主婦は・・・
主婦はガラスのコップを落としてしまった。
それはあえなく割れてしまった。
割れてほしくなかったのに、そうなってしまった。
我が娘はちゃんと育ってほしかったのにそうならなかった。
きっと産み落としたときが、ガラスのコップが我が手から離れたときに匹敵する。
そのとき、主婦は祈った。
「中身は仕方ない。コップは割れないでいてほしい」
陣痛の苦痛は筆舌に尽くし難かった。他の子供と比較すれば、完全に他を圧倒していた。
そのときに主婦は祈った。
どんなかたちでもいい、無事に産まれてきてくれさえすればいい!
しかしそれはまちがいだった。
たぶん、我が娘はヒビが入って生まれ落ちたとしか思えない。
外見的には何ともないようだったが、じつに乱暴な子供だった。
普段はなんともないが、時に感情の爆発が物凄かった。
しかし大切に育てたつもりだ。
まるで100年前のヴェネティアングラスを扱うように扱った。
しかしあなたにその価値があるとおもったのは間違いだったようだ。
いま、真っ二つに割れたグラスのように、死んで生まれたらよかった。
娘がヒビだけで済んだので、コップが割れてしまったのか?
人殺しとなった娘の代わりに、コップが割れてしまったのか?
あのときにちゃんと割れていれば、人殺しの母親にならずに済んだのに。
ガチャガチャと、死んでまでコップは嫌な音を出す。
「ごめんね、コップさん、あなたは死ななくてもよかったんだよ」
しかし嘘だった。
主婦は苦痛に眉をひそめた。
手のひらから真っ赤な血が流れて出ている。
コップまでもが自分を傷つける。
しかしながら、
人様を傷つけるくらいならば…、母親に刃物を向ければよかった。
娘は自作のナイフに同級生の胸に貫かせた。
あまりにも出血がひどかったので、背負っていたランドセルは真っ赤に色づいてしまった。
被害者の少女は大変に背が低かったので、物の見事に心臓を串刺しにされてしまったのだ。
コップは殊勝だ。
ちゃんと敵意を向ける相手に殺意をぶつけた。
だけど、娘よ、あなたは…。
あなたは本当に敵意を向ける相手を間違えた。
本当は、本当は、
「頼まれもしないのに、子供を産んだママが間違っていたの」
主婦は、はじめて、自分の娘の名前を言って、「ごめんね」と謝る気になった。