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プロローグ

 なんだかよくわからないけど、自分が物語の中にいる。それだけは把握出来た。

 あの日、私はおそらく死んだのだと思う。たぶん。

 それとも、意識不明で昏睡状態なのかもしれない。

 でなければ、こんなに長い夢――しかも醒めない夢なんてみていないはずだ。


 とにかく気がつけば私は、すり切れるほど読んだ物語「銀の光の姫君と金の光の王子」のヒロイン、十六歳の伯爵令嬢アリアンロッド・クランシーという存在になっていた。

 どういう仕組みなのか、原理は全くわからない。

 あと少しで二十歳を迎えるはずだった。それだけは覚えている。


 意識を失って、気がつけば私はアリアンロッドだった。

 正直、夢だと思ったし、今でも少し夢オチを期待している。

 憧れた物語の世界は、思っていたのとは少し――いや、大分違っていた。


 この私がいまいる国、モルヴェン王国は思ったより生きづらい。身分制度は厳格で、マナーにうるさく、おまけに宗教対立まである。

 小説として読んだ限りでは、牧歌的なファンタジー世界としか思えなかったのに。

 話の中では二行で片付けられていたこの世界の宗教、新教――空墓教会と、旧教――多神教の対立が、社会生活に影響を及ぼしまくっている。

 現在メジャーなのは、新しく伝来した空墓教会だ。なんたって王家が信仰している。いわば国教に等しい。

 だって今の王が熱心に信じているんだから、それは下の者は追従するよね。本当に信じているかどうかはさておき。

 そして、多神教は流行遅れとみなされてしまっている。老人世代にはまだまだ根強い信仰を得てはいるが、若者世代には受け入れがたい迷信と野蛮な風習の固まりとレッテルづけられてしまっているのだ。

 宗教って難しいなあ、と日本育ちで多神教育ちのほぼ無宗教の私は他人事のように思っている。

 正月は毎年、神社に初詣に行っていた私が、どっちかといえば馴染みがあるのは多神教の方なんだけど。


 まあともかく、枢機卿――各国に空墓教が使わした、その国における空墓教の最高責任者などは、今やこの国では国王に匹敵するほどの権勢をほこっているらしい。

 つまり、目の前の青年は、王子様に等しいというわけだ。


 逃げられないように私の体の横に腕を突き立て――いわゆる壁ドンというやつだ。この世界にそんな言葉があるのかは知らない――彼は大天使のような笑顔を私に向けている。

 柔らかそうなプラチナブロンドの短髪、鼻筋の通った整った顔、意外としっかりした首筋――と現実逃避のようにそんな事を考えていると、大天使はやや不機嫌な口調で私に返事を促してきた。


