その4 無職について
前回までと違い、かなりの毒が入っています。
無職やニート無双作者の方、またそういった作品が好きな方はブラウザバックでも結構です。
今回は職業について。
ここでは戦闘における職業、つまり魔法使いや竜騎士と言った『ジョブ』もそうだし、教師やサラリーマンといった『定職』も含まれる。
主人公が歩む物語は、この職業によって決まると言っても過言ではないだろう。
教師ならば当然ながら学園で生徒たちとのやり取りがメインになるだろうし、サムライならば刀片手に戦ってなんぼだ。
無論、その枠組みにとらわれる必要はないのだろうが、だからと言って、教師がいきなり冒険者ギルドに行って依頼ばかり受けていても問題だろう。職務放棄も甚だしいぞ。
職業に就くというのは、何かしらのジャンルにおける専門家になるということだ。
教師ならば教育、ないし学問の専門家。
料理人はそのまんま料理。
サムライなら当然刀を使う技術だ。
学生だって立派な専門家だ。学生は学ぶのが仕事なのだから、勉強の専門家となる。
ここまで書いて、私が何をテーマに挙げようとしているのか、薄々お気付きの方もいるだろう。
ずばり、今回考えてみたいのは、職業を持たない者――要するに『無職』だ。
『ジョブ』と『定職』両方に言えることだが、最近の『テンプレ』でちらほら見られるのが、この『無職』が最強という展開だ。
前世で無職でした~ではなく、異世界でも無職でありつつけ、しかもそれこそが強いというトンデモ設定である。
さて、ここからは結構な毒を吐くので、無職やニート無双が好きな方は、ぜひブラウザバックなり次の話にジャンプしていただきたい。
では、ここからは遠慮無しで行こう。
ここにおける『無職』とは、「職業に就けない人」ではなく、「職業に就かない人」として定義する。
つまり、アルバイトで生計を立てているフリーターは該当せず、一切働くつもりのないニートは該当する。定年退職された方は該当しないし、若くして仕事をクビになり引きこもった人は該当することになる。
また、世界の秘宝や強敵との戦いなど、強烈な動機がある上で『無職』に身をやつしている人も除外する。そもそもこういった人を『無職』と呼ぶこと自体少ないわけで、冒険家とか剣豪といった別の呼び名を付けられる存在であれば、本考察上では関係のない人となる。
戦闘時の『ジョブ』として考えるならば、何かしらのアクションでジョブチェンジできる環境でありながら、『ジョブ』を更新しようとしない――文字通り『無職』とか、あるいは『村人』なども該当するだろうか。
当然の話として、無職とは社会的には間違いなく弱者にあたる。
『定職』であれ『ジョブ』であれ、職業というのは何らかの知識・技術・経験といった能力に対して評価を得た証だと言っていい。
専門家というのは、それ自体が完成された『個人特性』だ。
例えば魔法使いであれば、「魔法は誰にでも使えるわけではない=魔法が使えるのは一部の人だけ=だから魔法の専門家である魔法使いはすごい」という式が成立する限り、魔法使いというジョブは『個人特性』という魅力として評価されて然るべき、ということだ。
これは、盗賊や海賊といった『悪』方向のものにも適用される(職業とは言い難いが)。これはこれで『個人特性』として、『悪』としての魅力に繋がる。
逆説的に考えると、だ。
『無職』というのは「私は何の専門家ではありません」と主張してしまっているわけで、『個人特性』という魅力をみすみす捨てていることになる。
よりストレートに表現するなら、ジョブが竜騎士ならば「あの騎士は竜を乗りこなせる(または、倒せる)んだ! すごいなぁ!!」という評価が出るのに対し、無職の場合は……コメント自体が出ない。「無職ってすごい!」なんて評価をどうやって出せというのか。
職業じゃなくて人間性で評価しよう、という考えも大いにアリだろう。
だが……申し訳ない。
ここは皆さま、冷たい飲み物でも飲んでクールダウンしてから読んでほしいのだが。
――あなたは相手が無職だと知って魅力を感じますか?
