『終焉』
直之は修子から『1111号室』へ真司の魂を救いに行くと聞いて内心では、不安を感じていた。師匠と修子と真奈美と師匠の弟子の僧侶二人だけで三日後の夜に決着をつけると修子は言っていたが、やっと目覚め始めた真奈美の能力では邪悪な怨霊に立ち向かうのはかなり危険過ぎる。直之は少し考えてから、ハッと何かを思い出したように立ち上がって自分のノートパソコンの住所録を開いて、何処かへ電話を入れていた。
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三日後の日暮れの時間になり、真奈美たちは『1111号室』の真司の書斎だった部屋で『儀式』の準備を師匠の弟子二人と整えていた。準備が整うと、部屋の中心で師匠も修子も神経を集中して呪文を唱え部屋中に緊張した空気が張り詰めていた。
「吾是天帝所使執持金刀、非凡常刀、是百錬之刀也、一下何鬼不走、何病不癒、千妖万邪皆悉済除、急急如律令」
儀式を始めて数十分経った頃だった。
【ギィィィ――――――――――!!】
【ギィィィ――――――――――!!】
鈍い金属音と共に怨霊に取り憑かれた真司の魂が真奈美の目の前に姿を現した。
「コロス……コロス……クククク。ミナゴロシダ」
「兄さん!!!」
真奈美は真司を見据えると、自分の中に眠る能力を集中させて呪文を唱えた。
「吾是天帝所使執持金刀、非凡常刀、是百錬之刀也、一下何鬼不走、何病不癒、千妖万邪皆悉済除、急急如律令」
真司の中の怨霊が苦しそうに呻き声を漏らし始めた。
「ウウウウウウウ……アアアアアアアアーー!!」
更に真奈美は容赦なく続けた。
「吾是天帝所使執持金刀、非凡常刀、是百錬之刀也、一下何鬼不走、何病不癒、千妖万邪皆悉済除、急急如律令」
怨霊は呻き声を上げながら真司から離れると、真っ黒な闇の様なその姿を現していた。
《ウウウウウウウ……オ…オノレ…ニンゲンメ》
怨霊から開放された真司の魂は生前の姿に戻り、一度だけ真奈美をしっかりと抱きしめた後で赤ん坊を抱いた有美の魂と共に白い光の中へ消えてしまった。
「真奈美さん!! 油断してはいけません!!」
「集中して!! 真奈美さん!!」
無事に開放された真司の魂に真奈美が気を取られていると、師匠と修子が真奈美に向かって叫んでいた。
《ユルサナイ…コロス…ミナゴロシダ》
「オン・ベイシラ・マンダヤ・ソワカ!!」
真奈美に向かって来た怨霊の前に立ち塞がって師匠が攻撃系の呪文を唱えた。怨霊は一瞬怯んだものの、その邪悪な力は全く衰えていないようだった。
「ノウボウ・タリツ・ボリツ・ハラボリツ・シャキンメイ・タラサンダン・オエンビ・ソワカ!!」
真奈美も続いて攻撃系の呪文を能力を集中して唱えていた。
「あ、貴方! いつの間に!?」
攻撃系の呪文を教えていなかった修子と師匠は凄く驚いて真奈美を見た。
《ウウウウウウ……オマエダケハユルサナイ!!》
怨霊を支配していた悪霊が大きな黒い人型の姿を現して、真奈美に襲い掛かろうとしていた。真奈美も必死に呪文を唱えていたが、直之が心配していた通り能力にやっと目覚め始めた真奈美ではこの邪悪な怨霊たちを支配していた悪霊を祓うことは出来無かった。
《ミナゴロシダ…ククククッ》
真奈美が目を閉じて心の中で死を覚悟したその瞬間だった。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!!」
「怨霊退散!! 破ァァァァァァ―――!」
真っ黒な肩まで真っ直ぐに伸びた見事な黒髪の、おそらく女子高生であろう服装をした涼しげな瞳をした美少女が真奈美の前に背を向けて立っていた。その女子高生は余裕さえ感じる表情で悪霊を見据えると、右の掌を広げて大きな丸い黒煙の様な塊をその手に出して、悪霊へ向けておもいきり解き放っていた。
「とっとと闇の底へ消えろ!! このムカツク邪悪な悪霊のクソが!! ウリャ―――――!!」
《ギャァァァァァァァァァァァァ!!!》
《グワァァァァァァァァァァァァ!!!》
あっという間に怨霊は気味の悪い断末魔を上げながら、その真っ黒な塊に巻かれて消滅してしまった。
