第6話
ここは王宮の、璃空が執務している部屋。
見舞いを終えて先ほど帰ってきた璃空の耳に、何やらバタバタと廊下を走る音がしたかと思うと。
ドアの外から、
「国王! 」
と、ひどく慌てた側近の声がした。
璃空は、彼を落ち着かせるように低めの声で「入れ」と答えた。するといつもなら一呼吸置くはずの彼が、すかさずドアを開け、こちらに走り寄りながら話をはじめた。
「大変です! 星月さまが! 」
「まあ落ち着け」
「いや! 国王も話を聞けば落ち着いてはいられないと思います。星月さまが人質に! 」
人質? 璃空はどうにも話が見えないため、とりあえず側近を椅子に座らせて、紅茶を勧める。ひとくち飲んで、息をついた彼から詳しく話を聞いた璃空は、デスクに肘をついて考え込むように黙った。
あの砂漠に現れた男。
それが今度は、王宮の庭園に現れて、庭師を人質に取った。
たまたまそこにいた星月が、彼女に変わって人質になったというのだ。
何も言わずにいる璃空にじれて、側近が外へ声をかけて庭師を招き入れる。恐る恐る部屋へ入ってきた彼女は、璃空の顔を見るなり、ガバッとそこにひれ伏して泣きながら謝罪した。
しかし璃空は彼女に対しても、椅子と紅茶を勧めて落ち着きを取り戻させ、詳しくそのときの状況を聞いた。
まず、自分には理解できない言葉を使っていたと言うこと。
「i国語? とか、星月さまは言っておられました」
庭師が言うのを聞いて「i国語? これはまた古い言葉だな」と、つぶやく璃空。彼はさすがにあの言葉を知っているらしい。
そして、川山が遭遇したときと同じように、その男は恐ろしげな面をつけていたため、顔はわからなかったようだ。
「あなたと入れ替わるときに、星月は変わった様子を見せませんでしたか? 」
璃空が今までより、もっとゆったりとした耳に心地よい口調で聞くと、庭師は引き込まれたようにゆっくりと考えこむ。
「いえ…。ただもう恐ろしくてそんなことを見る余裕は…」
庭師はあのときのことを思い出すように、自分で自分の腕を抱きしめる仕草をする。
「? あら?」
「どうしました? 」
璃空が聞くと、庭師は長袖のシャツの下から小さな四角いものを取り出した。どうやら腕に張り付けてあったらしい。
それは、発信器の片割れだった。
あのとき、星月は庭師を落ち着かせるように手を握り、まくり上げていたシャツを優しく元に戻してくれた。そのときにつけたのだろう。
「まあ、いつの間に…」
驚いて言う庭師を微笑んで見ながら、璃空はそこにいた2人を安心させるように言った。
「見ての通り、星月は2年足らずとは言え、国の長になるためにあらゆる事を会得していっている。サバイバルも、自分の身の守り方も。だから助かる可能性はかなりあるはずだ。大丈夫」
「「はい」」
2人は璃空の毅然とした言い方に頼もしい安心感を抱きながら頷くのだった。
そのあと、璃空は気になったことを聞いてみる。
「2人に聞くが、このことを誰かに話したか?」
「いえ」
側近は即座に返答したが、庭師は違っていた。
「私の方は、お庭からここへ来る途中で、散歩中のゼノスさんにお会いしたので、星月さまの一大事をお伝えしました。でもゼノスさんならよろしいのですよね? 」
璃空は苦笑いを隠しながら、「ゼノスか…」と、つぶやいたが、庭師が不安そうにしているのを見て明るく答えた。
「ああ、ゼノスだったのなら大丈夫だ。どうもありがとう」
そんなふうに言ったあと、璃空は庭師に近づいて彼女の前にひざまずく。
「王宮の庭にもかかわらず、あなたを恐ろしい目に遭わせたこと、心からお詫びします」
庭師は一瞬ポカンとしていたが、目の前でひざまずく国王に、大慌てで自分もその場に座り込んで頭を下げた。
「いえ! そんな! どうかお顔をあげて下さい。国王」
璃空は顔を上げてニッコリと微笑むと、彼女の手を取って立たせながら自分も立ち上がり、側近に声をかけた。
「念のため、彼女を病院にお連れして今日はそのまま家に送ってくれ。そのあと君の方はまたここへ帰ってきてもらいたい。俺はこれから各方面へ連絡を取るので」
「はい」
病院なんて大げさな、という庭師をなだめて連れて行ってもらうと、璃空はまず自宅にいる柚月に連絡を取った。
概要を話しながらも、せわしなくキーボードを打って各方面に連絡を入れているようだ。
話の最後に、ため息とともに言う。
「それから、よりにもよって、ゼノスに知られてしまったんだ」
「まあ」
その名を聞いて、目を丸くしていた柚月が思わず微笑んで言う。
「じゃあ、もうすぐ貴方のところか、こちらか、どちらかにお義父さんを伴ってやってくるわね。なだめるのが大変ね」
「ああ…。おや? どうやらこちららしい。話がややこしくなりそうなので、いったん切るぞ。柚月はいつ星月が帰ってきても良いように、家を整えておいてやれ」
「はい。ねえ、璃空」
「なんだ? 」
「大丈夫。私たちの娘よ」
そう言いつつ唇をキュッと引き締めて頷くと、通信を切った。
璃空は、切れた画面に向かって「ああ、わかってるよ」と、つぶやくと、やってくる2つの嵐に備えるべく気持ちを切り替えるのだった。
バアーン!
