あるささやかな日々
いつの頃からだろう、わたしが朝目ざめることを楽しみになったのは?
それまでの朝は単なる一日の始まりにしか過ぎず、そして時間がくれば夜になりその日が終わる、ただそれだけに過ぎなかったのに。
時間は過ぎてゆくもの、決して待ってはくれないしまた戻ることもできはしない。
それは当然のことだし、過去を後悔してもどうにもならない…ただただ前に向かって進むだけのものだと思っていた。
そう、彼と出会うまでは。
この記録はわたしが彼との思い出のためだけに書き綴った、自分勝手なもの。だからそこに何かしら大切なものがあるというわけではない。
ここにあるのはただただその日の記録にしか過ぎないのだから。
もしそこに何かしらの教訓を含めることができるとすれば、それはなんとも陳腐で誰もが口にするものでしかないけれども、だけれども陳腐だろうがなんだろうがとても大切なことなのだと思う。
ただわたしは文章の専門家ではないということ…だから思うままに書き進めるしかないのだ。
そう思い出すことをとりとめもなく綴るのだ。そしてそれがわたしのやりかた…
だからなんとも面白くもない話、それだけはわかってほしい…これはただのわたしの思い出話、彼に関することに過ぎないのだから。
さて、どこから始めよう?順番どおりならば彼と出会った日から始めるのがわかりやすいのだろうけれども、何となくそれは後からにしたいと思う。
まずは…最初はその日の朝から始めよう。
すべてが終わったその日のことから。
その頃はちょうど暑さの頂点が過ぎたくらいで、窓を開けているとちょうどよい風が吹き抜ける時期だった。
窓から吹き抜ける涼しい風を頬に感じてわたしは目が覚めた。
目が覚めたといっても、しばらくぼんやりとするのがわたしは好きだった。怠惰だといわれようがそのゆるやかな気だるさはなんともいえない味があるのだ。
そしてまだぼんやりとした視覚で窓を通した外を眺めた。風によってゆらゆらと幕はゆれていた。
ただまだまだ頭の方はしっかりしておらず、ただ外の景色を眺めているだけで、それがどういった状況なのかきちんとわかってはいなかった。
ただ晴れているということしかわからなかった。
やがてその気だるさもゆっくりと失われていき、代わりに現実的な体の重さを感じ始めた。そしてぼんやりとしていた意識もすっきりとしてきた。
けれどもだからといってすぐに起きたりしないのがわたしである。
結局わたしが起きたのはたっぷりと時間を使った後だった。
部屋にはあちらこちらに物が散乱もしくは山高く積み重ねられていた。ちょっと触れただけでも崩れてさらに悲惨なことになるので、わたしは慎重に移動したのだけれども部屋の外に出る頃までには三つの山を崩していた。
整理整頓すればいいだけの話なのだけれども、そのための気力がないし一度分類をしなければならないと思うともうやる気がなくなってしまうのである。それにだいたいどこに何があるのかわたしは記憶しているから問題はなかった。
ただ歩くのに苦労するというだけで…まあ、それだけでも結構なことだけれども住人であるわたしが問題がないのだからべつにそれでいいのだ。
棚からきれいな服を取り出すとそれに着替え、それまで着ていたものは洗濯籠に放り込んだ。
やがて時間がくると彼が回収しにくるのだ。
そして居間の食卓には彼が準備した食事が準備されていた。
せっかく作られた料理もすでに冷えてしまっていて、申し訳ないなと思ったけれどもそれでもそれがわたしなのだ。
たとえそれが彼の仕事だとしても、彼はわたしの世話をする必要など何一つないとしても彼は進んでその面倒な役割りを引き受けてくれたし、そしてまたわたしはそのことによって日々の生活が楽になっていた。
だからこそわたしは言葉に出して彼には言わないものの、また彼がそれを求めているとは思わないけれども感謝をしていた。
料理を再び暖めるために台所に向かうとわたしの前の住人が残した掛け時計を眺めた。時計の針は8を少し過ぎたあたりを指し示していた。
やがて食事を終え食器を流しの水をためた水桶に漬けると(それが彼の希望だった)今日一日の行動をどうしょうかと考えた。
といってもまず最初にすることは決まっていたので、正確に言えばそれからあとのことを考えていた。
昨日の作業の分析結果を眺めながら頭の中であれこれと組み立て、それと同時に手元は壊れた機械を修理と手と頭を同時に動かしていた。
昔のわたしならばそんなことはせず、また不器用だから出来なかったのだけれども気が付けばそういう風になっていた。そう彼と合ってから…
そうしたところで稼げる時間もたかが知れているのだけれども、そのほんの少しの時間が待ち遠しかったのである。
やがてその日の計画が頭の中に組みあがった。
そして手元の作業が終わらせると立ち上がり玄関へと向かった。