「返事は、いただけないのですか? アリアンロッド」


 美形は声までいい。現代社会だったら声優にでもなれそうな柔らかく響きの良い声は、平時だったら聞き惚れていた。若干私は声フェチだ。

 しかし、今は全くもってそんな状況じゃない。

 反射的に顔を上げると、宝石のような青の瞳がやや眇められて私を見つめていた。

 口は微笑だが、目は全く笑っていない。その事がひたすら怖かった。

 だらだらと流れ続ける額の汗をふきたいけれど、私は恐ろしさのあまり身じろぎもできない。

 凍り付く私をどう思ったのか、彼は言い聞かせるように、先ほどと一言一句同じ言葉を私の耳にささやきかけてきた。


「あなたは僕を好きになって下さい。王子でもなく、騎士でもなく――この僕、ルー・マクブライドの事を」


 白皙の貴公子の告白は、およそ予想外のものだった。

 なにしろ、ルー・マクブライドといえば、若干十九歳で伯爵家の当主。しかも、その伯爵位は、彼の誕生にあわせて国王から贈られたものだ。

 彼は、ただの貴族ではない。

 彼は神の御子なのだ――ということになっている。


「震えていますね。……僕がこわい?」

 マクブライド伯爵は落ち着かせるように若干目元を緩めて、私の肩を撫でた。手つきの優しさが逆にこわい。

 まだ一、二回しか会ったことはないけれど、こんな女を口説いたりするようなキャラじゃないと思っていたのに。

 彼はいつも静かにジェラルド王子の後ろで微笑んでいた。

 学友だという王子の説明を、私は微笑んで聞いていた。だって知っていたから。


 ルー・マクブライドは、「銀の光の姫君 金の光の王子」では、一行か二行しか出番のない、いわばチョイ役だったのだ。

 外見について描写はなかったので、目の当たりにして、こんな美形だったのかと驚いた。

 モブがこんなに綺麗なんて、美形キャラの無駄遣いというやつではなかろうか。失礼にもそう思ってしまった。


 そして、公然とささやかれている彼の出生の秘密にも驚いた。

 この国の枢機卿、オコナー枢機卿の子供だそうである。

 しかし、空墓教会の聖職者は、婚姻を禁じられているので表向き養子ということになっていると。

 さらに、オコナー枢機卿はこんなことを言ったというのだ。


「彼は、神が処女懐胎の奇跡をなし得た、神の子供。神の恩寵そのものなのです」


 何をもって枢機卿がこんなことを言ったのかはわからない。

 現実的な者は、「処女を妊娠させて大層なでっちあげをぶち上げたもんだ。黙っとけば騒ぎにもならないのに」と密やかに噂し、またあるものは権勢欲が強いと言われている枢機卿に「自分の子供を政治の駒に使おうというのか」と眉を顰めた。


 このあたりは、ほぼ隠居状態で暇を持て余している私のお父様、クランシー伯爵からの受け売りだ。

 父と言うより、ほぼ孫に等しい年の離れ方なので、孫のように猫かわいがりしてくれる。しかし、十六歳の少女を膝にのせて昔語りをするのはいただけない。

 それにしても、大層な事を言ったものだと思う。

 現代社会でも神の子供という存在が存在した宗教はあったけれども、枢機卿といえども一介の神職者が自分の罪をごまかすためにそのようなハッタリを言って良いものだろうか。

 この世界の政治と宗教事情にうとい私でさえそう思ったのだから、他の貴族やら大人達は、さらにそう感じていたんじゃないだろうか。

 お父様曰く、どうせそのうち空墓教会の母体から叱責されると考えていたのだが、予想に反して教会は何も言ってこなかったそうだ。

 なので、ルー・マクブライド伯爵は、世間では神の子ということになっている。

 いくつかの疑惑をささやかれながら。


 しかし、後から知ったことであるが、このようなきな臭い噂を持ちながら、マクブライド伯爵は、修道僧のようにストイックで、権勢欲などといったものには全く無縁だったそうだ。

 私は、王子の斜め後ろでお付きの者のように微笑んでいる彼しか知らなかったが、品行方正を絵に描いたような人だったらしい。


 ……じゃあ、今の彼には何のスイッチが入ってしまったんだろう。もしかして酔っているのだろうか。明日になったら忘れたり、頭を抱えてなかったことにしたくなったりするんじゃないだろうか。

 夜会の後は、一部の貴族達にとっては逢瀬と火遊びの時間となる。

 夜風にのってきれぎれに届く甘い睦言に私は遠い目になった。貴族というものは、体裁は綺麗にするけど、バレなければハメを外してもいいといううわっつらなところがとても嫌だ。

 つまりこの人も、一時の火遊びのつもりなんだろうか。


 きっと冷めた目で見上げてしまったんだろう、マクブライド伯爵は私の目を見て眉間に皺を寄せると、私に体を寄せてさらに言葉をつらねた。触れてないので、微かに感じる体温と、ベルガモットのような香水の香りがなんだか生々しい。

