第73話 溶ける前提の儀式、理性は五分
深夜二時。
ファミレスの店内は、時間の感覚を誤魔化すためだけに存在しているような明るさだった。
誰かが、ふと窓の外を見た。
「……」
言葉が出なかった。
駐車場が、白かった。
白線も段差も見えず、どこまでが地面なのか分からない。
雪はすでに二十センチ近く積もり、街灯の光を柔らかく跳ね返している。
「……え」
安藤が、ゆっくり声を出した。
「これ……」
「積もりすぎじゃないですか」
菅原は笑っていた。
「雪だるま作れますね!」
「巨大なの、いけますよ」
「制服で」
「ダメです」
雨露の返答は早かった。
「いやいや」
菅原が肩をすくめる。
「これはもうイベントすっよ」
「災害です」
「二十センチですよ?」
「なおさらです」
雨露は伝票を置き、窓の外を一度だけ見た。
「この雪量で外に出る=業務放棄、低体温、最悪ニュースです」
「ニュース?」
「“ファミレス店員、雪だるま作成中に転倒”」
「語感は悪くないすっね」
「最悪です」
安藤は窓に近づき、ガラス越しに外を覗き込んだ。
「足跡……ないですね」
「誰も踏んでない……」
「処女雪ですね」
「やめてください」
宮間が、控えめに手を挙げた。
「あの……」
誰も見ていなかったが、宮間はずっと外を見ていた。
「これ……」
「埋まったら……」
「誰にも……」
「孤独死ルートに入らないでください」
雨露が即座に切った。
「すみません……」
文月は、紙ナプキンを丸め、テーブルに並べていた。
「雪が二十センチ積もるとね」
「人は理性より物語を選ぶ」
「今まさにそれです」
「制服のまま外に出たいってのは」
「仕事じゃなくて、儀式だよ」
「聞いてません」
菅原は、いつの間にか手袋があるかどうかを確認している。
「長靴はないっすけど」
「いけません」
「逆にテンション上がりません?」
「下がります」
安藤が振り返った。
「雨露くん」
「何でしょう」
「……これ、溶ける前に作らないと」
「溶けます」
「でも、今日の雪は今日だけです!」
雨露は黙った。
白く埋まった地面。
深夜二時半。
文月が言った。
「止める言葉より、条件の方が効く」
「今は聞いてません」
「私服」
「五分」
「写真禁止」
雨露は深く息を吐いた。
「……誰か一人でも転んだら即終了です」
「了解です!」
「声が大きいです」
私服に着替えた安藤と菅原、文月と宮間も雪の中に足を踏み入れた。
「うわっ」
「深い!」
「足抜けない!」
雪は容赦なく、ふくらはぎまで来る。
「……生きてます……」
宮間が呟く。
「それは良かったです」
雪だるまは、異様に大きくなった。
二十センチの雪は、素材が過剰だった。
雨露は少し離れたところで、それを見ていた。
歪で、無言で、やけに存在感のある雪だるま。
深夜に作るには、少しだけ本気すぎる代物だった。
足音がして、隣に誰かが立つ。
「……立派だね」
文月だった。
コートのポケットに手を突っ込み、雪だるまを見上げている。
「五分の成果にしては、過剰です」
文月は笑った。
「制服じゃない。時間も区切った。写真もない」
「……業務外です」
「儀式としては、かなり健全だよ」
「儀式扱いしないでください」
沈黙が落ちた。
雪は、まだ降っている。
積もる音はしない。ただ、世界の輪郭だけが少しずつ丸くなっていく。
「ねえ」
文月が言った。
「君が止めなかったら、たぶん彼ら、もっと酷いの作ってた」
「想像したくありません」
「止める人がいるから、ちょうどいいところで終わる」
雨露は、何も言わなかった。
代わりに、息を吐く。
白くならない程度の、短い吐息。
「溶けますよ」
「知ってる」
文月は、雪だるまをもう一度見た。
「それでも作った」
雨露は、その言葉にだけは否定しなかった。
「……五分過ぎてます」
「じゃあ、解散だ」
文月は軽く手を振り、先に戻っていく。
雪だるまは、何も言わず、そこに立っている。
溶ける前提で、役目を終えた顔をして。
雪だるまは、何も答えず、静かに立っていた。




