こころの距離
「――どうしました? ぼんやりしているようですね」
つながれたままの手の先で、ルーが私にいたわるような微笑みを向けてくる。
貴公子の見本のような綺麗な笑顔だ。
この世界に来た時を回想していた私は、はっと我に返ってごまかすように笑ってみせた。
これからどうなるんだろう。
恋が始まるんだろうか。私はこの人を好きになれるんだろうか。
アリアンロッドとして。
まだ、私とアリアンロッドの意識には隔たりがある。
だからどうしても人ごとみたいな考え方になってしまう。
こんな意識はやめなくちゃ。私はアリアンロッドになるんだから。
もっとしっかりしなきゃ――。
「ひゃっ!?」
思わず令嬢らしからぬ声が出た。慌てて私は口をふさぐ。
頭ひとつ分低かった視線が、今は並んでいる。
「な、な、何を……?」
ルーは私を抱え上げていた。いわゆるお姫様抱っこという奴だ。
慌てる私を尻目に、ルーは涼しい顔をしている。
「失礼。お疲れのようですから」
私の体にさわろうが、かけらも動揺してない様子に、なんだかイラッとして私は平然と対応することに決めた。
私は荷物か。そんな感想も浮かぶ。
「――まあ、ご親切に。ありがとうございます」
あれ? アリアンロッドってこんな子かな? まあいいや!
つんと肩をそびやかす私を何と思ったのか、ルーは一瞬目を見開いてクスッと笑う。
何がおかしいのよ。
「君とはこれから頑張っていかなければいけないですから。――末長くよろしくしたいと思っているんですよ。だから、元気になってほしい。今は、色々な事で混乱してるだろうと思いますが」
何を頑張るというんだろう。
ルーの顔を見ても、何も読み取れない。
でも、最後の台詞はやっぱり、今までの私の奇行についての事なんだろう。落ち込んだけれど、変に取りつくろわなくてすむと思えば、少し安心もした。
「こんな私の、側にいてくれるんですか? ずっと?」
思わず言葉が転がり出て、私はしまったと思った。心細さと卑屈さがついにじみ出てしまった。
ずっとなんて言葉、使うべきではなかった。
貴族の恋愛なんて、火遊びばっかり。重い女だと思われたくない。
ましてや、卑屈な女なんて知られたら、みじめだ。
(嫌になられたらどうしよう)
一瞬そう思ってしまった自分を殴りたくなる。
いくら優しい言葉をかけられたからって、チョロすぎるだろう。しっかりしなければ。私はこの人を何も知らない。
遊びで声をかけてくる貴族なんていくらでもいるんだし、情熱的――ヤンデレな台詞だったからって、真心があるかなんてわからない。
あれこれぐちゃぐちゃ考えていた私だったが、ぽんぽんと背中をあやすように叩かれて、はっとルーの顔を見た。
何も言わないけれど、ルーの顔は真剣に私を心配しているように見える。
目が合うと、気遣うように笑ってくれた。
「最近、ずっと元気がなくて思い悩んでいるように見えたので、大丈夫かと思ってたんですよ。ちょっと前はあんなに活動的で、武勇伝もいろいろ聞こえてきたのに」
「ずっと見てたの……ですか?」
「はい」
ぽんぽん、と私をあやすルーの手はゆっくり動き続けている。
「これからは、何でもいいから僕に話してください。君の事を知りたいんです。君の事をよくわかりたい。――それが、僕にとって大切なことなんです」
何かを思い出しているのか、伏せられたルーの眼差しは揺らいでる。
しかし、私のドレスにこぼれ落ちる水滴に、ぎょっとして顔をあげた。
「何? 何が悲しいんですか?」
「えっ?」
ほとんど無自覚に私は涙を流していた。止めようと思っても、後から後からあふれて止まらない。
誰かに話したかった。
自分の話を聞いてほしかった。
でも、これ以上心配かけたくないとか、変な目で見られたくない、話したら負担になるかも知れない、そんな考えで、私は誰にも自分が思っていること、常識がよくわからないとか、お父様が私を引き取ったのを後悔しているんじゃないかとか、誰を信じたら良いのかとか、そもそも私はアリアンロッドじゃないとか、言いたいことを全部封じ込めていた。
アリアンロッドは愚痴ひとつこぼさず、新しい環境に慣れようと頑張っていた。だから、私もそうしなきゃ。
無意識にそう思っていたように思う。
だから私はそうするはずだった。
でも。
「違う、嬉しかったの……」
本音を言ってしまえば、涙と言葉は、次々にあふれてきた。
「何もわからなくて、気がついたら遠巻きにされてて、珍獣みたいに見られてて、お父様に迷惑をかけたくないし、エミリーも悲しませたくなくて、どうしたらいいかわからなくて」
ぐちゃぐちゃだろう泣き顔を見られたくなくて、ルーの肩口に顔を伏せた。ベルガモットの香りが、不思議と落ち着く。
ルーは合間合間に相づちをうって聞いてくれていた。
きっと何を言ってるのかわからないだろうに。共感して、話を聞いてくれている、それだけで嬉しい。
「私、これからどうしたらいいんだろう……」
ごめんね、こんな事言っちゃって。
これはアリアンロッドの言葉じゃない。私の気持ち。
「――とりあえずは、僕と一緒にいればいいですよ。ふたりでゆっくり考えましょう」
優しい声が胸に染みる。
「……ありがとう」
ごめんね、と心の中で何度も謝った。明日からはちゃんとアリアンロッドになれるように頑張るから。
だから、今だけ許してほしい。
9/7 表記揺れなど直しました