一一 道標(下)
ブックマーク&評価ありがとうございます。当面毎週日曜日と水曜日に更新、次回は11月15日0時に投稿予定です。
今回は珍しく啓介視点回です。
話はしばらく前に遡る。
「うーむ」
その少年は荒子川の土手であぐらを書き、腕組みをして考えていた。春になったばかりの風はまだ冷たいが、少年は気にしない。
数え六歳にしては体格が大きく、言動は大人びて落ち着いている。
少年は、改めて自分が何なのか考えてみる。
こちらで「目覚めて」からはや四年が経つが、未だにこの世界と境遇の事が信じられない。
現在は天文一一年。西暦で言うと一五四二年であり、ここは尾張国海東郡荒子村。少年はそこにある荒子城に住んでいる。
父親は荒子城代であり、名は前田蔵人利昌、当然自分も前田姓であり、四男で「犬千代」と呼ばれていた。どこをどう考えても「前田利家」である。
しかも犬千代は、前世の大橋啓介としての完全な記憶と知識を有していた。
犬千代はどうしたものかとため息をついた。大きく伸びをし、そのまま背後に倒れこむ。
目をつぶると前世の記憶が鮮明に思い出された。何度でも見た悪夢である。
昼休み時に来訪したクレーマーの様子が変だと気付いた時には遅かった。
気の置けない、そして密かに想いを寄せていた同僚の命は呆気なく消えようとしていた。
啓介は動揺した。だから判断を誤った。亜希子の生命維持を優先してしまったのだ。
しゃがみこんで抱き起そうとしたところ、首を刺された。そして啓介のタガもはずれた。
「くっそ…失敗したなあ」
男は一足早く絶命していた。床に転がる物体は人間としての形状を留めていなかった。
だが、啓介も怒りに任せて暴れたため、首に刺さったナイフが抜け落ちてしまったのだ。そのため、頸部から噴水のように血が噴き出している。部位的に止血は不可能である。
状況は最悪だ。昼休み時間帯で人が少なく、残っていたわずかな職員もパニック状態になっている。
亜希子さんは仰向けに倒れ、生命活動を停止していた。床で彼女と自分の血が混ざり、プールになっている。
救急車が到着するまで自分の命は持たないであろう。既に血圧が低下して意識を保つのが難しくなっている。
(常在戦場、か)
自衛隊を退役し、長く平和な環境で事務仕事をしていたとはいえ、基本的な心構えを忘れてしまうとは。後悔してもしきれない。
気を張っていれば、暴漢が発する殺気に未然に気付けたであろう。そうでなくとも、より早く反応して同僚が刺されるのを未然に防げたかもしれない。
同僚が刺された後であっても、動転せずに、暴漢の制圧や警察への通報を優先すべきであった。
自分が刺された後でも怒りに我を忘れず、最低限の動きで対処していれば、自分の命は助かっていたのかもしれない。
この最悪の事態は、全て自分が致命的なミスをいくつも重ねてしまった結果である。
愚かな自分への罰なのだろう。だが、余りも無念だ。
(こんな結末認めねえ!もし次に生まれ変わったらなら絶対にヘマはしない。何があっても守って見せる!)
「で、気が付いたらこちらの世界で赤子になっていた、と」
どうしたものかねえ、と犬千代はため息をつく。
とりあえず、この世界に来てから色々考え、一つの仮説に行き当たった。
まず、生まれ変わりというものが実際にあったとしても(まあ、実際あったのだが)、無意味に偶然に前田利家などになるはずがない。
前田利家は言わずもがな、亜希子さんの推し武将だ。そして自分は死ぬ間際に「もし生まれ変わったなら今度こそ守って見せる」と誓った。これらも無関係とは思えない。
となれば、こちらに亜希子さんが来ているのではないか?
「しかし、もしそうだとして、どう探したものかねえ」
可能性の1つとして、前田利家の正妻の「まつ」が亜希子さんの生まれ変わりであるかもしれない。
ただ、まつは天文一六年生まれ、利家より十歳年下であり、それが正しいのなら、まだ生まれてもいない。
素朴な疑問として、ほぼ同時刻に死んで、生まれ変わりの時期に十年も差が出るものなのだろうか?