 落ち着かなくて、私は目を伏せた。前世でも現世でも、恋愛なんてまともに経験したことはなかった。


「あなたにとってそれが一番幸せなんです。王子も騎士も、本当にあなたを幸せに出来ない。あなたは二人の手を取れば、身を滅ぼすしかないのです」


 口説かれているわりには口調が冷静だ。それとも、告白とはこういうものなのだろうか。人をおとしめるスタイルは、ちょっとどうかと思うのだが。

 愛の言葉と言うよりは、商談をもちかけるような話しぶりに、思わず私も冷静に分析してしまう。

 もしくはタチの悪い占い師っぽさがある。

 信じないと、大変な目にあうかもしれません。まあ、選択をするのはあなたなんですけどね、的な。


 照れるというよりも、衝撃の方が勝って、ものすごく第三者的に冷めた分析をしてしまった。それは、私がアリアンロッドという立場に馴染みきれていないということもあると思う。

 王子や騎士のことは、数えるほどしか会っていないので正直まだよくわからないけれど、おそらくアリアンロッドと仲が良いと思ってくれているのだろうと思う。本でもそういう描写はあったし。


(だいたい好きになれと言われて、いくら美形だからって簡単に好きになれるわけないよね)


 私は一目惚れはしたことない派だ。顔のいい男は、好きになるよりもむしろ気後れしてしまう。実際話をして、気があったり居心地がいいのが一番だ。

 そもそも、私は私の意識が顕在化してからこの男――マクブライド伯爵と挨拶以外の言葉を交わしたのは、今日が初めてなのだ。

 もしかしたらこの今の私の体、アリアンロッドには積み重ねていた思い出があったのかもしれないが。

 そう思うと、胸が少しだけ痛む。


 非の打ち所がなかったはずの伯爵令嬢アリアンロッドは、私の意識が出てきてしまったことによって、変人令嬢として社交界で名をはせるようになってしまったという。

 世間では、階段から落ちて頭を強打したことによって、少々おつむがアレな事になってしまった可哀想な令嬢ということになっているらしい。

 それを知った時私は泣いた。

 この厳格な貴族社会、変人=鼻つまみ者だ。男ならまだしも、女はさらにそうみなされる。

 つまり、アリアンロッドの結婚はほぼ絶望的になってしまった。貴族社会で結婚は重要だ。お父様に申し訳ない、まずそう思った。

 きっとお父様がやたらと可愛がってくるのも、そのあたりの原因もあると思う。他の家族には結構厳格な顔も見せる人なのだ。


 お父様以外のこのクランシー伯爵家の一族は、私、アリアンロッドを市井から引き取ることに反対していたという。

 それを押し切って、お父様は母をなくしてひとりぼっちになったアリアンロッドをひきとった。

 そのあたりのくだりは物語では書かれてなかったから、私はてっきりアリアンロッドが真面目だから振る舞いや貴族知識を頑張って身につけようとしているのだと思っていた。

 こんなに楽しそうな世界なのに、せっかく貴族の令嬢になったんだし、なんでもっと他の事を自由にやらないのかなんて考えてた。

 アリアンロッドが頑張ったのは、必要だったからだ。

 貴族社会で生き抜くため、母親を亡くして天涯孤独になった時に、無理を通して自分を引き取ってくれた父親に恥をかかせないために。


 で、このマクブライド伯爵はおそらくアレになる前のアリアンロッドに向けて愛をささやいているのだろう。

 今の私は、自分で言うのもなんだが、見かけだけなら赤毛緑眼の妖精のような美少女である。

 責任をとるべきなんだろうか。


 考えてみれば私はアリアンロッドのなりすましのようなものだろう。

 この体になってみて、ただの小説のヒロインだったアリアンロッドは、私にとって命を持った少女であるという認識に変わっていた。

 アリアンロッドだけではなく、周りの人達も、生きて生活して、心を持って動いている。それを毎日の生活で私は痛いほど感じるようになっていた。


 アリアンロッド本人の意識はどこに行ってしまったのかわからないが、「私」の影響でお父様やマクブライド伯爵が被害を被っているような気がする。

 何よりアリアンロッドに申し訳ない。私は逆境でも頑張る彼女が大好きだった。

 元気な新しい体を手に入れたはじめの頃は、私は嬉しさのあまり舞い上がってしまい、周りを見る余裕なんてなかったけれど、アリアンロッドがアリアンロッドのままならば、良かったことはきっとたくさんある。


