その10 狂気に満ちたキャラ、サイコパスについて
今回のテーマは……正直とってもヘビーである。
それは、あまりに異常な言動や行動をする主人公が、感想欄でよく読者に評される言葉――『サイコパス』だ。
この言葉、感想欄で目にした回数は一度や二度ではない。
『サイコパス』とは心理学用語で精神病質。細かく言うと複雑な定義があるそうなのだが、ここは心理学の論文ではないのでざっくり定義すると……善意を持たない人といったところか。
これだけでは何のことやらだと思うので、少し例題を出してみよう。
あなたはお金を稼ぐために旅をしている冒険者です。
ある日、ケガをして倒れていたところを、とある国のお姫様に助けてもらいました。
お城のふかふかなベッドで手厚い看病をしてもらったあなたは、お姫様を見ながらこんなことを考えていました。
1. 見ず知らずの俺にこんなに優しくしてくれるなんて……必ず恩返ししないと。
2. 見ず知らずの俺になんでこんなに優しくするんだ? お姫様には悪いが、なんだか怪しいからケガが治ったらすぐ退散しよう。
3. 見ず知らずの俺にこんなに優しくしてくれるなんて……このお姫様チョロいな。上手く言いくるめて金目の物をいただいてやろう。
あなたは1~3のうち、どの考え方に近いだろうか。
正直なところ、1か2で迷う分には大して問題はないのだ。
1は純粋な善意。2は自己防衛に則った行動だし、お姫様に悪いと思っているので善意がないわけではない。
問題は、3だ。
助けてもらった相手に対し、感謝や疑念を持つのではなく、利用してやろうという純粋な悪意で思考している。
こういった思考を当たり前のように展開できてしまうことが、『サイコパス』と呼ばれるような心理状態となっている。
なお、これはあくまで序の口だ。『サイコパス』と呼ぶにはまだまだ可愛いものである。
善意を持たない人というのは、悪意しか持たない人間であり――つまり、自分のことしか考えない、利己的な人間のことと言える。
では、それを踏まえて『サイコパス』と呼ばれる人たちの行動パターンをいくつか挙げてみよう。
・社会のルールに上手く馴染めない
・計画性がなく、何事も行き当たりばったり
・自慢話が多い
・平然と嘘をついて、人を騙すことにためらいがない
・すぐにカッとなって相手を傷つけようとする
・自分の行動に責任を持たない(持てない、ではなく持たない)
・他人を傷つける、害を与えることに対して罪悪感を覚えない
別にひとつでも該当したら問題、と言うわけではない。私とて、行き当たりばったりな行動や自慢話のひとつやふたつくらいするとも。
ただし、4つや5つ以上も該当してしまう場合に関しては……少々ご自分の意識に危機感を持ってもらった方がいいかもしれない。
ちなみに、小説内でこれらの項目すべてに該当する可能性が極めて高いキャラが存在する。「もう俺は誰の言うことも聞かない! やりたいように好き勝手やってやるぞ!!」と高らかに宣言する、いわゆる自重しない主人公だ。
こういった主人公が『サイコパス』呼ばわりされるのは、正直なところほぼ避けられない。
自重しないということは、自分の行動が他者にどのような影響を及ぼすのかを一切配慮しないということだ。
実際主人公は、「他人の事など気にせず、自分の事しか考えない」と明言しているわけで。
これは『サイコパス』の定義ときれいに合致している。
仮にこんな主人公が、ジャングルの奥地や人外魔境など、人っ子ひとりいない環境でまともに他人と触れ合わない生活をする場合ならさして問題ではない。「自分のことしか考えないという心理=生きるため」という単純明快な理由付けもできるし、何より善意を向けるべき他人がいないからだ。
が、主人公が町や村などの社会の中で生活する場合、『サイコパス』の人間とは間違いなく社会を乱すものだ。
当然の話である。
大都市だろうと田舎の村だろうと、人間社会の中には必ず、他人と上手く付き合っていくための法律なりルールが存在する。しかし、自分のことしか考えない『サイコパス』は、そんなルールなど律儀に守りはしない。
奴隷の話がいい例だ。
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奴隷の女の子がかわいそうだから奴隷市場を襲撃して助けました。そして、主人公は「さぁ、これで君は自由だ!」と奴隷の女の子を解放してあげたのです。
しかし実は、女の子は自分ひとりでは食べていくことができないので、生きるために自ら奴隷になっていたのです。にも関わらず無理矢理解放されてしまったので、たったひとりで生きていくこともできず、哀れ街の片隅で飢え死にしてしまいました。
そんなことなど露知らずな主人公は「ああ、良いことをしたからすごく気分がいいなぁ」と上機嫌でした。
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これ、テンプレ作品ではよくある話だ。
奴隷市場の実態を知らなかったのだから、仕方がないと思うだろうか?
