第9話 ティースプーンとエナジードリンク
深夜二時。
シャッター商店街の奥で、いつものように営業しているファミレスは、今日も静かだった。
静かだが、安全とは限らない。
その兆候は、文月がティースプーンを三本、綺麗に並べたところから始まった。
「ねえ、雨露くん」
嫌な呼び方だった。
「嫌な予感がしますが、要件をどうぞ」
「人はね、スプーンをどの角度で投げると、最も“意思”を感じると思う?」
「感じません。投げないでください」
文月は真面目な顔で頷いた。
「つまり、感じないのに投げてしまう。その瞬間にこそ、哲学が――」
「店の備品は投げないでください」
しかしすでに、実験は始まっていた。
文月は、ティースプーンを指先で弾いた。
くるりと回転し、床へ向かって落下する。
「危ない!」
安藤が反射的に飛び出し、空中でキャッチした。
「セーフです!」
「ナイス反射神経ですね」
雨露は一応、褒めた。
「バイトで鍛えられました!」
「何のバイトですか」
「道路脇で落ち葉が人に当たらないように見守るやつです!」
「用途が限定的ですね」
そこへ、仕事終わりで完全に疲弊した宮間が入店した。
「……今日も、存在を消費してきました」
「こちらへどうぞ」
雨露は、いつもの席を指した。
宮間が座った瞬間、文月の目が輝いた。
「いいところに来た。第二被験者だ」
「被験者……?」
「スプーンは、投げられる側の心も試す」
「聞いてません」
文月は、宮間の前でスプーンを軽く放った。
ぽとん。
テーブルに当たって止まる。
「今、何を感じた?」
「……給料日前を思い出しました」
「素晴らしい」
「褒めないでください」
雨露は即座に介入した。
「これ以上やると、在庫が減ります。店のスプーンは有限です」
「存在も有限だよ」
「存在は知りませんが、スプーンは数えられます」
その時、安藤が紙袋を抱えて戻ってきた。
「あ、そうだ! これ、みんなに!」
「何ですか」
「バイト先で貰った、試飲用のエナジードリンク!」
見たことのない缶だった。
文字は英語と、見覚えのない緑色の葉。
「……フレーバーは?」
雨露が聞く。
「パクチー味です!」
沈黙。
宮間が小さく言った。
「……元気、出るんでしょうか」
「出るよ! 多分!」
文月は興味深そうに缶を眺めた。
「パクチーはね、好き嫌いが分かれる。つまり、分断の味だ」
「エナジーに分断はいりません」
しかし、開けてしまった。
一口。
「……草原」
文月はそう表現した。
安藤も飲んだ。
「わ、意外と……効きます!」
宮間は恐る恐る口をつけた。
「……これ飲んで死んだら、原因、これですね」
「死なないでください」
雨露も確認のために一口飲んだ。
「……誰が買うんですか、これ」
「わあ、素直な感想」
その瞬間、文月が再びスプーンを手に取った。
「では、この状態で投げると――」
「投げないでください」
安藤が構え、宮間が身をすくめる。
スプーンは投げられず、テーブルに戻された。
深夜ファミレスは、今日もぎりぎり平和だった。
雨露は最後に言った。
「実験は頭の中でお願いします。スプーンも、パクチーも」
誰も反論しなかった。