扉を開けると強い外の光と涼しい風が吹き込んできた。
空は澄み渡り、雨の気配はまったく感じなかった。
外は半袖でちょうどよいくらいで、その少し前までの暑さが嘘のようだった。少し前までは半袖でも不愉快な汗で服が体に張り付いてすぐに部屋に避難していたというのに。
家から彼がいる菜園までは数分しか掛からない場所にあった。
不思議なことに家を出るまでは気持ちが早く行かないとと思うのに、その道を歩いているとゆったりとした気持ちになるのだ。
ゆっくりと空や季節の変わり目によって色を変える世界をこの瞳のなかに納めながらのんびりと歩いていた。
やがてその景色も時間がくるとがらりと姿を変えるだろう、そうこれまでわたしが見てきたように。そしてその変化は毎回同じというわけではなく、そのときそのときの風景。
それこそちょっと瞬きをしたその瞬間にも何かしらの変化が起きているのだから。
その日の朝も、彼は自分のためではない菜園の手入れをしていた。
几帳面な性格を表わすかのようにきっちりと種類や種別によって区切られていて、毎日同じ順番でそれらの手入れをしていた。
けれどもそれまでの経験の積み重ねによって少しずつ、少しずつ試行錯誤を加えていて最良のものになるように日々変化をつづけていた。
与える水の量から肥料の配合、さらには土地の変化に気温などなどわたしには理解できないし、また理解しようとも思わないけれどそういったものを組み合わせて場合によっては配置を変更したり種子の改良とよくもまあそれだけ長いこと新しいものを見つけることができるものだと感心した。
そしてその結果彼の日々の苦労によって花々は美しく、それでいて力強く咲き乱れ食物は見るからに健康的で、みずみずしさがあふれていた。
元来わたしは変化を好まない性格で、最低限のことは受け入れるけれども出来ることならわたしは「わたし」の方法でいたいのである。
幸いなことに物事に縛られずに生活するだけの蓄えがあったし、何よりも彼の存在によって日々の生活を規則正しく過ごせることができた。
その考え方に怠惰なものを感じるだろうし、その昔付き合っていた恋人もわたしを捨てたとき、面白みがないし何も進歩をしない退屈な性格と吐き捨てた。
けれどもそれで何の問題があるというのだろう?誰もが変化を求めているわけではないし、ひとつのことに固執していてもいいのではないかと思うのだ。
何も変わらずにただ同じ日々の繰り返し、その何がいけないというのだろう?それで幸福ならばそれでいいのではないかと考えるのだ。
わたしを捨てたあと恋人だった彼はは変化を求めて冒険の旅に出て、やがて愚かな失敗で命を落としたと遠い昔に耳にした。
あくまでも噂だけれども彼は最後まで自らの行動を後悔していたという。退屈だろうと平凡な日々を過ごしていれば長く苦しむことにならなかったのに、と。
でも、その噂が正しかったとしてだからといって彼の選択を否定するつもりはまったくない。
それが彼のやり方だったのだし、全員が全員同じ行動、考え方では気持ち悪いし、それにわたしが今利用している技術はそういった変化を求める人々の努力の積み重ねによって生み出されたものばかりなのだ。
わたしはその変化によって楽に暮らしているし、それによる恩恵を受けているのだ。
つまり他人の苦労によって自分の生活は成り立っているのだから。
だからこそわたしは否定しない…たとえそれが愚かなことだろうとそういった向こう見ずだったり、冒険だったりといったことで新しい技術は生まれ、そしてそれがめぐりめぐってくるのだから。
「おはようございます」
それまで一心に菜園の手入れをしていた彼はわたしに気がつくと声を掛けてきた。
その声自体はいつもと変わらない調子のものだった。
「おはよう、今日はどんな調子かしら?」
いつもと同じようにわたしは挨拶を交わした。声の調子はいつもと変わらないはずだった。
「ええ、いつもと変わらず花々は健康で美しいですし、食物もみずみずしくまた甘いですよ」
そのいつもと変わらない説明口調とその内容に、思わず苦笑してしまった。
「わたしが聞いているのはあなたの調子のことよ」
「わたし、ですか?」
「そう、あなたのことよ」
「わたしは…そうですね、ここ最近あまり調子がよくありませんね。だからといって問題はありませんが」
「そう、ならいいのだけれどもね」
彼はわたしの口調に何かしら感じるものがあったのか尋ねた。
「何か問題があるのでしょうか?」
あくまでも彼の声は平坦だった。
「…いえ、別に問題はないわ」
初めてわたしは彼に嘘をついた。
「そうですか、なら安心ですね。あなたは専門家ですから」
その言葉はわたしの心に深く突き刺さった
それと同時に、もしもわたしの声の調子に変化を感じたのならば、なぜ最後の嘘に何も尋ねなかったのか?
