ボクの消失とボクの再生と
第一幕
――世界がボク一人だけになればいいのに……。
最近のボクはいつもこんな事を考えて生きている。
二年前までのボクと言う存在は実に素晴らしかった。輝いて見えるなんて比喩が実によく似合う、そんな存在であった。
一流の高校、一流の大学、一流の会社……。それまでの人生で凡そ失敗と言うものを一切してこなかったボクにとって――他人から見ればほんの些細な失敗 なのだろう。
しかし、それがボクを現実から逃避させたのだ。
そう、ボクは自分が失敗したと言う事実を受け入れなくて、それまで築いてきた全てを投げ出して しまったのだ。
それからと言うものボクの人生は最悪だった。アパートに引きこもり、外出と言えば食料調達の為、真夜中にコンビニへと足を運ぶ程度の体だった。
一日中、ネットの世界の住人となり、これまでの貯蓄でなんとか耐え凌ぐそんな毎日。この何も束縛のない自由な時間をボクは楽しいとは思わなかったが、再び失敗をする事の恐怖から新しいスタートを切る気力も湧かなかった。
だけども、自信の存在そのものを消し去ってしまいたいなんて衝動にも駆られない。だからボクはいつもいつもこんな事を考えていたんだ。
それなのにこの時のボクは気が付かなかったんだ。そんなボクのあり得ない妄想が実った事に……。
第二幕
その日の訪れをボクは気が付かなかった。いや、気が付こうとしなかった。
何時間もネットゲームを続け、眠くなったら寝て起きたらまたログイン。これがここ一年のボクの生活リズムであった。
その日、目が覚めたボクは当然の如くPCの電源を入れてログイン。
『今日は人が少ないな』なんて思いつつも狩場を独占できた事の喜びが勝り、ひたすらMOBを狩り続けた。ソロメインのボクは狩場に何日も滞在する。結局、異変に気付き始めたのは数日後の事だった。
食料調達の為に深夜のコンビニへと足を運ぶ。誰もいない路地を歩き、誰もいない店内へと入った。
何個ものカップ麺と冷凍食品をカゴにいれレジへと向かう。しかし、店員は来なかった。声を出して店員を呼ぶ気にはなれなかった。仕方が無いので立ち読みをして時間を潰す。何十分待っても店員の姿はなかった。
ボクはカゴに入れた商品を棚に戻すと、心の中で『なんて使えない店なんだ!』と罵倒をしながら店を出てアパートに戻った。
気付けるはずが無かったんだ。それぐらいボクの妄想はあり得ないはずだった……。
第三幕
結局、ボクがそれに気付いたのは次の朝だった。
いや、この時はまだ何かが起こった事だけを認識できただけだった。
翌朝、腹の虫が鳴る音で目覚めたボクは空腹を我慢できずにコンビニへと足を運ぶ。最後に朝日を浴びたのは一体いつの事だったろうか?
