『奪われた命』
家に帰った真司は、自分が知ってしまった事実を全て有美に話してすぐにでも引っ越す覚悟をしていたが、その日の夜。有美から、思いも寄らない報告を受けて頭を抱えていた。
「出来ちゃったの……。私たちの赤ちゃん」
「えっ!? 本当に? 間違いないのかい?」
「本当よ! 昨日、病院へ行ったら二ヶ月って言われちゃったの」
真司は子供が出来た事は凄く嬉しかったが、今の状況では手放しに喜んではいられなかった。
「今は一番大切な時期だから、安定期に入るまでは油断出来ないそうよ!」
「確かに、妊娠初期に無理はしちゃいけないって、姉も何度も母に叱られていたよ」
すぐにでも、この部屋で起きている事を話して引っ越すつもりでいた真司は、初めての自分たちの子供を身篭って喜んでいる有美を見て、急に話し辛くなってしまった。
結局、有美に話せないまま週末になり、有美の実家へ子供が出来たことを報告に二人で来ていた真司は翌日が休みという事もあって、結婚前のままにしてある有美の部屋へ二人で泊まる事にした。
「しばらく安定期ってやつに入るまで……有美だけでも実家で世話になったらどうかな?」
「大丈夫よ! 病気じゃないし……。それに、我が家は安産の家系らしいから心配無いわよ」
有美は真司の申し出は聞き入れず、実家に世話になる気は無いようだった。
「でも、例のあの音の事も気になるだろう? 原因が解っていない内は実家にいたほうが良く無いかな? 僕は君の事が心配なんだよ」
「確かに私も不安だけど……。そう言えば、不動産屋の人は何て言っていたの? やっぱり何かあったの?」
真司は少し悩んだがやはりここは、有美やお腹の子の安全を考えて本当の事を有美に隠さずに話すことにした。
「三年程前にあの部屋で女の子が惨殺された事件があったらしい。その後であの部屋に越して来た住人は失踪や不審死、自殺や精神崩壊と無事に暮らしている人がほとんどいないそうなんだ」
「女の子? もしかしてあの絵の? あんなに小さい子が惨殺されたの?」
有美に聞かれて真司は静かに頷いていた。
「まだ。……あの部屋に居るのね。その子……」
「そうかも知れない。知り合いの霊能者には早急に引っ越せって警告されたよ」
真司の話を聞いて、有美はすぐに承諾してくれて新しい住居を翌日から探すことに決まった。
それから三日間は何事も無く過ぎ、その間に新しい住居も見つかり二人は一週間後に引っ越す事が決まってホッとしていた。
「有美は無理しないでくれよ! 今は特に大事な時期だからな!」
「真ちゃんありがとう。でも、洋服を纏めるくらいは出来るから大丈夫よ!」
あれから、三日間。何事も無かった事で真司も有美も少し油断していた。
【ギィィィ―――――――――――――――――――!!ギィィィ―――――!!】
突然……。またあの恐ろしい気味の悪い金属音が部屋中に響き渡っていた。二人は動きを止めて顔を見合わせて音のするあの部屋にゆっくりと視線を向けた。
【バタァ―――――――――――――――――――――ン!!】
物凄い音がして、あの部屋のドアが開いた瞬間に照明が消えて部屋中が真っ暗になっていた。
「ひぁっ!!」
有美が悲鳴をあげて飛び上がって真司に抱きついて震えていた。そして、部屋の中から何か黒くて小さな塊がフワフワと宙を舞いながらこちらへ向かって来た。
「キャ――――――――――――――!!」
有美はその姿を見て、さらに悲鳴を上げていた。真司は恐怖で声も出なかった。
黒く見えたのは長い髪で覆われた少女の上半身だったからだ。
「逃げよう!! 早く! こっちだ!!」
急いで有美の手を取り真司は玄関へ向かった。向かったはずが……何故かそこは書斎だった。
「嘘よ……嘘!? イヤァ―――――――――――!! イヤァ―――――――――――!!」
有美は足元の何かを振り払いながら、恐怖で半狂乱になっている。
「有美! 有美! しっかりしろ!! こっちだ!」
真司が諦めずに必死で出口を求めて部屋中を歩き回っていると部屋中に少女の笑い声が響き渡っていた。
【フフフフフフフフ♪ フフフフフフフフ♪ アハハハハハ……アハハハハハ】
そして恐怖で座り込んだ有美の周りが血で真っ赤に染まって、有美は気を失っていた。
「おぃ! おぃ! 有美! 有美! しっかりしろよ! おぃ!」
真司は必死で有美を抱え恐怖に立ち向かい玄関ドアを探して歩いた。やがて少女の声も聞こえなくなりパッと照明が点いて部屋が明るくなった。
「ああああああああ!!!有美―――――――――――――――――――――――!!!」
それと同時に真司は叫んでいた。抱きかかえていた有美の腰から下が生暖かく血まみれで有美の息は虫の息だったからだ。急いで真司は救急車を手配して、有美は近くの総合病院へ搬送された。
幸い三日間眠り続けて有美は命を取り留めたが、お腹の中の赤ん坊は助けることが出来ず流産したと医者から告げられ、真司は待合室のソファーに腰掛け一人肩を震わせて泣いていた。
【フフフフフフフフ♪ アハハハハハ♪ アハハハハハ……アハハハハハ】
あの少女の二人を嘲笑う声が真司の耳から離れなかった。お腹の子はきっと、怨霊に連れて逝かれたのだ。あの怨霊に。後悔してもどうしようもないと思っていても真司は自分を呪った。どうして有美だけでも引っ越すまでは実家に預けなかったのか……。必要なものだけを持って、あの部屋をすぐに出るべきだったと酷く真司は後悔していた。
有美が起き上がれるようになって、やっと面会を許された真司が有美の病室へ入り有美をひと目見て、更に真司は後悔させられていた。お腹の赤ん坊を失ったショックと怨霊に対する恐怖で有美は完全に正気を失っていたのだ。目を開けてはいるが、そこに生気は無く。ブツブツとお腹を擦りながら、失ったはずのお腹の子に有美はずっと話しかけている。
連絡をして駆けつけた実家の両親も有美の変わり果てた姿を見て義母は泣き崩れていた。この時、真司は決心していた。自分の子と妻の敵を打つべく怨霊を何としても祓ってやると……。日本中を探してでも、あの怨霊を祓える霊能者を探し出して祓ってやると決意していた。
一週間後、『1111号室』から荷物は全て運び出し、新しい住居への引っ越しは問題無く完了されたが、真司は不動産屋を訪れて今までの経緯を春菜に話して霊能者が見つかったら、部屋の鍵を貸して欲しいと頼み込んだ。気の毒に思った春菜は持ち主に事情を伝えて承諾を取り、真司が霊能者を連れて来た時には一緒に同行すると春菜は真司に約束をした。
相変わらず有美は病院のベッドの上で自分のお腹を擦りながら失ったお腹の子に話しかけていた。その傍らにはあの黒い小さな影がフワフワと浮かんでいた。