最初はわずかな変化だった。
それこそ気がつかないくらい本当に微妙なものでわりと早い段階で気がついたのは偶然としかいいようがなかった。
それは知りたくもないものだった。
たまたま別の用途である装置を使っていたのだけれども、ちょっとした遊び心で彼のことを分析したのである。
アンテナを彼に向けて、そして引き金を引いた。
放たれた電子は瞬時に彼に当たると反射して戻ってきた…もちろんそれを視認することはできないけれども理論としてはそうなっていた。
すぐに分析が完了したことを知らせる光と音が鳴った。
機械というものは残酷だと思うことがある。何のためらいもなく分析結果を出すのだから。
わたしは何の考えもなく分析結果を出した。
分析結果は異常の初期段階であることを表わしていた。
とはいっても異常といっても特に急な問題を持つものではなく、やがては何であれおとずれるというものだった。
そうわたしにだっていつかやってくるであろうもの。
だからこそ、そのことを彼に伝えることはなかったし、それに伝えたからといってどうにもなるわけではなかった。
多少の時間稼ぎはできるかもしれないけれども、あくまでもわたしができるのは初歩的なことでしかない。
彼はなぜかわたしが専門家だと勘違いして、いくらそのことを説明しても頑固な彼は色々と理屈をつけてはわたしを専門家だと言うのである。
たしかにそれなりに知識があることはある、けれどもそれはもともとわたしが専攻していたことの付属として少しかじった程度でしかないのである。もともとのわたしの専攻は別分野なのだから…
少しずつ時は流れていく、確実に…そしてそれにしたがって色々な積み重ねがあるものである。たとえそれが悪いことであろうとも。
最初は機械を通さないとわからなかった変化も、今では目視でわかる段階にきていた。とはいえそれはあくまでもわたしに知識があるからこそわかるもので、何も知らなければいつもと変わらないと判断したに違いない…
そのときほどわたしの知識を疎ましく思ったことはなかった。
同時にそれは時間が少なくなっていることをわたしに知らせ、そのいつかくる時間までを大切にしようと思わせるのだった。
けれども、その時間を大切に出来たかというとまったく自信がなく、それどころか後悔しかないのだ。
今のわたしはもしかしたらその知識がなくてもそのことに気がついたかもしれないと思うことがある。
出会った頃のことを考えるとたしかにわたしも多少は変化をしてそれにともなって少しだけ彼のことを知ることができたのだから。
わたしと彼との出会いはもう覚えていないくらい昔のことだった。
そのときはまだそれなりに若く、彼は今と変わらずの風貌…多少古さを見せてはいるけれども日々の手入れとわたしの手によってそこまでの変化は抑えられていた。何よりももともと彼は頑丈なつくりだった。
その頃のわたしは気楽気ままにあちらこちらを旅していた。
特に何の目的もなく、かといって旅を楽しむわけでもなく今思うと本当に無駄な時間を過ごしていた。
生意気に思われるかもしれないし、実際今思うと浅はかだと気づいたのだけれども、当時のわたしはもう学ぶ事はないし、これ以上の経験はないと思っていた。
ありとあらゆることをわたしは理解したとうぬぼれていたのである。
そしてその根拠のない自信を崩したのが彼だった…
彼は不思議なもので、特に何かをしたというわけではなかった。ただ自分がなすべきことを、そして最良になるように日々学びつづけていただけ。
最初の頃はわたしは彼のことを哀れんでいた、何と哀れなことをしているのかと。
だからこそ思わず口を出してしまったのだ、それは無意味なことだと。そして彼の仕事の無駄なことや最良のことを教えたのである。
わたしは残酷な喜びを感じていた。それまでの存在理由を拒否した挙句に、もう終わりを与えてしまったのだからそれ以上の進化はできないし、ただ困惑し立ち止まることしかできないだろうと。
けれどもわたしの考えはあえなく崩された。知識は知識でしかなく、自然はそう簡単なものではなかった。
知識は使ってこそのもので、自ら考えそして応用することによってはじめて意味があることをやっと理解したのである。
そして何よりも彼は終わりはないことを教えてくれた。
わたしが終わりでもう進むことがないと思った先を導き出したのだから…
だからこそわたしはここに留まっているのかもしれない。彼がどこまで前に進んでいくのかを知りたくて。
そしてそこでわたしは学んだのだ、誰かを見下すことの無意味さを。そもそもそのことに意味などないし、よくよく考えれば一生懸命だからと見下すことの理由などなりはしないのだから…