(でもこの人の事よく知らないし、まずはお友達からとか……)

 そう思いかけて、私はマクブライド伯爵が腰に履いた短剣に手をかけるにいたって、そのような甘い考えをかなぐり捨てた。


「あなたは僕のものにならないのなら、今速やかに死んだほうがあなたのためなのです」

「――っ!?」


 相変わらず大天使は微笑んでいる。しかし、短剣を握った今や、その表情は裁きの前の哀れな子羊に向けるような、遙か高みから見下ろす神のごとき、全てを知り尽くす絶対者の笑みに感じられた。

(何この人怖い……!! これがヤンデレ? ヤンデレってやつなの……?)


「えっ、な、なんで……っ? あ、あ、あのう、よろしくお願いします!! できればお友達から……!!」

 告白直後に自分のものにならないなら殺す発言をかまされた丸腰の私は、なすすべもなく頷いた。

 この状況で否定とかできない。命大事に、が私の信条だ。


「――よろしい」

 刀から手が外されて、私は体の力が抜けそうになる。貴族の告白とは、こんなに命がけの緊迫感があるものなのだろうか。

 しかもよろしいってなんだよ!

 ここにいたって、ようやくマクブライド伯爵は満面の笑みをみせた。右手を差し出し、彼は私とがっちり握手を交わす。

「では以後、よろしくお願いします」

(恋人同士というより、まるで何かの契約がまとまったみたい……)

 前世で一応アルバイト経験のある私は、握られた手に遠い目をした。ものすごく商談っぽい。

 どっと疲れが来た私は、力なく手を握りかえした。

 告白って、こういうものなんだろうか。

 いや、キスなどされてもそれはそれで困るような気がするけれど。


(何がしたいんだろうこの人)

 にこやかに私を見下ろす大天使は、キスの代わりに言葉を落とす。

「明日にでも、王子達に報告に行きましょう。僕とあなたが、将来を誓い合ったということを」

「いや将来なんて誓い合ってないよね」

 思わず飛び出た言葉は、もうどうにもならなかった。だって一足飛び過ぎる。なぜ商談締結から将来を誓い合ったことになるのだろう。すごく外堀を埋められている感がある。

(あああ、つい……!! また刃物くる……? 刃物きちゃう!?)

 慌てて口をふさいだ私だったが、マクブライド伯爵は苦笑しただけだった。


「今のあなたは、ずいぶん気さくになったようですね」

「えっ、と……お恥ずかしいです。気が動転してしまって、汚い言葉使いを」


 今のあなたということは、やはりマクブライド伯爵は昔のアリアンロッドを知っているんだろう。

 この人は、今の私が変人令嬢なんて言われていることを知らないんだろうか。それとも、知っていてそれでも良かったりするんだろうか。

 とりあえず今は刺激しないように、徐々にフェイドアウトしていこう、なんて思っていた私の良心が痛んだ。

 多分、今の私はアリアンロッドの体を乗っ取った悪霊のようなものなんだろう。

 泣いていたお父様や、侍女のエミリーの困惑顔を思い出すと、胸がちくりと痛む。


「前は、あなたをアリアと呼んでいたのだけれど、今もそう呼んでも? 僕のことはただルーと呼んでください」

「わかりましたわ、ルー様。もちろん私もアリアと……呼んでくださいませ」

 付け焼き刃の令嬢言葉は、きっとぎこちないだろう。

 でも、なぜだかこの世界に来てしまった。だから、私は頑張るしかない。

 「アリアンロッド」を慕ってくれる人達のために。

 ルーに手をとられながら、私はぼんやりと、自分の前世と――自分がこの世界に来た時のことを思い出していた。

9/7 表記揺れなど直しました

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