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その8 あなたの主人公の『やる気』を問う ③

 これまで散々主人公にやる気が無いやる気が無いと呟いてきたわけだが、では、逆にやる気に満ち溢れたキャラクターとはどんなものなのだろうか。

 これについては、ほぼ議論の必要などあるまい。

 『熱血』キャラだ。

 前作その11でも取り上げた話だが、この『熱血』キャラ、およびストーリーは『なろう』ではとことんまでに忌避されている印象が強いのだ。

 こういったキャラが『なろう』に出てきた際によく出てくる感想は、「見ていて疲れるから」。

 それを否定するつもりはないが、そもそも、本気を出したら(、、、、、、、)疲れるのは当然だ(、、、、、、、、)

 まったく疲れていないのであれば、それは本気とも全力とも言えやしない。

 「やる気という情熱を燃やす存在が嫌われている=『なろう』ではやる気無しの方がいいの?」という疑問があったからこそ今回の三部作を書いたのだが……って、それは別にどうでもいい。


 チートで楽勝、すぐに女の子にモテモテといった、いわゆるヌルゲーの環境では、こういった『熱血』的展開というのは絶対に不可能だ(、、、、、、、)

 だって、主人公が本気を出さなくてもすべて成功できる環境なのだ。作者自身が、本気や全力というものの価値を最初から殺しにかかっているのだから、もうどうしようもない。

 レベル99の主人公が、レベル1の敵しかいない世界で「俺は、絶対に勝たなきゃいけないんだ!」と本気で叫んだところで寒々しいだけだろう。


 『熱血』に必要なのは、単純明快に言ってしまえば『壁』だ。

 人が熱くなるためには、そう思わせるだけの何かがないとまず成立しない。

 欲しいものは何もありません、勝ちたい相手もいません、夢もありません。

 あるいは、既に最強です、女好きで既にモテモテです、夢はもうとっくに叶っています。

 こんな精神状態で、いったいどうやって、何に対して(、、、、、)情熱を燃やせるというのか。

 今回、久しぶりに心理面にズバズバ切り込む話になるわけだが……テンプレ的ストーリーラインに則った場合、作者は熱血な主人公を書きたくても書けない(、、、、、、、、、、)、という問題提起をすることにもなる。

 

 



それでは最初に、『熱血』とはどんなキャラなのか。

 おそらく、明確に言葉にできなくとも、今まで見てきたマンガやアニメのキャラで「こいつはどう見ても熱血キャラだ」と断言できる人物はいくらでも挙がるかとは思う。

 週刊少年雑誌の主人公だったり、変形合体ロボットに登場するパイロットだったり、特撮ヒーローにおいてはほぼ全員がそう見えるかもしれない。


 では、久しぶりにちょっとしたアンケートをやってみよう。

 あなたの作品を見直してもらって、下記の質問に該当するかどうかを○か×で答えてみてほしい。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


①主人公に「絶対に○○になってやる・○○が欲しい・○○を倒したい」といった、心に決めた夢や目標がある(あるいは、物語が進むにつれて目標ができる)。


②物語の起承転結における『承』時点での主人公の状態では、目標を達成することができない。


③主人公が仲間(理性的な会話ができるなら敵でも可)と口論をしたことがある。


④主人公が作中の(、、、)出来事に対し、一回でも挫折や後悔といったネガティブな感情を持ったことがある。挫折・後悔した時系列が、異世界転生・転移する前など本編開始前の場合はノーカウントとする。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 この質問に、どれだけ○と答えられるかどうかが、あなたの作品の熱血度を表している。

 こういったキャラ達の共通点をいくつかピックアップしてみると……主に『明確な目標がある』『目標達成のための壁がある』『自己主張がしっかりしている(または、徐々にしっかりしていく(、、、、))』『物事に真摯(しんし)に向き合う』、という4つが挙がる。





 

 まずは『明確な目標がある』点から。

 「絶対に最強になってやる!」「頑張って勉強して大学に受かってやる!」「誰よりもカッコいい男になって、女の子にモテモテになりたい」といって人が情熱を燃やすのは、その目標がその人にとって魅力的で(、、、、)、かつ難しいからだ(、、、、、、)

