一 オオアキさん死す
「オオアキさん、お昼ご一緒にどうです?」
「なにその変な略し方、やめてよ」
後輩の仲良し女子3人組が声をかけてきた。根詰めていたから気が付かなかったが、もうすぐ正午のようだ。
「私には大橋亜希子という名前がちゃんとありますー」
「いいじゃないか、城主みたいで」
「は?」
横から茶々を入れてきたのは、4月からうちの職場、中村区役所総務課庶務係に異動してきた大橋啓介だ。
名字は同じだが、親戚でも何でもない赤の他人だ。といっても職場での付き合いはもう5年ぐらいになろうか。
要するに今までは単に「大橋さん」で済んでいたのに、こいつが異動してきて大橋という職員が2人になってしまったから、変な略称で呼ばれてしまったわけだ。
明らかにこいつが原因なのに、そのうえ城主とか変な事言ってきたので遠慮なく不機嫌な表情をするが、啓介は構わず続ける。
「俺なんか略されたらオーケーさんだぞ、ひでえもんだ」
「ぷ。まるでノンケなのにホイホイついていきそうな」
「職場で腐敗臭たてるのやめいや」
「うっさい」
啓介にそっぽを向いて、3人組に「私は良いから行っておいで」と答えると、ちょうど正午のチャイムがなった。「お忙しいですもんね、また今度是非!」とそそくさと去っていく。
(いいねえ、若い娘はキラキラしてて)
私にもあんな時期があったんだよなあ、亜希子はと遠い目をする。
前職で何度もデスマーチに巻き込まれ、女子力なんぞどこかに無くしてしまった。
「昼休みもぶっ続けでやるつもりかよ、休憩取らないと却って効率落ちるぞ」
「あんたと違って忙しいんですー。で、城主って何?」
「なんだ、武将の聖地中村区に勤めているのに知らないのか。大秋城だよ。区役所の南に大秋町ってあるだろ」
「…ああ、まだあの住居表示未実施の町ね」
啓介が肩を竦める。わざわざ亜希子がそんな言い方をしたのは、啓介が住居表示担当だからだ。一方で亜希子は経理担当である。
4月は役所の繁忙期である。市民の転居が多い時期なので、一階の市民課や保険年金課は閉庁間際まで来客の行列が途切れることは無い。
といっても総務課に客が来ることがほとんどないのでその影響はほとんどないのだが、経理担当は別だ。この時期は前年度予算の出納閉鎖や決算の処理で連日深夜まで残業を強いられる。
まあ、それでも転職前に比べれば遥かにマシなのだが…
対する啓介はいつも定時帰りだ。前職が統計選挙だったからその知識と経験活かしてうまくやってるのかも知れないが、それにしても同じ課、同じ大橋なのに不公平を感じざるを得ない。
「あそこに大きな神社があるだろ、大秋八幡社。あれが大秋城跡だよ」
「へー」
「てか歴女なのに城に興味ねえのかよ」
「いや、そんなマイナーな城しらないし、興味ないわよ」
亜希子は歴女とか言われているが、実のところそこまで歴史に詳しいわけではない。あくまで(美形化された)武将が好きなだけだ。その武将たちがキャッキャウフフするのが好きなのだ。
だから歴史の知識と言っても、「戦国ラセツ」とか「信長の野心」とか、そういうゲームを通じてのものぐらいしかない。
自分が好きな武将、具体的に言うと前田利家とか織田信長とかは掘り下げて調べてたりするが、それ以外は「林秀貞…えっと信長家臣で政治力七〇ぐらいのやつ?」ぐらいの知識しかないわけだ。
一方、啓介はガチの歴史マニアだ。
有名どころの歴史小説はもちろん、三国志正史とか信長公記とかの原典も読んでいるらしい。
同じ歴史つながりで話が合うと思われてるのか、啓介は盛んにこの手の話題を振ってくるが、亜希子にとってみれば正直いい迷惑である。
実のところ、名古屋周辺は城の宝庫だ。分かっているだけでも数十もの城がある。流石にそのまま残っているものはほとんどないが、神社や遺跡に形を変えているものが多い。
中村区だけでも米野城、日比津城、岩塚城など枚挙に暇がないが、
「中川区だったらまだしもね」
そう呟いて視線をノートパソコンの表計算ソフトの画面から机の上の武将のフィギュアに移す。人気アクションゲーム「戦国ラセツ」の前田利家だ。推しキャラを見て亜希子の表情が少し緩む。
前田利家の居城は荒子城であり、その城跡は現在の中川区、荒子観音より少し南西にある。
「いっそ、中川区に異動希望するかあ?」
「そんなんだったら観光文化交流局行くわよ!」
行けるならね、というのは口に出さない。
「あー、でも武将隊に前田利家いないじゃん、前田慶次はいるけど」
「そりゃあ、新規メンバーとして加入させるに決まってるじゃないの!(私好みのイケメンを!)」
亜希子は叶わぬ夢を力説した後、大きくため息をつく。啓介もその理由が分かっているので、それ以上突っ込まない。すこし気まずい沈黙。
「あんたこそ行ってきたらどうなの?新しいカフェ」
いやいやいや、と啓介がかぶりを振る。
「あんなオサレな店に俺が言ったら迷惑だろ、いつもどおり本陣のゴゴイチでカツカレー食ってくるよ」
