その11 天才や賢者に求められるもの
今回のテーマは『知性』だ。
あなたの作品には、『知性』に満ちたキャラはどれだけ登場しているだろうか。
『知性』のある人とは、端的に言えば賢い人。テンプレ作品であれば、まさしく天才だとか賢者がそれに該当するわけだ。
だが……率直に言おうか。作中で天才や賢者と呼ばれる主人公で、本当に賢いと思えるようなキャラはほとんどいなかった。これは、口に出さないだけで似たような感想をお持ちの方は多いはずだ。
私なりに理由を述べるのであれば、知識があっても知性が見えないから。
例えあらゆる魔法を身につけた賢者でも、ただ全部力押しで敵を倒すことしかできないようでは、それを賢いとは評価できないということだ。
『知性』とは、知識を得て、思考し、判断し、物事に活かす力。
何でも知っているというのは、ただ知識があるだけに過ぎない。
今回は、いかにしてキャラに『知性』の輝きを持たせるのかを考えてみよう。
現行の『テンプレ』では、こういった知性をピックアップすることは非常に難しい。
いかに周りのキャラや読者に知性をアピールするかというと、それは知恵を絞るというアクションだ。よりシンプルに表現するならば、「悩む」こと。
そして、この定義に真っ向からケンカを売ってしまっているのが『主人公最強』の設定だ。
ストレスフリーで何でも簡単に解決できてしまう環境下にあると、まず「悩む」というアクション自体が出ない。
そもそも「悩む」ということは、困っていること、できないことが目の前にあるということだ。
例えば、村で農作物が育たなくて困っている場面があったとする。
そこに「俺がすぐに育つようにしてやるぜ!」と言って万能魔法でポンと解決するさまは、確かに賢者っぽく見えるかもしれない。
しかし、その判断には一切の『思考』がなかった。「作物が育たない? じゃあ俺の魔法で一発だ!」と深く考えず、極めて短絡的な判断で行動してしまっているわけだ。
この辺は設定次第だが、急速成長することで作物の品質が悪くなるとか、土壌に悪影響が出てしまうとか、魔法を使うにあたり悩むべき要素などいくらでもあるぞ。
このように、「何でもできる」はいとも簡単に人から『思考』というものを奪い去ってしまう。
現代社会において、知識の価値というのは低く見られがちだ。
インターネット全盛の現代において、検索すれば知りたい知識はいくらでも出てくる。
例えば知識チート系の主人公は、よく異世界で銃を作ろうとする。私は銃鍛冶ではないので作ったこともなければ作れる気もしないが……しかし、ネットで調べれば製法という知識はすぐに得られるわけだ。
異世界で天才や賢者と呼ばれる主人公の知識が、調べれば誰でも分かるものでしかなければ、真に評価されるべきは主人公ではなくGoogle検索だろう。主人公が何でも知っているという設定を守るために、作者が毎回○ィキペディアで調べているようでは賢者の名折れもいいところである。
仮に主人公の設定が「何でも知っている知識の探究者」だろうと、その知識の供給源が、作者が軽くネットで拾ってきた程度の物である限り、主人公も結局ネット依存の知識しか語れないのだから。そりゃあ天才にも賢者にも見えるわけがない。
それに、ネットの知識など信憑性のないものの方が多い。
間違った知識を我が物顔で語った結果、感想欄でツッコまれ放題なんて話は『なろう』では日常茶飯事だぞ。
こう言っては何だが、既存の知識しか語れない者が賢いとは思えないのだ。
例えば……教科書を丸暗記して、すべての筆記テストで100点を取ったAさんと、記憶力に自信がなく0点ばかり取るBさん。
通常、確かにAさんの方が賢いと言われるのは否めない。
しかし、筆記テストで100点を取ったから天才で、0点だからバカというのも乱暴な決めつけだ。
学生時代、誰もが一度は考えたはずだ――「こんなテストに何の意味があるんだろう?」と。三角関数や794うぐいす平安京や読書感想文やプレパラートの作り方をしっかり覚えたからといって、いったい何の役に立つんだよという話だ。
結論から言うと、それだけでは何の役にも立つわけがない。
当然の話だ。テストに出る問題、本に載っている知識というのは、既に知られている内容である。
他人から教えてもらった知識を我がことのように語ったところで、誰もすごいとは思わないわけで。
ここ、勘違いされている方が非常に多いが……100点を取るのが重要なのではなくて、100点を取れるほどの知識を蓄えたことで、今後何ができるのかの方が圧倒的に重要だ。
要するに、英語の教科書を丸暗記して100点を取ったとて、実際に自分の書きたいことを英文で書いたり、少しでも英語で会話するなど――(今すぐでなくてもいいが)その知識を何かに活用できなければ、その100点には何の価値もないということだ。
冒頭の「すぐに農作物が育つ魔法」を例にしてみよう。
そういった万能魔法を、最初から当たり前のように習得している、という事実しか描写しないから、主人公の賢さが見えないのだ。
なぜ、どのようにして習得したのか――ここまでの背景を考えてみて初めて、主人公の賢さを見出す場面を作ることができる。