 前回の昼行灯の話の続きとなるが、人は意識的でも無意識でも、全力を出すべきタイミングとそうでないタイミングを使い分けている。勉強にはそこまで全力を出していないが、サッカーの時には全力投球する、といったように。この少年の場合だと、サッカーが大好きで、かつ競技人口も多いから競い合う相手は世界中に存在しているわけだ。

 自動車に当てはめて考えるならば――


 その目標に対する意気込み=ゴールまで進むための原動力(ガソリン)

 目標を達成するための具体的な行動=ゴールまで走る燃焼速度(スピード)

 目標を達成する難易度=道のり(コース)の長さ


 こんな感じか。

 仮に「世界一のサッカー選手になる!」というのが目標なのであれば、道のりは途方もなく長いわけで、この道を完走するには相当量のガソリンがないと完走することは不可能となる。当然、練習メニューや練習量もたくさん工夫して、ガソリンを燃焼=スピードアップしていかないと、一生かけても辿り着けないことだろう。

 人が情熱を燃やして何かに取り組む――『熱血』と呼ばれる姿を見せるためには、こういった要素が必要不可欠ということになる。


 しかし、すごく……すごく、根本的な話として。

 現在の『テンプレ』主人公には、そもそも目標ってあるのか?

 当たり前の話だが、目標というのは自発的に(、、、、)見出すものだ。

 転生時に神様に言われたから最強を目指すとか、転生先が王族だったからじゃあ世界を統べる王になろうとか、受け身(、、、)の意識で持てるものでは決してない。

 台詞に直してみるとよく分かるが、「神様から言われたんだ……俺は何が何でも最強にならなきゃダメなんだ!」と叫んだところで、明らかに動機が弱すぎる。これで名だたる強敵を倒して、この主人公が「俺の方が、最強を目指す意志が強かったからだ!」と決め台詞を口走ったところで誰も共感できないだろう。


 目標意識というのは、つまるところが『欲求』だ。

 「○○になりたい」「○○をしたい」というように、その人の願望を如実に表したものである。

 そして「だから俺は××ということをして絶対に○○になってみせるんだ!」というように、願望を叶えるためにあらゆる努力や試行錯誤をしていくことが、『熱血』へと至る第一歩だ。





 次に、『目標達成のための壁がある』点について。

 熱血ものにおいて、ライバルや強敵を前に苦戦を強いられる場面はいくらでも出てくる。明確な敵でなくとも、目標を達成するための困難として幾多の壁が立ち塞がるのは当然の流れだ。

 前作の序盤でも同じようなことを書いたが、求めるものすべてが手に入り、危険もなく、ただ楽しいだけの旅路を、人は物見遊山(ものみゆさん)と呼ぶ。

 それを悪いと言うつもりはまったくないが、物見遊山をしている様を書き記していくというのは、物語ではなくただの日記だ(、、、、、、)

 戦いだけでなく、恋愛でも領地経営でもVRMMOのゲームクリアでも同じことだが、人間、何かしらの壁に向かって挑戦するというアクションがないと、情熱を燃やすことなどまずできない。


 反面、すぐに目標達成できてしまうチートや環境があると、まずこの時点で『熱血』の道は断たれてしまうこととなる。単純な話、ゴールまでの道のりが短すぎるのだ。

 第一話でニートの主人公が「女の子にモテたい」と目標を口にし、第二話で転生先の神さまからイケメンチートを貰い、第三話で目標達成。他の人と42.195㎞のフルマラソンで競争する時に、自分だけ瞬間移動でゴールまで行くようなものだ。

 どれほどご立派な意志があろうと、目標にかける思いが強かろうと、これでは単なる茶番にしかならない。これで更に周りの登場人物から「お前はすごい」「ご主人様ステキです!」なんて称賛の嵐が巻き起ころうものなら、後は推して知るべしだ。




