんと安井さんにお願いしてみよう。
重郎左は数え四歳の男子であるが、中身はアラサー女子である。
確かに自分はいわゆるリケジョで、女子力は決して高いとは言えなかったし、ゲームや男性向け漫画とか好きで、変身ヒーローものも嫌いじゃなかった。
だが、ガチの男子扱いは正直キツイものがある。
この世界で男子として数年間過ごしたが、自分の心のありようや、もっと突っ込んだ言い方をすれば「嗜好」は前世と変わっていない。
(だいたいさ、こういう転生モノってさ、男子→男子の勇者転生モノか、女子→女子の令嬢モノか、そしてちょっとエッチな奴で男子→女子TSモノの3パターンが定番じゃないの?)
女子から男子ってパターンは聞いたことがない。
健全な男子の武将の体に腐った乙女の心。果たしてこのまま成長していって大丈夫なのだろうか。
このまま男子として健やかに育てば、私の腐った心が浄化されたりいったりするのだろうか。
いや、冷静に考えてそれはないだろう。
重郎左は認めたくないが、この時代、男色が普通に存在し、世間に容認されているのである。
周囲にほとんど女子が居ない環境で、男だけの花の園でワッショイワッショイである。
このまま順調に成長していけば、その中に飛び込んでいくことになるのだ。
「あああああああああ!!!」
(無理!無理!絶対むりい!)
軽く想像しただけで身悶えする羽目になる。
浄化など絶対されるはずもない。むしろ拗らせる可能性の方が高いだろう。
(私見る専なんですよ!はっきり言って、そういうのは好きだけど、むしろ大好物だけど、当事者にはなりたくないんです!)
恐る恐る頭を上げ、もう一度自分の姿を見てみた。
小柄でとても愛くるしい顔。伸ばした髪も相まって、ぶっちゃけ女の子にしか見えない。
その時、不幸にも心の奥底に封印していた悪魔のキーワードが重郎左の脳裏に顕現してしまった。
――総受け
「きゃあああああああああああ!!!」
そう叫んで重郎左は頭を抱えた。
ダメだこれは。まごうこと無き総受けの顔だ。
死ぬ、死ぬ、死んでしまう。(もう死んだ後だけど)
私見る専なんです!お願いですから放っておいてください!
女子→男子転生モノは筆者が知らないだけで実はたくさんあるのかもしれません。もしそうならごめんなさいです( ̄▽ ̄;)