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その部屋は薄暗く暖炉の熾き火が燻っていて、ぼんやりと瞬く様に室内を照らしていた。
痛風の様な苦しみで身の内が悲鳴をあげようと、この作業は続行しなければいけない。
暗くなった部屋の中で使用人が静かに壁の燭台に火を灯し、書き物机の手燭にも火を移していく。
「旦那様、お食事はいかがいたしましょう?」
「ここに」
「かしこまりました」
手元が明るくなり、書き殴った汚い文字が斜めに歪んで見える。
使用人が部屋から出て行くと、私は固まった身体をそろそろと伸ばし立ち上がった。
手燭の蝋燭の先がジジと小さな音を立てて芯が黒く崩れる。
私はルシーク・バンランドという名の富豪の隠居者である。
代々続く由緒正しき家柄では無くポッと出の男である私は、巷の者から見れば成り上がり者と映るのであろう。
貧乏人からの羨望はあるが反対に妬みや僻が付きもので、そこまで駆け上がるまでの華々しい成功に付きものの物語があると誰もが想像する。
だが、私の過去を詮索してみても、何も、そう、ひとつの噂も出て来ない。
ある日突然、私はウォーナ大陸南東にある聖教色が強いフテラ国のレリンドアックス卿の領地に引っ越した。
その土地の元の持ち主である領主デリーム・オム・レリンドアックス卿は、ルシーク・バンランドという無名の輩が金の力にものを言わせ、貴族でもないのに前領主の別館の広大な土地を買取り屋敷を建てた、と顔を顰めて苦々しげに周囲に話す事だろう。
私の金の使い方に不審を覚えた若領主レリンドアックス卿は、こちらの資産を調べさせたが分からず、貴族でも商人でも無い私の金の出所に不安を覚え、フテラ国の中枢に問い合わせた筈である。
だが問い合わせた位では私の平時の地位は只の平民であり犯罪の有無も無い。であるから殆ど情報が得られなかった筈だ。
そういう風に胡散臭い男の過去を知りたいと思う者は数多くいるが、実は深く調べる者は殆ど居ない。
それだけの大金を持つ者ならば、巨大な後ろ盾があるのではないか、と詮索するのが通常であり、大富豪の過去を下手に突ついて逆鱗に触れたら拙いのでは、と尻込みし沈黙してしまうからだ。
隠れ家を探し求めていた私がこの土地を気に入ったのは、比較的温暖な季節が長い地方であるという理由があった。
深い事情により身体のそこかしこが軋みをあげ耐えきれぬ痛みが続く日があって、それは冬の寒さで痛む様なものではないのだが、その様な理由があるなら世間的にも筋が通る。
そしてそこは、一定期間留まる事になる屋敷で、人付き合いの煩わしさをを覚えずに済むという条件にも嵌っていた。
この領地では購入前年に領主交代があり現在は若い領主が治めていた。
貴族の若領主というものは、生まれる前のような過去の事柄を掘り返す作業が苦手だと相場が決まっている。
勤勉な若い貴族というのは数が少なく珍しい。長年見てきた経験から言えば、大多数の貴族の子息というものは勤勉とは正反対の性質をしている。
例に洩れずこの地方の若領主は典型的な坊ちゃん貴族であって狩りやサロンなどに屯って遊びに現を抜かしている男であった。
そういう者であれば各国の上層部で密かに流れる風評に疎いという事だ。
そして、辺境という事もあり果樹園や農村に囲まれ、南方独特の朗らかな領民達に支えられているこの土地は、都に居るような目端の効いた商魂逞しい人間達も少なく、疑心を抱く者が少ない。
隠居してきた私は真新しい屋敷に引き蘢り外出も殆どしないから大人しいものだ。
屋敷を維持する最低限の使用人、それも年寄りで口の堅い者のみしか雇わなかった。
若領主から見れば、私は甚だ怪しい輩だった。
だが、己の領地に金持ちが住まえば税を課す事も出来て損はないという事に気がついたのだろう。目立って何かをするでも無いのだから害もない。
結局、特別に見張る事もなく放置する以外ないのである。
そうこうしている内に、数年が経ち、その屋敷には富豪の偏屈な老人が住んでいる、とだけ認識され、人々の噂も下火になっていった。
その数年の間に何をしていたかといえば、私がルシーク・バンランドという名になる前の出来事を、日々書き綴る作業をしていた。