 3つ目の『自己主張がしっかりしている(または、徐々にしっかりしていく(、、、、))』点だが、これが一番重要かもしれない。

 その1で述べた『主張』の話とも密接に関わるが、熱血キャラというのは総じて「俺は○○になりたい!」といった自分の意思表示が極めて明確だ。

 別に最初からこうである必要はない。

 冒頭では内気で自己主張をまったくしなかった弱虫少年が、友達やヒロインと接していく中で段々勇気を出して自分の本音を言えるようになっていく――という展開も『熱血』としては王道だろう。


 しかし逆に、これは『テンプレ』において特に嫌われがちな要素でもある。

 『主張』をする時点で、共感性が失われる(、、、、、、、、)からだ。

 拙作でもやたらと暑苦しい『主張』の多いキャラが乱立しているが、ウチの熱血ヒロインこと楯無鈴風さんの口癖は「ここで逃げたら女が(すた)る」だ。率直に言って、誰も共感できない(共感できると仰る女性読者様とは、ぜひ一緒にお酒を飲みたい)。

 しかし、『主張』するというのはつまりはこういうことだ。

 自己主張というのは、それ即ち我を強く出すということであり、「周りは○○かもしれないが、自分は××だと思っている」というように、基本的に周りに共感されないからこそ行われるアクションである。

 議論(ディベート)を実際にやってみるとよく分かる話だが、『主張』のぶつかり合いとは総じて白熱するものだ(、、、、、、、)

 より身近な行動で表現をするのであれば、アンケートで出した通り、口論――口喧嘩(くちげんか)ができるかどうか。舌戦(ぜっせん)と言い換えてもいいが、立ち向かうべき相手に対し、口喧嘩という主張のキャッチボール(、、、、、、、、、、)ができているならば、その作品の熱血度はかなり高いのではないかと思う。





 そして最後の『物事に真摯(しんし)に向き合う』点について。

 挫折や後悔という感情は、打ち込んできた物事に対して真剣だったからこそ(、、、、、、、、、)生じるものだ。

 例えば、闘技大会の決勝戦で負けてしまい「くそおおおおっ、あと少しで優勝できたのに!!」と大泣きするのは、よほど大会優勝にかける思い、または対戦相手に勝ちたいという思いの強さがそのまま跳ね返ってきたことによる感情の爆発だ。

 無論、叫ぶばかりがそうであるわけではなく、表面上は無表情でも心の中では大泣きしていた場合でも同じことが言える。負けても何も言わなかったが、血がにじむほどに拳を強く握りしめていた――悔しい気持ちをこうやって表現するケースだってあるだろう。


 これは『熱血』のみならず、作品そのものに対する方向性にも大きく関わる要素だ。

 強敵に負けた主人公が「相手の方がレベルが高かったからね、仕方がない」。

 王子様に婚約破棄された悪役令嬢が「あ、そうですか。別にいいですよわかりました」。

 『テンプレ』やる気なし系主人公の一例だが、どちらもまったくと言っていいほど熱意が感じられない(後者は狙ってやっているのだろうが)。

 読者からすると、一人称視点で主人公の内心もバッチリ分かっているわけだから、「実は心の内ではものすごく悔しがっているかも?」といった推測もまったく意味をなさない。

 戦って強くなることも、恋愛や結婚も同じだと思うのだが……物事に真剣にならない人に対して、誰が真剣に向き合ってくれるというのか。婚約破棄されて特に何とも思わない悪役令嬢を見ているとつくづく思うが、当の本人が婚約にまったく真剣でない時点で破棄されて当然だと思うぞ。





