ここに生まれ
ここ生まれたことは
偶然なんだろうか
おそらく
偶然だ
人間誰もが
良い環境に
生まれたいと
望むのだろうが
生まれると言うことは
自分には
決定権はなく
偶然現れたと言うのが
本当だ
そして
人間が
成長するにつれて
もっと良い環境に
生まれたかったと
思うこともある
人間は
自然の産物で
ある以上
生まれることさえ
選べない
おかしな言い方を
すれば
運
そして
人間は
選択され
環境差が
起きてしまう
これも
運だから
仕方がないのか
人間には
自助努力だけでは
太刀打ちできない
ものが存在する
しかも
自分のことなど
まったく分かっては
いないだろう
連続生活の中では
自分を
意識はしない
そして
自分では
分からない部分は
他の人間が
指摘したり
教えてくれたりする
人間には
表面意識でしか
生活していないから
深層意識など
普段は
現れないだろう
つまり
自分と自分との
対話は
あまりしない
多人数の生活だと
表面意識で
生活するから
どうしても
心の深くまでは
意識はしない
けれども
ひとりで
生活すると
深い意識の部分が
ちょこちょこと
出現する
あまり深く
突っ込むと
自分の存在意義まで
疑いだすから
良くはない
だから
意識は
浅めにする
生まれてきたからには
最大限
自分を
使ってあげる
それが
どんな環境であろうが
存在している意義になる
現在
わたしは
ひとりでいる時間が
多いから
深層意識まで
たどり着いてしまい
おかしなことだが
死への恐怖を
突然感じてしまう
だから
心への
深入りは
なるべくせずに
表面意識を
心がけている
そして
アルコールなどで
深層意識への介入を
防いでいるのだ
しかし
生まれ来たから
意識を
感じる
喜怒哀楽も
感じる
楽しいと感じる
おもしろいと
感じる
うれしいと
感じる
悲しいと
感じる
つらいと
感じる
たくさんのいろいろを
感じることが出来る
それが
生まれてきたから
自分の意識となり
人間としての
感じることの
すべてを
あじわうことが
出来るのだ
最後に
偶然に
生まれ来たから
幸運なんだ
意識が
それを
物語っている