「あ~~!! スッキリしたぁ~!!」
「ちょっと!! 闇子ちゃん! また言葉が……女の子がそんな言葉遣いしたらアカンって! 緊張感無さ過ぎやん!」
つい、ほんの数分前まで、死を覚悟するほどの窮地に陥っていた三人は女子高生と関西弁の女性の突然過ぎる登場に啞然とするしか無かった。
「大丈夫かい? 真奈美ちゃん! 間に合って良かった! 本当に良かった!!」
「直之さん? どうして? えっ!? あっ!」
直之は真奈美に駆け寄って真奈美の無事を確認すると、涙しながら真奈美をおもいきり抱きしめていた。
「間一髪。間に合いましたね。それにしても闇子さんはどんどん口が悪くなっているような気がするのは私だけですか? 光さん?」
「気のせいじゃないでしょ? 間違いなく、怨霊を祓う度に口が悪くなってます!(苦笑)」
二人は怨霊を一撃で祓ってしまった女子高生を前にして、大きな溜め息を吐いていた。
「ま、真澄さん? どうして? 貴方がここに?」
三人の後に続いて入って来た男性を見て、修子と師匠が目を丸くして驚いている。
「僕がお願いしました。修子さんが以前、一緒に祓い屋をしていた龍安師匠の事を思い出して、どうしても胸騒ぎがして心配だったので、僕が駄目もとで三日前に連絡を入れて助けを求めたんです。急なお願いだったのにも関わらず、龍安師匠は快く引き受けて下さって……」
直之の話を聞いて修子はその場にしゃがみ込み頭を抱えて大きな溜め息を吐いていた。
「お久しぶりです。宗庵師匠、修子さん。本当なら兄の龍安が来なければいけなかったのですが、兄は母と別の重要な案件を片付けないといけなかったので、私が光さんと闇子さんにお願いしてこちらへ同行させて頂きました」
「まさか……貴方に助けて頂けるとは思ってもいませんでした。遠い所を本当に有難うございました」
師匠が少し気不味そうに真澄に礼を言って深く頭を下げると、真澄がニヤリと笑って少し声を低くして話を続けた。
「兄は今回の件をキッカケにして、出来れば貴方や修子さんとの関係を修復したいと思っているようなんですがね。如何でしょう? 兄の申し出をお聞き入れ頂けますでしょうか?」
「も、勿論です。こちらからお願いしたいと思っていました。特に今回は改めて自分の能力の無さを思い知らされました」
師匠にまた深く頭を下げられて、真澄が苦笑していると横にいた光が真澄に向かって叫んでいた。
「真澄さん! まだ終わってないよ! 少女の魂を浄化して光の向こうへ渡ってもらわないと!」
「あっと! そうだったね。彼女をなんとかしないと帰れないね」
二人はそう言ってクローゼットを開けると、その奥に潜んでいる少女の魂に話しかけていた。
「もう怖い人はいないからそこに隠れている必要は無いんだよ。ほら、おいで!」
真澄が優しく差し伸べた手を少女がそっと握ると、少女は生前の綺麗な元の姿に戻っていた。
「私を視て! 咲良ちゃん。そして、向こうにある白い大きな光が視える?」
光にそう聞かれて少女は静かに頷いていた。
「ほら、貴方のお父さんがいるでしょ? お父さんと一緒に光の向こうへ行くんやで!」
すると……。少女は嬉しそうに父親の魂の所へと走って行って、父親に抱きしめて貰っていた。
そして、その腕に抱かれたままで光の向こうへと消えて行ってしまった。その様子を見ていた真奈美は始めての経験に凄く感動して涙が止まらなかった。救えないと思っていた少女の魂までも、意図も簡単に浄化してしまった光にも師匠と修子は驚きを隠せないでいた。
「まさかこんなに凄い人たちが龍安の元で育っていたなんて……。本当に驚きました」
「あっ。ちなみに光さんは私の大切な妻なので、惚れちゃったりしないで下さいね!」
真澄は光を後ろから抱きしめて、二人に自分の所有物である事を強調していた。
「またやってる~! もう~女子高生の前でいちゃつかないでよね~!」
闇子は真澄をキッと冷たい目で睨むと、さっさと一人で部屋を出て行ってしまった。そして、真奈美は一番最後に部屋を出る時に玄関で立ち止まり、振り返って怨霊が消えた『1111号室』の部屋の中を見渡すと、部屋の中は見違えるようにとても明るく澄んでいるように感じて視えた。