『クソッ』ボクは心の中でそうボヤく。何故ボクがこのような時間に出歩かなくてはいけないのだ! 思えばあの怠惰な店員のせいなのだ。
身を隠すようにコソコソと街を行く。そう引きこもってからのボクと言うものは他人に見られる事を偏執的に嫌う。コンビニまではそう距離はない。
そして店に着くと昨夜と同じように食料をカゴに放り込んでいくのだ。
――何かがおかしい。
ボクの中の何かがそう告げていた。いや、今更それに気が付いたボクの愚鈍さを笑うべきだったのかもしれない。誰もいない店でボクは店員が来るのを待つ。十分、二十分と時が過ぎる。しかし、やはり店員は現れなかった。
空腹や日の当たる道路を歩いた事の苛立ちで意を決して店員を呼ぶ。
狂ったように何度も、何度も……。
――何かがおかしい。
ボクはそう思い、スタッフルームの扉を開ける。そして、トイレや倉庫へと足を運ぶ。
昨夜、こうするべきだったんだ。そうすれば少なくともこの店には誰もいない事を知ることができたのに……。
このまま黙って商品を持って帰る事もできた。しかし、それでは万引きだ。困ったボクはレジに少し多めの金を置くと急いで店を出た。
そして唖然とするのだ。ボクの危惧――つまりは他人に見られる――など、そもそもする必要がなかったのだ。
何故なら道路には通行人どころか車すら存在しなかったのだから……。
第四幕
店を出ると何度も何度も辺りを見回した。ボクの住む町はとても都会とは言えないがこの時間に誰も視界に入らない何て事はありえない。
しかし、それがありえたのだ。
ボクは奇声を上げながらアパートへと戻った。それは恐怖からではない。恐らく、この時のボクの顔は狂喜で歪んでいた事だろう。
部屋に戻ると急いでPCの電源を入れる。嫌な笑みを浮かべて手を擦りながら、今か今かとPCが立ち上がるのを待つのだ。
そして、ブラウザを起動すると様々な掲示板やホームページをチェック。
やはりそうだった。ボクのゆがんだ顔から甲高い笑みがこぼれる。五日前を境に全ての更新が止まっていたのだ! どうやら、ボクの妄想が実ったらしい。
ボクは意味もなくヘッドフォンのコードを抜くとボリュームを最大にした。更に音楽に乗りながらダンス。
いや、ボクはダンスなどした事はなかった。むしろ地団駄と言った方がよかったかもしれない。そんな事はどうでもよかった。
単にボクは普段は出来ないような事がしたいだけだったのだから。
そして、ボクは家を出た、鼻歌を歌いながら。強い昼間の日光にさらされて弱くなったボクの肌が少しヒリヒリしたが不快感はなかった。むしろ、心地よささえ覚えたのだ。
ゲームショップや本屋を周り適当にカバンに詰めていく。無論、金を払うつもりなどない。なぁに、誰もいないのだ。この世のありとあらゆる物をボクが 勝手に使ったって問題ないだろうて。全て持ち帰りたかったのだが流石に量が多すぎる。まあいい、また来ればいいさ。
何せ、もうボクしかいないのだから世間 手など気にする必要はない。
もし、この時のボクがある可能性について思い至っていたら結果は変わっていたかもしれない。しかし、あろう事かこの時のボクは『次はどのゲームをやろう』こんな事しか考えていなかったのだ……。
第五幕
その日の訪れを知って以来、ボクはPCを立ち上げていなかった。それにボクは深い意味など無いと考えていた。でも、実際は違ったのだ……。
あれからボクは気が向くと昼夜を問わず散歩をするようになった。やはり、人どころか動物の姿すら目にする事はない。
――あれから何日が経ったのだろう?
ある日、ボクは漠然とそんな事を思った。最早、カレンダーなど意味を持たないと言うのに……。
ふと、部屋に散乱するゲームや本に視線を向ける。乱雑に置かれたそれらを見て『二、三週間ぐらいか?』などと感想を抱いた。
ゲームや読書の日々。ボクが望んでいた最高の日々。なのに今はもう喜びを感じないのは何故だろう?
ただ、機械的にそれらをこなす日々。その日までは面白かったはずのそれが今はちっとも面白くないのは何故だろう?
ボクは外出の度に大声で歌いながら歩くようになった。ゴミとなった物は窓から乱暴に投げ捨てる様になった。
あれからPCを立ち上げていない。
今のボクにはその意味を考える必要があった……。
第六幕
この日、ボクは悪夢にうなされていた。
いや、この頃と言う表現こそ正しいか。見る夢はいつも同じだった。即ち、ボクが消えてしまう夢だ。
天井を見上げると蛍光灯の光がまぶしかった。あれからボクは電気を一日中点けっぱなしにしている。暗いとボク自信も消えてしまうような気がするからだ。
理由もなく人が消えさるはずもないのだけれども、それが有り得た以上はボクが消えてしまっても不思議はないのだ。それが恐ろしくてボクは電気を点けっぱなしにしていた。
ふと思う。スーパーやコンビニの生鮮食品は既に腐って店中に悪臭を撒き散らせていると言うのに、なぜ電力は今も供給されているのだろう?
