(2)みさ子と雅美とタカ
「ただいま!」
佐々木さんが玄関に向かうと同時に、明るい男性の声が聞こえた。
―――あれ?この声……。
気になった私はキッチンからリビングへと移動していた。おかげで玄関の声が聞こえた。
その聞こえた声に首を捻っていると、佐々木さんの焦った声もこちらに届く。
「ご、ごめんなさい。今、人が来ているの」
「誰?妹さん?」
「違うわ。そうじゃなくてっ」
「……もしかして、男?」
「何でそうなるのよ!」
佐々木さんは大きな声を上げた後、更に焦ったような声を出す。
「ちょ、ちょっと、まずいのよ!」
「何で?用が済むまで大人しくしているから、俺のことは気にしないでいいよ」
「だから、そうじゃなくて!ああ、もう、待って!勝手に行かないで!」
「こんばんは」
佐々木さんの慌てた声に続いてにこやかに現れた男性に、私の目が丸くなった。ついで、その男性の目も丸くなった。
予想通り、現れた男性は営業一課の北川さんだったのだ。
彼の甘くて爽やかな風貌はまさに王子様で、社内には北川さんに想いを寄せる女性がたくさんいる。
その彼に彼女がいるという噂は聞いていたけれど、その彼女が佐々木さんだったなんて。
目を丸くしていた北川さんは、バツが悪そうに頭を掻く。
「まさかウチの社員がいるなんて」
「……もう。だから待ってって言ったのに」
北川さんの肩越しに、佐々木さんの困った顔が見えた。
「あ、あ、あの、その、私っ」
どうしたらいいのか分からなくて二人の顔を交互に見やっていると、佐々木さんが肩を竦めてちょこっと笑った。
「見られてしまったのなら仕方ないわね。それに、石野さんは不用意に言いふらす人じゃないから安心だわ。でも、私たちのことは内緒にしておいてもらえる?」
「も、もちろん!誰にも言わない!」
私がそう答えると佐々木さんはもう一度わずかに笑って、
「お茶を入れてくるわね」
と、キッチンへ入っていった。
リビングには北川さんと私。彼は一課で私は二課だから、もちろんお互いに顔見知り。
「北川さん、佐々木さんとお付き合いしていたんですね」
「はい。追いかけて、追いかけて、やっと振り向いてもらえました」
北川さんが恥ずかしそうに小さく笑う。
そんな彼に、素朴な疑問を投げかけた。
「ウチの会社は社内恋愛OKなのに、内緒にしているんですか?佐々木さんも、言わないでほしいって」
私の問いかけに、彼は極々僅かに困ったような笑みを浮かべる。
「みさ子さんが、人に知られるのは恥ずかしいと言うので。俺はまったく平気なんですけど」
「恋人がいることは素敵なことなのに、黙っているのは寂しくないですか?まぁ、やたらに騒ぎ立てられるのは迷惑でしょうが」
「正直に言えば、俺としては言いふらしたいくらいなんです。でも、みさ子さんは恋愛に関してかなり奥手なので。今はまだ、みんなの知られるのが恥ずかしいそうなんですよ」
「そうですか」
「でも、いいんです。それでみさ子さんが安心して仕事に臨めるのなら。みさ子さんが幸せなら、俺も幸せですし。それに、結婚となればさすがに隠してはおけないので、その時には否が応でもみんなに知れ渡ります」
「結婚?」
佐々木さんや私より五歳も下の彼が、そんなことを考えていたなんて。まだ若い彼がそういう現実的な考えを持っているとは思わなかった。
「まだみさ子さんには正式に伝えてはいませんけど、仮のプロポーズなら既に済ませています。俺には、みさ子さん以外の女性は考えられないから」
そう言って笑う北川さんは、とても幸せそうだった。
しばらくして、無事にクッキーが焼き上がる。味見をしたら、我ながら美味しいと思ってしまった。
「これなら、楠瀬課長も喜んで召し上がってくれるはずよ」
荒熱が取れたクッキーを佐々木さんとラッピングしていると、ふいに北川さんが口を開く。
「そうだ。石野さんはウチの課長と付き合っているんですよね。あの告白劇、衝撃だったぁ」
北川さんの言う告白劇とはアレのことだ。同じ部署で働く彼ならば、目にして当然。そうか、佐々木さんは北川さんに聞いたのか。
「あの時はお騒がせして、すみませんでした」
いたたまれなさを感じてペコリと頭を下げると、北川さんがニコッと笑う。
「石野さんが謝ることはないですよ。どう見ても、課長が独断で暴走したんでしょうから」
彼の言葉に、私は苦笑するしか出来ない。
「あの、私、これで失礼します。佐々木さん、クッキーを一緒に作ってくれて、どうもありがとう」
ラッピングまで終えた彼用のクッキーをバッグに仕舞い、私は席を立つ。
「お邪魔しました」
玄関まで見送りに来てくれた二人に頭を下げ、私は佐々木さんのマンションを後にした。