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(1)みさ子と雅美

本編にて雅美ちゃんは楠瀬課長のことをまだ名前呼びにしていないので、こちらでも『課長』のままで進めさせていただきます。恋人なのに役職名で呼ぶのは味気ないと感じられるかと思いますが、どうぞご了承ください。



 楠瀬課長と付き合い始めて、初めてのバレンタイン。

 普通ならば学生時代にこういった甘酸っぱいイベントを経験しているのだろうが、私はようやくこの年になって初めてバレンタインに参加することになった。

 これまでは家族にチョコを渡す程度しかしてこなかったので、今更ながら照れくささが前面に出てくる。

 義理チョコを買うことには抵抗ないのだが、本命となるとちょっと違うのだ。

「さすがに、弟に渡しているような義理チョコと同じわけにはいかないわよね」

 なぜか私からのチョコに異常なほど執着する我が弟。

 顔もスタイルも人当たりも良くて、常に弟の周りには綺麗な女の子や可愛い女の子がたくさんいるのだから、私が用意するたかが一個のチョコレートなど無意味だと思うけれど。

 いや、今は弟のことより、楠瀬課長に渡すチョコだ。並んでいる美味しそうなチョコレートたちを眺めながら、私はこの時期恒例になっている光景を思い出していた。

 彼も私の弟のように女性の関心を集める存在だから、今年も山ほどのチョコを手にするのだろう。毎年見てきた光景は、間違いなく今年も繰り返されるはず。

 課長自ら私たちの付き合いを宣言したが、その後も彼にアプローチする女性は一向に減ることもない。

 おそらくこれまでは、楠瀬課長は恋愛する暇もないほど忙しいのだと思っていたのか、または恋愛自体に興味がないのだと、彼女たちは考えていたのかもしれない。

 そこにきて私との付き合いを声高に広めたのだから、『もしかしたら、自分にもチャンスがあるのではないか』と思ってしまうのも無理はないだろう。

 それでも私は今のところ楠瀬課長の恋人という立場であるし、彼のことはやはり好きなので、できることなら彼の恋人でいたいと思う。

 だからこそ、バレンタインのチョコをどうするべきかと悩んでいるのである。

「どういった物がいいのかしら」 

 付き合い始めてから課長の好みはそれとなくリサーチしてきたが、いざとなるとなかなか決断できない。


 甘いものはそれほど好まないと言う人にチョコレートをプレゼントしても、迷惑にはならないだろうか。

 チョコを贈るなら、どういったものがいいのだろうか。

 ここはチョコではなく、別の物を送ったほうがいいのだろうか。


 今の世の中はあまりに多種多様な商品が出回っている上に、恋愛に不慣れな私としては迷う一方だ。

 バレンタイン三日前の今日、会社帰りにデパートに立ち寄り、催事場に所狭しと並べられているチョコレートやその他の商品を眺めながら、私は何度目かのため息をついた。

 その時、

「石野さん?」

 と声をかけられる。

 振り向いてみれば、総務部のチーフで同期の佐々木さんだった。

 ペコリと頭を下げると、佐々木さんも軽く頭を下げて『お疲れ様』と言ってくれる。

「ここにいるということは、バレンタインの買い物かしら?」

 シルバーフレームの奥の瞳が、ソッと優しげに細められる。その仕草は妹を見守るお姉さんのようだ。

私と同じ年なのに佐々木さんはとても頼もしい存在で、私は彼女に相談を持ちかけた。

「さっきからあれこれ眺めているんだけど、何を選んだらいいのか分からなくて。私、バレンタインにチョコを贈るのは慣れていないから、このところ、ずっと悩んでいるの」

 いい年をした大人が何を言い出すのかと呆れられてもおかしくないのだが、佐々木さんはフフッと小さく微笑んでくれる。

「だったら、一緒にクッキーを作らない?」

「え?」

「クッキーなら甘さを抑えるのも簡単だから、甘いものがそう得意じゃない男性でも食べられるはずよ。明日、ウチで作りましょ」

 料理もお菓子作りも好きだという彼女と一緒なら、きっと美味しいものが出来るはずだ。

「じゃあ、そうしようかな」

 それから私と佐々木さんはクッキーの材料やラッピングに使うあれこれを買い込み、それぞれデパートを後にした。




 翌日。定時で仕事を終えた私は総務部に向かう。佐々木さんも仕事を終えたようで、帰り支度をしていた。

 他愛のない話をしながら彼女の家に向かい、リビングでちょっとだけお茶を飲んで、早速クッキー作りに取り掛かる。

 佐々木さんの指示の通りに作業を進めていると、

「石野さんのお相手の方って、営業部の楠瀬課長よね?」

「あの、えと……。どこでその話を?」

「勤務中に課長が堂々と告白、というか宣言をしたって聞いたわ」

 まぁ、とても隠せる状態ではなかったから、佐々木さんが誰かの話を耳にしていてもおかしくはない。

「そうなの。自分でもびっくりして、今でも信じられないんだけど」

 苦笑いを浮かべた私は、余熱を終えたオーブンへクッキー生地を並べた天板を差し入れる。

 その時、玄関の扉が忙しなく開く音が聞こえた。

「いけない!今日は石野さんとクッキーを作るって言うのを忘れていたわ!」

 佐々木さんが血相を変えて玄関へと駆けていった。





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