そうして過去を掘り返し、その当時の風景や出来事をひとつひとつ思い返しては、自己を見つめ直し長い溜め息を吐く。
平常心で書き綴る事が出来るのはつかの間訪れた平穏の事柄だけで、私の人生の殆どがそれとは掛け離れたものであったから、なかなかに作業は捗らなかった。
その事実をペンに乗せようとする度に、手元が狂い躓き身を戦かせる。そんな訳で何度も書き直す事を余儀なくされていたのだ。
遅々として進まない作業に呆れ、懊悩し、思い出しては奥歯を噛み締め、理不尽さに嘆き、癇癪を起こす。
相手が居ない私には、紙に八つ当たりをするしか無く、最終的には紙を無駄にする。
そんな私を見ている使用人は、この部屋に極力近づかない様にしていた。
紙も高価なものであるから、こうして塵にしてしまうのは大変にもったいない。
書き損じたものを使用人が拾って再利用させない為にも、うとうとして寝てしまう前に粉々にしてしまわなければいけないだろう。
関係の無い人間にそれを拾われ、万が一、私の過去を覗き見たなら、同じ深淵に沈む運命が巡り引き寄せてしまうかもしれない。
あるいは荒唐無稽な事として私を笑うだろうか。
辛く苦しい作業をそれでも必死に続けているのは、私がこの世から去った後に現れるだろうと思われる後継者に、事実を正確に理解して欲しいと希望するからだ。
生きている間に心構えを教授できれば、この様な事をしなくても良かった。いや、これも自分の自己満足でしかないのかもしれない。
私は無いモノ強請りを内心でしながら、関節の痛みを堪え、惨めによたよたと紙屑を拾い集めた後に、それを細かく千切った。
屑といえば、私の最初の名は、ルバンク、即ち『屑拾い』であった。
自分の名の意味を知るのもずっと後の事で、ルバンクというのが最低の蔑称だとは知らなかったし、少しも気にしていなかった。気にする事も知らなかったというべきか。
現在の名もその当時のルバンクをもじって改名したに過ぎない。
私の本質はいつまでもルバンクで、その他の者にはなれないし、ならないだろう。
現在住んでいる大陸の北方にある国で、過去、長く続いていた戦があり、国境沿いの戦の爪痕が激しい場所が私の生きる場所だった。
かといって、私が兵士や傭兵だったという事ではない。
開戦当時、私は5、6歳だったと思う。
気が付いたら目の前が血の海であったという思い出が始まりで、父母の記憶も無い。
その頃は凄惨な印象の記憶ばかりで、兎に角、私は生きる事だけを考えていた。
生き抜く為の細い糸の様な道筋を本能的に嗅ぎ取り、食べるという欲求を優先したのだ。
私にも幼児からの幸せな記憶が確かにあった筈なのに、それが戦の記憶に塗りつぶされてしまったのだろうと思う。
私にはその頃、道徳も知らず倫理観もまるでなかった。
幼い私は食べる為に必死で死体漁りをした。それが生きる総てで糧であったのだ。
長い戦の常で、殆どの兵士は貧しく、食べ物を懐に忍ばせている者は少なかった。
金目のものを漁りに出向いても、指や腕、足首に形見になる物を身につけていない。
貧農の歩兵ではなく、馬を持って甲冑を付けた騎士やその見習いなどの金持ちが、金目の品を身につけている事が多かった。
死後の硬直が始まる前、死臭が漂う前に盗りに行きたいが、どちらかの陣営の兵士が戦場から撤退しないと盗人行為が出来ない。
そうなると子供の非力な力であると、固まってしまった指や腕、足首から貴金属を外す事が出来ないのだ。
たまたまそういう品を盗る事が出来ても、それは価値の無いものだったり、同じ死体漁りのルバンク達から盗られた後で、成果が上がらない時も多々あった。
まあ、干し肉などの携帯食をかすめ取る事もあるから生き延びた訳だ。
武器を盗むルバンク達もいたが、そういう者達は目立つ武器を売り払う傍から、大人達に掴まり金を巻き上げられる。だから私は戦死者の武器には絶対に手を出さなかった。
そんな風にして、戦の間は何処が戦場になるのかだけを遠くから眺め確認し、流れ行く兵の群れの後ろに着いて行っては、死体漁りや物乞いを続けていた。
五年近く続いた戦の最中、同じ様な境遇のルバンク達の殆どが飢えや寒さで死に、残りは街で物乞いをした方が生きられると、戦場を離れて行く者がいるなか、私はそこで生き延びたのである。
そんな長い戦が終わろうとする頃、私は推定十一歳になっていた。