一〇 道標(上)
ブックマーク&評価ありがとうございます。当面毎週日曜日と水曜日に更新、次回は11月11日0時に投稿予定です。
前田利家登場でいよいよ物語も動き出します。
衝撃のカミングアウトから一夜。重郎左は最悪の目覚めを迎えた。
外はまだ暗い。夜明け前の卯の上刻ぐらいだろうか。その上、重郎左の心と同じように雲っている
犬千代にあんなことを言われたうえに、その張本人が側で寝ているのだ。気が休まるはずもない。
一昨日までは、愛しの利家様にこの世界で会えるという期待に胸いっぱいで、いわば遠足の日の前のような興奮で眠れなかったのだが、昨日は急転直下、全く違う理由で眠れなかった。どうしてこうなった。
部屋の中ではなかさんや侍女たちがまだ寝息を立てているが、すぐ隣でも張本人の犬千代が熟睡して、ふがーと鼻ちょうちんを立てている。
それを見てたら無性に腹が立ってきた。一発ぶんなぐってやろう。
「…そういえば、何で私が亜希子って分かったのよ」
「いや、気付いてないの?お前めっちゃやらかしてるからね!?」
頭に出来たコブをさすりながら、犬千代がそう返答した。
「え?」
「那古野城に俺と同い年で大人と同じように受け答えして、四書や六韜三略を読破する神童が現れたとか、あからさまに怪しいだろ」
「あー、あははは…」
「やり過ぎ」
「だって暇なんだもん」
確かに林新五郎様の執務室に行って、将来教科書に使う予定の書物を色々貸してもらった。
それがまさか荒子城まで噂になっているとは思わなかったが。
「ちょっと真面目な話だ。真剣に聞いてくれ」
犬千代にそう言われ、重郎左は口をつぐむ。
なかさんや侍女たちがまだ寝ていることを確認してから、犬千代は声の音量をかなり落として話し始めた。
「俺たちが転生したこの世界は戦国時代だ。今のところ、この世界は俺たちが知っている歴史をそのままなぞっているように見える。織田信秀が計略で那古野城を落としたのも、その後信長が那古野城主になったのも、信長に四家老が教育役として付いたのも史実通りだ。ここまではいいな?」
重郎左は声を出さずにうなずく。
「だが、これからもそうとは限らない。俺たちはこの世界で恐らくこれから起こるであろう未来を知っているが、自分たちの行動によって未来が変わってしまうかもしれない。例えば桶狭間で織田家が敗れたり、本能寺の変が起こらなかったりする未来があるのかも知れない」
「確かに…」
いわゆるバタフライエフェクトと言う奴だ。一匹の蝶の羽ばたきが遠方の竜巻の発生の有無を左右することが有りうる。一個人の些細な世界への干渉が、世界全体を大きく変えることにもなるかもしれない。
「そしてこの世界が、俺たちが生きていた未来に直接つながるのか、それともよく似てはいるけど全く別の時空なのかも分からない。前者である場合、俺たちがこの世界に干渉した結果、未来で大橋亜希子や大橋啓介が産まれないことになり、俺たちの存在自体が消滅するかもしれない」
「…そんなことが」
「あくまで仮定の話な。そうなるかどうかは分からんが、仮にそうなってしまえば、やり直しは効かない」
重郎左はそこまでは考えが及んでなかった。
そもそも、まだ自分は数え六歳の子どもであり、今までも日々の生活を生き抜くので精一杯だったのだ。なかさんとおしゃべりしたり、吉法師様と相撲を取ったりするだけで、世界の運命が書き換わるとは思えない。
だが、今後戦場に出たり、織田家で重要な役回りを任されたりすることがあれば、話は変わってくるのかもしれない。
「そして後者の場合、パラレルワールドで俺たちの存在が消える心配がない場合でも、未来が変わってしまうのは望ましくない」
犬千代はそこまで話したところで少し考え込み、そして唐突に質問を投げかけた。
「亜希子さんはこの世界での目的や目標とかはあるかい?」
「へ?」
重郎左は突然の質問に驚いたが、しばしうーんと考え込んだ後「特にないかな」と答えた。
