『殺人鬼』
遺体の無い有美の葬儀を済ませて、すっかり真司は悲しみと怒りと憎しみの中に浸っていた。友人の直之が真司を心配して頻繁に会いに来ていたが、真司は固く口を閉ざしたままで髪もボサボサで無精髭を生やし瞳からは生気は無くなり廃人の様になってしまっていた。
「兄を心配してわざわざ来て頂いているのに、本当に申し訳ありません。義姉さんを亡くしてからの兄はずっと心を閉ざしてしまって、今では別人のようになってしまいました」
「謝るのは僕の方です。僕も叔母にあの部屋が危険だと聞かされていながら、何もしてやれなかった。僕もすぐに協力していればここまでひどい状態にはならずに済んだかも知れない」
真司を見つめながら、直之は悔しそうに拳を握りしめ自分の膝を何度も叩いて後悔していた。
「実は、兄が夜中になると何処かへフラフラと出て行ってしまうのが心配で、昨夜も後を付けて見たのですが、途中で見失ってしまって仕方なく家に戻って待っていたら、朝方には帰って来たのでホッとしたのですが、何処で何をしてるのかが心配で」
「真司はあの『1111号室』に呼ばれているのでは? あの部屋は今は封鎖されているので入れる訳は無いのですが、あの部屋に巣食う怨霊に真司は翻弄されているのかも知れません」
直之の言葉に真奈美は頷き真司の手を握りしめて、瞳には薄っすらと涙を浮かべていた。
その夜、真司はまたフラフラと何かに誘われるように家を出て行ってしまった。真奈美は今夜こそは見失わずに兄が何処へ行くのかを突き止めようと急いで後を追いかけていた。見失わないように後を付けて行くと真司はあのマンションの裏にある小さな墓地へ入って行ってしまった。
「わかっている。ああ。そうだ。もう少しだ。ああ…そうだ」
口を聞かないはずの真司が、誰かのお墓の前で何かをブツブツと話している。そして真奈美はギョッとした。真司の周りをフワフワと青白い光が円を描くように飛んでいる。そしてその横に恐ろしく大きく真っ黒な怨霊の塊が人の形をして真司に何かを告げている。恐怖でその場に居た堪れなくなった真奈美は、すぐにその墓地を離れて直之の携帯へ助けを求めていた。
直之に駅前のファミレスで待つように言われた真奈美は、窓際の席に座り震える手を握りしめて直之が来るのを待っていた。そして小一時間程経って直之は息を切らしてやって来た。
「真奈美さん。大丈夫ですか? 真司がいた墓地って? 真司が変ってどんな風に?」
「もう駄目なんです。あれはきっと何か酷く恐ろしいものなんです。兄はもう、兄では無いのかも知れません。もう……どうする事も出来ないんです。ううううう」
真奈美はパニックを起こし、頭を左右に振ってテーブルに顔を伏せて泣き崩れてしまった。直之は真奈美の身の安全を確保することを優先することにして、修子に連絡を入れて真奈美を迎えに来てもらい真奈美を暫くは修子のマンションへ泊めて貰うことにした。
「直之はどうするの? 貴方も出来れば関わらない方が良いわ! 私たちではどうする事も出来ないし、犠牲者が増えるだけよ! どうしてもと言うのなら師匠の所へ行きましょう!」
「僕には真司をあのままにしては置けません。何か方法は無いのですか? 師匠なら何か教えて下さるんですか?!」
こんなことになっても、何も出来ないことに苛立ちを憶えて直之はつい修子に悪態付いていた。
「直之さん! 兄はもう……きっと兄は以前の兄ではありません。あの墓地であの真っ黒な怨霊と話している兄はとても恐ろしくて……人では無いものに見えました」
「真奈美さん? 貴方……もしかして、視えるだけじゃ無いのね?」
修子と真奈美の遣り取りを聞いて直之はハッとして真奈美の答えに息を呑んだ。
「はい。ああいった物が視えることに気付いたのは物心がついた時からです。そして聞こえたり感じたりもします」
「それで? 今日、恐ろしい物を視て感じたのね? その墓地で……」
真剣な修子の問いに真奈美は静かに頷いていた。真奈美の話を聞いて直之も師匠の所へ行く事を決意していた。
