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その9 ステータス性が及ぼすメリットと(致命的な)デメリット

長らく更新停止してしまい申し訳ありませんでした。

お詫びというわけではありませんが、今日は一気に3話投稿です。

 今回は『ステータスのある世界』だ。

 力や知性を999など数字で表し、何かしらの知識や技術を『剣術レベル1』とか『光魔法適正』といったような括りで明記する。

 ここで考えてみたいのが、こういった概念が、物語を進める上で本当に必要なのか(、、、、、、、、)についてだ。

 実際に戦闘シーンを書いてみると分かることだが、上記のようなステータスの数値や細々としたスキル名など、あっても使わない(、、、、、、、、)


 テンプレ小説でよくツッコまれる例をひとつ。

 異世界転移したニートですが、当初は賢さのステータスが1だけ(一般人の平均が50くらい)というおバカキャラでした。

 そんな中、ダンジョンで死にかけたことによりチートに覚醒! 全ステータスが劇的に上昇し、賢さも9999となり名立たる賢者もビックリの数値に!

 しかし、ものの考え方や知識の量は、賢さ1の時とまったく変わっていませんでした。


 典型的な、ステータスの概念がお飾り(、、、)と化している悪例だ。

 これなら単に、チートで一気に強くなりましたという描写だけでよかったわけだ。わざわざステータスという具体的な基準(、、、、、、)を出すメリットも必要性もなかった。

 覚醒する前より9999倍賢くなりました、という事実をどのようにして描写・証明するのか――超絶難度にもほどがあるぞ。





 先に個人的な意見を述べておくが、物語に必要でもないのにステータスの概念を導入している理由は、総じて作者の手抜き(、、、、、、)と考えている。

 前作でも少し触れたが、キャラがどれくらい強いのか、強くなったのかを描写するのにステータスを使うのはとにかく楽なのだ。


 レベル1の勇者が敵を倒して強くなりました→どれくらい?→レベル40になったんだ!→それはすごい! 国一番の剣聖より強いじゃないか!

 

 と、どんなキャラよりどれくらい強いのか、という目安を簡単に明記することができる。

 では考えてみよう――剣聖がレベル39だったとして「どうして主人公の方が強いと言い切れる」のか?

 というか、実際に競い合ったわけでもないのに、何をもってして強さの優劣を定めたのだ?


 レベルが高い=腕力や足の速さがすごいから?


 それだけで勝敗は決まるまい。卓越した剣技や冷静な判断力で剣聖が勝つかもしれない。


 レベルが高い=経験値をたくさん得ている=経験豊富な戦士だから?


 なら、人生経験豊かな老人の方が強い(、、、、、、、)。また、チートよろしく飛び級的なレベルアップは実質不可能となる。

 いくら強かろうが、敵を1体倒してレベル40になった勇者と、何百何千の敵を倒してレベル39になった剣聖を比較して、勇者の方が経験豊富というのは無理があるだろう?


 レベルが高い=敵の魂を吸収することで、こう生命の力みたいなものが強くなる?


 ――なんじゃそりゃ(、、、、、、、)

 散々キャラの強さを数値化(デジタル)で表現しておきながら、なんでレベルという部分だけそんな目に見えない曖昧な表現にする必要がある?

 もしかすると後々あっと驚くような伏線として、あえてそうしている作品もあるかもしれないが……皆様、そんな設定だった作品を見たことありますか?

 ある、という方はぜひ感想欄でご教授ください。個人的にもすごく興味がある。





 別にこれは、レベルやステータスという数字的な話だけではなく、スキルについても同じ話が出る。

 主人公がよく身に着けるチート能力として、相手のスキルをコピー、または強奪するものがある。

 剣に関してはド素人な主人公が、剣聖の『剣術レベル99』をコピーした途端とんでもない剣技の冴えを見せる!

 よくある展開ではあるが……ここでひとつ疑問を投じてみよう。


 ――剣術とはなんぞや(、、、、、、、、)


 剣聖から剣術をコピーする場合、いったい主人公は剣聖から何をコピーしたのか(、、、、、、、、、)

 十文字斬りとかファイヤースラッシュとか、特定の技を模倣できれば成立するのか?

 いや、それだとただ技を覚えただけ(、、、、、、、、、)だ。普段の剣の構えや振るい方、敵との間合いの取り方など、他に剣に関係する能力(、、、、、、、、)などいくらでもある。

 それこそ、かの宮本武蔵を例に出すなら、幾多の死線を乗り越えて無念無想の境地に至るという、精神的な部分だって該当するわけだ。

 さて、主人公はいったいどこからどこまでを『剣術』と定義付けてコピーしているのだろう。

 上記のような、剣に関係するありとあらゆる経験をコピーする、と定義した場合――それは人格そのもの(、、、、、、)をコピーするに等しい行為だ。

 生涯を剣に捧げてきた人から剣に関わるすべてを奪い取る、とイメージするといい。文字通り、その人の生涯を丸写しするというわけだ。

 できるできないの話は置いておいて、実際にそれを行うと、間違いなく主人公の人格は上書きされるぞ(、、、、、、、)

 こうなると、スキルを盗むというより、コピー元の剣士の人格を一時的に憑依させる、といった方がまだ整合性がありそうではある(実際、そんな設定のアニメがあったような……)。