まあそうか、と亜希子は視線をノートパソコンに戻す。早くキリが良いところまで済ませて休憩にしたい。
啓介は元自衛隊員で亜希子と同じ転職組だ。大男であり、筋肉質でガタイが良い。正直、区役所で事務仕事やるより消防士の方が似合っている気がするが、行政枠を志望したのはまあ本人にも色々あるのだろう。
中村区役所は今年の1月に太閤通りから本陣に移転してきたばかりである。ついでに言うなら合同庁舎でもあり、市税事務所も土木事務所も入っている。
いきなり数百人単位の就労人口がドカンと沸いたものだから、周辺の飲食店のキャパが絶対的に足らない。
というわけで、今本陣駅かいわいは飲食店の開店ラッシュである。後輩たちが誘ってくれたのもそんな店の1つだ。
亜希子はようやくノートパソコンをパタンとしめ、コンビニ袋をガサガサと開け始めた。周囲は電話当番の職員以外ほぼ全員出払っている。先ほど述べたような事情で付近の飲食店は混みあうため、チャイムが鳴ったら皆すぐに出かけるのだ。
啓介はまだ居る。ゴゴイチは回転が速い。十二時四〇分ぐらいになったら席が空くから、その時間帯を狙って出かけて、十三時ギリギリに帰ってくるのである。そんな短時間で毎日カツカレーを欠きこむとか体に悪そうだ。
いつもどおりのその習慣が運のツキであったと言えるだろう。
「おい、誰かいねーのかよ!税金泥棒ども!」
カウンターでなんか叫んでる。亜希子は視線を食べかけのサンドイッチに落としたまま眉間にしわを寄せた。
まあ、総務課にも稀にこういう客は来る。大抵は他の窓口で拗らせてここにかけこんでくるケースだ。
(うざいな、よりによってわざわざ4月のお昼休みとかに来ることないのに。)
昼当番の職員は電話対応中だ。内容から察するに、いつもの話が長い民生委員に捕まっているようだ。しばらくは終わらないだろう。
(仕方がない、出るか。)
サンドイッチは食べかけだが、仕方がない。昼休みは潰れるだろうから後で係長に行って別に休憩時間もらうとしよう。
「どうされましたか?」
亜希子は努めて失礼が無いようカウンターに向かう。
「どうもこうもねえだろう!なけなしの車を差し押さえやがって!」
「資産が差し押さえられたということでよろしかったでしょうか?督促状か差し押さえ予告通知が事前に届いていると思いますが、お持ちでないですか?」
民間だったらここで「申し訳ございません」と一言いう所だが、絶対に言わない。滞納する方が悪いのだ。ここで謝っていたら普通に税金を納めている善良な市民に失礼だ。
「そんなものは無い!だいたいお前らがやったことだから分かっているだろうが!」
「どこが差し押さえたものか確認できないと、担当窓口にご案内出来ないのですが」
住民税か国保保険料か。住民税なら市税事務所で、国保なら保険年金課だ。いずれも別の階だ。下手すると国税かもしれない。それならばこの建物ですらない。
「たらい回しにする気かよ!ここで受け付けろ!」
「担当窓口でないと差し押さえの状況が確認できませんので」
「もういい、お前じゃ話にならん!男の職員出せ!」
(あー、典型的なクレーマーのテンプレだわ)
「男性でも女性でもご案内する内容は変わりませんよ。何か差し押さえの内容を確認できるものはございませんか?国保の保険料なのか、住民税なのか、国税なのかだけでも分かれば…」
「いろいろだ」
「……」
(あー、まあそうでしょうね。この手のが1つだけ滞納とかありえないもんね。最初の差し押さえなら国税か住民税かな)
さてどうするか。のらりくらりと粘って昼休み終わってから係長に押し付けても良いが、とりあえず市税事務所に連れていくか。そこで確認できなければ消去法で国保の窓口に案内すればいい。
「わ、笑ったな!?馬鹿にしやがって!」
いや、これ営業スマイルです。無理に口角上げてるんです。しかもさっきから表情変えてませんよ。
「大変失礼いたしました。まず市税事務所の方でお客様の状況を確認させていただきたいと思いますので、ご案内します…」
言い終わらないうちに胸のあたりに衝撃が走ってドスッともボスッとも聞こえる音がした。
亜希子のみぞおちにアーミーナイフのような大きくな刃物が突き立てられていたが、本人はそれを確認する術もない。
「…ね?…ぐっ」
痛いというより強烈に熱い。が、それをはっきりと感ずる間もなく急速に意識が遠のいていく。悲鳴すら出せなかった。全身に力が入らない。そのまま仰向けに床に倒れる。
ガタン!後ろで椅子が倒れる音がした。啓介がようやく気付いたのだろうか。だが時すでに遅し。
(はあ、こんなんで死ぬのか)
過去に灯油を撒かれたとか、ケースワーカーが刺されたとかそういう話は聞いてないわけではない。ただ、それがまさか自分の身にふりかかるとはね。
(心残りなんて大してない人生だったけど、自宅のパソコンのHDDの中身とか押し入れの中の薄い本見られたら死ねるな。あれはなんとかしておきたかった。いやもう死んでるんだけどさ!)
