その3 武士道について
今回は『武士道』についてだ。
前回の『騎士道』と似通った部分が多いが、実は突き詰めるとまるで正反対の考え方だったりする。
ではいつものように、まずは武士という存在についてひも解いてみよう。
武士の起源というのは明確ではないそうだが、奈良時代の墾田永年私財法により、自分の土地を持つことができるようになった農民が、土地を守るために武装したのが有力説らしい(考察上さほど重要でないため、内容はものすごく端折っているので参考程度に)。
歴史の教科書で初めて登場した有名な武士と言えば、源義経や平将門といった、平安時代における源氏と平氏はないだろうか。そこから武士という存在が歴史の表舞台に多く現れだし、鎌倉~江戸末期までの時代は、封建時代と称されるいわゆる武士の時代となっていった。
一般的な武士としては、天皇や各国の領主などに仕え、自分の武力を提供する存在。
主従関係を結んで主のために力を振るうという点では、前回の騎士と大差はなかったわけだ。
『武士道』という言葉が出てきたのは江戸時代のお話。
士農工商という身分制度が確立されていった中で、支配階級である武士の在り方を説いたものだ。
しかし、騎士の十戒のような、何かしら体系付けられた規則として定まっていたわけではない。
どちらかというと、「武士とはこうあるべし」といった暗黙のルールのようなものとして徐々に日本中に浸透していったらしい。更に儒教を主とした倫理的思想などが入り交じり、より多様化(というか混沌化)していった。
人によって解釈が異なる『武士道』だが、大ざっぱに解釈してしまえば、武士が「庶民の上に立つ身分として相応しい立ち振る舞いとはなにか」を追求しようとした結果生まれたもの、といったところか。
『武士道』の概念がある程度固まりだしたのが明治時代に入ってから。
新しい国作りをするにあたって、日本人が目指すべき理想の姿として取り上げられたのが、現在我々がイメージしている『武士道』のベースとなっている。この辺は新渡戸稲造の著書である“武士道”が最も代表的だろう。
と、ここまでは単なる日本史の授業なので、さらーっと流し読みで結構だ。
肝心の『武士道』の内容だが、これは『騎士道』との比較で説明するのが手っ取り早い。
実はこの2つ、様々な文献で解説されてはいるが、文面上は驚くほどにそっくりだ。
忠義、正義、勇気、礼節などなど……騎士も武士も、目指すべき理想の姿はそう変わりなかったということなのだろうか。
では、いったいこの2つは何が違うのか?
私が思うに、違いはたったひとつだけ。しかしそれが、武士と騎士を隔てる決定的な差異となっている。
『騎士道』とは、主にあたる者が騎士に「騎士とはこうあるべきだ」と伝えて成立するもの。
対して『武士道』とは、主や他人から言われるものではなく、あくまでも自発的に取り組むものとして捉えられることが多い。
つまり『騎士道』とは、騎士が他人のためにどうあるべきかという考え方から成り立っているもの。
そして『武士道』とは、武士が自分のためにどうあるべきかという考え方から成り立っているということになる。
もう少し噛み砕こう。
例えば敵軍との戦いで、こちらが負けるだろうと分かってしまった時、騎士と武士はそれぞれどのような行動をとるのか。
自分が仕える国はとても良いところで、主には最大の忠誠を抱いているというのが前提条件だ。
騎士の場合は、無理をせず撤退を選択する。
逃げることを恥と考えはするものの、「国を守るため、簡単には死ねない。あの方のためなら、私はどんな恥にも耐えてみせよう」という意識のもと、自分よりも国のことを優先した行動をとる。
武士の場合は、死を覚悟してでも戦うことを選択する。
逃げることは恥であり、国のためよりも「最後の大一番だ、武士らしく華々しく散ってみせよう」というように、自分にとっての誇りや名誉を優先するのだ。
一応、これはあくまで両者の思想の違いをはっきりさせたかっただけの一例なので、状況によっては真逆の結果になる可能性も追記しておく。
仮に、仕えている国が悪政で腐敗まっしぐらのところであれば、騎士は「もはやここまで。しかし最後までこの国のため戦い抜こう」となり、武士は「こんな国と命運を共にする気はない。俺の死に場所はこんなところではないのだ」と撤退を選択するかもしれない。