 以前の武士道・騎士道の話にも繋がるが、経験がものをいう能力というのは、大なり小なり精神面にも影響する。

 単純な話、敵の攻撃が目の前に迫っている時に、冷静に紙一重でかわす――というのは精神依存の判断力(、、、、、、、、)だ。

 剣を向けられたら怖くて萎縮してしまうのが当然の現代日本人が、いきなりこのような判断ができる時点で、思考体系が完全に変化しているということになる。

 コピー系能力の作品の感想欄でも似たような質問はよく見るが、これに「チートですから相手の経験までコピーできるんですよ」と回答するのは、あまりに早計だろう。





 しかし、ステータス性を「一目で強さが分かりやすいから」という理由で導入する割には、いくつかのテンプレチート作品がその利点を真っ向から(、、、、、)否定していた(、、、、、、)

 レベルアップの果てに、レベルやステータスが『測定不能』になるだとか、数値がおかしくなって意味不明な配列になる(要するにゲームにおけるバグキャラ扱い)だとか、最強と化した主人公の強さは数値で語れない(、、、、、、、)と明言してしまっていたのだ。

 これを読んだ方の気持ちを代弁しようか。


 ――じゃあ最初からステータスなんていらなくね?


 これに尽きる。

 真の強さとは事細かくスキルやステータスで表現なんてできないんだよ、と作者自身が述べてしまっているのだ。

 この事実が、作中である程度の共通認識として述べられているなら問題ないだろう。

 “ドラゴンボール”とて、キャラの強さを戦闘力という数値で計っていたわけだが、同じく作中の達人が「目に見える数値をアテにするな」と言っていたわけだ。実際、作中の強者は戦闘力が常時変動していて読み取れなかったり、戦闘力を計りきれず機械が壊れるというシーンがあった。

 要するに、主要人物からしたら戦闘力=ステータスによる強さの格付けに対し「そんなので強さは分からないだろ」と最初から疑っていたのである。


 そも、数値で強さを表現するメリットは「Aのパワーが100でBのパワーが200だから、Bの方が2倍強い」という、他のキャラよりどれくらい強いのかという『比較』をするための指標にできる点だ。つまり、主人公ひとりしかいない状態で「俺は10000パワーだ」と述べたところで、比較対象がいなければどれくらい強いのかが分からない、ということ。

 それで主人公の強さを測定不能にすることは、他キャラとの強さの『比較』を放棄することになり、結局ステータスを導入するメリットを自分から捨てているということになる。

 「測定不能=計り知れない強さ」というのは、強さの文章表現としてはおそらく一番の手抜きだ(、、、、、、、)

 ただ能力値に全部errorとか∞を付けただけで、「この主人公、なんて強さなんだ!」とどうやって驚けばいいというのか。





 個人的な見解も多々あるが、特に執筆初心者は、基本的にステータス性の数字頼りな表現はしない方がいいかと思う。

 おそらく、書いても書いても文章力が成長しない(、、、、、、、、、)からだ。

 最近書籍化した作品など、戦闘シーンを見て目を覆いたくなったぞ。さすがに原文を引用するわけにもいかないので、作風だけマネして書いてみたが……


「うわっ、ゴブリンだ!」

 俺はゴブリンに胸を斬られ、HPが1減少した。

【主人公 HP30→29】

「おかえしだ!」

 ズバーッ!!

「グエエエエエエエ……」

 ゴブリンは血を吹き出しながら倒れた。


 まだ国民的RPGの戦闘メッセージの方が情報量は多い。

 そりゃあコレならハイペース、毎日更新も簡単だろう。私とてこの程度の文面、頭空っぽにした状態で30秒とかからず書けたぞ。

 これを、何冊も書籍を出している、それなりにベテラン(?)の作家さんが書いているのを知った瞬間、私はちょっと泣きそうになった。分かりやすさ重視で、あえてシンプルな文体にしている――別作品の感想欄で作者はそんなことを述べていたが、なんかもう一切信用できなかった。


 かなり愚痴が入ってしまったが、こういった傾向が進んだ場合、誰もが同じ文章しか(、、、、、、)書けなくなる(、、、、、、)可能性が極めて高いのだ。

 小説という、文字でしか表現できない分野において、いかにして人や物や世界を表現するのか――明確な正解がないからこそ、小説家は思い思いの表現技法で個性ある文章を描いてきた。

 しかし、ステータスという『数字』の概念は、いわば誰が書いても同じ統一規格(、、、、)だ。

 ダメージを受けた描写を、「とめどなく血が溢れる」とか「視界が霞んで今にも倒れそう」とか、様々な方向性で表現するのではなく、「HPが20減った」「HPが残り1しかない」と書いて通用するなら、確かにその方が考えるのも楽だろう。


 ただし……楽な書き方というのは、誰でも思いつくのだ(、、、、、、、、、)


 実際、上記の例文は、我ながらその書籍の文体を上手いこと模倣(トレース)できていると思う。特に技術や文章力も必要なく、ただセリフと斬った・斬られたという結果を箇条書きにしただけだが。

 書きやすいテンプレ方式と言えるのかもしれないが……これは誰でも書けて、誰でも簡単にマネできるような文章だ。

 だから、『なろう』テンプレは設定や世界観以前の問題として、文章自体が同じ(、、、、、、、)に見えてしまう。

 感想欄でよく見る「すごく読みやすいです!」「スラスラ読めてすぐに最新話まで追い付けました」というのは、決して良い点とは限らない。似たような内容、同じような文章ならそりゃあスラスラ読めて当たり前だからだ。

 同じ感想なら「何度も読み返したり、時間をかけてじっくり読み込んだ」という方が、文章作品としては間違いなく評価は高かろう。

 別に「軽く読める方がいいじゃない!」と、この意見に反論していただいても結構だが……書籍化したとして、1回流し読みしただけで二度と読まれない作品と、じっくり読まれて、また何度も読みたくなる作品。

 どちらが小説として高評価なのかを、ちゃんと考えてから仰っていただこう。

 

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