走馬灯なんてなかった。せめて最後にもう一回利家さまに会いたかったなあ。
何かすごい怠かった。生理の日の朝のような、怠さと重さである。
それでも意識は少しずつ再起動する。
(生きてたのかな。でもなんかもういいや、もっと寝ていたい。怠いし。イケメン戦国武将が存在しないこんな世界にいたって仕方がない)
「おお、その赤子か、良く眠っておるのう!」
亜希子が大声に驚いて目を開けたら、至近距離に公家がいた。
なんか唐突だが、自分の知識と経験に当てはめてもそれは公家としか言いようが無い。その青年は男だがおしろいをつけて歯が黒く、細長い烏帽子をかぶり、平安貴族みたいなちんまりとした眉を書いていた。
そんな人物が至近距離にいたものだから、びっくりして泣き出してしまう。
いや、普通なら「うわっ公家おるやん」で驚くだけで済むだろうが、なぜか今の亜希子の体はそれに対して「ふぎゃあああ」と泣く反応を見せたのだ。
(ん?赤子?泣いてるの私?)
「おおお、すまん驚かせてしまったか。しかし元気な子じゃな」
それにあわせて周囲で数人の笑い声が漏れ聞こえる。大勢いるのか。どこだここは?視点がうまく合わせれないけど天井が高い。病院ではなさそうだ。木造だ。蛍光灯の照明は無く薄暗い。
どうやら自分は赤子で、その公家に抱きかかえられている状況のようだ。
「ほんとにのう、ナゴヤ城全部に響きそうな声じゃ」
(名古屋城?は?)
実は名古屋城でないのだが、亜希子がそれを知るのはもっと後の事である。
(もしかして、戦国時代に転生って奴?まさか?)
戦国時代かどうかはともかく、中世封建時代の日本であることは間違いなさそうだ。
死の間際に利家様に会いたいと願ったのが神様に通じたのか。
思わずガッツポーズを取りたくなるが、赤子の体で上手く動かない。そして泣くのもうまく止めれない。徐々に泣き止んでは来ているようだ。
次に考えを巡らせたのが、自分が果たして誰なのかということだ。
(名古屋城ってことは多分織田家だよね?それか江戸時代なら徳川家?どちらにしろ良いところの武家の子ってことだよね?これはもしかしてSSR来ちゃった?)
まるでソシャゲのガチャを引く気分である、自分の事なのに。
少しだけ心にゆとりが出てきたので周囲を観察しようとするが、首をまげたり体勢は変えたりするのがうまくできないので、耳だけそばだてることにする。
「念願の嫡男だ。これでオオアキ家も安泰ですな!」
別の男性の声が聞こえたが、
(ちょっと待って。今聞き間違いじゃ無ければ「オオアキ」って言ったよね?)
転生先でもその変な略称で呼ばれるのかと、亜希子は最悪な気分になった。
(…てか誰?)
利家様が出てくる歴史ゲームは一通りプレイしているつもりだが、オオアキなんて武将、聞いたこともない。
もちろん、亜希子が一番お気に入りのゲームである「戦国ラセツ」シリーズにも出てこない。
「は、お陰様で家名を絶やさずに済みそうです。つきましては殿にこの子の名を拝領したく」
(今喋っているのが自分の父親っぽい。で、自分が今抱かれている公家さんが殿か。つまり名古屋城主だよね)
「幼名か?」
「いえ、元服させた暁のですね、」
「ホッホッ気の早い事じゃのう」
(たしかにはえーな、先にそっちかよ)
元服って数えで十五歳ぐらいだったはずだ。生まれたばかりで中学校の制服の話をするようなもんだ。
ただ、先に自分が誰か分かるに越したことはないので悪い話ではない。流石に幼名だと誰だか良くわからない。
「よいじゃろ、そちの名前の一文字を取って…」
亜希子は聞き漏らすまいと耳をそばだてる。
「重郎左衛門と名乗らせるが良い。大秋重郎左衛門じゃ!」
(は?誰だよ!?)
【解説】
中村区役所が移転するのは2022年度で、実際には(この小説投稿から)2年先の話です。
亜希子の経理担当と啓介の住居表示担当というのは後の伏線になっていたりなっていなかったり。