神様チートでいつの間にか習得していましたというのなら、結局主人公は自分で考えたわけでもない魔法を、どんな影響があるかも考えないまま、ただ「そういう効果の魔法だから」という根拠のない理由でポンと使っただけである。この思考形態のどこに賢者と呼ばれる要素があるのか、知っている人がいるならぜひご教授いただきたいぞ。
……冗談はさておき、こういった場面で知性アピールをしたい場合、最初から魔法を使えるのではなく、村人の声を聞いてそこから魔法を作ってみる動きの方が断然いい。
この時の主人公の脳内はすさまじい回転を繰り広げることになる。
ここで重要視されるのは、『思考』→『発想』→『行動』に至る前での一連の流れだ。
作物が育たないと困っている→いったいどうすれば解決するんだろう→そもそも、農作物はどうすれば育つんだろうか→太陽の光、水、土……つまり人間と同じく栄養があればいいのかな?(ここまでが『思考』)→そうか! だったら魔法で作物に栄養を与えられれば!(これが『発想』)→ならまずは農学の勉強をして作物に人うな栄養を知ろう→あとは、その栄養を魔法で作り出して作物に与えられれば!(ここまでが『行動』)→よし完成だ! さあ村へ行って皆を助けてあげよう!(これは『結果』)
提示された問題に対し、まず解決方法を探るべく『思考』を重ね、既存の知識を総動員(足りなければ新しい知識を追加)して『発想』までこぎ着け、後はその『発想』を現実に形にするために『行動』する。
この三段活用で『結果』まで持っていける速さや難易度、幅広さなどを指して、人はその人を『天才』と褒めたたえるわけだ。
「まさか作物ではなく、水や土まで調べて対策するだなんて!」とか「こんな短時間で作物が育たない原因を突き止めたとは!」なんて評価を、そう言われるだけの経緯を読者に見せた上で与えるならば、知性アピールとしては概ね成功かと思う。
これは戦闘でも同じこと。
天才剣士、なんて触れ込みのキャラを作りたい場合、どんな敵も簡単に一刀両断するようでは問題だ。これでは天才というより、ただの力任せという評価の方が先に立つと思われる。
基本は先ほどの要領。
凶悪なドラゴンを退治するとして……
コイツの鱗のせいで、剣も魔法もまるで通じない!→いったいどうすれば奴を倒せるんだ?→まともに叩いても鱗があるからダメ、なら別の部分から攻めるしかないな→敵の動きをよく観察してみよう→あれ? あいつ火のブレスを吐く瞬間は無防備だな。なんとか利用できれば(ここまでが『思考』)→そうか! 口の中までは鱗に守られていない! 狙うならあそこだ!(『発想』)→ブレスを吐く一瞬の隙をついて、口の中めがけて総攻撃。これしかない!→皆でタイミングを合わせて、今だ!(ここまでが『行動』)→ドラゴンをやっつけたぞ!(『結果』)
こんな感じ。
より主人公の天才っぷりを際立たせたいなら、『行動』や『結果』よりは『思考』→『発想』に至るまでの流れに重点を置くといい。様々な方向で『思考』の網を展開し、最小限の時間と情報で『発想』まで至る、というのは戦士でも策士でも高い知性が求められる動きだ。
逆に、『思考』を無視して『発想』→『行動』しか書かないと、とてもバカっぽく見える。
上記の例で行くと、戦闘開始直後いきなり「ドラゴンの口の中が弱点だ!」と言い放って総攻撃しようとするわけだ。
この場合、周りの仲間は「コイツ、なんてすごい閃きなんだ!」と驚くのがテンプレだが、より現実的な考え方をする仲間なら、まず主人公に「その根拠は?」と聞く。
当然だ。いくらその『発想』が絶対に正解だったとしても、人間理由がないと納得できない。
これに何かしら明確な返答ができるなら大丈夫だ。
別に、間違っていても構わないのだ。きちんと説明できる時点で知性の輝きは見出せるし、頑張って試行錯誤した点は評価できるはずだ。
ここでの返答が「最初から知っている」なら、それは単なる物知りなだけだ。
「なんとなく」と答えたところで、それは説明になっていない。結局、仲間は「俺はお前を信じるぜ!」で納得しないまま根拠のない大バクチに挑むことになる。主人公の知性アピールとしてはお粗末すぎるだろう。
「説明している時間はない! 俺を信じてくれ!」が一番通りのいい返答かとは思うが、なら後で時間ができたら解説しなければならない。戦闘終了後、仲間が誰も聞こうとせずに「無事倒せたんだからOK」で解説をスルーする場合が多々あるが、これが一番問題だ。
成功でも失敗でも同じ話だが、そこに至った理由をしっかり考えて次に生かすことをしない、というのを俗に考え無しと呼ぶのだから。
正直言って、主人公最強系のテンプレ作品で「周りのキャラがバカっぽく見える」なんて感想が来る理由の大半はこれだ。
主人公の『発想』が常に正しく、常に最高の『結果』を残すことに対し、「どうしてこの人はこんなに素晴らしい結果を残せているんだろう?」という疑問を誰も持たない。「あの人はすごい!」という感想で思考が止まってしまっているのだ。
典型的な悪例として、チート主人公が持つ特殊な武器を見て「不思議な武器ですね」「変わった戦い方をするヤツだ」といった感想があって――そこから先の追求がまるで無い。
主人公はメチャクチャ強いんだろう? 自分たちが苦戦する魔物をワンパンするんだろう?
