その7 あなたの主人公の『やる気』を問う ②
普段はぐうたらで仕事もさぼる、強さもからきしの頼りない男。
しかし一度悪が現れれば、まるで別人のように強く凛々しい姿へ変わり、闇にまぎれて敵を討つ。
時代劇でも多く見られるヒーローの様式美、昼行灯が今回のテーマだ。
前作その4でも少々取り上げた話だが、今回はそういった「普段はやる気が無いけど、いざという時には本気を出して活躍する」人物像として、もっと深く掘り下げてみることにしよう。
昼行灯のヒーローが活躍する作品は、今も昔も広く愛されてきている。
時代劇は特に多いが、代表的な作品だと“必殺仕事人”の中村主水。
ドラマだと“特命係長 只野仁”などが個人的には印象的だった(原作はマンガだったはずだが)。
より広い世代に知られたキャラだと、“るろうに剣心”の緋村剣心なども代表的な昼行灯ヒーローだ。
各人物に共通して言えることは「本気を出したらすごい」ということ。
いや、当たり前の話ではあるのだが……武力であれ知力であれはたまた男の魅力であれ、普段と本気の時の周囲からの評価が正反対になっていることが過半数だ。
中村主水であれば、普段はやる気がなくて仕事もサボる、落ちこぼれの同心(江戸時代で言う警察みたいなもの)。しかし夜になれば、民衆たちの恨みを買う悪党どもを成敗する仕事人と化す。
仕事人時の彼は、普段のグータラっぷりなど嘘のように、冷静かつ豪快な大立ち回りを見せている。言動のひとつひとつも、悪を許さない熱のこもった台詞ばかりだ。
と、ここまでの事はわざわざ解説しなくてもお分かりだろう。
ではここから本題。
恐らく、昼行灯ヒーローを見るたび誰もが一度は思うことだろう。
――どうして、最初から本気を出さないの?
これを作者目線で問うた場合、理由として取りあえずひとつはすぐ出てくる。
ずばり『演出』だ。
周りからの評価がマイナスの状態から一気にプラス評価へ逆転する場合、常にプラス評価を得ている人間がプラスを積み重ねるよりも、瞬間的なプラスの上昇率が高いほど評価は上がりやすい。
何言ってるのか意味が分からないと思うので、いつものように例を出そう。
① いつも皆に優しく、誰からも好かれる優等生が、雨の中捨てられている猫を拾った。
② いつも乱暴で近寄りがたい不良が、雨の中捨てられている猫を拾った。
捨て猫を拾ったという評価点は同じなわけだが、「皆から好かれている」「皆から嫌われている」という、そのキャラの評価のスタートラインが根本的に違うわけだ。
猫を拾うというアクションが、人から100点満点を貰える評価だったとして……①の方は普段から100点の評価を貰っている状況なので、ここに更に100点の行動をしたからといって「いつも通り」と見られてしまうわけだ。
その反面②は、普段は0点の評価にも関わらず、いきなり100点満点の行動をしたことになるから、嫌が応でも周りが「えっ、不良のあいつがあんな優しい一面を? 信じられない!!」と一気に注目するということだ。
プラスであれマイナスであれ、爆発的な評価の上昇下降は人の印象に残りやすい。
しかし、これだけでは昼行灯は成立しない。
まさか「なんで普段はやる気出さないのにいざって時だけ本気出すんですか?」と聞かれて、主人公が「それは演出だからさ。ほら、その方が注目されやすいだろ?」と答えられるわけもないだろう。
……いや、口には出さずとも実際はそのつもりで行動してしまっている、なんちゃって昼行灯は結構いそうな気はする。
学園の教師になった最強の勇者が「目立ちたくない」と言ってだらだら過ごしながらも、生徒がピンチになったら一切の躊躇なく全力出して「勇者を舐めるなよ!」と叫んで大立ち回り、だとか。
勇者とバレて目立つことに対するリスクがあるわけでもなく、バレたところで生徒達からちやほやされていい事づくめ。
つまり、なぜ「目立ちたくない」と思うのか、という理由付けがまるでなされていない。
だから前回に述べたような「目立つのは苦手なんだけど、実は俺って強いんだぜーチラッチラッ」という意識に見えてしまう。
次の理由としては『変装』。
裏世界では名の通った探偵だが、普段はそれを周りに気取らせないため怠け者を演じている、など。