強いて言えば、利家様に会うことだが、それはもう(最悪の形で)達成されてしまっているし、啓介に茶化されそうなので言わないで置いた。
「俺は昨日も言った通り、亜希子さんを守ることだ。もっと具体的に言えば、俺と亜希子さんの両方が、この世界で無事平穏に天寿を全うすることかな。それは亜希子さんにとってもメリットだろ?」
「うんまあ、そうね」
今後の事は特に考えてなかったが、生きていくのが先決だ。無事に天寿を全うできるのならそれに越したことはない。
「だが、この世界は戦国時代だ。治安も悪い上に戦争も存在する。最悪なことに俺たちは軍人として戦争の最前線に駆り出される可能性が高い。死ぬリスクはめちゃくちゃ高い」
「わ、私は文官志望だから…」
「石田三成も小西行長も安国寺恵瓊も斬首されたよな?」
「ぐ…」
犬千代は、重郎左のたわいもない反論を一蹴してて、先を続ける。
「だけど俺たちは、いや、俺はこれから先に何が起こるかを、ある程度把握している。それを事前に察知できていれば、死のリスクを回避できる可能性が高い」
「ちょっと、何でわざわざ私を省いたし」
「萱津の戦いって何年に起きたか知ってるか?」
「ぐ…そんなマイナーな」
「マイナーって…お前が大好きな前田利家の初陣の戦いだぞ。まあいい、じゃあ桶狭間の戦いが今から何年後か分かるか?ちなみに今年は天文十一年だ」
「ぐぬぬ…」
色々凹まされて重郎左は涙目になってしまった。確かに啓介の知識を受け継いだ犬千代に敵うはずもないが、そんな意地悪な問題出さなくてもいいじゃないか。
「そう睨むな。とにかく、今後起こることが分かっていればリスクヘッジが出来る。ところが未来が変わってしまって今後起こることが分からなくなってしまえば、そのアドバンテージも無くなってしまうから望ましくない。それは分かるな?」
「うん」
「だから、俺たちは、前世の知識を参考にして死のリスクは回避するが、それ以外は未来を変えないように極力歴史に忠実に行動するべきだ」
「なるほど」
「理解してくれたか。じゃあそのルールに従って行動してくれるかい?」
「具体的にどうすれば良いの?」
そうさな、と犬千代は一息おいて続ける。
「明らかに歴史に無い極端な行動は避けた方が良いな」
「例えば?」
「明智光秀は将来裏切るから気をつけろって信長に告げ口するとかさ」
「あー」
「あと六歳で四書や六韜を読破するとか」
「ぐ…」
もう過ぎたことは仕方ないじゃないかと反論する。
「とにかく目立つ行動は控えてくれよ。たぶん普段の生活とかはそんなに気にしなくていいけど、問題なのは人生の岐路とか歴史の分岐点的なイベントだな」
「漠然としすぎじゃない?時間かかっても良いから、いつ、何をどうすれば良いか教えてよ」
「ことはそう簡単じゃないんだよ。前世で歴史として伝わっていた事項が、実は事実じゃなく後世の創作だったなんてこともある。創作のように行動しようとすれば、当然歴史が変わってしまう要因になる」
「じゃ結局正解は分からないってことじゃない。なによ、俺は何でも知っていて対処できるから俺に任せておけみたいな事言っておいて」
「何でも知ってるとは言ってねえよ!ある程度って言ったろ?」
「むー、詭弁だ」
「ともあれ、そこらへんは現在起こりつつある状況と、既知の歴史知識から総合的に判断するしかない。要するに直前になるまで分からないってことだな」
犬千代の話は続く。
「その判断は俺に任せてほしい。あまりに未来の話とか、信憑性の無い話をしても仕方が無いし、俺のアンテナにひっかかったら亜希子さんに知らせるから、その都度相談してどうするか決めよう」
「わかった」
「あと、今後の歴史の事で聞きたいことがあれば俺がわかる範囲で答えるよ」
「了解、じゃあ早速一つ聞いていい?」
「なんだ?」
重郎左はコホンと咳ばらいをし、かしこまって尋ねる。
「大秋重郎左衛門という武将はどういう生涯を送りますか?」
そう、これが一番聞きたかった。自分が何者なのか。将来どうなるのか。
自分の知識に無い武将だが、啓介の知識を持つ犬千代ならば何か分かるかもしれない。