夢も希望もない言葉を投げかけるが、感じるわけがない。
何かしらの事情があって無職に甘んじている人だっているだろうが、それなら冒頭で定義した通り、求職活動をしたりアルバイトで生計を立てるなりするのが一般的なわけだから、その時点で本考察上での『無職』ではなくなる。
『ジョブ』においても同じことで、単純に力不足のせいで『無職』や『村人』といった役職から脱することができないのなら、それはもう仕方がない。
しかし、実際の主人公はそんなことはないはずだ。
明らかなチートでもユニークスキルでも何でもいいが、大抵は特別な何かを持っている。
誰よりも最高の『ジョブ』を手にできるだけの環境に身を置いている筈なのだ。
しかし現実は「ニートだけど最強になってモテモテです」「無職だけど異世界で無双」といった、タイトルにまで浸食してくるほどの『無職』推しである。
ここまで来ると、主人公は『無職』というものを唯一無二の最高の役職だとでも思ってるんじゃないか、とすら感じられてくる。しかも最近はそんなタイトルの作品が続々と書籍化しているものだから、少々頭が痛くなってきたのだ。
ここからは、『定職』としての『無職』(書いていて意味不明だが)と、『ジョブ』としての『無職』について個別に切り込んでみよう。
『定職』としての前提条件をもう一回言うが、ここで問うのは働けない無職の主人公ではない。
働かない主人公だ。
もう言葉を選ぶつもりもないのではっきり言ってしまうが、つまりがニートである。引きこもりとニートは、もう何の言い訳もできない『無職』の典型だ。
言い方は悪いが、人間的魅力を完全に放棄した、社会でも最底辺の人間である。
この意見、否定できるのならぜひしていただきたい。
大人にもなって親のスネをかじりながらずっと家で遊んでいる人間に、わずかなりとも魅力というものが見出せるのであれば、だが。
ものすごく頑張ってきたけれど、仕事や学校で大きな挫折や精神的ダメージを受けたことで引きこもった人も例外ではない。
引きこもりのままでいい、なんて思ったことなんてないはずだ。
このままじゃいけない、でも外が怖いから動けないという心理は、引きこもりの現状を恥じているからこその考え方だ。
別段、無職の主人公自体を問題だとは思っていない。
かの名作“無職転生”のように、ニートとなっていた主人公が転生して「今度こそ後悔しない生き方をするんだ!」と決意し、過去の自分を恥じて再起する展開は今や王道とも言える。
つまり『無職』だったという最悪の過去をバネとして、異世界で強く生きるための原動力にしているわけだから、どん底から這い上がった人間として精神的な強さを身に着けることもできるようになる。
この意識を本気で最後まで貫く気概があるのであれば、それこそ前回に述べた『武士道』の精神に辿り着ける可能性すらあるのだ。
しかし、実際の『テンプレ』ニート主人公において、異世界転生・転移後にここまで大きな意識の転換があるケースは極めて少ない。
あくまでも現代日本にいた時のままの、ありのままのニートで異世界に旅立っているのだ。
そして異世界で待ち受けているのは、ゲームのように楽しい世界とかわいいヒロイン達に囲まれる日々。
そんな主人公の、異世界に来て最初の感想は「やった異世界に来たぞー! 別に日本に未練なんてないし、ここで思い切り楽しむかー!」だ。
流れをまとめると、
1. 主人公は何もしようとしない引きこもりのニートで、ある時コロッと死んでしまう。
2. 神様からチート付きで異世界に行けると言われて大喜び。
3. 到着した異世界はまるでゲーム感覚で強くなっていける楽しい世界。
4. 特に苦労もなく、異世界で大勢のヒロインと仲良くしながら一生を過ごしていく。
こんな感じ。
1~4のすべての流れにおいて、1ミリたりとも主人公の魅力を引き出しようがないことがお分かりいただけるだろうか。現代で働きもせずずっと遊びほうけていた主人公が、異世界でもゲーム感覚でただ遊びほうけているわけだ。
物語としては、現代日本に飽きたニートに対し、異世界という新しい遊び場を提供しただけの話に過ぎない。
もはやこの主人公は、ただ単に周りから与えられたものに対し、欲望のまま喜々として飛びつくだけの獣だ。
こんなキャラに人間的な魅力を見出せるなどとお思いだろうか。
さらに付け加えると、現代日本において鬱屈とした人生を送っていた主人公が、こんな苦労も何もない遊園地みたいな異世界に行くという展開は極めてまずい。
何がまずいって「現実はもう嫌だ、異世界に行って楽しく生きたい」という考えを本気で持ってしまっていることだ(それが主人公なのか作者の気持ちなのかは知らないが)。しかも異世界に行く動機が完全に現実逃避と化している。
一応、気持ちが分からないわけではない。
『テンプレ』含むファンタジーの物語は、俗に逃避文学と呼称されることがある。
ざっくり言えば、現実の嫌な事を一時的に忘れて、ファンタジーの優しい世界にどっぷり浸かることで心に休息を与えてあげよう、といった意図の小説だ。そして一区切りついたら現実に戻り、再び嫌なことや辛いことと戦っていく。
つまり、上記のような発想を読者が持つ分には別に何の問題もなかろうし、ある意味ファンタジー小説としての意義を全うできているのかもしれない。
――だからって、読者より真っ先に主人公が逃避してどうする。
しかも読者と違って無期限の、いわば永遠の現実逃避だ。
ずっと現実から逃げ続けていて夢の世界に浸っている人間が主人公。
個人的な感想を述べるなら――正義の味方のような憧れも、悪の権化のような憎しみを抱くこともない、ただただどうでもいい存在である。
『無職』を『ジョブ』として捉えるのであれば、スキルやステータスが存在するゲーム的異世界において「あれ? 実は無職のジョブが一番強いんじゃないの?」と理解することで、『無職』のままで竜騎士とか賢者とか魔王といった名立たるキャラを圧倒していくお話が多いだろうか。
これ自体は、往年の名作RPGでも実際にあった話なのでそう驚きはしなかった。
“ファイナルファンタジー”シリーズの5作目における無職(作内では『すっぴん』と言う)は、確かに最初は弱いのだが、成長していくにつれ、他に習得したジョブのほぼすべての能力を兼ね備えた最強の『ジョブ』に進化する、というものだ。
こういった「一般的に弱いと認識されている『ジョブ』が、実は隠れた強さを持っていた」という展開は、『テンプレ』では結構多い。
有名どころだと“ありふれた職業で世界最強”が該当する。
読んで字の如くだが、特に珍しくもない弱い『ジョブ』に就いた主人公が、様々な発想やスキルの組み合わせで最強に昇華させていくといった感じ(ただし、こちらは無職ではなかったが)。
つまり、普通に運用するとただの弱い『ジョブ』だが、そこに主人公の発想だか閃きだかを駆使して強くしていき、最終的には世界でも最強クラスの相手にも勝てるようにする――そういった下剋上にも似た流れが展開されていくのだろう。
これはこれで面白い話だとは思う。
王道の分かりやすい強さを目指すのではなく、創意工夫で別ベクトルの強さを目指す流れというのは、主人公にそれだけ人一倍の努力を要求していくものだろうから。
じゃあ『ジョブ』としての『無職』はそう問題にはならない?