前回、騎士道の真髄を『思いやり』であると述べたが、この意識は「相手が喜んでくれると思ったから」「相手のことを気遣って」という、自分の行動の正否というものを、常に他人に委ねているからこそ成立している。
よって、この意識を極限まで突き詰めてしまうと、自分自身で何が正しいのか間違っているのかを判断することがなくなってしまう。相手が正しいと認めるのであれば、何であろうと唯々諾々と従ってしまう思考形態にも成り得るのだ。
明らかに悪政を働いている国を、主人公たちが攻めようとするところに立ち塞がった騎士が「私はこの国の騎士として最後まで戦う。だから命に代えてもここを通すわけにはいかん!」というように、国のためという意識の下、一種の思考放棄に近い行動をとりかねないわけだ(悪い意識とも言い切れないが)。
対する武士道は、いわば『自己啓発』の意識だ。
よりよい自分を形作るために、何を考えてどう行動するべきなのか。
「武士道とは、死ぬ事と見つけたり」という言葉を聞いたことがあるだろう。
これは死を美化する意識――武士特有の死生観から来ているものではあるが、どちらかと言うと「いつ死んでもいいように、後悔のない誇りある生き方を心がけよう」という意識の方が強いかと思う。
良き主人に仕え、日々の鍛錬を欠かさず、弱きを助け、誰にも恥じることのない人生を歩んでいく――誰に言われたからではなく、自分自身の意思でだ。
そのため、上記の騎士と同じ状況に立ったとしても、判断はあくまで自分の基準で行われる。
むしろ率先して殿様のところに殴り込み「これ以上生き恥をさらして何とする。最期くらいは誇りある日ノ本の男として、ここで潔く腹を斬れ」と詰め寄る展開にだってなるわけだ。
実際にキャラ作りとして『武士道』を取り入れるにあたり、最もお手軽なのが、そのキャラの基本意識として「今の俺の行動は、本当に誰にも恥じることのない胸を張れるようなものなのか?」と常に自問自答し続けることだ。
前回の冒頭であったような、奇襲や一対一の戦いにこだわる必要はあまりない。
「俺ひとりで正面から戦って勝てるなど、思い上がりをするべきではない。冷静になって、確実に勝利を掴む方が重要だ」というように、奇襲や数の暴力で攻めたとしても、その行為を自己肯定できるのであれば『武士道』としては問題ない。
より厳密に言えば、その行いを周りの人間に指差されながら「卑怯ものー」と揶揄されようと、「どんな手を使ってでも全力で敵を倒す。それが戦の礼儀というものだ」といったような返しを胸張ってできるなら、『武士道』としては上等なのである。
つまり、重要なのは行動そのものではなく、その行動が「誰が何と言おうと、これこそが俺にとっての最善だ」と自信を持って言えるかどうかだ。
しかし、これを典型的な異世界チート主人公に適用させるとなると、非常にハードルが高くなる。
第一回でも述べた通り、『テンプレ』主人公というのはとにかく自己主張が薄い。基本的に常に自分の行動が周りから承認される環境にあるわけだから、そもそも「誰が何と言おうと――」というような逆境に至ること自体がないのだ。
これは余談だが、特に戦国時代の武士の戦いは相当に泥臭く、刀を失ったら短刀で相手の首を狙おうとしたり、関節技で絞め落そうとしたり(甲冑兵法とも言い、現代の柔道にも通じている)勝つために様々な手練手管を駆使していた。
対する騎士側にも体術のひとつやふたつはあったろうが、驚くほどに文献が少なく、あまりスタンダードではなかったと思われる。騎士が剣や槍といった武器以外を好んで使わなかったことから、戦いの中でも礼儀や作法を重んじていた背景があったのだろう。
では、現代で実際に起こり得る場面で『騎士道』と『武士道』が表れる事例を出してみよう。
学校に登校してきたあなただったが、そこで不良にいじめられている生徒を発見した。
助けに入るというのは決定事項として、その時のあなたの『動機』を2つ提示してみよう。
A. いじめれている生徒がどうみても困っている、助けてほしそうにしていると判断したから助けた。
B. このままいじめの現場を見過ごすのは、自分の中で恥だと思ったから助けた。