「お、お待ち下さい」
言葉より先に扉が壊れそうな勢いで開き、そのあと大音響が響き渡る。
「星月が人質になっただと! 国王はいったいなにをやってるんだ! 」
「まったく、元気なじいさんだな、ゼノス。少し落ち着いたらどうだ」
「なんだと! 」
「璃空! 星月は、星月は…。どうか救い出してやってくれ」
2人のやりとりに割って入って、必死で訴える久瀬。
「父さんも、一度座って」
「座れだと! こんな時にのんきなもんだなお前は! 」
すると、バン! と両手でデスクを叩くように立ち上がった璃空が、
「こんな時だからこそ、対策は冷静な頭で考えなければならないでしょう? 俺と、なにより柚月が平気でいると思いますか? 」
その言葉に、さすがのゼノスもうっと詰まる。
「大丈夫。星月はリリアの孫です。リリアの血を誰より色濃く受け継いでいると、いつも言っているではないですか」
いい歳をした男2人は、リリアの名を聞くと、顔を見合わせて「そうだったな」「ああ、そうだった」と、ようやく落ち着きを取り戻したのだった。
デスクを回って2人をソファへ座らせた璃空は、自分は立ったまま話を続ける。
「すでにあらゆる可能性を考えて、いくつかの機関に連絡を入れました。すぐに対策は立てられると思います」
言うと同時に璃空のデスクに通信が入る。
「俺だ」
「こちら広実」
「ああ、何かわかったのか? 」
「いーや、全然。ただ、そっちに」
バン!
「お、お待ち下さい」
忠志が言い終わる前に、また言葉より先に扉が開いて飛び込んできた者がいた。
「指揮官! どうしちゃったの? なんでー、なんでよりによって星月ちゃんなのー?」 思わずバリヤ時代の呼び方で璃空を呼ぶのは、誰あろう、怜だった。
「相変わらずうるさいヤツだ。まあ座れ」
「え? ゼノス? あ、指揮官のお父さんまで。そりゃそうだよね、皆、星月ちゃんが心配なんだよね。でも。はあ…、疲れた」
言いながらドカッとソファに沈み込む怜。
璃空はそんな怜にあきれたように声をかけた。
「まったく。お前はあれ以来、国境警備じゃなかったのか、怜」
「今日は非番だったの。で、広実さんから連絡もらって、慌てて飛んできたんだよー」
それに答えるように忠志の声がする。
「もう着いちゃったのね。相変わらず仕事が早いね、怜くん」
「あー、広実さん。ありがとうございました」
「いえいえ」
怜と、ゆるいやり取りをしていた忠志だったが、そのあと少し声を引き締めて璃空と話しだした。
「ところで新行内…、あ、いや、璃空。今、庭園と、念のため最初にあの男が現れたあたりを調査してもらっている。もう一つ、発信器の電波も、そちらとは別に、広範囲で拾っている。ほんの少しでも、何かあればすぐに連絡するから」
「ああ、ありがとう。よろしく頼む」
忠志からの通信を切った後も、いくつか報告が入ったが、どれも思わしくない返事ばかりだった。連絡が入るたび、璃空を除く3人は、星月の言うとおり大騒ぎをしていたが。
同じ頃、国王の自宅で。
「あ…、いけない」
柚月は気がつけば、同じところを何度も掃除してしまっていた。自分では落ち着いているつもりだったのだが、どうやら無意識はそうではないらしい。
心の中で少し苦笑いして、星月の好きなスイーツでも作っていれば間が持つだろうかとキッチンへ向かおうとした。
すると。
ジ・ジジジ…
「? 何の音かしら」
リビングの壁の方から、今まで聞いた事がないような音がする。そしてみるみるうちに、壁がグニャグニャと波打ちだした。
「な、に? 」
おまけに波打っているところがどんどん暗くなる。柚月は驚きながらもサイドボードの隠し棚に納めてある銃を確認し、次に王宮に連絡を取るべく通信に手をやる。
だが、その必要はなかった。暗くなったところがぽっかり開いたかと思うと、「わあっ、ホントにうちのリビングよ! 」と、星月の声がして、本人が飛び出してきたのだった。
「星月! 」
走りよる柚月。
「あ、おかあさ…? 」
しっかりと抱きしめられる星月。母の温もりに、星月は今頃になって緊張がとけたのか、どんどん涙があふれ出し、泣きじゃくりながら母を抱きしめ返したのだった。