「どうやったら俺もあんな力を手に入れられるんだろう」となんで考えない!!
こういう疑問が、主人公のチートが暴かれる危険性、主人公にとって害になる可能性に繋がるからこそ、多くの『テンプレ』では避けられているのかもしれないが……それはあまりにも、主人公にとって都合が良すぎるだろう。
というか、作者がこういった害や危険を恐れているということは、「主人公ではチートがバレた場合対処できない」と言っているようなものだぞ。真に天才や賢者と呼ばれたいなら、この程度知恵と機転で軽く乗り越えなさいよ。
「バカかわいい」とか「頭の中がお花畑」という位置づけで、意図的にそのようなキャラを作っているのであれば何も言わないが、天才賢者が知性アピールする対象としては不適切すぎる。
かなり乱暴な例だが、
主人公「魔物の大軍が攻めてきた? よし、それなら部隊を分けて前後から挟み撃ちだ!」
他のキャラ「は、挟み撃ちだって!? なんて画期的な策なんだ!」
このような見るに堪えない主人公の活躍シーン(?)が本当に出てくる。
たかだか挟み撃ち程度で画期的と思うキャラもだが、何よりそんな誰でも考え付くレベルの策(とも言えない)でいかにも必勝の策! みたいなテンションで大真面目に言い放つ主人公さえもバカっぽく見えてしまう。
『共感性』特化のために、普通の現代日本人を賢者や天才と呼ばれるようにしているテンプレ作品を作る際、作者の中では以下のような構想が練られているのではないか。
① 現代では普通の(?)引きこもりやニート
② この主人公が賢者と呼ばれるような異世界を作りたい
③ じゃあ、主人公が一番賢くなるためにはどうすればいい?
④ そうだ、他のキャラを全員、主人公より賢くないように(バカに)すればいいんだ!!
お分かりだとは思うが、完全に④がアウトである。
上記の考えを、それこそバカバカしいと切り捨てて頂けるのであれば、それでまったく問題ない。
「主人公が一番賢くなる」という結果を逆算して作るという意味では、決して悪い手法ではないのだろうが……いかんせん賢さの基準が低すぎる。
経験豊富な戦士や文官、貴族や王様に至るまでが、揃いも揃って引きこもりやニートより知性がないってあんまりだぞ。「こんな奴が王様やってて、今までよく国が成り立っていたな」とか「歴戦の勇者や英雄が、こんな考え無しでよく生きてこられたな」とか、世界観そのものに多大な矛盾が生じてしまう。
「だってこうでもしないと主人公が賢者になんてなれない! 他に方法なんてない!」とお思いのテンプレ作者の方がいらっしゃれば、耳が痛いだろうがしっかり聞いてほしい。
――悩みもしない奴が賢くなんてなれるか。
実際の歴史上で、天才や稀代の軍略家などと呼ばれた人が、何も悩まずに常に正解を導き出せたわけがない。本当に自分の選択は正しいのかと苦しまなかったわけがない。
それに、知性や知恵というのは、元来弱者のためのものだ。
力では他の動物に敵わなかった石器時代の人間が、その弱さを補うために武器を作ったように。
戦国時代の軍師が、数に劣る兵力で大軍を倒すために策を練ったように。
弱いからこそ、強くなる手段を考える。
できないことがあるからこそ、できる方法を模索する。
創意工夫と試行錯誤は知恵あるものの象徴だ。
別に天才というのは、誰も知らないことを知っているから天才なのではない。
天才の絶対条件は、考えるのを諦めないこと。
誰もが無理だろうと諦めるようなことでも、決して諦めずに考え続ける者に与えられるべき称号だ。
馬鹿と天才は紙一重、なんて言葉があるが……天才と呼ばれてきた人は、きっと最初は諦めの悪い馬鹿と呼ばれてきたに違いない。
成功し続ける者ではない。
失敗を続けた先に、成功への道があると信じ続けた者にこそ知性の輝きが宿る。
そして、諦めの悪い馬鹿が進み続けた道の果てにこそ、天才や賢者という称号が相応しい。




