第4話 ビールと紙ナプキンの芸術
深夜二時過ぎ。
ファミレスの外は、シャッター商店街特有の、音の死んだ静けさに包まれている。
カウンターでは、雨露が無言で伝票整理をしていた。
奥のいつもの席には宮間が座り、白紙の資料を睨みながら、ガムシロップを進捗表に見立てている。
そしてカウンターの端で、文月がコーヒーを飲みながら、ガラス越しに外を眺めていた。
「……まただ」
文月が、小さく呟いた。
店の外では、モモコさんが新しい恋人と口論している。声は大きく、手振りは派手で、愛情と怒りが混ざり合った独特の空気を放っていた。
「何回目だと思う?」
「数えてません」
雨露は即答した。
「僕は……三回目くらいから数えるのをやめました…」
「正解です。数えると疲れます」
宮間が、おずおずと顔を上げた。
「……あの、今日は、殴りますか……?」
「たぶん」
次の瞬間、乾いた音がした。
モモコさんの拳が、恋人をきれいに殴り飛ばしたのだ。
「……ああ」
文月は、妙に納得した顔で頷いた。
ほどなくして、入口のドアベルが勢いよく鳴った。
「今日はやけ酒するわよ!!」
モモコさんが、豪快に店内へ入ってくる。
「ビール!とりあえずビール!」
「一杯目です」
雨露は、冷静にグラスを置いた。
モモコさんはそれを一気に飲み干す。
「浮気よ、浮気!信じられる!?」
「信じられます」
「ちょっと雨露くん、冷たくない!?」
「事実確認です」
文月が、にやにやしながら口を挟んだ。
「でもさ、浮気って哲学的だよね。人はなぜ、同時に複数の——」
「黙りなさい」
「はい」
宮間も、勇気を出して席を立った。
「あ、あの……失恋って、その……成長の……」
「アンタ誰!?」
「すみません」
宮間は即座に沈んだ。
ビールは二杯目、三杯目と重ねられ、モモコさんの声量も比例して上がっていく。
「男ってね!みんなそうなのよ!」
「主語が大きいです」
「細かいのよ!」
文月は、いつの間にか紙ナプキンを集め始めていた。
「これはね、“失恋の構造体”なんだ」
「在庫を減らさないでください」
「芸術は犠牲を伴うんだよ」
紙ナプキンは折られ、重ねられ、意味ありげな形になっていく。
モモコさんは5杯目を飲み干し、宮間の肩に腕を回した。
「ねえアンタ、聞いてる?」
「は、はい……」
「男はね、信用しちゃダメなの!」
「ぼ、僕も……信用されてません……」
「でしょうね!」
宮間は、完全にぐったりした。
七杯目。
八杯目。
モモコさんは立ち上がり、テーブルを叩き始める。
「愛って何よ!」
「未定義です」
「未定義!?」
「辞書には載ってます」
十杯目を飲み干したところで、モモコさんは大笑いした。完全に出来上がっている。
「まあいいわ!今日は全部忘れる!」
文月は、完成した紙ナプキン作品を掲げる。
「これが、恋の残骸だ」
「片付けます」
雨露は、淡々とゴミ箱を差し出した。
モモコさんはソファに倒れ込み、宮間はカウンター席で魂が抜けたように座っている。
店内は、ようやく静かになった。
雨露は、深く息を吐いた。
(……今日も騒がしい)
それでも、深夜ファミレスは営業を続ける。
失恋も、哲学も、やけ酒も、
ここではすべて、同じ値段で提供されていた




