第43話 厄介ごとはだいたい雨の日に来る
深夜二時。
雨が降っていた。
この時間帯に降る雨は、たいていろくな客を連れてくる。
酔っているか、考えすぎているか、もしくはその両方だ。
入口のドアが開き、湿った空気と一緒に女性が転がり込んできた。
「すみませぇ……」
声がすでに危うい。
フリルとリボンが多めの服装。髪は整っているが、足元がふらついている。
地下アイドルか、メイドか、その両方だろう。
ーー倒れる。
判断は一秒もかからなかった。
「危ないです」
体を支える。
想像以上に軽い。想像以上に酒臭い。
「……っ」
女性は一瞬、驚いた顔をしてから、こちらを見上げた。
「……あ……」
目が合う。
このとき、確かに何かが終わった。
同時に、何かが始まった気もした。
「大丈夫ですか」
「……はい……たぶん……」
たぶん、という言葉を使う人間は、だいたい大丈夫ではない。
席に案内する。
奥のテーブル席だ。倒れられても邪魔になりにくい。
「お水、持ってきます」
「……神……」
神ではない。
深夜帯のファミレス店員だ。
水を置くと、女性は両手でグラスを包み、一気に飲んだ。
「……生き返りました……」
「お名前、伺ってもよろしいですか」
「姫川です!」
即答だった。
「……姫川さんですね」
「はいっ!雨、すごくないですか!?運命感じません!?」
「感じません」
即座に否定する。
そのやり取りを、カウンター席から文月が見ていた。
「新しい常連の予感がするね」
「しません」
宮間が小さく身を縮める。
「……あの……この時間に……元気ですね……」
「元気です! 酔ってますけど!」
正直でよろしい。
姫川は店内をきょろきょろ見回し、なぜかこちらを指差した。
「さっき……支えてくれましたよね」
「業務です」
「それ、言います!?」
「事実です」
モモコさんが興味深そうに口を挟む。
「あらぁ、若い子がいるじゃない」
「わ、オカマさん!」
「失礼ね! 乙女よ!」
「ごめんなさい!」
謝り方だけは素直だ。
姫川は一瞬考え込み、急に真顔になった。
「……でも」
嫌な予感がする。
「私、ああいう瞬間に支えてくれる人、運命の人だって決めてるんです」
店内が静まる。
宮間が息を止め、文月がペンを止め、モモコさんが目を輝かせる。
「……そうですか」
否定はしない。
すると話が長くなる。
「名前、雨露さをですよね?」
「名札を見ればわかります」
「やっぱり……!」
何が“やっぱり”なのかは不明だ。
「雨露さん、優しいですよね」
「業務です」
「冷たいところも好きです!」
否定しても肯定として処理されるタイプだ。
文月が楽しそうに言う。
「恋とは、本人の中で完結するものだからね」
「先生、煽らないでください」
姫川はデザートメニューを開きながら、こちらを見上げる。
「私、これから通ってもいいですか?」
「ご自由にどうぞ」
「じゃあ、常連ですね!」
勝手に決まった。
そこへ、モモコさんがにじり寄る。
「ねえ、あんた。重いでしょ」
「え、よく言われます!」
「でしょうね!」
二人はなぜか意気投合した。
宮間が小声で言う。
「……賑やかで……いいですね……」
「そうですね」
本心ではないが、否定もしない。
やがて、姫川はデザートを食べ終え、満足そうに息を吐いた。
「……雨露さん」
「はい」
「今日、雨でよかったです」
「そうですか」
「だって、転ばなかったら……会えなかった」
沈黙。
返答は用意しない。
姫川はそれをどう解釈したのか、にこっと笑った。
「また来ますね」
「お待ちしております」
ドアが閉まり、雨音だけが残る。
文月がぽつりと言った。
「……厄介そうだね」
「ええ」
宮間が続ける。
「……でも……ちょっと……羨ましいです……」
モモコさんは腕を組んだ。
「面倒だけど、憎めないわね」
全員の意見が一致することは珍しい。
深夜二時。
雨はまだ降っている。
厄介ごとは去ったが、終わってはいない。
たぶん、これから増える。
それでも、冷水は用意しておく。
万能ではないが、足りなくなることはない。
今日も、この店は平常運転だ。




