第67話 年が変わっただけです
深夜零時五分。
ファミレスのドアベルが鳴る音は、昨日と何ひとつ変わらなかった。
ネオンの明るさも、床のタイルの冷たさも、コーヒーの匂いも、すべてが連続している。
変わったのは、壁掛け時計の数字だけだ。
雨露はカウンター内で伝票を整理していた。
日付欄に目を落とし、一瞬だけペン先を止める。
一月一日。
書き直すほどでもないが、書かないと業務上よくない。
その程度の差だった。
店内には客がいる。
だが誰も、何も言わない。
「……あけまして、って言わなくていいんですかね」
ぽつりと声を出したのは、姫川だった。
カウンター席でスマホを握りしめ、画面と店内を交互に見比べている。
「今、今年ですよね?」
「ええ」
雨露は淡々と返した。
「零時は越えましたので」
「ですよね!? もっとこう……」
姫川は両手を広げる。
「盛り上がる感じとか……」
「盛り上げる要素がありません」
その隣で、文月がストローを回していた。
「私はね」
くるり、とストローが氷に当たる。
「去年の続きをしてる気がするんだ」
「それ、ポエムですか?」
姫川が即座に突っ込む。
「違う違う。感覚の話」
文月は真顔だ。
「原稿も未完、思考も未完、胃袋も未完。年号だけ変わった」
「……未完が多くないですか」
「人はだいたい未完で生きている」
雨露は伝票から顔を上げずに言った。
「営業時間は連続しています」
「それ、すごく身も蓋もない言い方」
文月は笑った。
店内は静かだ。
零時を越えたとは思えないほど、平常運転だった。
入口付近の席では、宮間が小さくガッツポーズをしている。
「……今年も孤独死、回避……」
「フラグ立てないでください」
雨露が即座に切る。
「縁起が悪いです」
「え、でも……年、変わりました…よね?」
宮間はおずおずと聞いた。
「変わりました」
「……なんか実感、ないですね?」
「ありません」
雨露は即答した。
「昨日の続きですので」
「ほら!」
姫川が勢いよく頷く。
「それなんですよ!私、今“新年”に置いてかれてる気がして!」
「置いてかれてるというより、合流していないだけだね」
文月が言う。
「年というのはね、勝手に進むものだから」
「でも普通、カウントダウンとか!」
「ここはファミレスです」
雨露が遮った。
「深夜帯です」
「……そうでした」
姫川はしゅんとする。
その沈黙を破ったのは、文月だった。
「ねえ雨露くん」
「はい」
「年が変わった瞬間、何してた?」
雨露は一拍考えた。
「ドリンクバーの補充を」
「ほら!」
姫川が立ち上がる。
「夢なさすぎません!?」
「業務ですので」
「もっとこう……神社とか!」
「明るい時間帯であれば」
「え、行かないんですか?」
「業務外ですので」
文月は楽しそうに頷いた。
「一貫しているね。去年から」
「それは褒め言葉でしょうか」
「今年も変わらない、って意味では」
姫川は腕を組んだ。
「……私だけですか?新年に期待してたの」
「期待は裏切られるためにある」
文月がさらっと言う。
「それ名言っぽく言わないでください!」
その瞬間、店内BGMが切り替わった。
♪〜〜(和風アレンジの正月っぽい音)
誰も反応しない。
宮間が一瞬だけ顔を上げ、
「あ、変わった」
と言って、また俯いた。
姫川はキョロキョロと周囲を見回す。
「……誰も突っ込まないんですか?」
「自動ですので」
雨露はそう言って、伝票に視線を戻した。
日付欄。
昨日のままになっている一枚がある。
雨露はペンを取り、静かに修正した。
一月一日。
それだけだった。
店内は変わらない。
客も、会話も、空気も。
年は変わった。
だが、それ以上でも以下でもなかった。




