第52話 時間は進むが、人はいる
深夜二時を少し回った頃。
ファミレスの照明は、時間の流れを誤魔化すために存在しているような明るさだった。
宮間は、コーヒーに口をつける前に、壁の時計を見てしまい、すぐに目を逸らした。
「……やっぱり、時間が怖いです」
「またですか」
雨露は伝票を書きながら、感情を挟まずに返す。
「今、何時か分かるのが……つらくて……」
文月が興味深そうに顔を上げた。
「なるほど。“知覚できる時間”が怖いわけだ」
「はい……」
「なら簡単だ。見なければいい」
菅原が即座に乗る。
「時計、見ない縛りっすね!」
安藤は一瞬考えてから、真面目にうなずいた。
「じゃあ、スマホも伏せましょう!」
「ちょっと待ってください」
雨露が静かに言う。
「それは店としては関与しません」
「でも止めませんよね?」
「業務に支障がなければ」
そうして、テーブルの上から時間を測るものがすべて消えた。
壁の時計には、誰も目を向けない。
沈黙。
数秒後、菅原が言った。
「……今、何時くらいだと思います?」
「それを言ったら意味がない」
文月が紙ナプキンを折り始める。
「人間は時間が分からなくなると、不安になる。これは進化の名残だ」
宮間は、ますます落ち着かなくなっていた。
「進んでます……? 今……」
安藤は窓の外をちらりと見て、首をかしげる。
「まだ夜っぽいですよ?」
「“っぽい”は信用できない」
文月がストローを机に立てる。
「なら、止めようか」
「……何をですか」
「時間」
菅原が目を輝かせた。
「止めるんすか!?やりましょう!」
「どうやって」
「動かなければいい」
文月は真顔だった。
「全員、完全に静止する。深夜ファミレス時間停止実験」
「……業務妨害にならない範囲でお願いします」
雨露はそう言いながら、普通に歩いていった。
残された四人は、ピタリと動きを止めた。
誰も喋らない。
瞬きすら控えている。
宮間は、息を止めていた。
十秒ほど経って、菅原が耐えきれずに口を開く。
「……止まりました?」
「喋った時点で失敗だ」
文月が淡々と言う。
「でも、ちょっと止まった気しません?」
「気の問題だね」
安藤は腕を下ろしながら言った。
「私、肩こりました」
宮間は大きく息を吸った。
「……今、時間、進みましたよね」
「進んでるよ」
「止められませんでしたね……」
文月はストローを倒す。
「時間は、止めようとすると加速する」
「それ、さっき言ってませんでした」
「今思いついた」
再び沈黙。
誰も時間を確認できない。
菅原が不安そうに言う。
「……まだ二時、ですよね?」
「その発言が一番危険だ」
文月が即座に切る。
安藤はトレーを片付けながら、ぽつりと呟く。
「でも、ちょっと明るいような……」
宮間の顔が引きつる。
「え」
雨露がカウンターの奥から声を出した。
「午前四時を回りました」
全員が一斉に固まる。
「見てないのに……」
「不意打ちじゃないですか……」
「ほら、だから言った」
文月は肩をすくめた。
宮間はしばらく黙っていたが、ゆっくりとコーヒーを飲んだ。
「……でも」
「はい」
「止められなかったですけど……」
誰も続きを促さない。
「……止めようとしてる間、怖くなかったです」
雨露が伝票を片付けながら言う。
「本日の時間停止実験は、失敗ですね」
「失敗でした」
「ですが」
一拍置く。
「生存は確認できました」
宮間は、少しだけ笑った。
外はもう、朝の色をしていた。
時計を見なくても、時間は進む。
止めなくても、人はここにいる。
深夜は終わったが、店はまだ開いている。




