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靴屋の店主に見送られてから、大通りで辻馬車を捕まえるために待つ。
品の良い店が立ち並ぶ界隈だから、怪しそうな人間は少ないが皆無ではない。
結構な大荷物になってしまい、前に抱えて持っているが、それが盗られてしまうのではないかとハラハラして不安になりながら、辻馬車を止めた。
「聖教会まで」
「かしこまりましたー」
行き先を告げると早速馬が走り出した。
辻馬車に乗っている内は、誰にも荷物や大金が盗られる事はない。
私は少し肩の力を抜いて街並みを眺める事が出来た。
教会は街から少し離れた丘の上にあり、馬車がその一本道を登っていくと、街の向こうに海が見えてきた。
その景色を初めて見た私は、生まれて初めての感動というものをしてしまった。
遠く棚引く雲の下の海は、夕日が映り橙色と白にキラキラと光っている。
潮の匂いというのだろう。風に乗って独特の匂いが鼻を掠めていく。
驚嘆して景色を見ている内に馬車が止まる。
「お客さん着きましたよ。銅貨10枚ね」
その声を聞いて、私は現実に立ち返り、慌てて御者に料金を払い、荷物を持って地面に降り立った。
この丘全体が教会のものなのだろう。
正面に大きな建物で、一階は石を重ねる造りで二階は木材で出来ている。その上の階もありそうだ。教会は見上げる様な高い建物だった。
その横には門があり、何かの小屋があって裏に続く小道がある。
奥に少し見えている暗い灰色の屋根の建物は、神官や下男の宿舎があるのだろうか。
これ程広大な敷地という事は、寄進に頼るだけでは無く、敷地内で農作物も栽培しているのかもしれない。
横の門の小屋から神官の服の形に胸当てを付け、槍を持った護衛の様な人間が出てきた。
私は初めてみたが、神官風の騎士という様な出で立ちである。
建物の正面で立ち止まっているから不審に思って出てきたらしい。
私はリウプロに来るまで計画して、さっきの馬車の中でも考えていた生い立ちの設定をもう一度思い描く。
その生い立ちの少年ならば、ここでどういう風に振る舞うだろうか。
私はとても痩せていて、恵まれた家で育ったように見えない。その事で嘘が見破られる不安があった。
その不安を補う為の言い訳を考えたのだ。
私はとても身体が弱く、そのために家族からは離れて暮らしてきた。
父からは将来を宛てにされず、遠い田舎で暮らしていた。
ある時、使用人が這々の体でそこの土地にやってきて、ギニーニ国に襲撃されて家族が総て死んでしまったと教えられる。
それで、親類の家に庇護を求めるように言われて、その使用人と旅をする事になった。
家族が死んだ事も酷く悲しかった事だが、旅の途中で盗賊に襲われてしまい、なんとか自分だけは逃げのびたが、その使用人が殺された事も衝撃で、その後、記憶がところどころ抜け落ちてしまい、色々と忘れてしまった。
その親類の家は『アルスイール家』を使おうと思う。あの服屋が話していた家名だ。
金持ちの家なんて、親類が沢山居る。
5年以上戦争していれば、その中には戦死したり、襲撃で家が無くなった者達も居るだろう。
そのアルスイール家に真っ直ぐ行かないのは、自分の体調が思わしくないのと、家ではつまはじきになっていて、アルスイール家では自分の事を認識していない可能性があるという、嘘っぱちを考えてある。
「この神殿には、祈りに来られましたか?」
私は偽の生い立ちの少年になりきる為に、悲壮な顔つきで神官の騎士を見上げた。
「家が無くなった上に、盗賊にも襲われて、私の使用人までも殺されてしまったのです。どうか、この神の家で庇護をお願い致します」
「っ、そうでしたか。大変辛い目に遇われた様ですね。司祭様へは、夕の祈りが終わり次第、お話を伺える様に伝えます。それまでは控えの間にてお休みください。案内します。こちらへ」
真剣に話を聞いてくれた神官に、私は上手くいったと内心ほくそ笑んだ。
神官はこの建物を教会と呼ばず『神殿』と言った。
私の戦場で養った知識と少し齟齬があるようだ。
神殿に関してはあまり多くの単語を出さない方が良さそうだった。
「こちらで暫くお待ち下さい」
簡素だが立派な建具と家具のある部屋へ通されて、大きなソファに座って休む様に言った後、その神官は部屋から出て行って扉が閉まった。
何だかんだで今日は疲れている。緊張する事ばかりで朝から何も食べていない。
もしかすると、この神殿では世話になれない可能性もある。
その場合は一日だけでも泊めてもらって、明日は宿を探さなければならない。
そんな事を考えていると、扉が外から二度、叩かれた音がしてから開いた。
くるぶしまである特徴的な神官の服装をして、肩から幅広の刺繍した白い布を垂らした男が部屋に入ってきた。
さっきの騎士が言っていた『司祭』という肩書きを持つ人間だろう。
私は荷物を隣に置いて、ソファから立ち上がると、その司祭に会釈をした。
「お待たせしましたね。私は聖教神殿の司祭イズミール・ハリスメレンと言います」
「突然お呼び立てして、すみませんでした。私はルバンクです」
「ははは。ルバンクとは。また、我々も耳が痛いですな」
私はよく分からないまま名乗ったが、違う名前を伝えた方が良いと直感的に察して言い直した。
「ええと、ル、ルークとお呼び下さい」
それから考えていた、私の生い立ちや身体が虚弱な事と記憶の障害を伝え、保護を求めた。
服屋で綺麗な袋を貰っていたので、馬車の中で白金貨1枚を入れてある。
それをテーブルの上に置いた。
銅貨30枚で銀貨1枚、銀貨30枚で金貨1枚なのだから、金貨30枚で白金貨1枚なのではないだろうかと予測した。
金持ちはどうだか知らないが、金貨30枚もあったら平民は何年も遊んで暮らせると思うのだ。
「アルスイール家の縁の方ですか……」
「体調が戻るまで、一年でも二年でも良いのです。ここに、置いて頂けないでしょうか」
戦場で漏れ聞いた地位の高いの騎士の話し方をよく聞いていた私は、汚い言葉は勿論だが、丁寧な言葉遣いも、うろ覚えながらつかえつかえ操る事が出来た。
「ご寄進感謝致します。それでは、よろしければ、こちらの神殿からアルスイール家に問い合わせますので、返答をお待ちしてみて、その様になった場合には、今後の生活を考えられてはいかがか? 神殿でも貴方を引き受けるかどうかは、アルスイール家の意向も伺わないといけません」
その話を聞いて、私は背中に冷や汗をかいてしまった。
今の話だと、自分をここでは世話せずに、寄付した白金貨を神殿が貰うだけになるかもしれない、という事だ。
だが、アルスイール家に私の事を問い合わせた所で、記録などある訳が無いのだ。
「司祭様。その返事が来るまでは、ここでお世話になっていても良いのですか? 街の宿は決めていないのですけど」
私はなるべく具合の悪そうな顔をして俯いた。
平民には絶対に払えない額の白金貨一枚寄付したのだし、其れ相応の待遇をして欲しい。
まあ、私は元々死体漁りをしていた孤児で、盗んだ金を使っているのだ。
そんな私には立派な司祭様に文句を言う事などおこがましいのだが。
「勿論ですとも。神殿には客間がありますので、それまで滞在して下さって結構ですよ。細やかな配慮は出来ませんので、街の宿の方に行きたくなるかもしれないですが」
「いえ、ここで滞在させて頂きます」