もちろん、こんな生まれ変わりなど、理外の出来事であり、何でもありそうな気もする。
仮に、ほぼ同年齢であるとするならば、もう1人の有力候補がある。
史実で前田利家と非常に親密だった人物。探してみる価値はあるが…
「見つけたぞ、犬千代!」
犬千代の思索は無粋な大声で中断された。
「またか、懲りない奴らだなあ」
隣村の高畑村の悪童たちだ。
体を起こしてみると、人数は十歳から十二歳ぐらいまでざっと八人、皆得物代わりの木刀や竿、棒などを持っている。
「今までの俺たちへの無礼を詫びたら許してやるぞ、さっさと謝れ」
「は、一対一で正々堂々とやれない弱虫の卑怯者に謝る義理は無いね」
やれやれという様子で立ち上がる。得物は無いが、大した問題ではない。
「くそっ言わせておけば!」
犬千代は気付いていたが、この世界の者たちは良く言えば純真、悪く言えば単純で朴訥なのだ。挑発に簡単に乗ってくれる。
戦闘の年長者が突進してくるが、木刀をするっとスライドしてかわすと顔面に肘。
よろけたところを肩を掴んで足をかけ、バランスを崩して転倒させる。すっと木刀を奪って脛に一発振り下ろし、戦意を喪失させる。
「ぎゃああ」
「怯むな、一斉に襲い掛かれ!」
振り向きざまに背後に回っていた者の脇腹を払い、ふらついたところを顔面キック。
左から振りかぶってきた者はとりあえず木刀で受ける。
(軽いなあ)
体のひねりと重心移動で、瞬間的に強烈な力を出して押し返す。後ろによろめいたところを鳩尾に突き。
あっという間に三人が地面に倒れこみ、うめき声をあげている。
「さて、降参するなら今のうちだぞ」
「うう…」
四半刻(約三十分)も経たず、犬千代以外に立っているものは居なくなった。
「はあ、気分悪いわ。…帰るか」
前世で自衛隊の格闘指導官を経験していた身としては、こんなもの弱い者いじめ以外の何物でもない。
「また喧嘩したのかい?」
「はい、母上」
翌日、犬千代を待っていたのは母親の説教だった。大方、昨日撃退された連中が告げ口でもしたのだろう。面倒くさいので弁解もしない。
「やれやれ、そろそろ読み書きでも習ったらどうだい?」
「……」
教育ママだ。いつの時代でも母親と言うのは口うるさいものだ。
「あんたは四男なんだよ。家を継ぐことは出来ないんだから、何か身を立てるものを探しておかないと」
息子想いの良い母親だ。だがうるさくて迷惑なことに変わりはない。
犬千代の家は前田家とはいえ分家である。荒子城二千貫を任されてはいるが、城代なので収入が全部入ってくるというわけではない。次男坊以下を居候させておく余裕も無いという事だ。
「自分には槍があります」
「戦では命を落とすかも知れないじゃないか。怪我をして槍を持てなくなるかもしれない。そうなったときのためにも習っておいた方が良いんじゃないかい?」
ぶっちゃけると、そんなものは必要ない。
何せ、自分の前世の大橋啓介は名古屋大学文学部卒で日本史専攻であり、その記憶と知識を受け継いでいる。
当然、中世の文献は何の支障もなく読めるし、必要なら書くことも出来る。
教養という話なら、この時代に教科書に用いられた四書六経や六韜三略はもちろんのこと、万葉集、平家物語、徒然草等の日本の古典もあらかた読破済みである。
個人的な興味から論語や春秋、三国志演義、信長公記あたりはほぼ丸暗記しているぐらいだ。
おまけで珠算も一級を取得している。
この世界はまだまともな教育機関が無い。読み書き算盤が出来、四書あたり習得してればスーパーエリートだ。
史実通りならば必要ないが、仮に武将の道を進まなくとも幾らでも潰しは効く。
ただ、その知識や能力を披露するのはまずい。
数え六歳の子どもが、不自由なく読み書きするとか四書を読破するとか、どう考えてもおかしく怪しまれるからだ。
「今度吉法師様の御伽小姓になられる方は、お前と同い年なのに、読み書きはもちろん四書も読破して、神童と呼ばれているそうだよ。お前も見習って…」
「は?」
噂をすれば、おかしい奴がいた。
ちょっと待て。自分以外に同じ年齢で読み書き出来て四書読破ってなんだそりゃ、怪しいぞ。
織田信長の小姓は、元服後はともかく、幼少時の御伽小姓については何も記録が残っていない。
犬千代はあてずっぽうで、自分の思う「本命」ではないが、客観的に見て一番可能性がありそうな乳兄弟の人物の名を出してみた。
「ひょっとして、池田勝三郎殿ですか?」
「いえ、もう一人の方だそうですよ。確か大秋城の…名前は何といったかしら」
(ん?外れか?どうする?)