そしてひとつを学んだわたしには一つの疑問が浮かんだ。なぜ他人を見下してしまうのか、一生懸命なものをなぜ尊敬できないのか、と…
今のわたしはまだその理由がわからない…ただ彼と一緒にいればそれが見つかるような気がしていた。
それには何の根拠もなかったし、そしてそれと同じようにこれからも同じ日がつづくと何の根拠もなく思い込んでいた。
わたしは本当は何も学習をできていないのかもしれない、根拠のないことはいつ終わりや変化がくるのかわからないということを忘れていたのだから。
もしかしたら無意識のうちにそのことを忘却の彼方に流していただけに過ぎないのかもしれないのだけれども…
それを恋というのかもしれないけれども、わたしと彼は決定的に違いすぎていた。
だからこそわたしはそれを口にしなかったし、何よりも彼はそういった恋だとかなんだとかまるっきり興味がないことだった。
ただわたしは最後まで彼のことを見ていたい、ただそれだけを願ったのだ。
そしてそれは叶えられたのだ。いえ、叶えられたのではなくてそのときが訪れてしまったに過ぎないのだけれども。
生命というものを定義することは難しいことだと思う。科学者はそれなりの答えをすでに用意しているのかもしれないけれども、わたしは知らない。
ただ記憶にあるかぎりわたしが学んでいた頃はまださまざまな意見がありわれていたはずである。
機械に命は宿るのか、そして機械に自意識は生まれるのかまたは与えることができるのか?科学者はわたしには理解できない難解な言葉を使って議論をつづけていた。
そこに答えが出る日がくるのかどうか…そもそもそのことに意味があるのかどうか?わたしにはわからない。
たとえそこに意味があったとしても、それを知るための努力や学びをしないと本当の意味では知ったことにならないのだ。
だからこそわたしは彼と同じようにこの場所で出来るかぎりのことをしたいと思うようになったのだ。
変化を求めないわたしだけれども、少しずつ変わりつつあったのだ。
だからこそゆっくりと時間を掛けながらも再び学び始めたのだ。そして彼に感化されたのかわたしはそこに新たな楽しみを覚えるようになっていた。
世の中はわたしの知らないことでいっぱいで、その知らないことを知る楽しみを得たのだ。
まだまだこの宇宙には、わたしの未だに知らないことがあるのだと思うと再び旅に出たい気持ちになっていた。
けれどもそれは彼とのわかれを意味していた…何度彼を連れて行こうかと考えたことか。だけどわたしはそれを選ばなかった…彼は彼で学びそして日々を過ごしているのだからそれを奪うことはできない。
旅をつづけても学びつづけることはできるけれども、彼の分野は一箇所に留まって結果を待つことばかりなのだから…
時間はたっぷりとあるのだから、再び戻ってくればいいと思ったこともある。
けれどもほんの少しでも彼とわかれることを考えたときに心が痛くなり、苦しくなった。
そのことに気づいたときから、あることをわたしは考えていた…
その瞬間は突然訪れた。何の前触れもなく彼はすべての機能を停止した。
内部に仕込まれていた電源がすべて切れたのだ。
彼はこの星の「人間」と呼ばれた住人がつくりあげた精巧な機械だった。
すでに彼らを作った人間は愚かにも自分たちの争いで滅びていた。
わたしが訪れたときもまだこの星は彼らが使った、わたしが見つけたこの星の記録を読むと核と名づけられたものが放出した悪影響がまだ残っていた。
その影響は凄まじいものだったようで、わたしの調査したかぎり彼と同じ型の機械もすべて破壊されたようだった。なぜ彼だけが生き残ったのか、いくつかの推測は立てられるのだけれども、結局最後まで確実なことはわからなかった。彼の内部にある記録は核の影響によるのか、それともまたべつのものなのかはわからないけれども「その瞬間」の記録は混乱してしまっていて失われていた。
記録を復元することは、それが専門のわたしにすら不可能なほど破壊されてしまっていた。
彼の姿はこの人類の姿とは程遠く、あくまでも機械としての役割りを求められていた。だからこそ不恰好で無駄なところがなく、そして当然ながら内部に感情的なものは仕組まれてはいなかった。
彼に仕組まれているのは調査、分析をするのに必要な最低限のことだけ。
だからこそ本来は「彼」ということは誤りなのだろう。なにせ自意識などないはずなのだから…
けれども彼と呼び続けたくなるのは、彼は学びつづけて、ある種の意識のようなものが見えたからである。