Aの行動に至った理由としては、あくまで「生徒が助けを求めていた」からだ。
つまり、騎士道精神から来る『思いやり』が見えてくる意識となる。
しかし別の視点で考えると、生徒が明らかに困っている姿を見ない限りは助けに入らなかったのか? ともとれるわけだ。
対するBの行動の動機としては、「見過ごすことを自分が許せなかった」と感じたから。
他人からの評価を意識するのではなく、自分で自分の評価を意識したからこその行動というわけだ。
しかし、他人がどう思うのかを気にしない行動でもあるので、時には「誰も助けてなんて頼んでない!」と反感を買う可能性もある。
それでもなお、自分がそうするべきだと、自分が正しいと信じたからこそ、見返りも求めずにその行動を貫き通すのであれば、これぞまさしく『武士道』だ。
逆に、ここで「助けてやったのになんだその言いぐさは!」と思うのであれば、それは単なる善意の押し付けとなり、『武士道』とも『騎士道』とも大きくかけ離れてしまう。
どちらにも共通して言えることだが、見返りを期待する時点で基本アウトだ。
正しい間違っているという話ではなく、この思考は自分の行いに対して何らかの対価を要求しているわけだから、単なる打算ありきの行動であり……要するに普通なのだ。
ある意味、こちらの方がよっぽど人間らしいと共感もできようが、だからと言ってそれを良しとするわけにもいくまい。
『武士道』における印象的なエピソードとして、1942年の大東亜戦争における、工藤俊作という日本海軍の艦長の勇気ある行動をぜひ取り上げたい。
有名な話なのでここでは大まかな解説とするが(web検索でもすぐ出てくる)……戦争中、工藤艦長率いる戦艦は、船が撃沈されて海を漂流していた何百人もの敵国の兵を発見した。当然助ける義務などないし、それに、こちらの燃料や食糧なども少なかったので、たとえ友軍だったとしても救助できる余裕などなかったのだ。
しかし、工藤艦長は彼らを救助するよう船員たちに指示を出した。その間に他の敵に狙われる危険性も承知の上でだ。
そして救助した兵士たちに対し「貴官達は勇敢に戦われた。今や貴官達は日本海軍の名誉あるゲストである」と述べ、衣服や食糧を提供し、敵国の艦に引き渡すまで手厚い処遇を施したのである。
結果だけを見るのであれば、工藤艦長は自国からの命令を無視し、身勝手な行動で自分と艦を危険にさらしたこととなる。その上敵を助けたとあっては、下手をすると反逆者として罰せられたことだろう。
しかし、彼の行いによって命を救われた敵国の人間からは深い感謝が捧げられた。
軍を退役した後も、工藤氏は最後までこの出来事を誰にも、家族にさえ口外しなかったらしい。
それは単に軍務という機密事項だったからなのか、それとも、話すまでもない当然のことだと思っていたのか――既に他界されている今、それを確認する術はないが、この辺りは語るも野暮だろう。
『武士道』による行いは、見る人によっては身勝手で自己中心的なものに見えるかもしれない。
しかし、上記の工藤艦長の行いのように、その行動を素晴らしいこととして評価してくれる人がいるからこそ、無二の魅力として感じられるのだと思う。
これは『騎士道』も同じことだ。
自分の身はどうなっても、常に守るべき他者のために力を尽くす行いと精神性は、絵物語の主人公に取り上げられるほどに、力ある者の理想の姿となっている。
『騎士道』や『武士道』とは、常に自分の中の理想を追い求める、妥協しない生き方だ。
決して誰にも真似できるものではない、それでもこうなりたいと憧れずにはいられない――『個人特性』としては究極中の究極だ。
せっかく自由に人や物語を作れる小説の世界なのだ。
一度はこういった、男としての『極み』を追求してみるのも良いのではないだろうか?
では、最後にアンケートをとってみたいと思う。実に簡単な質問だ。
――あなたは騎士と武士、どっちが好きですか?
史実上の人間でも、創作上のキャラでもどちらでも構わないが、あなたの一番好きな騎士・武士をイメージして、どんなところが好きなのかも答えていただけるとなおありがたい。
できればこれを集計の上、本作の後半あたりで『武士VS騎士』の回を書いてみたいのだ。
つまり……この考察はまだ続くということである。