第37話 占いの余波が数日後に効いてくる
深夜二時。
占い騒動から数日が経ったファミレスの店内には、あの夜と同じようにネオンの名残とコーヒーの香りが漂っていた。
設備も配置も変わっていない。
だが、空気だけが明らかに違っている。
「ねえ聞いてちょうだい、右隣事件よ」
モモコが開口一番、カウンターに身を乗り出した。
占いの翌日ではない。
わざわざ“数日寝かせた”報告であることが、声の張りからも分かる。
前回と同じ席、同じビール、同じ声量。
ただし語尾には、妙な達成感が混じっていた。
雨露は伝票を揃えながら、淡々と応じる。
「正式な事件名ではありませんので、その呼び方は控えていただけますか」
「だって事件だもの! 運命が右隣に座ったのよ!」
カウンターの端で、マリエがうんうんと大きく頷いた。
「言ったでしょう。泡は嘘をつかないのよ」
「そう! もう泡の言う通りだったわ!」
モモコはグラスを掲げる。
数日前の占いの夜と違い、今日は一滴もこぼさない。
成長なのか、単に慎重になったのかは不明だった。
テーブル席では宮間がそっと耳を澄ませている。
聞かないふりをしているが、右手はカップを握ったまま固まっていた。
「……それで、どのような出来事だったんですか」
雨露が業務的に促すと、モモコは待ってましたとばかりに語り始めた。
「まずね、席に着いたの。右隣、空いてたのよ。これはもう運命待ち状態よね」
「待ち伏せでは」
「違うわ! 迎え入れよ!」
マリエは水晶玉をくるりと転がす。
「待つ姿勢は大事ですわ。運命は急かすと逃げますから」
「でね、来たのよ。サラリーマン。普通。びっくりするくらい普通!」
「普通は安心材料です」
雨露は淡々と肯定する。
「でもね、問題はそこからよ。あたし、右手を見るって決めてたでしょ?」
「……ええ」
宮間が無意識に自分の右手を見つめ、慌てて膝の下に隠す。
「見たの。指、長くて、爪もちゃんとしてて……」
モモコは一瞬、遠くを見る。
「……既婚者だったわ」
「既婚」
「指輪がね、光ったのよ。泡より確実に」
マリエは小さくため息をついた。
「泡は未来を示しますけど、現実は指輪に宿りますの」
「だからね、あたし、静かに席を立ったの」
雨露はわずかに眉を動かす。
「静か、ですか」
「ええ。三分くらいトイレで泣いてから」
「静かではありませんね」
そのやり取りを、安藤がカウンターの陰から目を輝かせて聞いていた。
「え、すごい……ほんとに占い、後から効いてる……」
「安藤さん、業務中です」
「はっ!すみません!でも、右隣って、そんなピンポイントで……」
「運命は具体的ですから」
マリエは胸を張る。
「曖昧にすると、人生は迷子になりますのよ」
宮間が意を決したように手を挙げた。
「……あの、僕も、右隣、ちょっと気になってて……」
「宮間くん?」
「数日前、右隣に誰も来なくて……それって……」
マリエは真剣な顔で水晶玉を覗き込む。
「それはね、来なかったのではなく、来ない方がいい日だったのです」
宮間は深く頷いた。
「……助かりました」
「孤独死は回避されましたね」
雨露が淡々と補足する。
「右隣で死にたくはないです……」
モモコはビールを飲み干し、満足そうに息をついた。
「でもね、いいの。既婚者でも、運命は運命だもの。教訓をくれたのよ」
「教訓?」
「指輪チェックは先にしろって」
マリエは深く頷いた。
「ええ。次はもう少し先が見えますわ」
安藤はメモ帳を取り出していた。
「……占い、すごい……私も今度見てもらっていいですか?」
「もちろん。あなたはね、食べ物と運命が絡んでいます」
「えっ!?」
「まかないの選択を誤ると、恋も迷います」
「気をつけます!」
雨露は一連の光景を眺め、静かに伝票をまとめ終えた。
「……本日の業務報告に『右隣事件』は記載しませんので」
「えー!」
「私的案件です」
占いから数日経った深夜二時のファミレスには、
少し整理された運命と、
相変わらず整理されない人間関係だけが残っていた。
右隣は、今日も静かに空いている。




