第5話 謎バイトと文月哲学クラブ
深夜二時。
シャッター商店街の奥で、なぜか営業しているファミレスは、今日も最低限の明かりと最大限の沈黙を抱えていた。
「ねえ雨露くん、聞いて。私さ、バイト増やしたんだよ!」
ドリンクバーの補充をしていた雨露は、顔を上げずに言った。
「安藤さんは、いつも増やしてますね。減ったこと、あります?」
「ない!」
即答だった。
安藤は大学生で、ファミレス店員だ。
家が貧乏で、バイトを掛け持ちしている。
しかもその内容が、どれも一言で説明できない。
「一個目はね、早朝限定・知らない人の引っ越しを見守るバイト」
「それ、手伝わないんですか」
「うん。見守るだけ。荷物を運ばない代わりに、精神的支柱として立ってるの」
「役に立ってるか怪しいですね」
「でもね、『誰かに見られてると人は段ボールを落とさない』らしいよ」
「統計は?」
「知らない人が言ってた!」
安藤は笑顔で言う。
雨露は、ドリンクバーの氷を補充し続けた。
「で、二個目は?」
「商店街のマスコットの中の人!」
「……」
「でもね、頭が重すぎて、途中から存在が哲学になるの」
ちょうどそのとき、カウンター席でコーヒーを前にしていた文月が、ゆっくり顔を上げた。
「哲学になる、というのはいいね。存在が重くなるほど、人は思考する」
「先生! それそれ! それ言われた!」
「誰に?」
「マスコットの頭の中の空間に」
「……なるほど」
文月は深く頷いた。
この人は、締切が近づくと、頷く角度がどんどん深くなる。
そこへ、仕事終わりの宮間が、重たい足取りで入店した。スーツはよれており、目の下には未来への不安がくっきりと刻まれている。
「……まだ、ここ、やってますよね」
「やってますよ。死ぬまでは」
雨露の返答に、宮間は一瞬だけ安堵した。
「今日も孤独死、回避できそうです……」
「それは良かったですね」
宮間が席につくと同時に、文月が静かに立ち上がった。
「では、始めようか。文月哲学クラブ・臨時活動」
「え、今から?」
安藤はエプロンのまま、目を輝かせた。
「テーマは?」
「ストローとは何か」
雨露は即座に言った。
「遊ばないでください。業務中です」
「業務の延長だよ、雨露くん。ストローは飲食と存在の境界にある」
「境界はいいから、床に落とさないでください」
文月はストローを一本取り、テーブルに立てた。
「これはね、世界だ」
「細くないですか、世界……」
宮間が疲れた声で言う。
「世界は、意外と細い」
文月は真顔だった。
「では次に、このストローを曲げる」
くにゃ。
「これは、妥協だ」
「……それ、僕の人生ですか?」
宮間が反応する。
「似ているね」
文月は笑った。
宮間はストローを見つめながら、小さくため息をついた。
「……でも、曲がってても、飲めるんですね」
「そう。完全じゃなくても、機能は残る」
安藤が感動したように言った。
「じゃあ私、マスコットの中で汗だくでも、意味あったんだ!」
「意味は、後から生まれるものだよ」
「先生、それで締切は?」
雨露の問いに、文月は一瞬だけ視線を逸らした。
「……今は、ストローが先だ」
安藤は別のストローを二本持ち、交差させた。
「これって何ですか?」
「それは、選択を間違えた人の思考回路だね」
「わかる……」
宮間が深く頷いた。
雨露は伝票をまとめながら、淡々と言った。
「ストローで遊ぶのはいいですが、追加注文はしてください」
「あ、じゃあドリンクバー」
「同じものを、何度も注ぐ人生ですね」
「雨露くんは手厳しいなあ」
少し笑いが落ちた。
深夜ファミレスは、今日も哲学と生活の境界で営業している。
孤独も、妥協も、意味不明なバイトも、ストロー一本で、ほんの少しだけ軽くなる。
雨露は最後に、床に落ちたストローを拾いながら言った。
「存在はともかく、ゴミはゴミ箱へ」
それが、この店で一番確かな真理だった。