だが、この目で確かめてみたい。少々リスクを冒しても接触したいと犬千代は考えた。
亜相公御夜話には前田利家は(数え)十四歳で信長に仕えたとある。それが正しければ八年後だ。
八年は長い。それまで待っていられない。
(「亜相公御夜話」を書いたのは確か、前田利家の小姓の村井勘十郎だったか…)
犬千代の脳裏に禁断の考えが浮かび上がってくる。
前世の現代に残された数々の史書の中身が真実であるとは限らない。
歴史は後世の者によって作られる。歴史の勝者が正統性を主張するため、前支配者を暴君に仕立て上げるのは常套手段だ。
亜相公御夜話は前田家賛美のため脚色された部分が多いと推測される。ならば「そうすれば良い」のだ。
「母上、私も吉法師様の御伽小姓になることは出来ませんか?」
犬千代は意を決して、そう母親に尋ねた。
そして一か月後、犬千代は首尾よく、那古野城内で目当ての神童と対面していた。
「犬千代です。以後お見知りおきを」
「日豊師です。吉法師様のお名前と紛らわしいので、普段は大秋の若子と呼ばれてます」
犬千代は、その少年が小柄で華奢でとても可憐であり、女の子にしか見えないような姿であることにまず驚いた。
だが実際の言動は大人びていて、四家老とも対等に会話をしているという。
そんな境遇であれば、初対面の新入り小姓などに人見知りなどしない筈であるが、目の前の少年は緊張しまくって声が上ずっている。
そして紹介される前からも、落ち着きなくしきりに自分の事を見ていた。
新参者を値踏みするというような様子ではなく、まるで有名人やアイドルを見るような視線だ。
(これは、あたりか?)
犬千代はもっと決定的な何かを掴むべく、ずいっと近寄って、若子の手を取った。
「若子殿よろしく。しかし可愛らしいな。これから一緒に住むのが楽しみだ」
若子の顔が上気し、しぱしぱと早く瞬きをした。犬千代は、その表情にとても見覚えがあった。
前世の大橋亜希子が、残業中に薄い本を読んでるところを見つかったり、同人ショップで鉢合わせしたり、誕生日に「戦国ラセツ」グッズを渡されたときと同じ表情。
間違いない。この少年は、自分が知っている亜希子さんだ。
高揚する心を必死で抑えつつ、犬千代は肌が触れ合うほど側に近寄り、若子にささやいた。
「あんた、亜希子さんだろ?」
「え、え…何で?」
呆気に取られている若子に追い打ちをかける。
「俺だよ、大橋啓介」
「はああああああああああ!?」
うん、最高の反応だ。
「ちょっと、どういうことなの、説明しなさいよ!」
「亜希子さん、女口調になってるよ、しかもその姿、めっちゃ可愛くて違和感仕事してないし」
「うっさい、ばか!」
犬千代が正体を告げると、若子はスイッチが切り替わったのか、言葉遣いや仕草が完全に女の子モードになってしまった。
これはやばい。可愛すぎる。破壊力が半端ない。
そして、四年かかってようやく想い人に巡り合えた。そんな嬉しさもあったのだろう。
犬千代は前世で最後まで口に出せなかったことを、さらりと告げることが出来た。
「仕方ないだろ。最愛の女性が倒れたら、そっちの容態の方が気になるだろう。駆けよったらそこをドスッとやられた。油断した」
「え?今サラッと重大なカミングアウトしなかった!?」
「おう、した」
「ちょ、ま、何で今するのよ!」
本当にいい反応だ。もし前世で告白できていたら、違う結末になっていたのだろうかと、詮も無いことを思う。
その後ちょっと揶揄い過ぎたせいか、翌日殴られて起こされた。まあ大した問題ではない。
「ちょっと真面目な話だ。真剣に聞いてくれ」
犬千代は、今後の行動方針を語った。
まとめると2つ、未来を大きく変えてしまう恐れがある行動は避けることと、重要な分岐点での行動は相談して決めることだ。
「わかった」
(ちょろいな)
若子は即答してくれたが、これは取りも直さず、今後常に一緒に行動する事を意味するのに気付いているのだろうか。
まあ何にせよ、協力的であることは助かる。
前世の啓介は、亜希子を守れなかったことを悔い、もし次があるなら必ず守って見せると誓った。
だからこの世界で得た追加の人生は、この亜希子さんの生まれ変わりである若子を見守り、守るためにある。まずその第一歩を踏み出せたのは大きい。
【解説】
啓介は割とチート性能ですが、前田利家も十分チートなのでまあ妥当だと思いますw
九話の解説にて「物語の都合」で小姓となった年齢が史実と異なると記載しましたが、投げっぱなしではなく、一応物語の中でその理由をフォローしています。
ぶっちゃけると、前田利家の立場であれば「亜相公御夜話」の内容は改変しほうだいなわけですね。一応全くのデタラメではなく、小姓から馬廻りに転向した年齢が記載されているという裏設定です。