単純な話――この主人公は、奴隷の女の子のことも、奴隷市場で働く人のことも一切考えていない。
奴隷市場の主から「彼女らは働くところもなく、ひとりでは生きていけないからここにいるんだ」といった話を聞いたり、それこそ女の子から「私はここでしか生きられない」といった事情を先に聞いていれば、結末は違っていたはずだ。
あるいは、わずかなりとも「どうしてこの子は奴隷になっているんだろう?」「どうしてこの国では奴隷市場があって、誰もそれがいけないことだと思わないんだろう?」と、相手の視線で物事を考えてみるだけでも劇的に話は変わっていただろう。
一見すると善良そうな主人公だが、実態は「かわいそうだから」という自己満足のためだけに、奴隷市場を崩壊させ女の子を死に追いやったわけだ。
サイコパス、ないし多くのテンプレ主人公が好む「自重しない生き方」というのは、突き詰めるとこういうことだ。
しかしこれ、よくよく見れば前作で取り上げた『悪』の定義にも極めて近い。私の大好きな悪の権化こと“ジョジョの奇妙な冒険”のディオ様とて、上記の内容にはきれいに当てはまっていそうでもある。
おいおい、それじゃあ清々しいほどの極悪キャラたるディオ様も『サイコパス』呼ばわりかよ――という話になってしまう。
いや、ディオ様の思考が人間として正常なわけないのだから、間違いではないのだろうが……ここで重要になってくるのが他キャラとの関係性。第一回で述べた『正しさ』の話とつながる。
魅力的な『悪』キャラには、必ずと言っていいほどこんなやり取りが存在する。
主「お前の考えは間違っている!」
悪「はっ、それがどうした! 貴様のような凡人に俺の崇高さが理解できてたまるかぁ!!」
『悪』の考察でも述べた通りだが、一本気の通った『悪』とは、自分が他人には理解されがたい考えを持っていることをしっかり自覚している。
同じ思考、同じ行動だとしても、知ってやるのと知らずにやるのでは(キャラとしての)評価は大違いだ。他人に『悪』と断定され、それを自覚した上で、それでも改めるつもりがないのであれば――方向性は間違っていても、『意地』や『信念』といった強い精神性の表れとして捉えることができるからだ。
この条件に至るためには、真っ向から対立してくれる強力なキャラが必要不可欠だ。
それは別に『善』『悪』どちらでも構わない。「世のため人のため、お前を許さない!」でも「テメェ俺より目立ってんじゃねぇブッ飛ばすぞ!」でもいいということ。
要するに『ライバル』――でなくてもいいが、主人公の狂気を客観的に評価してくれる存在が周りにいれば、『サイコパス』な主人公でも比較的円滑に話を進められるということだ。衝突や対立という展開があるほど、主人公の狂気もまた際立つ。
少し話が脱線したが、上記はあくまで、作者が主人公を『サイコパス』であることを狙って書いた場合の話である。要するに、主人公が「性根の腐ったクズ野郎」とか「異世界を蹂躙しつくす悪の権化」という評価を受けることを承知して書きたい場合に対して、ご参考いただきたい内容なわけだ。
逆に、「自重しない」主人公なのにモテモテハーレム人気者な世界の英雄にしたい場合については、根本的に考え方を変えなければならない。
つまり、普通の社会なら『サイコパス』と呼ばれるような人間を、いかに周りからプラスイメージを持たれるようにするのか。「他の奴がどうなろうと知ったことではない! 好き勝手やってやるぜー!」←「なんて素晴らしいお方なんだ!」というぶっ壊れた世界観を、いかにして違和感なく作り出すのかという高難度ミッションだ。
しかしこれ、やろうと思えば意外と難しくなかったりする。
それは戦争。
平和な世の中なら人を殺せば犯罪だが、戦争なら殺した人の数だけ英雄になる――とは、某アニメの『サイコパス』な戦闘狂キャラの台詞である。「敵を殺す=自分たちに安全や勝利をもたらしてくれる」という認識が市民にある以上は、人間的な評価よりも、あくまで戦闘能力による評価が優先されるケースは確かにある。
これは国家間の戦争でなくとも、魔物や未確認生命体相手でも同じ。上記の方程式が適用される環境下であれば、強い限りは英雄でも勇者でもなれるだろう。
しかし、これで主人公が評価され続けるには、かなり厳しい条件がある。
それは、周りの人にとって主人公の力が必要であり続けること。
戦争で力さえ示せば英雄になれるという考え方は、体よく言えば実力主義だ。
逆に言えば、実力がない、あるいはその実力が必要ないと判断された時点で見限られてしまう環境とも言える。
例えば……主人公はあらゆる銃火器を使いこなす凄腕のガンマンだったとしよう。