人は消え てしまったけれども電力会社の発電機はそのまま動き続けているからだろうか?
それともこれは大規模な実験か何かでボクは何者かに監視されているのだろうか?
事実を知る事が怖い。それはボク以外が消えてしまった理由ではない。ボクが一人ぼっちになってしまったと言う事実を認める事だ。
だから、その日以来ボクはPCを立ち上げていなかった。インターネットに触れてしまうと、その事実に気が付いてしまうからだ……。
だが、ボクはPCを立ち上げた。
PCが立ち上がるまでの一分強の時間。その時間でボクは吐き気を覚える。額から汗が滝のように流れてきた。
ボクは必死にそれに耐える。そして、その日以来、更新の無いインタネーットを確認したのだ。
しかし、絶望感は無かった。何故ならもう一つの可能性に気が付いたからだ……。
第七幕
ある可能性。それはつまりボク以外の存在がいるかもしれないと言う事だ。
だから、ボクは旅に出た。一年以上ほったらかしていた車は幸いな事に動いてくれた。電力がある内はガソリンの補給にも困らないだろう。
インフラが機能している以上は生活に困る事もない。
ボクは車の窓を全開にし大声で歌いながらゆっくりと運転した。
まずは都心へと車を進める。時折、見かける車がそれの起こりが深夜から早朝にかけてだと言う事をボクに物語っていた。
路上に放置されたそれら、いや、主のいなくなったそれらに今更のようにボクは恐怖と焦りを覚えるのだ。
――誰もいなくなった。
この事実を嫌と言う程思い知らされてしまったのだ。ボクが望んだはずの事態。なのに何故ボクはこんなにも恐怖を覚えているのか?
怖いのなら引き返せばいい。そして、いつものように引きこもればいいだけだ。しかし、ボクは運転を続けた。
恐らくボクと同じ境遇の人間がいるはずだ。この推測が今のボクを支える全てだ。
――誰もいなくなった。
それがとても恐ろしい事だとようやく僕は知った……。
第八幕
旅を始めて気が付いた事。
実の所、それが助手席であるか、後部座席であるか、はたまた天井なのかもしれない。何処にいるかは解らなかったがボクには相棒がいる。
どこから今のボクを客観視しているボクの姿があるのだ。
そのボクは一言も喋らないのだけど、いつも苦笑をしていた。
つまり、彼にとって今の僕の姿が滑稽でならないようだ。
――お前の望みが叶ってよかったじゃないか。
――このまま一人の世界を満喫すればいい。
その表情がこんな事を雄弁に語っていた。ボクの願望と行為は明らかに矛盾しているのだ。
しかし、ボクは旅を止めなかった。
次第に歌う事を止める様になった。黙々と運転を続けた。そして、睡魔に襲われると就寝した。
あれから何日経った事だろう?
強行軍を続けている今のボクは酷い有様に違いない。日を増すごとに疲労感に蝕まれるのを感じた。
――このままでは事故って死ぬかも知れないな。
こんな事を思って、今度は現実のボクが苦笑した。
しかし、この行程を止める気にはなれなかった。何故なら体を動かしている間は忘れられたからだ。休んでしまうと考えてしまうからだ。
――やはり、世界にはボクだけしかいない。
こう結論を出してしまう事が何より恐ろしかった。
あれから何日経った事だろう?
ようやく、ボクは生活の気配を見つける事ができた。
ようやく人の気配を見つける事ができた。
とある家の庭先で焚き火だか、火災だかは解らないが、兎に角、火を使った後を見つける事ができたのだ。
ボクが旅を始めて不思議と災害の後を目撃した事がなかったので、そう断定したのだ。
少し離れた場所に車を停めて、ゆっくりと大きく深呼吸をした。
ルームミラーで自分の酷い有様を見て『こんな姿では相手に失礼ではないか?』などと場違いな事を考えた。
そもそも他人とまともに会話をするなんて事は数年ぶりだ。
キョドらないだろうか? ちゃんと会話できるだろうか?