 正直な話、『テンプレ』でも周りの登場人物は(、、、、、、、、)結構『熱血』やっていると思うのだ。

 勇者召喚されて「困っている人を助けたい!」と宣言するイケメン生徒会長然り。

 「好きです、何があってもあなたの傍にいます!」と言って無理矢理同行してくるヒロイン然り。

 主人公と比べて人並みの力しかなくても「絶対にこの街を守り抜くんだ!」と必死にモンスターの群れに立ち向かう兵士やギルドのメンバーなどもそうだ。

 チョロインだろうと主人公の噛ませ犬だろうと雑魚だろうと、みんな情熱を燃やして、何より本気で(、、、、、、)あらゆる物事に立ち向かっている。

 そんな『熱血』キャラが溢れる異世界に投下された主人公。

 チート持ち転生キャラでも、隠居した賢者や勇者でも何でもいいが……そんな最強主人公は、皆が必死になって立ち向かう壁や困難に対し、「俺だったらこれくらいなんてことないぜ」と余裕の一言でまるっと解決していくわけだ。


 感想欄でも一部あった意見だが、どうも『テンプレ』作品はこういった『熱血』キャラの価値を下げたがっているようにも見える。

 俺tueeeやざまぁ系の話というのは、形式はどうあれ他者を落とす(、、、、、、)ことに対して価値を見出す方向性の作品となり得る。

 最初から無双プレイですべての敵を蹴散らして「俺が一番強い!」と胸を張るのも、性格の悪い婚約相手を破滅させて「ざまぁないわね」と踏みにじるのも、相手を倒す行為そのものに魅力を置いているわけだ。ストレス解消としての読み方ゆえの宿命なのかもしれない。


 対する『熱血』はその対極だ。相手を落とすのではなく、自身を引き上げる(、、、、、、、、)

 「次こそは負けないようにもっと強くなるぞ!」「あの王子が婚約破棄したのを後悔するくらいに、いい女になってやる!」というように、自分を変えることで他者に影響を与えようと働きかける行動が多く見てとれる。

 今時の言葉に直すと、『自己啓発(じこけいはつ)』の意識が強いのだ。

 メタボのおっさんが「女の子にモテたい!」と思って、必死に体を鍛えて理想的なマッチョボディを手にするのも、立派な『熱血』であり『自己啓発』だ。


 ……まぁ、『自己啓発』を今の『テンプレ』には組み込みづらいのは何となく分かるのだ。

 そもそもチートなんて「何もしなくても自分の価値を引き上げたい」という、『自己啓発』に真っ向からケンカ売っているような概念だ。現実世界で成功や満足を得られなかった人間が、異世界にいったらすぐに大成功という流れも、「自分が成功できないのは、自分が悪いのではなくて世界のせい」という意識が大なり小なりあるとは思う。

 普通の現代日本人という主人公に対し、主人公自身の行動や変化によって物語を起こすのではなく、チートや異世界といった外からの働きかけ(、、、、、、、、)でしか物語を作れない限り、主人公の中に『熱』などまず生まれはしまい。

 

 

  


 少し話が脱線するが……『熱血』が求められているのは作中の登場人物ではなく、もしかすると作者の方なのかもしれない。

 主人公が目標を達成するのに情熱が必要なのであれば、主人公を目標に到達させるまで書き続ける情熱(、、、、、、、)が、作者には必要不可欠なわけだ。

 本考察を投稿する時点ではまだ世に出ていない新作“星巡りのノア”であれば、辺境の国のお姫様が「崩壊する世界を救う」なんて超大々的な目標を掲げてしまっている。当然ながらチートなどない。

 そのため、書いている私としては「うおおおおお何としても世界を救うところまで書き抜いてやるからな! 待ってろよマリィいいいいいいっ!!」と意気込み熱く挑まないと、まず完結まで書くなんぞ絶対無理だ(どーでもいいが、マリィとは主人公の愛称)。

 世界救済なんて、書き手にとっては途方もない大風呂敷だ。プロット無しの見切り発車で書こうものなら、間違いなく途中で情熱のガス欠(、、、、、、)待ったなしとなる。

 そういう意味では、主人公の熱意と作者の熱意はある程度リンクしているのかもしれない。





 『熱血』というのは、よく『馬鹿』と同一視される。

 本当に何かを成し遂げたい、欲しいものがあるのであれば、時には馬鹿になる必要だってあるはずだ。

 好きな女の子に振られても諦められないから、何度も何度もアタックするのは馬鹿だろう。

 有名な武術の先生に弟子入りするため、道場の前で三日三晩、雨の日も風の日も土下座したまま動こうとしないのも馬鹿に見える。

 マラソンでビリになるのは決定的で、もうリタイヤしていいにも関わらず最後まで走り切るのも間違いなく馬鹿だ。


 では質問。

 皆様は、こういった人達を「あいつ馬鹿じゃないの」と笑い飛ばせますか?


