第64話 深夜二時の無意味探検
深夜二時。
ファミレスの店内は、昼間よりも広く見えた。
正確には、広くなったわけではない。
人が少ない時間帯特有の、空間だけが水増しされる錯覚だ。
その錯覚を、即座に娯楽へ転用した男がいた。
「皆さん!」
菅原が、突然立ち上がる。
「これより――深夜探検隊を始めたいと思います!」
「……探検」
宮間が、嫌な予感を含んだ声で復唱した。
「この店の、どこを……?」
「全部っす!」
即答だった。
「普段、見てるようで見てない場所って、あるじゃないですか!」
「ありません」
雨露は濡れたグラスを持ったまま言った。
「業務上、全て把握しています」
「さすが隊長!」
「隊長ではありません」
菅原は勢いを落とさず続ける。
「では、役割分担をします!」
「えっ」
「宮間さん、新人隊員で!」
「……新人」
「安藤さん、突撃担当どうですか!」
「えっ、なにそれ楽しそう!」
「文月さん、記録係お願いします!」
「いいよ」
文月は即答した。
「人間の愚行として記録する」
「前向きっすね!」
菅原は、最後に視線を雨露へ向ける。
「……で、雨露さんは」
一瞬の沈黙。
雨露は何も言わない。
濡れたグラスを拭き、布巾を軽く絞り、元の位置へ戻す。
視線すら上げない。
「えっと……現地ガイドで!」
勝手に任命された。
返事はない。
それでも菅原は、了承を得たことにした。
こうして探検隊は、菅原の独断で編成された。
「では第一探検ポイント!」
菅原が指差したのは、厨房へ続く扉だった。
「スタッフオンリーゾーンっす!」
「立入禁止です」
「でも半分開いてますよね?」
「換気です」
「つまり、未知と既知の境界じゃないですか!」
「境界ではありません」
宮間は椅子から、ほんの少しだけ腰を浮かせた。
「……入ったら、怒られませんか」
「怒られます」
「ですよね……」
文月が、静かに言う。
「境界ってさ」
「はい!」
「越えないから意味があるんだよ」
「深いっすね!」
「越えたらただの違反」
「その通りです」
雨露が淡々と補足した。
菅原は一瞬だけ間を置き、気を取り直す。
「じゃ、第二ポイント!」
今度は、観葉植物の陰だった。
「ここは危険度★2っす!」
「何が危険なんですか」
「見えないんすよ!」
「見えています」
文月は鉢植えの影をじっと見つめる。
「この陰影」
「はい!」
「人が見ない場所に、意味を見出そうとする欲望」
「哲学っすね!」
「ただの鉢植えです」
安藤が突然、身を乗り出した。
「じゃあ私、探検してきます!」
「えっ」
「奥の通路!」
「それはトイレです」
「探検です!」
安藤は元気よく消えた。
「突撃担当、行きましたね!」
「戻ってきて下さい」
返事はなかった。
探検隊の統率は、開始五分で崩壊していた。
「第三ポイント!」
菅原は非常口を指す。
「非常口っす!」
「出れません」
「でも“非常”って書いてありますし!」
「非常時用です」
「今、非常に暇っす!」
「用法が違います」
宮間が小声で言う。
「……あの、非常口って」
「はい」
「出たら、戻れますか」
「戻れます」
「……迷子になったら」
「店内です」
文月が言う。
「非常口ってさ」
「はい!」
「人生の“もしも”だよね」
「出番はない方がいい」
「でも、あるだけで安心する」
「深いっす!」
「法律です」
雨露が締めた。
そのとき、安藤が戻ってきた。
「トイレ、普通でした!」
「成果報告ありがとうございます!」
「ちょっと薄暗くて、冒険感ありました!」
「照明の問題です」
「じゃ、次行きましょう!」
誰も次を決めていないのに、勢いだけで進む。
「ここで、最後っす!」
菅原が、店内中央に立つ。
「この席から見える、深夜二時の景色!」
全員が、何もない店内を見る。
「……何もないですね」
宮間が言った。
「それがいいんですよ!」
菅原は満足そうだった。
「誰も来ない!何も起きない!でも人はいる!」
文月が頷く。
「探検の果てに、日常に戻る構造」
「構造っすね!」
「物語としては、きれい」
雨露は、拭き終えたグラスをドリンクバーの棚に戻した。位置を揃え、指先でわずかに整える。
それから、ゆっくり振り返った。
「結論を述べます」
全員が、反射的に彼を見る。
「この店は」
一拍置いて。
「普通のファミレスです」
「……」
「探検対象ではありません」
菅原は、しょんぼりした。
「えー……」
雨露は続ける。
「菅原くん」
「はい!」
「仕事して下さい」
「…はい」
深夜探検隊は、
業務命令という最も現実的な理由で解散した。