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その頃、真夜中の墓地にいた真司は何かをブツブツと呟きながら片手には大きな鉈を握っていた。
「コロス……ミンナコロス……ソウダ。ミナゴロシダ……クククク」
そして、薄っすらと東の空が明るくなり始めた頃、真司は墓地を出てすぐ側にあるあのマンションへ真っ直ぐに向かって歩いていた。
【ギィィィ―――――――――――――!! ギィィィ―――――――!】
片手に持った鉈を地面に擦り付け歩いている真司はとても生きた人間には見えなかった。一階の管理人室の前まで来るとインターホンを押して真司はドアが開くのを待っていた。
「どうしたのですか? 市川さん。こんなに朝早くに来られるなんて……。何かあったのですか?」
管理人の竹内が何も疑うこと無くドアを開けたその瞬間だった。
「ギャァァァァァァ――――――――!!」
【グワシャッ!!! グチャッ!! グチャッ!!】
真司は手に持っていた鉈を竹内の首を狙って振り下ろし、竹内の頭が真司の足元に転がっていた。真司は何食わぬ顔でその頭を片手で拾い上げると、部屋の中へ入りドアの鍵を閉めた。台所で片付け物をしていた妻の吉江は、夫の叫び声を耳にして慌てて玄関へ向かった。
【ギィィィ―――――――――!! ギィィィ―――――――――!!】
そこには、『1111号室』から引っ越したはずの市川が、夫の頭を片手で鷲掴みにしてもう一方の手には恐ろしい凶器を持ちそれを引き釣りながらこちらへ向かって近付いて来ていた。
「イヤァァァァァァ―――――――――――!! アナタァ――――――!!」
吉江は狭い部屋の中を逃げ回り、ベランダから助けを呼ぼうと戸を開けようとしたが、何故か鍵もかかっていないのにベランダの戸は全く開かなかった。
「嘘! 嘘! どうして!? どうして開かないの?」
「コロスコロスミナゴロシダ……ヒヒヒヒヒヒッ!!」
真司のその目には生気は無く、口からは唾液が垂れて生きている人間にはとても見えなかった。腰を抜かしてしまった吉江は床を這いながら逃げようとしたが逃げられなかった。
「ギャァァァァァァ――――――――――――――!!」
【グチャッ!!グシャ!!グチャ!!】
「グワァァァァ―――――――――――!!」
【グチャッ!!グシャ!!グチャ!!グシャ!!】
【グシャッ!!グシャッ!!グチャ!!グチャ!!グシャ!!グチャ!!】
リビングの床や壁は飛び散った吉江の血で辺り一面が真っ赤に染まってしまった。既に息絶えてただの肉の塊になった吉江を怨霊に取り憑かれて殺人鬼と化した真司は更に切り刻んだ後で、血塗れになった自分の服を脱ぎ捨て何食わぬ顔でシャワーを浴びて竹内の洋服に着替えて『1111号室』の鍵を持って管理人室を後にした。
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直之と真奈美は修子に連れられて師匠の所で一夜を共に過ごしていた。朝になり二人は大きな和室で師匠と向かい合って座って昨夜の真奈美の話を聞いていた。
「義姉さんが死んでから兄は毎晩の様に夜になると、何処かへフラフラと出かけて行くようになって……。そして、日に日に誰とも口を聞かなくなり別人のようになってしまいました。そして昨夜、どうしても何処へ行くのかが知りたくて必死に後を付けて行くと、あの『1111号室』があるマンションの裏にある小さな墓地で兄は恐ろしい怨霊と会っていたのです」
「そこで真奈美さんはハッキリと視てしまったのですね。あの忌まわしい怨霊を!」
真奈美はまた、その時の事を思い返して肩を震わせていたので、横に座っていた修子が背中を優しく擦っていた。師匠は険しい顔をしながらも、何か打つ手はないか誰かと電話で綿密に話しながら八方にいる自分と同じ祓い屋を生業にしている者たちに伝令を送っていた。