第66話 年末特集は流れている
深夜二時を少し回った頃。
店内に、年末特有の慌ただしさはない。
あるとすれば、天井スピーカーから流れるBGMが「年末特集」と銘打たれた、どこか浮き足立った選曲になっていることくらいだった。
もっとも――
誰一人として、それに耳を傾けてはいない。
カウンター席の端に、文月が座っている。
いつものようにコーヒーを前に、しかし今日はペンを持たず、紙ナプキンをじっと見つめていた。
「……去年の続きをしてる気がするんだよね」
独り言にしては、少しだけ声が大きい。
「本日は十二月三十日です」
カウンター内から、雨露が淡々と訂正する。
伝票を整理する手は止まらない。
「え、そうなの?」
文月は顔を上げ、目を瞬かせた。
「もう三十日? じゃあ、明日で今年終わり?」
「はい。営業時間上は、明日も明後日も連続しておりますが」
「ほら、そういうところだよ」
文月はナプキンを折り畳む。
「“終わる”って感覚がない。時間が切り替わる感じがしない。物語で言うと、章が変わらないままページだけ進んでる」
「物語に章区切りは義務ではありません」
「冷たいなあ」
その会話に、宮間が恐る恐る混ざる。
「ぼ、僕も……その……年末って、もっと振り返ったり、しみじみしたり……」
「しますか?」
雨露が即座に返す。
「え」
「宮間さん、具体的に何か振り返る予定はございますか」
宮間は黙り込み、ガムシロップを一つ、二つと並べ始めた。
「……進捗は、あまり……」
「でしたら、平常運転です」
そのとき、厨房側から軽い足音。
菅原が顔を出す。
「いやー、年末っすねー」
誰も反応しない。
「……あれ? 今の、“相槌待ち”だったんすけど」
「待たれておりません」
雨露の即答に、菅原は苦笑して引っ込んだ。
少し遅れて、サモンが入店する。
手には小さな紙袋。
「私、今年、最後、来ました」
「早くないですか」
「明日、忙しい。年末、料理、いっぱい」
「それは大変ですね」
「でも、ここ、いつも同じ。安心」
サモンは満足そうに頷き、席についた。
その直後、入口付近が急に騒がしくなる。
「ちょっと聞いてよ、あんたたち!」
モモコだった。
派手なコートを翻しながら、カウンターへ迫る。
「今年最後の大喧嘩よ! 年内で別れるって決めたのに、三十分後に電話かかってくるのよ!? 意味わかる!?」
「年内清算は失敗ですね」
「失敗どころじゃないわよ!」
モモコはため息をつき、店内を見回す。
「あら? なにこの空気。年末なのに全然盛り上がってないじゃない」
「盛り上がる要素が見当たりませんので」
「反省会とかしないの?」
その一言で、空気がわずかに止まる。
「反省会……」
文月が呟く。
「反省会って、何を反省するの?」
「一年分の恋とか、仕事とか、生き方とかよ」
「一年分を一晩で処理するのは、編集的に無理がある」
「何の話よ」
「私は特に反省点はございません」
雨露が言う。
「大過なく営業を継続できておりますので」
「嘘おっしゃい」
モモコは鼻で笑う。
「あ、」
宮間が小さく手を挙げた。
「ぼ、僕は……来年こそ……孤独死を……」
「それは反省ですか」
雨露が遮る。
「反省会は、反省が具体的なうちに行うべきです」
そのとき、天井スピーカーから急に賑やかな年末特番風のBGMが流れ始めた。
演歌調で、やたらと「今年」を強調している。
誰も反応しない。
文月はコーヒーを一口飲み、
「……音だけ年末だね」
とだけ言った。
雨露は一瞥し、伝票に視線を落とす。
日付欄の「12/29」に静かに二重線を引き、
「12/30」と書き直した。
「本日は三十日ですので」
それだけ告げ、ペンを置く。
店内は相変わらず静かだった。
年が終わろうとしていることだけが、誰にも共有されないまま。