「わからん」
「は?」
「いや、そんな顔されても…本当にわからんのだ」
嘘をついている様子ではないので、重郎左は落胆する。
「大秋城主の大秋重郎左衛門に関する記録はほとんどない。ていうか、ネットをググってもほぼ二つの事実しか出てこない。素性も生没年も不明だ」
「少な!二つって…」
「そうだな、大秋城って割と重要拠点だと思うんだが、そこの城主にしては極端に少なく不自然だ。まるで…いや何でもない」
犬千代は何か言いかけてやめ、本題を続けた。
重郎左はとりあえずスルーする。
「一つ目は、最初那古野城主今川氏豊に属していたこと」
「もう起こった事だね」
「そうだな、この世界の出来事が前世の史書どおりになっているという確認にはなるが、正直今はどうでも良い。問題はもう一つだ」
犬千代は軽くため息をついて、続ける。
「織田家の跡目争いである稲生の戦いで、大秋城は林貞秀の与力であったから織田信勝(織田信行、信長の弟)方に属して、織田信長に反旗を翻したこと」
「ダメじゃん!」
重郎左は思わず声を上げた。
「第六天魔王に反旗を翻すって、命が幾らあっても足りないよ!」
「んー、と言ってもその時反旗を翻した武将は皆許されているからなあ。柴田勝家とか林貞秀とか」
「じゃあ大秋家も許されたの?」
「分からん」
「分からんってどういう事よ!」
「だーかーらー、さっきから言ってるように記録が無いんだって。三千石とかの城持ち武将でしかも織田家家臣だったら、何かしら記録が残ってそうなものだけどな」
「ええ…」
「普通に考えれば逃亡して行方不明になったってところか。仮に戦死していれば誰々が首級を上げたって記録に残るはずだ。城持ち武将だからな。ただなあ…」
「ん?」
「いや、やっぱり何でもない」
先ほども言ったが、稲生合戦で信長に敵対した林貞秀や柴田勝家は許されている。大秋重郎左衛門だけが逐電する必然性がない。
故に、犬千代には一つの仮説があったが、それはまだ話すべき段階ではない。
「なんか隠し事ばかりじゃない!?」
「色々思うことはあるけど、確信が持てんからさ、今話すと却って良くないと思ってな」
少し考えて犬千代は続ける。
「俺は…前田利家は、この稲生の戦いで信長方で参加している」
「敵同志になるってこと?なんでそうなるのさ!」
「うん、普通に考えればあり得ない。亜希子さんは前田利家最推しだし、俺の方もこの世界で亜希子さんを守るって決めたからな」
「う…サラッとそういうこと言うのやめなさい」
犬千代はふふふと笑って続ける
「ところが歴史はそうなっている。あり得ないことが事実として後世に伝わっているわけだ。どうしてそういう結果になったのか。色々と分からないことが多い。あてずっぽうで判断を誤れば取り返しがつかなくなるかもしれない」
「うーん、なるほど…」
重郎左は犬千代が言いたいことがやっと実感出来てきた。
この世界で無事平穏に生きていくというのがいかに難しいか。前世の知識という手掛かりはあるが、正解を指し示してくれているわけではない。時には足枷になることもあるだろう。
色々腹が立つこともあるが、歴史に詳しい啓介の知識を持つ犬千代が側に居てくれるのは正直心強い。
「とりあえず一つ目のマイルストーンはこの稲生の戦いだな。ここでどう立ち回るかが課題だ」
「稲生の戦いっていつ?」
「弘治二年(一五五六年)、今から十四年後だ」
重郎左はほーっと安心したような溜息をつく。
「割と猶予あるね」
「どうかな、俺らはまだ子どもだ。今出来ることは限られている。まともに活動できるのが元服後だと考えると、正味五年ぐらいしかないぞ」
「五年かあ…」
泣いても笑っても、あと十四年、重郎左が数え二十歳の時に命運が決まるのである。
【解説】
相変わらずタイトル詐欺状態が続きますが、聡い方はもうお気づきかも?
本作品は稲生の戦いを一つの区切りとしています。文庫本一巻まるまるプロローグと言うダメダメな構成です。どうか気長にお付き合いくださいませ。