こんな不安が頭をよぎったが、意を決して目を閉じ再び深呼吸をするとボクはドアを開けて家に向かった。
第九幕
どうしてだろう? サーッと肩の力が抜けてしまうような感覚を覚えたのは。
どうしてだろう? 視界が一瞬ホワイトアウトして気を失いそうになったのは。
その家へと向かう僅かな時間、どう声をかけようかとボクは考えていた。
おちゃらけた感じがいいか?
真面目な感じがいいか?
それとも感激しながらの方がいいか?
ボクはこんな事を考えていた。そんな事を考えている自分が少し気恥ずかしかった。結局の所、迷っている間に到着。そして、この感覚に襲われたのだ。
ひきこもりのボクが他人とコミニュケーションを取ろうとしたから。確かにそれもあったかもしれない。しかし、それが理由の全てだったらどれ程よかっただろう。
「やあ」とフランクな感じで声を掛けようとした途端、ボクは地面に両膝を着いたのだ。
確かに彼、あるいは彼女なのかもしれない。兎に角、そこには人がいた。そう、確かに人はいた。但し、過去形ではあるが……。
その家の二階のベランダからは一本のロープが垂れており、その先にはぶら下がっていたのだ。人が……。ミイラ化しつつある人間だったものが……。
そのキミの姿を見て、ボクは何ら嫌悪感を抱かなかった。ただ『そうだね』なんて今更ながらに思った。
人は一人では生きてはいけない。そんな事ではなく最初から解っていた事だった。
ボクは一人になりたかったわけではない。単に現状から逃げたかっただけなんだ。
だからボクはネットで人との繋がりを続けていたんだ。
だから、ボクは人を探す旅に出たんだ。そして、キミに出会ったんだ。
だから、ボクは……。
孤独に耐えきれなかったキミの姿にボクは何ら嫌悪感を抱かなかった。ただ『そうだね』なんて結論を出した。
ボクはキミの体を地面に下ろしてやると穴を掘りキミを埋めてあげた。
こんな事をするのはボクの人生で初めての経験だった。体を傷つけないように丁寧に、丁寧に埋めてあげた。
数日掛かった。しかし、結論は変わらなかった。
そして、ボクも人間であることを止めた。
第十幕
その日、ボクは目覚めた。
何故だろう? ボクは泣いているようだ。そのままの体制でマクラに触れてみた。どうやらかなりの時間、ボクは泣いていたようだ。
いや、理由は解っていた。ボクが昨夜見た夢のせいだ。
ボクは体を起こすと、数年ぶりにカーテンを開けてみた。
ジャラジャラというレールを伝う音が何故か小気味よかった。
窓から差し込んでくる昨日までは不愉快でしかなかった日光が――そして、人の作りだす雑踏に何故か安心させられた。
それからボクは電話を掛ける。何コールだったろう? コール音が続く度に受話器を置きたくなる衝動に駆られた。
しかし、ボクは電話を掛ける。
出たのは母親だった。そして、ボクはこの数年間の出来事――と言っても説明に一分も掛からなかったが――を正直に話した。
母は最初、物凄い剣幕で怒っていたが、やがて泣いてしまった。その声に罪悪感を覚えた。何故かその声に勇気づけられた。。
ボクは「もう大丈夫だから」と自分でも驚くぐらい穏やかな声で告げると電話を切る。
そして、部屋を出る。
強い日差しに晒された皮膚がジリジリと痛んだ。何故かその痛みが心地よかった。
何年間もひきこもったボクがすぐに人並みの生活に戻れるとは思えないが、それでもボクは頑張ろうと思った。
ボクはまた生きてみようと思った。