 違うはずだ。

 馬鹿だろうと周りから滑稽(こっけい)に思われようと、その姿には人の心に訴えかけるものが確かにある。

 『共感性』の対極である『個人特性』。前作ではその究極を『守破離』を成し遂げた人と述べたが――実はどんな人でも必ず辿り着ける、もうひとつの『個人特性』の極致がある。

 それが『意志力(いしりょく)』。

 何があっても絶対にあいつを倒してやる。

 必ず世界を征服して最高の王になってやる。

 何度だって告白して、いつの日かあの子を振り向かせてみせる。

 そういった強い気持ち(、、、、、)の発現に他ならない。


 『意志力(いしりょく)』とは別にそう難しい話ではない。これは単に、自分が決めたことに対し、どれだけ自分の判断と責任で打ち込んでいけるのかというものに過ぎない。

 特別な資格が必要なわけでもない。ニートでも引きこもりでもアラフォーでも社畜でも悪役令嬢でも村人Aでも、誰でもやろうと思えば(、、、、、、、)できることだ。

 だが、その「やろうと思った」ことに対して「そのために行動する」というのが、簡単なようで難しい。

 「世界一の金持ちになりたい」とは誰もが考えることかもしれないが、そのために具体的な計画を考え、行動する人間はほんの僅かであるように。

 だからこそ、目標や夢を思い描き、それを現実にするために行動できる人というのは中々いないのだ。


 『情熱』というのは、その途方もない道のりに一歩踏み出すための、小さな小さなキッカケだ。

 『意志力』というのは、その小さなキッカケの火を絶やさずに走り続けるための燃料だ。

 『熱血』というのは、そうやって走り続ける尊さを知っている人、ないし物語のことだ。

 誰もが『熱血』を書くべきとまでは言わないが、せめて『情熱』を持って走り出すことだけは、どんな作品にだって必要なはずだ。

 なまじ『テンプレ』では、勇者や英雄といったとんでもない存在に(まつ)り上げられる主人公がごまんといるのだ。誰よりも果てしない道のりを進む宿命なのだから、それに見合った『情熱』や『意志力』が無ければ途中で力尽きるのは自明の理だ。

 それをご都合主義やチートで無理矢理にゴールまで引っ張り込むのを今更ダメだなんて言わないが、それは最初から「主人公自身の力では絶対英雄にはなれない」と、作者が最初から主人公のことを見限っているようにも見えてしまう。

 




 では最後に、こんな引用を。

 現在(2016年11月)のカップラーメンのCMで北野武氏が言っていた言葉が、なんとも印象的だった。


 こんな時代にバカをやる。

 それ自体に意味なんてない。叩かれて、叱られるだけだ。

 でも、俺たちはバカをやる。

 それは、時代を変えるためじゃない、

 時代に、テメェを変えられないためだ。


 ほとんどならず者(アウトロー)の発想に見えてしまうが、私個人としてはとても共感できた。

 しかし、『熱血』という意識をシンプルに突き詰めると、こういうことなのかもしれない。

 どれほど個性的で意志の強い主人公を考えても、『テンプレ』異世界チートという時代の流れを前にして、なんとなく俺tueeeやハーレムを作るだけのありふれた(、、、、、)存在に変えられてはいないだろうか。

 魅力的なヒロインや憎たらしい好敵手を考えても、いつの間にか「主人公さんすごい!」としか言わない舞台装置に変えられてはいないだろうか。

 そうなってしまうのは、そのキャラ、ないし作品に対しての『熱』が足りないから――なのかもしれない。


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