“特命係長 只野仁”などもそうだったが、事件の捜査を請け負った彼は、昼間はダメな平社員を演じながら怪しい相手に近付いて情報を集め、夜になったら本気の姿で悪を成敗、というのがお約束のパターンだった。
いわば変装の一種として、昼と夜の顔を使い分けていたということだ。
しかし問題としては、変装をするだけの必要性があるのかどうか。
例えば……どこにでもいるただの村人が王都にやってきてギルドに加入しました。
「あまり本気を出して目立つのもまずい。普段は大人しくしておこうか」と考えて昼間はやる気無しのフリをすることにした。
はい、ではこの村人に対する感想がこちら。
――ただの村人が何言ってんだ。
と、村人の自意識過剰っぷりに対して手痛いツッコミが待ち受けている。
よーく考えてみよう。
今までまともに注目されたことのない村人が「本気を出して目立ったらまずいよなー」と思っているのだ。
実際にどんな事情があろうとも、発想はまさしく「俺は特別な存在だ」と根拠もなく信じて疑わない中二病患者そのものである。
この変装としての昼行灯とは、大前提として「本気を出した時の自分が」「(好意であれ悪意であれ)周囲から大きな注目を既に受けている(受けていた)」から、初めてその発想に至るのだ。
そのため、この場合の昼行灯は「周囲から大きな注目を受けた経験がある」という過去、そこからの反省として目立たないことを選択する、という心理の流れがない限りまず成立しない。
間違っても、そんな過去経験など微塵もない、異世界転生1日目の主人公が演じていいものではないわけだ。
そして最後の理由は、性格上のもの――つまりは『性分』だ。
本気を出して物事にあたるのには物凄く体力を使うから、普段は省エネで過ごしている、だとか。
興味のない、あるいは熱意を持てない物事にはとことんまで無気力になってしまう、など。
昼行灯を演じているわけでも、そうしなければならない必要性があるわけでもない。
単に自分の性分だからと、結果的に昼行灯になっているパターンだ。
おそらくは“銀魂”の主人公、坂田銀時などが最も分かりやすい例かと思う。
かつては敵方から恐れられた最強の武士だったが、今はドジでマヌケな貧乏よろず屋の主。
日常生活ではとにかく周りからダメ人間扱いされているが(それはそれで愛されている証にも見える)、仲間のピンチや誰かが全力で物事にぶつかっている時には、彼もしっかり本気の言葉と行動で応えている。
つまり、彼なりにではあるが、本気の出し所を心得ているのだ。
おそらくだが、多くの『テンプレ』主人公が演じたい昼行灯ヒーローは、この『性分』タイプなのではないだろうか。
極論だが、「これが俺の性分なんだよ」と言い張るのであれば、上記2つのタイプで要求される昼行灯を演じる理由は不要となる。
ただの村人だろうとチートを貰ったばかりの高校生だろうと1歳で最強になったミラクルベイビーだろうと、このタイプなら昼行灯ヒーローとして成立させることは可能ということだ。
――ただし、実はこれが一番難しいのだが。
この『性分』タイプの昼行灯な人間は、現実世界においてもよく見られる。
身近な例でいくと、学校の授業ではいつも寝てばかりだけど、部活動のサッカーが始まった瞬間誰よりも全力で取り組む生徒などがそうだ。
自分が全力を出すべき部分、本気で取り組みたいものをはっきりと認識した上で、力の使い分けをしている。サッカーで100%の力を発揮するために、普段はなるべく力を温存しているのだ。
お世辞にも優等生ではないわけだが、それでも本気でサッカーを頑張っている彼に対して、周りから悪印象を持たれることは少ないかと思う。
少し難しい話になってくるが、『やる気』の見せ方とは、何もよりよいアウトプットだけで成立するわけではない。
『無職』の回でも少し触れた話だが、サッカー選手というのはサッカーの専門家だからこそ評価される。
子供のころからサッカーひと筋に生きてきて、ずっとずっと頑張り続けてきたことが目に見えるからこそ、世のサッカー選手は皆から称えられている。
何かひとつを極めるというのが、職業やジョブの到達点であり、また個人特性という魅力の到達点でもある。
逆説的に考えれば、そのひとつを極めるために、他のものを犠牲にする選択を行ったことに対しての評価でもあるわけだ。
先のサッカー少年であれば、勉強も遊ぶ時間も、もしかすると寝る時間すらも惜しんでサッカーに打ち込んできたからこその評価ということになる。
