『絶望と死』
何時もと変わらず春菜がデスクで仕事をしていると、プライベートの携帯が鳴ったので確認してみると、数カ月前に『1111号室』に春菜が案内してしまった市川真司からだった。以前した約束を春菜は思い出して慌てて電話に出ると、やはり思った通り。今から霊能者を連れて『1111号室』の前で待っていると、真司は要件だけを告げてすぐに電話を切ってしまった。少し不安はあったが、責任感の強い春菜は真司との約束を守らなければと、化粧室で鏡に向かって自分の頬を両手で叩いて気合を入れると。今から昼休みに入る所だったので、春菜はそのまますぐに『1111号室』の鍵を持って社用車で幽霊マンションへ向かった。
真司が待っているだろうと急いで『1111号室』まで春菜が行くと、何故か玄関のドアが開きっぱなしになっている。不審に思いながらも春菜は玄関から中へ入って中の様子を伺っていた。
「市川さん。いるんですか? や、山下です。……市川さん?」
【ギィィィ―――――――――!! ギィィィ――――――――!!】
【バタァァァァ―――――――ン!!!】
「えっ!? ちょっと! 嘘? 嫌だ……何?」
春菜が完全に部屋の中へ入ったと同時に。あの鈍い音と一緒に玄関のドアが物凄い勢いで閉まってしまった。春菜は後ろを振り返りドアを開けて外へ出ようとしたが、ドアは固く閉ざされていて開かなかった。
「嫌だ! 嘘! 嘘! 誰か! 誰か! 開けて! 出して! お願い!!」
【ギィィィ――――――――!! ギィィィ―――――――!!】
「ひっ! ひゃっ!?」
春菜は飛び上がって、響き渡るあの鈍い音に驚き耳を塞いで何処かへ身を隠そうとすぐ近くにあった真司の書斎だった部屋のドアを開けて中へ入った。
【ギィィィ――――――――――!!ギィィィ―――――――――――!!】
「コロス……ミナゴロシダ……クククク」
鈍い音と一緒に、男の不気味な囁きが聞こえて驚いた春菜は慌てて身を縮めその部屋のクローゼットへ隠れていた。
【バタァァァァ―――――――――――ン!!!】
クローゼットの隙間から部屋のドアを開けて入って来た男を見て、春菜は息を呑んだ。霊能者を連れてこの部屋へ来るはずの市川真司が、血がベットリと付いた大きな鉈を片手に持ったまま、とても生きている人間とは思えない不気味な形相で部屋の中を歩き回っていたからだ。
「コロス、コロス。ミナゴロシダ……クククク」
(嫌だ。死にたくない。誰か助けて! 誰か! お願い!)
春菜は必死に恐怖で震えている指先で先輩の笹川にメールを送信していた。
【ギィィィ―――――!! ギィィィ――――――!!】
必死で身を潜め春菜は携帯をマナーモードにして握りしめていた。
【ピピピピピピピピピピピ! ピピピピピピピピピピピ!】
(えっ!? 嘘よ!? 何故? 私の着信音じゃない!?)
春菜がふとクローゼットの反対側の隅を良く見ると、小さな少女がこちらを見てニヤリと意地悪く微笑みながら、自分の手にしている携帯を春菜に差し出していた。
【バタァァァァ―――――――――ン!!】
「イヤァァァァァァ―――――――――――!!」
【グシャッ!! グシャッ!!】
「ギャァァァァァァ――――――――!!」
【グシャッ!! グチャッ!!】
勢い良くクローゼットの扉が開かれた瞬間に、真司は春菜に向かって大きな鉈を容赦なく振り下ろしていた。
【グシャッ!! グチャッ!!】
【グシャッ!! グチャッ!!】
「フフフフフフ♪ アハハハハ♪」
春菜の身体を切り刻む鈍い音と一緒に……。少女の気味の悪い笑い声が、部屋中に響き渡っていた。
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昼休みが終わって、一時間以上たっても後輩の春菜が帰って来ないのを不審に思った笹川は、デスクの引き出しに忘れていたプライベートの携帯を慌てて確認していた。携帯には未読メールがあり、それはやはり春菜からだった。
『1111号室に閉じ込められています。助けて下さい! 殺される!!』
笹川はメールの内容を目にして絶句していた。
「だからあれだけあの物件には近付くなって言っておいたのに……」
笹川は急いで警察へ通報してから『エーデルハイム葉山』へ向かった。
笹川がマンションへ行くと、すでに二台のパトカーが停まっていて管理人室へ行くと部屋の前で二人の警官に止められて、中で人が殺されていて管理人室へは入れないと笹川は説明を受けて愕然としていた。
「1111号室は? うちの社員の山下春菜が閉じ込められているはずなのですが」
「残念です。山下さんと思われるご遺体が酷い状態で発見されました。今は死亡原因と身元確認の為に司法解剖へ回されています。部屋の入り口も封鎖されていて一般の方は入室出来ません」
警官の話を聞いて、笹川は頭を抱えてその場に膝をついてへたり込んでしまった。
その後、不思議なことに警察がマンション内の防犯カメラの映像を確認して犯人を特定しようとしたが、そのカメラの映像には何故か市川真司の姿が全く映っていなかった。
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修子のマンションで事件のことを知らされた真奈美は顔を青くして、犯人は真司だと確信していた。真奈美が修子に話すと、すぐに直之に連絡を入れて三人で師匠の所へ身を移した。
「やはり兄は怨霊に取り憑かれて殺人鬼になってしまったに違いありません」
「真奈美さんは家に帰らないで暫くはここにいて下さい。貴方の能力を知ったら怨霊は貴方を殺そうとするはずです。ご両親にも連絡を入れて気を付けるように忠告しなくてはいけません。祓うことは出来なくても身を守る術はあります。大丈夫です」
師匠に言われて、真奈美は実家へ連絡を入れて今までの事を包み隠さずに話して、真司には呉れ呉れも気をつけるようにと両親に伝えた。
「兄は、あの墓地に潜んで次の獲物を探しているのかも知れません。あの怨霊を祓わない限り、ずっとこんな事が繰り返されるのですね」
「祓いたくても祓えない邪悪なものはこの世のあちこちに潜んでいるのです」
師匠は真奈美に深く頭を下げて、怨霊を祓う手立てがやはり無いことを告げた。
「祓うことが出来ないと言う事は絶望的ですね」
「そうですね。こんなに強い怨念の集まった悪霊は私も出会ったことが無かった」
「もしかしたら、あの人なら……。いえ……きっと、あの人でも無理よね」
少し意味深なことを修子は口にしていたが、それ以上は語ろうとせず苦笑していた。その後で、修子も師匠も直之や真奈美の身を守る事が今は二人に出来る限界なのだと話していた。祓えるとしたら、真奈美が自分の本当の能力に目覚めた時だと言う事を師匠も修子も真奈美にも直之にも敢えて話さなかった。