……そう思いたかったのだが。
ここで問題視しておきたいのが、異様なまでの『無職』上げのストーリーラインだ。
「無職の俺が勇者や魔王より無茶苦茶強いんですけど」とか「俺は村人のまま無双する」といった、『無職』であることに対してやたらプラスイメージを付与していることと、上位職である勇者や魔王などを「無職より弱い」と下げていることだ。
悪いとまでは言わないが、タイトルからして「無職(または村人)の俺に負けるお前ら弱すぎだろ」とでも言いたげな描写を見ていると、どうにも器が小さく見えてしまうのは私だけだろうか。
偉そうにふんぞり返る勇者や魔王に対し、「村人なめんなよ!」という雑草魂や反骨心で食らいついていく展開であれば別に構わないと思うが、そういう作品はあまり見ない。
よく見られるのは、
1. 異世界転生したが、与えられた『ジョブ』はただの無職だった。
2. でも、しばらくする内に無職の強さを理解しはじめる。
3. 勇者や魔王などが現れて世界を揺るがし始める中、無職を極めた主人公はいつの間にか最強になっていた。
こんな無自覚・無意識・偶然からの最強展開で、上位職への反発や憧れなどはほとんどない。
特に多いのが「え? あなた勇者なのに村人の僕に勝てないの? もしかして僕って強いのかも?」や「誰も知らないだろうけど、俺の無職こそが誰も辿り着けない最強のジョブなんだよなー」という、無職を誇る主人公だ。
『ジョブ』で人の価値が決まるなどとは言わないが、大半の小説において自分の『ジョブ』はしっかりと周りに示されている。つまり、勇者ならばその人の『ジョブ』が勇者であることを一目見れば(実際はステータスを見れば)すぐに分かる環境下にあるわけだ。
そんな中で、主人公の『ジョブ』が常に無職であることは、自分から言わずとも周知の事実になる。
率直な疑問として……恥ずかしくないの?
「俺は最強の無職なんだぜ」と胸張って言い切れるのであればもう止めはしないが、主人公は強さの代わりに、人として大切な何かを捨て去ったとしか思えないぞ。
私が思う『無職』の魅力とは、たったひとつだ。
それは「ゼロからのスタートができる」こと。
ヒエラルキーの最下層、人生のどん底。
その手に何も持っていない、裸一貫の状態から死にもの狂いで這い上がる――成り上がりや反逆の物語においては結構相性が良かったりもする。
単純に、一緒に異世界召喚された嫌いなクラスメイトが勇者になり、無職だった主人公は「いつか見返してやる」と必死に強くなるような話がそうだ。『持たざる者』として、『持つ者』に対する嫉妬や羨望といった強い感情を力にして進んでいくのは、往年の熱血少年マンガなどでも多く取り上げられている。
だからこそ、常に自分より強い者と戦い続ける『無職』の物語は、いつだって白熱した手に汗握る様相を見せてくれる。
しかして、今の『テンプレ』における『無職』の考え方はその逆だ。
無職こそが誰よりも素晴らしい最強の『ジョブ』であり、『定職』に付かないニートや引きこもりが英雄となり世界中から称賛される。
無職のままでいい。
いや、無職だからこそあなたはこの世界の頂点に立ち、女性からも魅力的に思われるのだ。
では、ここでもう一度飲み物(ホットミルクとかがいいと思う)を飲んで気持ちを落ち着けて、再度上記の文章を3回くらい読み返してみよう。
「やっぱりおかしいよね、これ」と思うのか、「別にいいじゃん、無職でもカッコいいんだから」と思うのかは人それぞれだが……本気で主人公を魅力的に書いてあげたいのであれば、『無職』の用法には細心の注意を払っていただきたいと、切に願う。
ただ、私個人の意見として「無職ってカッコいい!」なんて声を周りのキャラに出させるのだけはオススメしない。現実の世界において、天地がひっくり返ろうともありえない事実を言わせている時点で、現実味など次元の彼方にホームランだ。