この「何に対して全力を出し、その代わりに何を犠牲にしているのか」という取捨選択の見せ方が、『性分』タイプの昼行灯の評価を左右すると言ってもいい。
ライトノベルに出てきそうなキャラで作ってみるとすれば……
① 授業は居眠り、放課後は帰宅部の目立たない高校生→実は大企業の社長で、放課後になったら数万人の社員を従えるカリスマ経営者の顔になる
② 酒と女遊びが大好きでいつも仕事をサボってばかりの不良騎士→誰かが助けを求めてきた時には、意識を切り替えて誰よりも早く助けに走る最強の騎士
こんな感じだろうか。
この場合、日常生活でやる気の欠片も見受けられないのは、本気を出すべき場面において100%の力を出し切っているから、その反動で普段は気を緩めていたり居眠りしたりしている、と推測もしやすい。
本人が意図的に表と裏の顔を使い分けているというよりは、全力を出した結果として、それ以外の場面で脱力せざるを得ない生き方をしているということになる。
「普段はやる気がない→いざという時には全力」という考えではないのだ。
「全力を出し切った→だからその後は力が抜けてしまう」というように、意識転換の流れがまるっと逆転しているのが、この『性分』タイプの昼行灯だ。
読者側にとってはあまり関係のない話だが、作者側としては、この昼行灯キャラを作る時に意識してみるだけで、かなり印象が違ってくるのではないだろうか。
よくある昼行灯の失敗例としては「普段はグータラやる気無し冒険者→仲間がピンチ!→全力を出さずに、簡単に敵をやっつけた」というように、終始本気を出さずに事を済ませてしまうタイプだ。
難しい話ではない。
この場面に立ち会った仲間達の心の声を代弁してみればすぐに分かる。
――じゃあ最初から真面目に戦えよ。
これ以外の感想なんてありゃしない。
颯爽と駆け付けて強敵をやっつけた事実など、はっきり言ってどーでもいいのだ。
問題は、やろうと思えばピンチになる前に強敵を倒せた、またはノーリスクでいつでも仲間を助けられたはずなのに、わざわざタイミングを見計らって鳴り物入りで登場してきた主人公の行動だ。
単純な話、主人公にこう質問してみればいい。
「どうしてこんなギリギリの場面になるまで真面目に戦わなかったんですか?」って。
「いや、もったい付けて登場した方が目立つと思ったから」と返答してきたら、皆で迷わずフルボッコだ。
いかに物語というものが主人公の活躍を際立たせる舞台装置なのだとしても、それを主人公自身が自覚しているなど論外も論外だ。
少なくとも、これを昼行灯キャラだと認めるわけにはいくまい。
繰り返すようだが、昼行灯キャラとは全力を出した結果として存在が成立するものだ。
変装タイプなら「本気を出したら敵から注目されすぎた→だから、普段は目立たないように大人しくしよう」となるわけだ。
より先の展開を予測する力があるのなら「これ以上本気を出したら敵から注目されすぎるかもしれない→だから、手遅れになる前に普段は目立たないように大人しくしよう」となることもあろうが、基本的な意識は前者とまったく同じだ。
性分タイプでも「全力を出したら疲れるんだよ→だから、普段はだらだら過ごしたい」という流れになるから、周りがそれを認めるかどうかは別として、理由付けとしては一応成立している。
後は、それを転換させるタイミングだ。
「普段は目立たないように大人しくしよう→しかし、目立つのを覚悟してでも、今は本気を出さなければならない」
「普段はだらだら過ごしたい→しかし、疲れてもいいから今は本気を出さなければならない」
このように意識を切り替えるトリガーを、いつ、誰の手で、どのようにして引くのかが昼行灯の真骨頂ということだ。それは、小さな子供が助けを求める声だったり、ヒロインや仲間に思い切りぶん殴られたり、何気ない出来事がキッカケでもいい。
――昼行灯とは、本気になる瞬間が一番カッコいいのだ。
強さや評価のギャップばかり気にして、昼行灯を『演出』しようとすると、大概にして無視されてしまうこの瞬間無くして昼行灯の魅力は語れまい。
真に、本気の自分が必要となる瞬間を知っているからこそ、昼行灯を演じるという道を選んだ――世で昼行灯と称されるキャラ達は、その実誰よりも、本気の価値と、本気の重さを知っているのかもしれない。