快楽のために人殺しをする残虐な男で、仲間からの評判はすこぶる悪かったが、百発百中の腕前で敵なしだったから彼についていく者は多かった。
しかし、銃のない異世界に行ったことにより、彼のガンマンとしての腕前は発揮できなくなってしまった。
これで、周りの仲間は「いや、それでもアイツは最強のガンマンだからついていくぜ!」と言ってくれるのかどうかだ。単純な話、強さだけで他人との関係を繋ぎとめていた主人公がその強さを失ったら、いったい何が残るというのか。
他人に対する善意もない。社会に反発する。そのくせ何の力もない役立たず――概ね「人間のクズ」と評されるようなキャラにしかならないのだ。
とはいえ、テンプレ作品ではチートが失われるような展開の方が珍しいかと思うので、実際にこういう問題に直面することは少ないだろうが……少なくとも、力以外の部分で評価されているわけではないのだから、根本的な解決にはなっていない。
『サイコパス』と呼ばれるようなキャラを主人公にすること自体は、別に問題ではないかと思う。冷酷で残忍な本性を隠しつつ、淡々と殺人を実行する犯罪者を主役としたサスペンスやホラー作品だってあるわけだ。
ただ、その場合は主人公が社会的にどう見られるのか、どう思われるのかをしっかり考えておかないと一発で世界観が崩壊する。
実際、読者は感想欄でこのような主人公そのものを叩いているのではない。
こんな主人公を、周りのキャラが「誰にも媚びない姿勢がカッコいい」などと評価して、サイコパスを肯定するようなお話になってしまっている点を問題視しているのだ。
そもそも、『サイコパス』なテンプレ主人公が乱立している最たる理由は、いじめやブラック企業による抑圧の反動なのか知らないが、やたら「自由に生きたい!」と思うキャラが多いこと。
そして何より、
誰に何も言われようと、自重しないで好き勝手に生きる=自由に生きているだけだから、文句を言われる筋合いはない
この致命的な勘違いが多すぎるからだ。
自由だから何をやろうと問題ない、と本気で思っている主人公は99%サイコパスだと言っていい。
一応言っておくが、『自由』とは言うほど簡単なことではない。
何者にも指図されず自由に生きたい、という考えを貫く場合、実現するには実質2択の方法しか存在しない。
ひとつは、社会に属さないこと。
先程述べたように、他人のいない大自然の奥などで生活するなら、何をやろうが誰にも迷惑をかけない。
自給自足であり、すべてが自己責任。それほどの覚悟をもって生きるつもりなら、いくらでも自由を謳歌することができる。
そしてもうひとつが、他者の自由を侵害しないこと。
人間社会の中において、自由とは何をやってもいいという免罪符ではない。
100人の人がいる街で自由に生きるためには、基本的に100人全員が納得する『自由』である必要がある。
例えば、「夕飯に好きな料理を作る」ことは自由だろう。別に隣人がカレーを作ったからといってこちら側の自由が侵害されるわけでもない。
しかし、「お金を得るために他人から奪う」ことは自由にはならない。必ず「弱い人は奪われるばかりだから自由ではない」「真面目に働く人がいなくなってしまう」といった反対意見が出てくる。つまり、自分が良くても他の人の自由が通らなくなってしまうわけだ。
それでも「いや、それでも俺は他人からお金を奪う」と他者の意見を無視して押し通そうとすると――『自由』ではなく『自分勝手』にクラスチェンジということになる。
自重しない主人公の在り方が周りから評価されるということは、要するにこういった『自分勝手』をする人間に対して、あなたはすごい、素晴らしいと褒めているようなものだ。
こうなると、主人公どころか周りのキャラまでもが『サイコパス』になってしまうし、そもそも社会が成立しない。
甚だ疑問なのだが、現代日本の社会では自由がなかったと言うテンプレ主人公は、どうして異世界の社会だったら自由になれると思えるのか。
チートのおかげで力づくで何でもできるからというのが理由なら、それこそ自分勝手だ。
他人の自由を侵害して、社会を乱す行為を自由と勘違いするほどの自分勝手も存在しない。
そして、この事実を「俺はただ自由に生きているだけだよ? 何も悪いことなんてしていない」と堂々と言い張れるのであれば、それはもう疑う余地のない『サイコパス』だろう。
――何者にも縛られず、自由に生きよう!
それはとても素晴らしい決意表明だと思う。
ただ、それなら絶対に他人の自由を縛るなよ?
他人を縛り付けるのは良くて自分は嫌、なんて我がままを押し通したいなら、その時は自分勝手な人間としてしっかり世の中から嫌われなさい。




