第45話 言葉を持たない強さ
深夜二時のファミレスは、昼間よりも音が少ない。
客の咳払い、フォークが皿に当たる音、厨房の換気扇。
それらが等間隔で並び、妙に整って聞こえる時間帯だった。
久世は、いつもの席に座っていた。
背筋を伸ばし、コーヒーを前に、何もしていないようで、何かをしている風でもない。
いや、実際のところ、何もしていない。
宮間は、その様子を少し離れた席から見ていた。
「……あの人、今日も喋らない……」
声に出したつもりはなかったが、わずかに漏れていたらしい。
雨露が、伝票を持ったまま足を止めた。
「基本的に会話を必要とされませんので」
「必要とされない……」
宮間はその言葉を反芻した。
必要とされない、ではなく、必要としない、なのではないか。
その違いは、深夜の宮間には大きすぎた。
「すごいですよね……」
「何がでしょうか」
「沈黙……です」
文月が、どこからともなく現れた。
正確には、さっきから隣の席にいたのだが、存在感が薄かった。
「沈黙は、言語以前の態度だよ」
「え」
「人は言葉を使うことで弱さを誤魔化す。だが彼は、誤魔化さない。つまり――」
文月は、久世の方をちらりと見て、満足そうに頷いた。
「言葉を持たない強さ、だ」
宮間の目が、きらりと光った。
「それです…」
「……どれでしょうか」
「今のやつです!」
雨露は、特に反論せず、 グラスの水を補充しに行った。
この店では、こういう会話は止めない方が早く終わる。
宮間は、再び久世を見た。
コーヒーを一口飲み、静かにカップを置く。
その一連の動作に、迷いがない。
(かっこいい……)
宮間は、自分が喋りすぎる人間だという自覚があった。
不安になると説明し、沈黙が怖くなると話題を探す。だからこそ、久世の「何も言わなさ」は、異様に映った。
「僕も……ああなれますかね」
「何にかね」
「久世さんみたいに……強く……」
文月は、少し考えたあと、首を傾げた。
「無言は、技術ではないよ」
「え」
「結果だ。積み重ねたものの、最終形態」
雨露が戻ってきて、淡々と告げた。
「久世さんは、無口でいらっしゃるわけではなく、話す必要がない状況を作っているだけかと」
宮間は、さらに目を輝かせた。
「……高度……!」
その日、宮間は決意した。
「言葉を減らす」ことを。
まず、オーダーを取りに来た安藤に、無言でメニューを指差した。
「え?え?宮間さん、どれですか?」
宮間は、指を微妙に動かした。
「どれ!?」
沈黙が、重くなった。
「……あ、えっと、ハンバーグです」
「ハンバーグ定食ですね!」
強さへの道は、険しかった。
その様子を見ていた、文月がくすくすと笑った。
「無言はね、耐久力がいる」
「耐久力……」
「自分が崩れそうになる瞬間を、何度も越える必要がある」
その瞬間、久世が立ち上がった。
レジに向かい、会計を済ませる。
「ありがとうございました」
雨露の声に、久世は軽く会釈をしただけだった。
宮間は、その背中を見つめながら、小さく呟いた。
「……憧れます」
文月は、宮間の方を見ずに言った。
「憧れるってことは、まだ喋りたいってことだ」
宮間は、少しだけ笑った。
「……ですね」
深夜二時のファミレスは、相変わらず静かだった。
だが、その静けさの中には、言葉にならない感情が、確かに混じっていた。
雨露は、次の伝票を手に取りながら、思った。
この店では、喋らなくても、喋りすぎても、
どちらも許されてしまう。
それが、この時間帯の、妙な強さなのだろう。




