第57話 冬限定メニューの名前が長すぎる夜
深夜二時。
外は完全に冬だが、ファミレスの店内は相変わらず
「寒くはないが、落ち着きもしない」温度を保っていた。
暖房の風が中途半端に天井を撫で、
どこにも帰属しないまま漂っている。
カウンター席の端で、宮間がメニュー表を睨んでいた。
睨んでいるというより、読解を試みていると言った方が正しい。
「……」
隣では、文月が同じページを覗き込み、短く息を吐く。
「これは」
「……はい」
宮間がゆっくり顔を上げる。
「……長いですね」
二人の視線の先には、赤字で強調された《冬限定》の文字と、やたら詩的な商品名が並んでいた。
そこへ、トレイを持った安藤が元気よくやってくる。
「ご注文お決まりですか?」
「その前に」
文月が、メニューを指で軽く叩いた。
「これ、読んでもらえる?」
「え、はい!」
安藤は深呼吸を一つして、該当箇所を指でなぞる。
「えーっと……
《雪解けの朝に想いを馳せる、根菜と鶏肉のやさしい……》」
ここで一瞬、言葉が詰まる。
「……やさしい……」
「やさしい、何?」
宮間が小声で助け舟を出す。
「えっと……
《やさしい出汁が心まで沁みわたる、冬だけの……》」
声が、少しずつ不安定になっていく。
文月が、自然に続きを奪った。
「『ぬくもりと記憶の重なり煮』」
「書いてないです!」
「今、生まれた」
「生まれないでください!」
安藤は慌ててメニューに視線を戻す。
「えーっと、正式には……
《雪解けの朝に想いを馳せる、根菜と鶏肉の、
やさしい出汁が心まで沁みわたる、冬だけの特別仕立てシチュー》です!」
言い切った瞬間、小さくガッツポーズ。
「噛まなかった……!」
「途中で心は折れてたけどね」
文月が穏やかに言う。
「でも、読み切ったのは偉い」
宮間が真面目に頷いた。
そのとき、ドアが開き、ヒールの音とともにモモコが入ってくる。
「はー、寒っ。
もう冬って女を狂わせるわよね」
カウンターに腰を下ろし、メニューを一瞥した瞬間、眉をひそめる。
「……なにこれ」
「冬限定メニューです!」
安藤が即答する。
「名前負けしてない?」
「即断だね」
文月が笑う。
「料理が悪いわけじゃないのよ。
でも、この名前、食べる前にお腹いっぱいになるじゃない」
「……確かに」
宮間が、そっと同意する。
「注文するとき、息継ぎが必要です」
そこへ、雨露が静かに近づいてくる。
伝票を片手に、いつも通り淡々とした表情だ。
「ご注文、お決まりでしょうか」
「その前に聞きたいんだけど」
モモコがメニューを指で叩く。
「これ、略称ないの?」
「ありません」
即答だった。
「じゃあ、どうやって頼むのよ」
「正式名称で」
「鬼?」
「業務ですので」
一瞬、沈黙が落ちる。
文月が、ふと思いついたように言った。
「じゃあさ」
「はい」
「この料理の“本当の名前”を考えよう」
「やめてください」
安藤が即座に止める。
「もうありますから!」
「でも長い」
「詩的すぎる」
「噛む」
三方向から否定が飛ぶ。
宮間が、おずおずと手を挙げた。
「……短く呼びませんか」
「例えば?」
文月が興味深そうに聞く。
「“あったかいやつ”とか……」
モモコが即座に頷く。
「それよ。それでいいのよ」
安藤も苦笑する。
「たしかに、その方が通じますね……」
雨露は一拍置いてから、静かに口を開いた。
「ご注文は」
全員が見る。
「“それ”で承ります」
「それ!」
モモコが即決する。
「僕も……それで」
宮間が続く。
文月は少し考える素振りを見せてから、軽く頷いた。
「じゃあ、私も“それ”で」
「かしこまりました」
雨露は淡々と伝票に書き込む。
「“それ”を、三つですね」
「通じるのが怖いわ」
モモコが肩をすくめる。
安藤は少し遅れて、くすっと笑った。
「……結局、誰も正式名称、言わないんですね」
「そういうものだよ」
文月は平然と答える。
「名前は長くなるほど、責任を持たせたがる。
食べる側には、重い」
「考えなくて結構です」
雨露はそう言って、キッチンへ伝票を渡した。
しばらくして運ばれてきた料理は、
普通に、美味しそうなシチューだった。
「……美味しいです」
宮間が、ほっとしたように呟く。
「普通に美味しいわね」
モモコも頷く。
「名前、いらなかったわ」
「うん」
文月がスプーンを動かす。
「料理は、食べた後に語ればいい」
安藤が笑う。
「この冬、ずっと“それ”ですね」
雨露は空いた皿を下げながら静かに言った。
「期間終了まで、その予定です」
その言葉どおり、
その冬が終わるまで、この料理は一度も正式名称で呼ばれなかった。
伝票には、最後までこう書かれ続けた。
――「それ」。
深夜二時のファミレスでは、
名前よりも先に、湯気が立つ。




