第42話 不在想定・訓練記録
深夜二時。
制服を着ていない状態でこの店にいるのは、非常に居心地が悪い。
「雨露くん!本日はよろしくお願いします!」
安藤は相変わらず元気だった。
元気すぎて、深夜という概念を一人で破壊している。
「いやー、休みの日に来てくれる先輩、なかなかいないっすよ!」
菅原もテンションが高い。
こちらの同意は取っていない。
「本日は“雨露不在想定・深夜訓練”とのことですが」
席に座りながらそう言うと、安藤は勢いよく頷いた。
「はいっ!でも完全不在だと不安なので、監督役でお願いします!」
「お願いしますって言い方、可愛いっすよね!」
「菅原くんそこ褒めるとこじゃないよ!」
元気な会話が、既に訓練の趣旨を曖昧にしていた。
コーヒーが置かれた瞬間、ドアベルが鳴る。
「こんばんは……あ」
文月だった。
そして、こちらを見つけた瞬間、表情が明らかに緩んだ。
「今日は制服じゃないんだね。新鮮」
「休みです」
「なるほど、では今日は“職員”ではなく“人間”なんだね」
意味が分からない。
文月は当然のように、こちらの隣の席に腰を下ろした。
「え、先生そこ座るんですか?」
安藤が目を丸くする。
「ええ。安心するので」
何に対する安心なのかは説明されなかった。
「雨露さん、今日はいない設定じゃなかったんすか?」
菅原が聞く。
「形式上はいません」
「形式上!便利な言葉っすね!」
そのやり取りを聞きながら、文月はコーヒーを啜った。
「こうして隣にいると、締切という概念が一時的に溶けるね」
「溶かさないでください」
「大丈夫です。今日は“考えない日”なので」
信用できない。
次に入ってきたのは宮間だった。
「……あ、今日は雨露くん、私服……」
その言葉に、文月が小さく頷く。
「ふふ、貴重だよ」
「共有しないでください」
宮間は少し安心したように席に着いた。
「今日は……もし倒れても、見守ってもらえる感じですか……?」
「倒れない前提でお願いします」
安藤が明るく返す。
「はいっ!今日は私と菅原くんで、バッチリ回しますからね!」
「おーっす!」
その元気さが、逆に不安を煽る。
さらに数分後。
「ちょっとぉー!聞いてちょうだい!」
モモコさんの声が店内に響いた。
「今日はもう最悪!でもここ来たら元気出る気がしたのよ!」
「いらっしゃいませーっ!」
安藤の声量が倍になる。
「モモコさん、今日は何にしますか?」
「強めのやつ!」
「はーい!強めですねっ!」
安藤は一切迷わずキッチンに向かった。
「……強め、とは」
文月が呟く。
「深夜用語です」
「便利だね」
しばらくして出てきたのは、やたら甘そうな飲み物だった。
「お待たせしましたーっ!」
「……あら、甘い。でもこれはこれでアリね!」
受け入れが早い。
文月はいつの間にかストローを二本手にしていた。
「この二本、今の私と雨露くんです」
「今すぐ戻してください」
「距離が近いと注意もダイレクトだね」
「近くに座ったのは先生です」
宮間はガムシロップを三つ並べ、静かに呟く。
「今日は……三本分、生きました……」
「宮間さん、すごいです!進捗ですよ進捗!」
安藤が全力で肯定する。
菅原は注文を取りながら、相変わらず軽い。
「いやー、今日いい雰囲気っすね!雨露さんがいると安定感あります!」
「形式上いません」
「形式上って最強っすね!」
文月は満足そうに頷いた。
「訓練、順調だね。誰も逃げていない」
「先生、今日は逃げないんですか?」
安藤が聞く。
「今日は隣が安全地帯なので」
何の話だ。
閉店間際、安藤がこちらに小声で言った。
「雨露くん!今日どうでした?」
「……思ったよりは」
「やったーっ!」
菅原も親指を立てる。
「次もお願いしますね!」
「次は出勤日にしてください」
文月が静かに立ち上がる。
「では私は帰るよ。今日は良い夜だった」
「逃げてないですよね?」
「堂々といくよ」
文月はそう言って、こちらを一度見て微笑んだ。
「また隣、空けておいてね」
空ける予定はない。
だが、深夜ファミレスは今日も無事に回っていた。
それだけは、確かだった。