実をいうとわたしの種族は無機質なものに命を与える技術を作り出していた。ただそれを生命と呼べるのか、何よりもそこで与えられたものが本当に自意識なのか、ただ単に受け答えするだけのものではないのかと未だに答えは出てはいない。
わたしは何度彼にその技術を用いようかと考えた…けれども、その結果命を与えられた彼がそれまでの「彼」である確証はなかった。
わたしは怖かったのだ、彼が変わってしまうことに。
そしてそうこうしているうちに、その瞬間が訪れてしまったのだ。
技術的には彼を復活させることは難しくはないし、またまだ命を与えることも不可能ではなかった。何よりもわたしは密かに彼のすべてを定期的に保存していた。
だから技術的にはそれらを使って彼を再びよみがえらせることは不可能ではなかった。問題はその復活した彼がそれまでの彼とは限らないことなのだ。
そしてわたしは決断した。
もはや記憶がないほど過ごした星を眺めながら、わたしは生まれ故郷に向けて船を発進させていた。
定期的に手入れをしていたとはいえ、実際に動力をいれるまでは本当にきちんと作動するかどうか不安だった。
そして思うこと自体変化だった。
昔のわたしならば根拠のない自身で何一つ問題を思い浮かべることはなかっただろう。このあたりは彼とともに過ごすうちに影響を受けたことなのだと思う。
彼…彼のことを考えると心が痛くなる…
彼はその星の方法で葬った。菜園のなかの美しく咲き乱れる花々の区画の中に。
管理人のいなくなった菜園はやがては荒れ果てるだろう、彼を作った人間と同じように。
彼と共にわたしが保管していた記録も一緒に埋めた。
そしてもうひとつ、たった一度の嘘をも一緒に埋めてしまいたかった。だけどそんなことが出来るはずもなく、これからもわたしはずっとその嘘を抱えて生きていくしかないのだ。
少なくとも彼のことを思い出に変えるか、それともこの命が尽き果てるまでは…
わたしは彼にはそれ以外のこと、わたしがどこからやってきたのかそして何の意味もなく旅をしていることもすべて伝えていた。
それを彼が本当に理解していたのかどうかはもはやわからないし、今となってはどうでもいいこと。
大切なことはわたしと彼はともに過ごし、やがてわたしは彼に様々な自らのことを話すだけの時間を一緒に過ごせたことなのだから。
後悔がないとはいえない、実際今も後悔している。
けれどもそれでよかったのだと思う。彼はあのときの彼なのだから、変に手を加えてしまうともはや「彼」ではなくなってしまうのだから。
いつか誰かが心の存在を解明する日が来るのかもしれない、そのときはまたわたしの心に希望が生まれるかもしれない。
それはそのときにならないとわからないこと。
今の選択は「今」だからこそ選んだもの。これからどうなるかわからないもの。
彼とともにすごした日々こそわたしにとって幸福な時間。
それに彼は最後にわたしに驚きを与えた。
彼はその瞬間の直前こう言ったのだ。
「ありがとう」
と…
それが内部に仕組まれたものなのか、それともいつの間にか生まれた自意識から出されたものなんか、今となってはわからない。
けれども世の中にはまだわからないこと、知らないことがたくさんあることを教えてくれた。
そんな小さなことでと思うかもしれない、けれどもたしかにわたしはそこに未知のものを感じたのだ。ほんのささやかなことだけれども、その小さなことは大切なことだと思うのだ。
わたしの心に大切なものを残した彼のことを、わたしは忘れないだろう。それがわたしにとって大事な思い出。
この記録を読んだあなたは笑うだろう、ただの恋物語だと。もしも当事者でなければわたしもそう思うだろう。
人は人のことを理解できないし、そのことを経験しなければ何もわからないものなのかもしれない。
ただわたしがいえるのは、誰にでも想像力というものがあるのだから、それを少し働かせてほしいということ。
そしてこの瞬間は決して永遠ではないということ。
だからこそ、この時は美しくそして楽しいということ。
何よりも大切な人といられる時間は決して無限ではなく、いつ別れの日がくるかわからないということ。
陳腐で当たり前のことだけれども、それをおろそかにしてしまい結果的に後悔してしまうことなのだから…
<了>
この物語は今年のお正月にある短編に応募して落選した物語です。
一番最初の段階でページ数が足りずに改行や文章のつけたしなどで枚数を稼いで改めて読み直すとショートショートの題材だと思うのですが、今年の終わりということでそのまま手を加えずに掲載しました。
なおこの物語はSNSに同時掲載しています。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。